4. どうしても薬の魔物です
趣味なのか習性なのか、三つ編みを持って欲しい系の魔物に慄きながら、ネアは、エーダリアとの晩餐の約束までの時間を過ごした。
そして今は、時間通りに部屋に迎えに来てくれた騎士達に案内され、リーエンベルク内にある会食堂で、エーダリアと向かい合って晩餐の席に着いている。
「そう言えば、家事妖精さんがお部屋にラベンダー水と香油、それにクリームまで届けてくれました。お気遣いいただき、有り難うございます」
「手配が遅れてすまなかった。リーエンベルクの住人には、女人がいないからな。必要なものの把握が、足りていなかった」
ネアはまず、こちらで初めてお目にかかった人型の妖精が届けてくれたもののお礼を言う事から始めた。
泉の結晶だという淡い水色の小瓶に入ったそれらは、女性としてというよりも、入れ物の綺麗さでネアを熱狂させたのだ。
(でも、家事妖精さんって、不思議だわ…………)
リーエンベルクと呼ばれているこのウィームの領主館には、女中や侍女などの代わりに、ぼんやりとしたシルエットのような姿の家事妖精達が働いている。
ネアが初めて見た人型の妖精だ。
他に使用人とおぼしき人間の姿はなく、かつては一つの国だった規模の領地の領主館なのに、あまりにも衛兵などの人員が少ない印象があったが、ディノの説明によれば、ここに勤める騎士達は、領主であるエーダリアを含めて、魔術可動域というものがとても高いらしい。
可動域が低いと危ういという説明の際に、こちらの世界の人々はその殆どが魔術を扱えると聞いてネアは驚いたが、それは、魔術の所有自体は特別な才能というものではないからだ。
因みに、人ならざる者達は身の内に己の魔術を持ち、それを持たない人間は、魔術を取り込んで扱う。
その、取り込む為の回路と得られる魔術の貯蓄量を魔術稼働域と言うのだとか。
加えて、どれだけ魔術に触れていられるかという抵抗値という規格が魔術を持たずに生まれた人間にのみあり、これは、数値的に可動域と同一である事が多い。
(抵抗値は、言葉のままの意味で、その限界を超えた魔術に触れると、体に様々な影響が出てしまう……………)
多くを保有する者達が持つ魔術が、多くを扱えない者を侵食し損なう事もあるので、このリーエンベルクでは、そのような事故を避ける為に余計な人員を雇い入れずにいると知り、ネアは、異世界の魔術による雇用事情を理解した。
そのような事情だなんて、教えて貰わなければ考えもしなかっただろう。
幸い、家事妖精は沢山いるようだし、シャンデリアが自分で消灯したりもする世界だ。
魔術も色々なことを可能にするので、確かに人手は少なくてもいいのかもしれない。
違いを意識していても、教えられないと気付けない事も多い。
何も知らずに警備などの騎士もいない別棟に通されたら、悪意があって粗雑に扱われているのだろうかと勘繰りかねなかった。
ふぅと息を吐き、ネアは地味なところで、自分の常識と違う事の多さに気が遠くなる。
(ディノがそう言う事を教えてくれなかったら、私は、この領主様を、冷淡で油断のならない人だと思ってしまったかもしれない………)
そう考えながら前を見れば、ほぼ正面という食事ではかなり気を使う席位置なウィームの領主が、真っ直ぐにネアの瞳を見返すところだった。
「では、その期間だけでも構わない。仮契約ということでいいだろうか」
エーダリアは、よく見れば、領主にしては随分と若いようだ。
青年期は超えているが、王子という肩書きの方がしっくりくるような気がする。
森に迎えに来てくれた時の服装よりは寛いだ装いになっており、やはりまだ慣れないものか、ちらちらとディノの方を見ている。
人外者はその美醜でも階位が決まるそうで、となると本当にこの魔物は何者なのだろうとネアも考えてしまうのだから、魔術師としても名高いらしいエーダリアは、もっと不安に感じるだろう。
「はい。ディノと話し合いまして、この国が歌乞いを急ぎ求めた理由となる問題を、共に解決するまでを一区切りとし、一時的な契約とすることを希望します。それが終わった後で、あらためて今後の事をご相談させていただいてもいいでしょうか?」
ネアが落ち着いてそう返せば、エーダリアは誠実な言葉を返してくれた。
「正直に言えば、中央は疑念を抱くだろうが、私はそれで構わないと思っている。ただ、その期間、この国の歌乞いとして先程示した規約は全て守って欲しいのだ。私は、領主として領民達を守らねばならないからな」
「はい。こちらでお世話になり共闘するにあたり、政治的な介入はしないことと、領民の方に悪さをしたり、我が儘放題で街に迷惑をかけるような事は慎みますね。ディノにも、同じようにして貰います」
(本当はまだ、誰かを自分の管轄のもののように話すのは慣れないのだ…………)
エーダリア達の手前、ネアとディノは、歌乞いの契約をしている体でいなければならない。
歌乞い契約は人間には負担が大きいものだが、一度歌乞いを得た魔物も、二度と別の歌乞いを得ることが出来なくなる。
歌乞いを唯一の恩寵とまで言わしめる魔物達の執着を前提に、歌乞いは、自分の契約の魔物に対して、それなりの強制力を持つと考えられているらしい。
(でも、私とディノの契約は偽物だから、私にはそんな力はないのだけれど…………)
とは言え、明らかに異世界に迷い込んでいるネアとは違い、物語のあわいの外にいるエーダリアを知っているというディノは、このウィーム領主の事は気に入っているようなので、ここで問題を起こす事はなさそうだ。
ディノは、ネアのような遠方からの招待客ではなく、このあわいを形成する物語本のある世界の住人である事はもう確定事項として考えていいだろう。
「これは、魔術証書となる。保管しておいてくれ」
「はい。いただいておきますね」
手を伸ばし、エーダリアと取り交わした雇用契約の誓約書を持ち上げた。
なぜか文字が読めるのが有難いが、言語と文字については、仮契約生物に準拠するそうなのでそれで読めるのだろう。
(この紙に記された文字に、魔術が宿っているのだわ……………)
この会談の前にと予めお願いしておき、ネア達は、望まれるままに歌乞いとしてウィームに滞在する場合の雇用条件をまとめておいて貰った。
何事も契約書は大事であるとふんすと胸を張ったネアだったが、こちらの世界の契約は、言葉の魔術で魂を縛るのでより重要なものなのだ。
(…………思っていたより、ずっといい内容だった)
エーダリアから提示されたお給金は、こちらの貨幣価値を教えて貰えば、二か月分くらいで郊外に小さな家が買えるかなという金額であったが、残念ながらディノは、そこまで長くここに滞在するつもりはないようだ。
それに、今回は大きな事件の解決を求められているので、契約料や危険手当のようなものも合算されている特別な報酬なのだろう。
(とは言えやはり、エーダリア様は公平な方なのだわ……………)
エーダリアが長として治める、王都にあるガレンエーベルハントという魔術師の塔は、国内の歌乞いを統括する組織でもあるらしい。
そのような組織の統括を任されているからこそ、エーダリアには、依頼に対し相応しい報酬を支払うという概念がしっかりあったようだ。
なお、残業手当の認識はあまりなさそうだったので、こちらの歌乞いは、正当な睡眠時間を確保しないと動かなくなるので、深夜残業は割り増しの手当てが発生し、代休が必須となるという話はさせて貰った。
加えて、危険がある場合には、エーダリア達が握っている情報を隠匿せずに共有するなど、彼等が一目置くような魔物が共にいたからこそ通った要求も幾つかある。
正式な契約を保留にして国家に所属していない得体の知れない人間に対し、国家主導の事件の情報を全て開示するということは、なかなかに乱暴な主張だろう。
更には、迷い子で生活資金のないネアには前金も支払われ、休憩時間には、ウィームの街を自由に観光してもいいというお許しも貰えた。
ただしその場合には、領民達を脅かさないように、ディノが高位の魔物だとばれないような擬態は必須であるらしい。
自分で自由に出来るお金を持ち、この美しい街で買い物が出来ると知ったネアは、今からわくわくしている。
(あの綺麗な街に出て、小さな物でもいいから、お買い物をしてみたい…………)
明日は午前中から打ち合わせなどが入るようだが、お昼の一時間を含む前後二時間は休憩時間にして貰えるそうだ。
このリーエンベルクの周辺の土地は、かつてのウィームが国だった頃には王都だった場所であり、ネアがリーエンベルクまでの道中にちらりと見た街は、かつての王都に相応しいだけの賑わいであった。
これはもう、観光に繰り出すしかないではないか。
(小さな商店や飲食店が沢山あって、壮麗な歌劇場や大聖堂もある。リノアールという高級百貨店のようなところには、魔術を使った綺麗なものが沢山売っているのだとか。ここから帰る際に、買ったものを持って帰れるなら、お部屋にあった紅茶の茶葉を買っておきたいな……………)
後でディノに、お土産を持ち帰ることは可能かどうか尋ねてみようと考え、ネアは期待に荒ぶる胸を押さえた。
給金は、生活に必要な報酬として支払われるものであるのであまり無駄遣いは出来ないが、美味しさに目を瞠ったこちらの紅茶の茶葉や、先程部屋で使って温かさと柔らかさに恋に落ちた夜霧から紡いだ糸を使って織り上げた膝掛けくらいは買えるといいなと思う。
ここは、まだ見ぬ恐ろしい生き物達がいるのだとしても、なんて素敵なところなのだろう。
そう考えたネアが、テーブルの下で爪先をぱたぱたさせてしまうのは、晩餐として振舞われた食事まで、ネアの好きなものばかりだったからだ。
手をかけた繊細さもあるが、リーエンベルクの料理人の嗜好は、食べやすさに特化した素朴さでもあるらしい。
美味しいハムや、野菜たっぷりのキッシュ。
ほかほかと湯気を立てるグヤーシュには、ディノも嬉しそうにしていた。
とろりと溶けたチーズを回しかけた薄く叩いて揚げた牛肉のシュニッツェルなど、我が人生に悔い無しと高らかに宣言したかったくらいの美味しさだ。
こちらに迷い込むほんの少し前まで、ネアは、その日の紅茶を飲む事も出来ないくらいに困窮していたのだから、美味しいものをお腹いっぱいに食べられる幸せには感謝するしかない。
(持って帰れるなら、市場を探してチーズも買って帰ろうかな。焼き菓子も……)
これまでの節制が祟ったのか、すっかり食べ物への欲と執念にまみれていたネアは、この時、とても油断していたと言えよう。
「……………ところで、ずっと気になっていたのだが、お前の契約の魔物は、何の魔物なのだ?」
まさにそのタイミングで、とうとう恐れていた質問がやってきたのだ。
ネアは、小さく息を呑んでしまってから、気を取り直して凛々しく背筋を伸ばすと、真っ直ぐにエーダリアの瞳を見返した。
鳶色とは言っても、エーダリアの瞳には、光をよく集める綺麗なオリーブグリーンや、瑠璃色や銀色が混ざっている。
色のそれぞれに属性や系譜の宿るこの世界では、多色性の色を持つ者は、飛び抜けて階位が高いのだそうだ。
更には、恐ろしいことに、白色が貴色となるそうで、白色を多く持つ人外者はそれだけ高位であるらしい。
それを聞いたネアは、森で見たディノの驚きの白さを思い呆然としてしまったが、ここで、如何にエーダリアが誠実な人物だったとしても、そこまでを明かす必要はないのかもしれないと動揺を隠した。
彼は自分でも話していたが、このウィームの領主である。
そんな凄い魔物と契約しているのであればと、ネア達を飼い慣らす事に欲を出されても堪らないし、或いは、エーダリアは態度を変えなくても、彼の周囲の者達がそうはいかないかもしれない。
(魔術師の塔の長をしていて、尚且つウィーム領主として王都からは離れた土地を治めてはいても、今回のように王都からの命令で、迷い子を探しに来るくらいだもの………)
それこそ物語などでは、権力者は力のある者を取り込もうとするものだ。
何となくだが、ディノの事は王都の人達には知られない方がいい気がする。
だからネアは、予めディノから教えられていた言葉を返した。
「ディノは、薬の魔物なのだそうです」
「……………く、薬の魔物?!」
ネアは、ディノに言われたままを返しただけなのだが、暗い目をしたエーダリアがふるふると首を横に振ったので、どうやら、その肩書きはあり得ないようだぞと理解してしまった。
(…………む、無理がある肩書きなのかな…………?)
結果として、エーダリアと同じ顔色で、もう一度言われた事を繰り返した。
「はい。くすりのまものなのです…………」
「ネア、…………これから共に任務に就くにあたりそう呼ばせて貰うが………、薬の魔物というものは、市井の歌乞い達との契約が一般的な、爵位のない階位の魔物であることが多い。……………その、聞き間違いではないだろうか?」
それを、エーダリアはディノの方を見ずに、ネアに尋ねた。
このような場合、エーダリアが階位の高い魔物であろうディノに直接話しかける事は不敬とされ、歌乞いのネアがいる場合は、ネアを介して意思確認するようになる。
一時的な契約だが、歌乞いとして国家の保護下に入ったネアはエーダリアの治める組織の一員となるが、人外者は別途直接契約でもしない限りは人間組織の所属とならないので、ディノは今も外側の存在なのだ。
ディノから話しかけた場合のみ、エーダリアは会話を許される仕組みに、ネアからしてみれば、ますますこの魔物は何者なのだと言いたい。
(本当に、神様や王様のような対応なのだわ……………)
おまけにネアは、そんな魔物に対し、これから、エーダリアの疑念に触れ、魔物側の主張を再確認してみせなければならない。
隣の席に座ったディノの方を見れば、なぜか美麗な魔物は、前菜の盛り付けにある美味しそうな鴨のスモークを、そっとネアのお皿に載せてくれているところであった。
「……………むむ。私にくれるのですか?」
「うん。君はこれが好きなのだろう?」
「はい!とても美味しかったので、いただけるのなら嬉しいです!」
軽食という名前のサンドイッチを美味しくいただいた上に、準備された晩餐も美味しく食べているネアは、これまでの粗食からいきなり沢山食べられないということもなく、そんな自分の可能性に感謝していた。
美味しい燻製の再来に嬉しくなってしまって椅子の上で小さく弾めば、魔物は目元を染めて嬉しそうにもじもじしている。
なぜか、その様子を見ていたエーダリアが、更に呆然としているが、魔物が、ネアに自分のお皿から食べ物を分け与えるくらいに懐いている事が驚きなのだろうか。
「そして、ディノは薬の魔物なのですよね?」
「そうだよ。何か薬を作れば納得するかい?」
視線を持ち上げ、自分のことを見たディノに、エーダリアの体がぎしりと強張る。
「……………っ、いや、あなたがそう言うのであれば、そうなのだろう。失礼した」
「確かに、一般的な薬の魔物の階位とは違うかもしれないが、私はそのようなものとしてこの子と契約している。……………ただ、君が考えるように、階位はもう少し高いかな。だから、ネアに不利益が生じるような場面があれば、その問題が薬の魔物の範囲を超えていたとしても、まずは私に相談してくれるかい?」
そんなディノの言葉を聞いたエーダリアは、鳶色の瞳を瞠ってどこか無防備な驚きを見せた。
すぐにしっかりと頷き、そうさせて貰うと答えてからネアの方を見る。
「……………ネア。良い魔物との契約を得られたな。ここでの仕事で分からないことがあれば、勿論私にも聞いてくれて構わないが、お前の魔物も、きっと多くを教えてくれるだろう。まだ、歌乞いになったばかりだと聞いている。その立場に慣れないこともあるだろうが、少しずつ理解してゆくといい」
どこか安堵したような眼差しでそう言われてしまうと、ネアの胸はちくりと痛んだ。
ネアとディノは、本物の歌乞い契約を結んでいない。
だから、ネアが、本当に歌乞いというものの在り方を知る事はなく、借り物のドレスを褒められたような気分で、ネアは作り慣れた微笑みを浮かべる。
「はい。エーダリア様にもそう言っていただけて、ほっとしました。食事の後は、契約にあたって、………私の可動域を計測し、記録するのですよね?」
「ああ。………その、歌乞いは契約の中で……己を削るからな。体の状態を記録しておく為のものだ。その後は、共に携わる任務についての話をさせて貰おう」
(ディノが何の魔物かという話は、もうこれでおしまいのようだわ……………)
どうやら、この魔物は何の魔物問題については、ネアの巧みな話術と機転で乗り越えられたようだ。
ふうっと息を吐き男前に額の汗を手の甲で拭い、晴れやかな表情で晩餐へと心を戻したネアに、なぜかエーダリアは遠い目をしていた。