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3. 物語の本編ですらありませんでした




エーダリアと別れ、ネア達が案内されたのは、これはもう客間という区分を超えているという確信を持つに至る、複数の部屋が連なる離れの棟のひと区画だった。


天井が高く美しい中庭を望む回廊を抜けてゆけば、様々な部屋の扉が並ぶ。

大きな両開きの扉は閉じていたが、かつては王宮であったこのリーエンベルクには、今はもう舞踏会などを開くことはないものの、見事な大広間も残されているらしい。


真夜中に誰もいない大広間から音楽が聞こえてくることもあると聞き、ネアはすっかり嬉しくなってしまう。



(怖い幽霊は苦手だけれど、ここなら、綺麗で不思議なものがいそうな気がする………!)



ネアは勿論、王宮に泊まるのは初めてである。


案内してくれた騎士がその部屋の扉を開けば、弾むような足取りでここまでを歩いてきたネアは、あまりにも素晴らしい部屋に目を奪われ、呆然と立ち尽くしてしまった。



「こちらの部屋をお使い下さい。もし何かありましたら、入ってすぐの部屋にある、連絡板からご連絡いただければ、家事妖精か我々が伺わせていただきます」

「……………はい。………なんて素敵なお部屋でしょう」



その後、淑女としての威厳を思い出し、案内のお礼を言って部屋に入ったが、嬉しくてどうしても口元がにやけてしまうネアを見た騎士は、優しい目で微笑んでいてくれた。



ぱたんと扉が閉まれば、この向こう側は全て、少なくとも今晩は自由に使っていい部屋である。


あまりにも沢山のことが一度に起こってしまいまだ胸がどきどきしていたネアは、どの部屋に落ち着けばいいのか分からなくて、うろうろおろおろした。



(とは言え、こうしてディノと二人きりでいられる時間は、大事にしないと…………!)



「………か、観光以外の目的で、初めて王宮の中を歩きました。こんな素敵な場所に泊まれるだなんて、とても贅沢ですね………」

「この部屋は気に入ったかい?」

「はい!この絨毯だけでも、………ほら、この絨毯です。……………くすんだ菫色に薄っすらと模様があって、とても素敵でうっとりと見てしまいますね………。は!窓辺に、不思議なものがきらきらしていますよ!」

「雪結晶の彫刻だね。この季節は祝福が潤沢だから、ああして光るんだよ」

「どうやって、あの繊細なお花を彫り上げたのでしょう。想像もつきません………」

「良質な結晶石は、祝福が育つと花が咲くことも多いからね。花が咲いた結晶石を切り出してきて、飾ってあるのだろう」

「……………あの石から、お花が咲いたのですね………ぎゅわ…………」



興奮のあまりはぁはぁしてしまい、うっかり部屋の内装に夢中になっていたネアは、ぎくりとした。


そろりと振り返れば、ディノは、落ち着きなく続き間を行ったり来たりするネアの後ろを付いてきてくれていたようだ。



「…………ごめんなさい。あまりにも素敵なお部屋に、我を失いました。先程の領主様との対面もありましたし、打ち合わせをしておかないとですよね…………」


慌てて居住まいを正しそう切り出せば、ディノは、魔術で立ち上げて音の壁を設けるので安心して話していいよと言ってくれる。



「音の壁、………でしょうか?」

「不可視のものだけれど、私達の話は誰にも聞こえなくなる。魔術的な階層の断絶だから、階位的には、ここにいる誰かに破られる事もないよ」

「…………ディノには、そんな事も出来てしまうのですね」



あまりにも万能な魔術の在り方に驚いてしまうが、裏を返せば、そのような防御が出来ない者は、魔術で覗かれる可能性もあるのだろうか。


ネアは、魔術というものがある世界の仕組みの複雑さにくらくらしたが、ともあれまずは、先程会った領主を信用していいのかどうか話してみよう。


エーダリアと対面した印象と、あのような雰囲気の人物なので警戒してしまうということを、言葉を選んでディノに伝えてみた。



「容姿的な印象から、物語の配役の常を思ってしまうのですが、ここに滞在していて大丈夫でしょうか?それとも、一度収監されて安心させておき、時期を見て脱走した方がいいですか?」

「あの人間のことは、信用してもいいだろう。………私の知っている彼よりは、判断に余裕がなさそうだけれど、あの人間が善人である事に違いはないからね」

「…………ディノは、あの方をご存知なのですか?」

「うん。物語の外側の彼を知っているよ」



そう言われてしまうと、とても不思議な気持ちになった。



この、美しい魔物曰く、ここは一冊の魔術書の中の世界なのだそうだが、ネアは実際にその本を見た訳ではない。



力のある魔術書の内側に出来る物語の世界を、こちらでは「物語のあわい」と呼ぶそうで、ネアのように、全く別のところにいた人間がその中に落ちてしまうことも珍しくはないらしい。


ディノも、そうしてこちら側に落とされた存在なのだと知り、ネアは、この魔物が森の中で一人だと言った意味が漸く腑に落ちた。



(でも、私とディノは全く同じでもないのだろう……………)



物語の中に出てくるこの土地を知っていて、こちらの世界の仕組みに詳しいこの魔物は、基盤となる物語本が書かれた世界の側の存在だ。


更には、その語り方からすると、物語のあわいという場所もさして珍しいものではなさそうに感じる。



(そして、物語を読んでいたディノは、誰かが、あの森に呼び落とされるのを知っていたのだわ……………)



残念ながらネアと同じ困惑や不安を持つ仲間ではなかったが、エーダリアの事も知っているのだとすれば、頼もしい限りではないか。



「ただし、彼はこの国の中で、統合された敗戦国の王族の系譜の者だ。国家統一を図る際に、このウィームの王族は全て処刑された。その最後の一人として、あまり自由にならない事も多いようだから、彼の一存ではどうしようもないものもあるのだと思うよ」

「むむ、なかなかに苦労されているのですね。では、あのちょっと腹黒そうな美貌は、王宮で他の王族の方に侮られないように頑張ってしまい、冷ややかな感じになったのかもしれません……………」



であれば、失礼な考察をしてしまったと、ネアは反省した。



(これも、全部あの方が用意してくれたのだろうか…………)



エーダリアの言葉通りに、通された部屋には葫蘆に似た形状のミントグリーンのポットが幾つか並んでいた。


その中には、保温の魔術でいつでもほこほこになっている流星と夜露の紅茶に、雨だれと薔薇の紅茶、夜霧と沈黙の珈琲、更にはたっぷりのミルクまでもが揃えられていた。


それだけでも、異世界の素敵な飲み物を全種類飲まなければならないネアは大忙しであるのに、親切に冷たい水までもが揃えられていた。


それもただの水ではなく、ウィームの森の雪解け水で、祝福の豊かな美味しい水であるらしい。



軽食は、葉野菜的なものと蜂蜜色をした濃厚なチーズを挟んだサンドイッチと、かりりと焼いたデニッシュパンを使ったローストビーフのサンドイッチが用意され、無花果の焼き菓子まであるではないか。


エーダリアがそのような人物であれば、ここに用意されたものは美味しくいただけるので、ネアはどうしても唇の端が持ち上がってにこにこしてしまう。


美しい森に素晴らしい王宮を見て、その上でこんな豪華な軽食をいただけるのなら、食べ終わった後にぱたりと儚くなっても大満足である。



ポットや軽食の並んだテーブルの近くの長椅子を陣地とし、いそいそと食事の準備をするネアを手伝いながら、ディノはウィーム領主の事を教えてくれる。


高貴な雰囲気を持つ魔物であるが、お茶の支度を手伝うという認識は持ってくれているようだ。



「ウィームの領主になるまでは、暗殺などの危険もあったようだからね…………。そして、国の巫女姫が選出した者を国家の歌乞いとして保護することは、国から命じられた彼の義務でもある」

「…………つまり、あの方を通して投げかけられる、国からの要求には注意した方が良いのでしょうか?」

「そうだね。彼等の探し人としてこの地に滞在するのなら、勿論、望まれる以上はそれに見合った働きをする必要がある」

「それだけを聞いてしまうと、逃げ出した方が良さそうに聞こえてしまいますが、物語では、ここに残る事になっているのですね?」

「物語に記された事を終えるには、ここにいるのが最善だろう。リーエンベルク程に守られた土地はないし、私もここであればよく知っている。物語を終えてしまわなければ、私達はここから出られないからね」



そう語り、ディノはどこか儚く透明な眼差しで微笑む。



(あ、…………)



ネアはこの時まで、ディノが時折見せる寄る辺なさは、ずっと、ネアと同じ迷子だからだと思っていた。


けれども、物語のあわいというものについて話すディノを見ていると、この魔物には、物語を終えて早く帰りたい場所があるのかもしれない。



そう考えたら、なぜか少しだけ寂しくなった。



「………物語の中の私達も、こうして、領主館に招かれるのでしょうか?」

「うん。君は迷い子として私と出会い、エーダリアにも出会う事になっていた。夜にあらためて話される内容は、彼らが歌乞いを必要とする理由だろう。その問題を解決すれば、この物語の中での役目は終わる筈だ」



とは言え物語とくれば、起承転結の合間に大変な目に遭うのではとぞくりとしたが、何と、この物語の中でのネア達の役割は、本編が始まる前の短い一節ばかりであるらしい。


本編での主人公の冒険が始まる前に、過去にこのようなことがあったと語られる短い一節が登場枠なのだった。



「…………まぁ。ここは、物語の本編ですらないのですね」



それなのに、ここまでの事が再現されてしまうものなのかとネアは唖然としてしまったが、魔術のある世界では普通の事なのだろうか。


ネア達の物語は、冒頭部分だからこそ作中の表記が短く、結果として、このあわいがやや曖昧な規則性を持つ要素にもなっているらしい。



とは言え、その物語は月並みなものだった。



ネアは迷い子としてディノに出会い、歌乞いの契約をする。

エーダリアとの出会いを経て、依頼された仕事の中で悪いものと戦って勝利すれば、そこでネア達が得るという財宝が、本編での主人公に絡んでくるのだとか。




「ディノは、どうしてその物語を知っていたのですか?」

「その本はね、特殊な魔術を使う魔術師の手で書かれたものだ。それを危ぶみ、私に見せてくれた者達がいたんだよ」



物語の中で、ディノは、偶然の一致からディノ本人を特定するような書かれ方をしてしまっていたらしい。


偶然巻き込まれたネアとは違い、人ならざるものの叡智から、やがてこうなる事を見越して準備をしていたのだろう。



(…………きっとディノには、いつもの生活や予定があって、そこには友達や家族のような、大切な人達がいた筈なのに…………)



そこから引き剥がされて物語の中に放り込まれたのだから、さぞかし不愉快な思いをしているのだろう。


天涯孤独で待つ人もいないネアとは違い、自身の不在を嘆く人達を思えば堪らない気持になったりもする筈だ。



(だって、こんなに優しくて綺麗な魔物なのだもの。この人を大切に思う人達が、沢山いるのではないかしら………)



「……………この中に居る間、時間の感覚はどうなっているのでしょう?やはり、七日間拘束されていたら、七日の間は元の場所では行方不明ということになっているのですか?」

「物語のあわいとして、この中の時間は独立している。どれだけこの中にいても、外側に戻れば三日くらいのものだろう」

「むむ、……………三日であれば、魔術などのない私のいた場所でも、風邪などで寝込んでいたということにすれば、世間的にはどうにか誤魔化せそうですね……………」



戻れるのだと聞けば、そうして戻った後の事も考えねばならない。


けれどもネアは、本来なら喜ばしいその知らせを聞いて、この美しくて不思議な世界から帰らねばならないのかとがっかりしてしまった。



ここには、ネアを知る人間は誰もいない。



天涯孤独であっても、迷い子という肩書があれば、その身の上を説明出来る。


取り返しがつかない程に生き仕損じた人生を、妖精や竜のいる美しい世界でもう一度立て直せるのなら、それはどれほどわくわくする事だろう。


勝手に、このような場合は帰れない事が多いだろうと考えていたネアは、すっかりこちらに移住する気満々でいた。



(こんな風に歓待されなくていいから、雇用があるくらいには大きなどこかの街で、住み込みの働き手などとして、お金を貯めて綺麗なものを買ったり、森に遊びに行ったりしつつ、ひっそりと暮らしてゆけたらいいのに……………)



本の外側の世界でネアが暮らしていたのは、両親から受け継いだ古い屋敷だった。


亡くなった両親と、両親より早くに亡くなっている小さな弟と暮らしたことのある家族の家は、持病のあるネアの働きで維持管理するには立派すぎる屋敷で、数年前からその管理が大きな負担になっていた。



(それでも私は、あの家族の家をとても愛していて…………)



だから、あの場所で生きている限りは、ネアが屋敷を手放すことはなかっただろう。

そうして、全てを奪われてしまったネアに残された唯一の財産を手放さずに、やがてはその重さに身を滅ぼしただろう。


最近は、たった数枚のハムを買うのにも苦労する事も多く、貧しさに自分の心がくしゃくしゃにならないように手を伸ばした僅かな贅沢の為に、持病の薬を一月分我慢してしまい倒れた事もある。



だから、ここがあそこではないどこかならば、ネアは、もう帰れないのだからと安心して自分を言い包め、残してきたものを手放して身軽になれたかもしれないのに。



(…………そう言えば、今日はかなり歩いたのに、息苦しくなっていないみたい。慣れない土地で過ごしているから、興奮しているのかな。後で、揺り戻しが来ないようにしないとだわ……………)



ふと、そんな事が気になった。



ネアは、心臓に持病がある。


持病の薬に相当するものがこちらの世界にあるとも思えないのはそもそもとして、よく森からの距離を元気に歩けたものだ。



首を捻りかけ、ネアはぎくりとした。


そう言えば、まだ一度も鏡を見ていないが、雪の降る森を歩いていて、髪の毛などが大変な騒ぎになっていないだろうか。


淑女としてあるまじき様相だったらどうしようとひやりとし、ネアは、無表情のまますっと立ち上がる。




「ネア……………?」

「…………ディノ、鏡を見てきていいですか?」

「うん」

「む。なぜ付いてこようとしているのでしょう。この先は、たいへん個人的な領域となりますので、どうか一人にして下さいね」

「では、………これを持ってゆくかい?」

「……………布紐」



どこからか取り出されて渡されたのは、柔らかな布の紐であった。


じっと足を見るので、足にでも括っておけばいいと言わんばかりだ。


ネアは、屋内では迷子紐は不要なのだと、暗い目をしてふるふると首を横に振ったが、ディノは、却下し難いようなとても心配そうな顔をする。



「本のあわいでなければ、ここは安全な筈なのだけれど、今は、念の為に私と繋いでおこうか。君が、誰かに攫われてしまうといけないからね」

「…………もしかして、この世界は、続き間になっているお部屋からも、攫われてしまうことがあるのですか?」

「リーエンベルクの守りは堅牢だけれど、それでも些細な空間のあわいや、影などからの浸食には気を付けた方がいいだろう。水辺の魔術は、外側から浸食されやすいかな…………」

「なぬ。お風呂はどうやって入ればいいのだ………」



そう言えば、魔物はまた布紐をじっと見たので、ネアは心が挫けそうになってしまった。


本日初対面の男性と、布紐で繋がれたまま入浴するのは是非に避けたい。


ぎりぎりと眉を寄せたネアに、ディノは澄明な水紺色の瞳を瞠った。

良かれと思って提案していたのに渋い反応を示されてしまったからか、大型犬の尻尾がぱたりと落ちる幻影が見えるかのように、しゅんとしてしまう。



「……………では、ここでもう少し深く、私の守護を繋ぐかい?」

「ディノから、守護を貰うのですか?」

「うん。先程、ここでは私の歌乞いだという風にしていた方が、安全だよと話しただろう?実際に、もう少ししっかりとした形のある守護を付与しておけば、緩められるようになるかもしれないよ」

「むむむ…………」



(これは、今後の運用について、もう一度しっかり話しておいた方がいいかもしれない。今の私が頼れるのは、この魔物しかいないのだから、緩められる事と、気を抜けない事の線引きを知っておかなければだわ………)



何しろネアは、この魔物に騙されているかもしれないという可能性も含め、自分を守れるような頼り方をしなければならないのだ。


だが、既にディノの助けを借りないとやってゆけない状況なのだから、せめて、今後の為にもしっかり細部まで話し合っておこう。



この魔物に帰りたいところがあるのなら、場合によってはその為にネアを利用するような場面もあるかもしれない。



人間ではない生き物を、人間の物差しで測ってしまわないよう、ネアはしっかりと自分を戒めた。


領主への対応などを見ている限り、なかなかに老獪な一面もあるのは間違いないのだ。



(例え、…………この魔物が、お留守番の犬のような目でこちらを見ていたとしても!)



「ディノ、まずは布紐をつけて、しゃっと髪を直したり…………所用を済ませたりしてきますので、少し待っていて下さいね。そしてその後で、森では駆け足で済ませてしまったことを、間違えて認識しているといけないので、もう一度話し合ってもいいですか?」



あらためてそうお願いしたネアに、ディノはこくりと頷いてくれた。


ネアと話している時には寂しがり屋の大型犬のようになってしまうこの魔物だが、どれだけの月日を生きているのだろうと感じるずしりと重い人ならざるものらしい眼差しを見せる時もある。


そのどちらがディノの本当の顔なのか、今のネアには判断するべき材料があまりにも少ない。


けれども、ネアがそんな事を真剣に考えていたのも、浴室に備え付けのある洗面台で、鏡を見るまでであった。



用意された客間の中は、元王宮らしい造りのこの建物の中で、有難いことに浴室などの水周りの施設が揃った部屋である。


浴室と手なども洗える洗面台、そしてお手洗いまでがある安心ホテル設計に、ネアは、この世界には魔術仕掛けのシャワーもあるらしいぞと安堵を深めていた。



「ふぅ……………」



いそいそと入ったこれまた豪奢で美しい洗面室で、あまり乱れていなかった前髪にほっとしていたのだが、途中でネアは、おやっと目を瞠る。


鏡の中の自分の姿に、ふつりと違和感を覚えたのだ。



(……………私は、こんな姿をしていただろうか?)



鏡の中には、艶やかな青灰色の髪に、柔らかな灰色に菫色の混じる、鳩羽色の瞳をした少女が映っている。


美少女というような華やかさはないものの、端正な面立ちは、上品で繊細な感じがなかなか悪くない。

そう自画自賛して鏡の中の自分を暫し見つめてから、ネアは、びぎゃんと飛び上がった。



大慌てで居間に戻ろうとして、こちらの異変に気付いて駆け付けて来てくれたディノに鉢合わせしてしまい、踏みとどまれずにその胸に激突する。



「むぐ?!」

「ネア?」


ずばんと弾き返された儚い人間に慌てたディノに受け止めて貰いながら、ネアは、心配そうにこちらを覗き込んだ魔物に、とんでもない事が起きてしまったと、しどろもどろに訴えた。



「た、大変です!私が私ではありません!そ、その……、なぜだか曖昧にしか認識出来なくてそれも怖いのですが、私の姿が、以前と変わってしまっているような気がするのです………!」



(……………あれ?)



説明しながら、ネアは徐々に自信がなくなってきた。


もしかしたら、自分は元々こういう容姿だったのかもしれないと思い始めたのだ。

考えてみれば、先程も鏡に映った自分の姿に違和感を覚えるまでには、少し時間がかかったような気がする。



(でも、…………これは、私ではない………のよね?)



だから、森からこの領主館までを自分の足で歩けて、心臓が苦しくなることもなくいられたのだろうかと、今更ながらに思い至った。



「ああ、それで怖くなってしまったのだね。……………恐らく、迷い子になる際に、………ほら、君は魔術のないところからこちらに来たから、体の練り直しがあったのだろう。それがこちらでの君の姿になるから、怖がらなくていいよ」

「…………む、………これが、…………物語のあわいの中の私、という事なのでしょうか?」

「そのようなものだね。…………可哀想に、とても怖かったのかな。そのような事があるのだと、説明しておけば良かったね」

「……………ふぁい。しかし、私はとても大雑把な人間なので、そのようなものであるのなら、それで構いません。髪や瞳の色、加えて何だか若返りましたが、こちらで過ごすのにはとても快適です!」

「うん。とても可愛いよ」



さらりとそんな風に褒めてくれたディノが、おもむろに真珠色の三つ編みを取り上げる。

その手を差し出され、ネアは目を瞬いた。



「……………なぜ、三つ編みを差し出すのでしょう?」

「……………君が、私の歌乞いだからかな」

「一時的な契約ですし、私にはよく知らない事が多いとは言え、この三つ編みは契約に関係ないという気がします」

「ご主人様………………」

「なぬ。ご主人様になった覚えはありません…………」

「仮の契約だとしても、君は私の歌乞いなのだろう?」



ネアは、水紺色の瞳をきらきらさせた魔物に、恥じらうように差し出された三つ編みをじっと見ていた。



見ず知らずの異世界で、高位の魔物かもしれない美しい男性に出会った。


夜には、領主からここに招かれた理由が説明されるであろうし、部屋数はあれど、ディノとこの客間で一緒に泊まる事になるような気もする。


おまけに、物語のあわい仕様で、姿が変わってしまっている。




(しかし、この三つ編み問題以上に、厄介な事があるだろうか……………)



ご主人様と呼ばれてしまっているし、やけに懐いてきたし、もしやそういう趣味の人なのだろうかと考えると、ネアは、わぁっと声を上げて蹲りたくなったのであった。









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