7. 迷いの道の先には魔物がいます
ネアが休憩時間に街に出たいと言うと、エーダリアは快く了承してくれた。
お前なら無闇なことはしないだろうと苦笑し、この土地のことを知るのも良いだろうとあれこれ教えてくれる。
出会って二日目の上司と部下としては、なかなか良い職場環境と言えよう。
「そしてエーダリア様は、朝食の後からディノを見ては目を逸らしてを繰り返されていますが、…………もしかして恋などをされていたりは…」
「ネア?!」
「…………エーダリアはいらない」
「しかし、もごもご聞き取れない言葉を呟いていたり、ぶんぶんと頭を振っている奇行も目立ちます。昨日までは普通のご様子でしたし、それまでは落ち着いていた方の様子が突然おかしくなるのは、世界的にも恋の病という共通認識があるのをご存知ですか…………?」
「どうしてそう考えたのだ?!だ、断じてそのような理由からではない!」
「むむ、では、………ディノに、言い出したいけれど言えないような、お話しされたい事があるのです?」
「……………っ、いや、………お前の魔物は、謎が多いからな…………」
そう呟き困った顔をしたエーダリアに、ネアは、であれば、ディノと二人で話してみてはどうだろうと提案してみる。
相手にもよるだろうが、ディノは、エーダリアの事を評価しているようだ。
きっと、きちんと話し合いに応じてくれる筈だ。
そんな提案をされてしまったエーダリアは凍りついていたが、首を傾げたディノが、気になる事があるのなら話しておこうかと言ってくれたので、急遽、二者面談となる。
ネアは、高位の魔物への畏怖の念からか表情の硬いエーダリアの為に、ぐっと拳を握ってみせたが、なぜかエーダリアはそのサインを勘違いしてしまったようだ。
ぶんぶんと首を横に振り、断じて恋ではないと言い重ねてくる。
勘違いかなと思って引っ込めた推論だったが、そこまで必死だと少し怪しいぞと考えながら、ネアは、二人が隣室に向かうのを見送った。
(勿論、二人にしてしまう事への怖さもあるのだけれど、……………)
ネアはまだ、この物語のあわいの基盤となる本を読んではいない。
と言うより、出会ったディノが手に本を持っていたりはしなかったので、原作を読ませ給えと要求しても意味がないと考えている。
だからこそであるが、現在、物語の中に呼び落とされたという大前提が覆る可能性はなきにしもあらずで、その場合はディノをきちんと見張っておいた方がいいのだろう。
だが、美味しいものを食べて素敵な森を見た事で、ネアはすっかり幸せに緩みきっていた。
もう一生分の楽しみは得てしまった気もするし、もし騙されていたら、早々に自分でずばんとやればいいかなと考え始めてしまう。
元の世界では、娘を幸せにしようと頑張ってくれていた両親の願いを挫く事も出来ず、どんなに苦しくても自ら命を絶つような真似はせずにいた。
しかし、ここは異世界である。
こんな場所で悪意をもって貶められるとするなら、筆舌に尽くし難いような悲惨な目に遭う可能性などを考慮するべきだ。
もしもの時は、自衛手段としての断絶は許して貰おう。
(そして、ディノが私を騙していて、ここが物語のあわいでもないのだとすれば、ディノをお家に返してあげる為にも頑張るという前提も覆るから……………)
その時は、そちらに気を使う必要もなくなる。
ともあれ、そうして考えれば、今はまだ、来たばかりの異世界をのんびり満喫していてもいいのではないだろうか。
ネアは生来、大雑把な人間だった。
(………………おや?)
そんな事を考えていたネアは、午前の光にきらめく雪の庭に続く硝子戸の向こうに、不思議なものが落ちているのを見付けて眉を顰めた。
立ち上がって扉の方に近付けば、禁足地の森に続くリーエンベルクの庭の菫の花壇の周囲を、美しい白銀の蝶が飛んでいる。
どうやら、ネアが銀色のものが落ちていると思ったのは、その蝶が雪の上に休んでいた姿だったようだ。
白銀は白銀でも、白みのある色彩ではない。
澄んだ煌めきを放つ銀細工の蝶のような生き物だ。
一枚の絵のような光景に嬉しくなってしまい、ネアは、硝子戸を開けて庭に出てみる事にした。
夕暮れの結晶石から彫り出した藍紫の取っ手を引き、かちゃりと扉を開ければ、そこには美しいリーエンベルクの庭園が広がっている。
勿論、ディノ達のいない間に問題を起こしてもいけないので、そこが、排他結界の境界だと教えられた線の中の敷地内である事と、会食堂の窓から見える範囲であることを確認し、ネアは足跡一つない美しい庭に踏み出した。
(……………わ。冷たい空気が気持ちいい!)
ネアの知っている雪の日とは違い、空気がとにかく澄んでいて、涼やかでふくよかな雪と森の香りが素晴らしい。
すっかりいい気分で庭の散策を始めたネアだったが、途中で、昨晩のエーダリアの忠告を思い出し、どれだけ儚く見えても、ひらひらと飛んでいる蝶に近付くのはやめておいた。
(でも、可動域というものがそんなに低いとなると、今後、仕事の中でうっかり遭遇して、その仮面の魔物さんに襲われでもしたら、ひとたまりもないのでは……………)
清廉な雪景色の中は、考え事に向いている。
とりとめもなく、けれども大切そうな事をあれこれと考え、ネアはさくさくと雪を踏んだ。
「………………む、」
そこでふと、木立の向こうから誰かの声が聞こえて来たような気がして、顔を上げる。
人の話し声に聞こえたので、リーエンベルクの騎士達だろうかと考えて伸び上がってそちらを見てみたが、人影は見えなかった。
(そろそろ部屋に帰ろうかしら…………)
姿の見えない誰かの声にぶるりと身震いし、振り返ったネアは呆然とする。
そこにある筈の会食堂に戻る扉はなくなっており、あるのは、どこまでも続く暗い森の小道だけであった。
「そんな……………」
ぞっとして周囲を見回せば、ネアが立っていた筈のリーエンベルクの庭が、いつの間にか見知らぬ小道になっているではないか。
それまでいた場所と一致しているのは、雪景色と菫の花と白銀の蝶だけだ。
(庭の、それも結界の中にいたのに、どこかに迷い込んでしまったのだろうか…………)
怖くなって周囲を見回し、またどこかで人の囁きが聞こえたような気がしていっそうに怖くなる。
すると、ひらひらと飛んで来た白銀の蝶は、どこか意地悪にネアの周りをくるくる回り始めた。
「…………むぅ」
蝶と意思疎通出来るとは思わないが、その飛び方には、哀れな迷子を嘲笑うかのような悪意が透けて見えるようで、ネアは眉を顰める。
蝶の魔術稼働域は、ネアより高いのだという。
もしそのことを、この蝶が知っているのだとしたら、ネアの事をいたずらに傷付けてきたりはしないだろうか。
ネアはこんな時は先手必勝型のたいそう獰猛な人間であるが、残念ながら現在は武器になるようなものを持っていない。
(…………助けを呼んだら、ディノは来てくれるだろうか?)
そう考えてみたが、判断材料もないので五分五分だという気がした。
もし来なかったらと思い、ネアはその怖さに打ちのめされる。
今日は街に出かけるのを楽しみにしていたので、まだ裏切られるような覚悟は出来ていないのだ。
(……………あ!)
ここでネアが思い立ったのは、自分が、ここでは歌乞いという役目を持つ存在だという事であった。
物語の配役とは言え、ネアは実際に迷い子なのだし、仮の契約でディノと魔術的な約束を交わしている身である。
こうして、ディノの指輪も持っているのだから、なんとかしてそれを利用出来ないだろうか。
魔術的な素養も下地もないネアはそれなりに頭を使い、歌乞いというものが歌で魔物を召喚出来る存在である事が利用出来ないだろうかと考える。
そう言えば、歌乞いによる契約の魔物召喚方法はおさらいしてないが、何かあったら呼ぶようにと言われている以上、簡単な召喚方法がある筈ではないか。
(歌を歌ってしまいました的な状況を装えば、強制的かつ事故としてディノを呼び落とせるかもしれない…………!)
この強欲な人間は、いざとなれば諦めようと言いながらも、お土産を買ってないし、買い物の楽しさも味わっていないからという理由で、今はその時期ではないと諦観を蹴り飛ばしてしまう。
救いがない顛末が待ち受けているのだとしても、取り敢えずいただいた給金から茶葉を買うくらいの猶予は欲しいではないか。
となると、ここは前向きに努力をしてみよう。
(歌ってみよう…………!)
だからもし、そこで起きた最初の惨劇がネアのせいだったとしても、それは前向きな努力の結果であり、決してわざとではなかったのだ。
ネアは、意地悪にぱたぱた飛んでいる蝶を威嚇する為にも、荘厳な響きのあるエーダリアから貰った歌乞い教本の聖歌のようなものを選んだ。
ヴェルクレア国では新任の歌乞いに配布されるそうで、貰ったものをぱらぱらと教本を捲って見たところ、簡単な音階なので楽譜から読み解けた。
なお、楽譜が読めるのは、ディノの知識を共有して貰えているからだろう。
(いざ!)
すっと息を吸い込んで、ネアが歌い出した途端、周囲を意地悪く飛んでいた蝶がびくりと空中で痙攣して地面に落ちる。
ぽさりと落下して儚くなった白銀の蝶に、ネアは驚いて固まった。
「…………………滅びました」
へにゃりと眉を下げ、悲しくも事切れた蝶を眺める。
たった今目の前で起きた事は自分のせいのようだが、偶然、聖歌めいた選曲がこの蝶に合わなかったのだろうか。
そうであると信じたい。
途方に暮れて暫し壊れた置物のような蝶の亡骸を眺めていると、視界にひらりと白いものが揺れた。
「ディ……………っ、」
ディノが来てくれたのかなと思ったが、どうやら違うようだ。
上げかけた声を飲み込み、ネアは現れたものの異質さに動けなくなった。
チリーンチリーンと鈴を鳴らして、白い雪煙を纏うような不思議な行列が現れ、それはたちまち輪郭を結び、呆然と目を瞠ったネアの横を、ゆっくりゆっくりと奇妙な者達が歩いてゆく。
鷲の頭をした男に、ローブ姿の王族のような豪奢な装いの男達、立派な雄鹿は背中に美しい妖精の乙女を乗せており、その後ろをとことこと歩く翼のある狼に、杖を持ちふさふさとした毛皮を羽織った旅人達。
静謐の冷たさが恐ろしい程なのに、なぜか彼らはとても楽しそうだった。
どこからともなく聞こえてくる楽しげなワルツが、そら恐ろしく背筋を冷たくする。
それぞれの色が抜け落ちたような曖昧さで、その上から雪景色に溶け込む白くけぶる色を纏い、尚且つ不思議な質感の薄さは亡霊のようだ。
こちら側の存在ではないのかもしれないと考え、ネアはじりりと後退した。
「…………ったく。新しい客かと思えば、余計なものを呼び込みやがって」
そんな声が背後から聞こえたのは、その時の事だった。
ぎょっとして振り返ったネアは、いつの間にか背後に、ふくよかな真紅の薔薇が咲き乱れる夜の庭園が広がっていることに驚いた。
柔らかな風が吹き、明るく庭園を照らしているのは月光だろうか。
(これは、……………)
雪景色の中を白い行列が歩いてゆく正面と、背後の艶やかな夜の色との落差にくらりと目眩がする。
どちらも引き込まれてしまいそうな美貌を持ち、暗い夜の悪い夢のようで、艶やかで美しい物語の一場面みたいだ。
「…………迷い子のようだが、ここは俺の領域だ。迷い込むにしても、その無作法さには対価が必要だな」
そう嗤ったのは、ぞくりとするような美しい男性だった。
ウェーブがかった白い髪と、長めの前髪から覗く内側から光るような鮮やかな赤紫色の瞳。
低く甘い声には弄うような残忍さがあり、漆黒のスリーピース姿に漆黒のトップハットは、彼が腰掛けた優美な椅子に立てかけた杖も含めこの魔物によく似合っていた。
(美しい人だ……………)
けれどもこの魔物の美貌は、決して人間が出会ってはいけないような危うい暗さがある。
闇夜で獲物を狙うけだもののような、色めいた微笑みで人間を破滅させる聖典の悪魔のような。
そしてそんな男性の足元には、奇妙なものが積み重なっていた。
(………………服?…………着ぐるみ、…………ううん、まるで、人間の皮のような……………)
洗濯物でも畳むような無造作さで、男性はそんな悍ましいものを畳んでいたようだ。
中には白い紙のラベルをつけられたものもあり、この男性なりにきちんと管理しているらしい。
男性の向かいに置かれた、座る者のいない一脚の椅子が、何とも不穏に見える。
絶対にそこに招かれてはいけないと、そんな気がしてならない。
暗く酷薄に、そして艶やかに微笑みながらも、男性の目はネアを冷ややかに見ていたが、その瞳がふとネアの足元に向けられば、ちらりと興味深そうな色を浮かべる。
「…………ほお、潰す価値もないくらいの愚鈍さかと思えば、それを殺せる程には獰猛でもあるらしい」
「…………こ、これは、不幸な事故でして…………む?」
男が指摘したのは、足元に落ちている先程の蝶だろう。
そんな事から宜しくない興味を持たれても破滅の予感しかしないので、慌てて弁解しようとしたネアは、落ちている蝶の方を見ようとして、ぎくりと固まった。
「……………っ、」
ぎしりと、乾いた木の枝が軋むような音がした。
ネアの足元に落ちている白銀の蝶には、細い枯れ木のようなものが突き刺さっていた。
枯れ木に沿ってそろりと視線を持ち上げてゆけば、背後を歩いてゆく行列からこちらに出てきたものか、奇妙な生き物がその蝶を前足で押さえているのだと分かる。
その生き物は、鋭く尖った枝先のような前足を持ち上げ、そこに刺した蝶の亡骸をぱくりと口に入れた。
「みぎゃ!!」
その直後、潰れたような悲鳴を上げたネアは、咄嗟に、対面にある夜の庭園に腰掛けた白い髪の男性に飛びつくと、その背後に潜り込んだ。
「…………っ?!おい!」
「せ、背に腹は替えられません!あやつと比べればあなたの方がどれだけいいでしょう!!あの怪物を倒して下さい!!!」
「っ、椅子を押し出すな!………おい?!」
「あなたはきっと、私より強い筈ですから、これはもう運命だと思って諦め、あの…………っ、あの生き物と戦うのだ!」
「おい、ふざけるな!やめろ!!」
この時のネアは、もはや平常心など遥か彼方の地平線の向こうに旅立ってしまっていた。
淑女としての品位も、見知らぬ人外者を警戒するまっとうな平常心も消え失せ、小さな小屋程の大きさのある枯れ木製の蜘蛛のようなものへの恐怖でいっぱいだったのだ。
(こ、これだけは駄目!小さい頃から、一番苦手なのに………………!!)
この場にいる唯一の人物が逃げないように、背後からしっかり椅子に押さえつけ、その椅子を盾にして、こちらに歩いて来ようとしている巨大蜘蛛に向かってずりずりと押し出す。
いっそもう、椅子ごとこの男性を蜘蛛めがけて放り出せば、仕方なしにでも退治してくれるだろうか。
身勝手で残忍な人間がそんなことまでを考えていたその時、薄氷を踏み割るような音が響いた。
「………………む?」
ふわりと霧が晴れたように、それまでネアを取り巻いていた風景が消え失せる。
目を瞬けばもうそこは、ネアがさっきまでいたリーエンベルクの庭で、水紺色の瞳を瞠ったディノがこちらを心配そうに見つめて立っている。
その後ろには、真っ青な顔をしたエーダリアと護衛騎士の男性、その契約の魔物の姿もあった。
「……………良かった。取り戻せたね。ネア、怪我はないかい?」
「ディノ!…………お、お庭から変なところに迷い込んでしまいました。…………ぎゅ、………っく、生きて戻ってこれたのですね…………」
安堵のあまりにじわっと涙目になったネアに対し、ディノの眼差しがふっと横に逸れた。
なぜだか、ネアの隣をじっと見ているようで、少しだけふるふるしている。
「………………ネアが浮気する」
「……………うわき?」
悲しげに瞳を揺らしてこちらを見ているディノの姿にこてんと首を傾げ、ネアはその視線を辿って、己の手の中のものに気付いた。
「まぁ、………………」
「………………おい。どういうつもりだ」
そこには、ネアが、逃げ出せないようにしっかりと両手で椅子に押さえ込んでいた白い髪の男性の姿がある。
椅子ごとなので、手をかけていたところ、うっかりそのまま持ち帰ってしまったようだ。
眇められた瞳は剣呑な鋭さで、こんなところに誘拐してきたネアを睨んでいるのかもしれない。
「………………ご、ごめんなさい。持ってきてしまいました」
「ふざけるな。……………シルハーン?」
幸い、椅子に引っ掛けられていた杖もこちらに来ていたようで、ネアの拘束から引き抜いた片腕でその杖に手をかけた男は、ディノを見た途端、呆然とした表情になった。
(シルハーン…………?)
知り合いかのような反応におやっと思いながらも、ネアは、その一瞬の隙を逃さずにしゃっとディノの方に逃げる。
誘拐の報復を受けないよう、頼もしい魔物の背後に隠れる算段だ。
「…………ネア。アルテアを持って来てしまったのかい?」
「むむ、お知り合いなのですか?」
「……………知り合いではあるかな。パーシュの小道に迷い込んだようだね」
「パーシュの、小道……………?」
「あわいの一種だよ。この季節になると、排他結界で守られた土地にも冬夜の行列の足跡が残されている事がある。その一つを踏んでしまって、彼らの固有領域に迷い込んだのだろう。雪色を纏う行列を見なかったかい?」
「そ、それなら見ました!お庭にいた白銀の蝶を見ていたら、いつの間にか不思議なところにいたのです」
「おや、それは、あの行列の前触れの一種だね。旅の糧食を増やす為に、君を連れ去ろうとしていたのだろう」
「………………糧食」
まさか、そんな危険な状況だったとは思わず、ネアはぞっとした。
その様子に気付いたディノは、可哀想にとネアの頭を撫でてくれる。
「ごめんよ、このような危険もあるのだと話しておけば良かったね」
「………………いえ、私が不注意だったのです。こちらでは、時として隣のお部屋からも失踪しかねないと聞いていた事が、やっと理解出来ました……………」
ディノは、しょんぼりしたネアを慰めるように手を伸ばしてひょいと抱き上げたが、ここは勝手な持ち上げは禁止であるとは言えず、ネアはその腕の中でほっと息を吐く。
(こ、怖かった………………)
どうやら、ディノがネアを、パーシュの小道という場所から連れ戻してくれたらしい。
契約した魔物が、勝手に庭から迷子になった人間を助けてくれた事に安堵していると、どこか憮然としたような声が聞こえてきた。
「……………シルハーン、そいつはお前の手駒か?」
「アルテア、この子は私の歌乞いだよ。どうして君がこの子が迷い込んだ先にいたのか、話を聞かせてくれるかい?」
ひどく嫌そうに尋ねた男は、ディノの答えを聞いて唖然としたような目でこちらを見る。
ネアは、偽物の契約であることは微塵も窺わせずに凛々しく頷いてみせた。
シルハーンという呼称はディノのことで間違いなさそうだが、肩書きが家名のようなものなのか、きっと個人的なものだと思うので不都合がなさそうであれば触れずにおこう。
背後では、またしてもエーダリアが体調を崩したらしい。
繊細なウィーム領主を慌てて介抱する護衛騎士の呼びかけを聞きながら、ネアは、目の前の漆黒の装いの男性がどんな種族なのか、何となくわかってしまったような気がした。