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20. 最後の日を過ごします




残念なことに、ネアの願い事は叶わなかった。



リーエンベルクの美味しい朝食をいただいてから出かけたウィームの街で、たいへん痛ましいことに馬車に轢かれてしまった、パンの魔物に出会ってしまったのだ。


明らかにぺたんこになっているその魔物を見てしまったネアが震えていると、どこからともなくひゅんと飛んで来た小さな竜に、平ぺたになったパンの魔物は持ち去られてしまう。



「………………ディノ」

「食べるのかな……………」

「お、屋外にいるからです!なぜ、美味しそうな黄金色の一斤パンが、湿って重くなるような雪道を歩いているのでしょう。種の保存や、生存戦略は立てていない魔物さんなのですか?」

「パンの魔物は、沢山いるんだよ。欠けてしまっても、牛乳に浸しておくと元に戻るらしい」

「……………その場合、沢山の欠片を牛乳に浸しておくと、増えてしまうのです?」

「……………増えるのかな」

「……………ほわ」



獰猛でもなく飼育に特別な条件もないので、パンの魔物は子供たちのペットに人気なのだそうだ。


ネアは、たいへんシュールな光景であると思わざるを得なかったが、親御さんの目線からすれば、噛んだり暴れたりもせず、鳴いたり毛を落としたりもしない生き物は手がかからなくていいのだろう。



ディノは魔物の王様なのだが、この生き物が苦手なようで、パンの魔物を見付けてしまった後は少しだけネアの背中に隠れるようにしてしょんぼりしていた。


以前はこの魔物を見る機会もなく、お城を出てから知ったのだそうだ。




「まぁ、ディノには、お城があるのですね?」

「うん。今はもう、あまり戻らないかな……………」

「あら、お城はあまりお好きではないのですか?待っている方もいるでしょうに」

「いや、誰もいないよ。私達のようなものは、望んで城に人を入れない限りは、そのくらいは無人で管理出来てしまうからね」

「……………誰もいないお城に、一人でいたのですか?」



驚いたネアがそう尋ねると、ディノは澄んだ瞳にふわりと睫毛の影を落とした。


歩道には魔術の火の煌めく飾り木があり、ショウウィンドウには華やかな祝祭の飾りが並ぶ。


そんな中を歩く魔物のはっとする程に無垢な表情には孤独が映っていて、ネアは、胸の奥の柔らかな場所が掻き毟られるような気がした。



「昔は、……………友人が、毎日のように来てくれていた頃もあったんだ。けれど、いなくなってしまってからは、誰も来ない時期もあったよ。再びウィリアムが尋ねてきてくれるまでは暫く、一人でいただろうか」

「……………どれくらいの期間だったのですか?」

「……………十年くらいかな。もっとだったかもしれないけれど、座っていただけだったからあまり覚えていないんだ」

「……………ディノ、」



思いがけない返事に、ネアは胸が潰れそうになる。


こんなに寂しがりやな魔物が、十年もの間一人ぼっちでお城に居たのかと思うと、目の奥がぐっと熱くなった。



「……………そのお友達の方は、どこかに行ってしまったのですね」


何と言ってあげればいいのか分からなくてそう言えば、ディノは淡く淡く微笑んだ。


そうして静かな声で話してくれたのは、ネアが初めて聞く、この物語のあわいの外側のディノの話だ。




最初に、いなくなった友人の一人が、伴侶を喪って狂乱してしまい、そのまま崩壊してしまったこと。


狂乱したその魔物が祟りものになった後、それを鎮めたもう一人からは、かつてその友と共に過ごしたディノの側にはもう居られないと告げられたこと。


更に、崩壊した魔物の伴侶の死に関わっていたというウィリアムも姿を消すと、ディノの周りには誰もいなくなった。


ディノは城に使用人や従僕を置いておらず、元々、魔術階位的に、ディノの傍に居られる者はとても少なかったのだそうだ。



「……………私は何ともないようです」

「うん。君は歌乞いとして私と契約しているし、私の指輪も渡しているから、その心配はないかな」

「王様の前だと緊張してしまって、畏まり過ぎてしまうような感じになるのですか?」

「………………私の城に招くとね、気が触れてしまったり、壊れてしまうものが多かったんだ。……………それなのに、私が、ずっと近くにいてくれた彼等が友人というものだったと知ったのは、随分後になってからだった」



(……………っ、)



共にいたいと願って呼び寄せた者が、ただ側に置いただけの事で気が触れてしまったとしたら、それはどれ程の絶望だろう。


がらんどうのお城で、死んでしまった友人や、かつて共に過ごした仲間たちの事を思いながら一人きりで過ごしたディノの十年は、どれだけの暗さだったことか。


その日々の中で、この魔物の髪の毛を三つ編みにしてやる者はいなかったに違いない。



(人間と違って長命な生き物だとしても、…………)



「以前に話してくれた、エーダリア様と契約をしたという魔物さんは、その中の方なのでしょうか?」

「いや、彼とは……………リーエンベルクで再会するまでは、数百年くらい会っていなかったかな。舞踏会で擦れ違ったりする事はあったけれど、挨拶くらいしか言葉を交わしていなかったからね」

「でも、今はお友達になったのですね」

「……………うん」



その呟きには、どこか誇らしげな瞳の煌めきと嬉しそうな微笑みがついてきた。

やっとほっとして、ネアは微笑んで頷く。



(ディノが、こんなに自分の事を話してくれるとは思わなかったな……………)



この魔物がどれだけ孤独だったのかを知り胸が痛んだが、ネアは、ディノが、自身のことを話してくれたことがとても嬉しかった。


話してくれた事を繋ぎ合わせると、そんな万象の魔物の孤独を癒したのが、物語でも語られているウィームの森で出会った歌乞いなのではないだろうか。


だからディノは、ネアが自分の歌乞いではなくても、その人物と同じように大事にしてくれると考え、本物の歌乞いにするように甘えてみるのかもしれない。


人間の感覚で読み解くと混乱してしまうが、孤独な獣が大事な歌乞いの面影を求めて甘えてくるような感覚だと思えば。色々なことが噛み砕きやすくなる。



(であれば、……………私の願い事はどうしようか)



ネアにも一つ、秘密がある。


実は、ディノがいない時を見計らって、エーダリアに、物語のあわいがどのようなものなのか教えを請うていたのだ。



ガレンの長であるエーダリアならば知っているだろうかと考え、そのようなものがあると聞いたと興味本位を装って教えて貰ったのは、美味しいパラチンケンを食べた日のこと。


案の定、エーダリアは魔術について語るのが大好きであるらしく、そんなネアの質問を喜び、物語のあわいについて色々と教えてくれた。



物語のあわいは、おおよそはディノが話した通りの場所だった。


単発型という、その本がたまたま強い魔術基盤に触れて生まれるあわいと、常設型と呼ばれ、誰もが知る古い物語が力を持ち、一つの国のように独立してずっと繰り返され続けるものもあるのだそうだ。



そして、ネアが知らない事実もそこにはあった。



(物語のあわいに呼ばれた者がその役目を終えると、願い事を一つ叶えられると言われているらしい……………)



それは多分、ディノが意図的に伏せた情報なのかもしれない。


ネアのこの世界への執着を見ていれば、ずっとこの物語が終わらないで欲しいと願っても不思議はないと、ディノは考えたのではないだろうか。


ネアの願いが叶ってしまえば、ディノは、漸く見付けた大切な仲間達の待つ家に帰れなくなってしまう。


したたかな魔物は、その危険を回避するべく、最後に願い事が叶えられることをネアには言わないようにしたのではないだろうか。



そんな事を考えていたネアの耳朶に触れた声音は、思いがけない無防備なものだった。



「……………だからね、こうして君と街を歩くのはとても楽しい」

「……………ディノ、」

「君が、私の知らないものを沢山見付けてくれるから」




(……………ああ、何て狡い魔物だろう)



けれどディノは、そんな事をまるで大切な秘密を告白するように、おずおずと伝えてくるのだ。


ネアが飾り木に吊るされた家の形をしたオーナメントに声を上げると、嬉しそうに唇の端を持ち上げていて、博物館通りの祝福を貰える泉の水を飲める場所では、泉の管理者である街の騎士団の団員から、冷たい水を小さな水晶のグラスに注いで貰ってきゃっとなっている。


思いがけない幸福が訪れるという素敵な祝福を得られる水は、小さなグラスを買うと一杯無料で飲ませて貰える。

繊細で美しい模様を彫られたグラスはウィームの伝統工芸の一つで、ここで集められた資金が、来年のイブメリア時期の街の飾りつけなどに使われるらしい。



きらきらと、祝祭の街には様々な祝福が揺れ、幸せそうな微笑みを浮かべた人々が行き交う。


これまではずっと、みんなは持っているのにどうして自分だけは持っていないのだろうと考えながら喧噪の中を歩いてきたネアにとって、初めて誰かと一緒に歩く祝祭の街であった。



二度目の来店になるリノアールでは、くすんだ菫色の霧雨の夜を紡いだリボンや、花々や宝石から紡いだ毛糸を買った。

インクも買い足しておき、更には綺麗な銀水晶と流星のペーパーナイフも購入する。

妖精の編んだ、ちくちくしない素晴らしい手触りの銀鼠色のセーターと、探していた通りの膝掛けも。


リーエンベルクで使われているのと似たポットに、実生活で新調出来ずに困っていたお鍋と包丁も買う。


光らなくなってしまうかもしれないので星明かりのランプは見送り、ウィームの風景のポストカードを沢山買い込み、初めて訪れたウィームの市場で、紅茶の茶葉や葡萄酒、チーズ、ジャムや蜂蜜などの日持ちのする食料も購入する。


更には、市場からの帰り道の職人街では、綺麗な月影を宿した霧鉱石の櫛と、夜を紡いで織り上げた布を張った傘も買い、ネアは大満足で買い物を終えた。


買い物を終えてしまい、男前に手の甲で額の汗をぬぐっていると、ディノが手元を覗き込んでくる。


雪降る季節なのだが、初めて見るような美しい品物が沢山あって、大興奮のネアはすっかりはぁはぁしてしまっていた。



「もういいのかい?」

「ええ。まだまだお金は残っていますが、結局私は四日しか在籍していなかったので、残りはお部屋に置いてゆこうと思うのです。その代わりに、お部屋に生けてある薔薇を一輪貰っていこうと企んでいるんですよ」

「うん…………」



微笑んではいるけれど、ディノの眼差しにはどこか途方に暮れているような寄る辺なさがあった。


こうして一緒にいられるのも、あとほんの数時間なのだと思えば、ネアは、落ち着いているふりをしながらもどうしたらいいのか分からなくなる。


ひと休憩しようと立ち寄った素晴らしいホテルレストランのカフェタイムでメランジェを飲み、また二人で取り留めない事を少し話した。


大きな嵐の日に停電になった時の話や、ネアの世界にあるおとぎ話の妖精のことなど、色々なことを話していると、どうしてこんな日々がこれからも続かないのかと、不思議にさえ感じてしまう。


人付き合いがあまり得意ではなかった筈のネアなのに、なぜかディノといるとすっかり心の手足を伸ばしてしまうのだ。



(でも、…………ずっとと願うのは私ばかりだから、潔くこの幸運を手放さなければならない…………)



市場での買い物の際に、一人の商人が、ディノにあちらのお嬢さんは婚約者なのかいと尋ねていた。


するとディノは、少しだけ強張った表情を浮かべ、彼女は婚約者などではないよと返していたのだ。


聞こえないと思っていたのだろうが、しっかり聞こえてしまったネアは、分かっていた筈のその返答を聞き少し落ち込んだ。



(…………でも、知っていたのだ。私には物語の幸運は訪れない。…………いつだって、大切なものは遠くに行ってしまうのだと)



そうして空っぽになった家に戻り、あの日の朝の続きを始めるのが、ネアに相応しい。





店を出ると外はもう陽が落ちかけていて、残された時間の少なさを思い知らされた。




「………………ネア、君の契約の魔物は、私で良かったかい?」



帰り道で、ディノからそんな事を訊かれた。


いいも何も、物語で決まっていたのではと思いかけ、ネアは、この魔物がもし他の選択肢があったならという事を聞きたいのだなと気付く。

もしかしたら、ネアと別れて自分の歌乞いの元に戻るのに、罪悪感めいたものが疼いたのかもしれない。



「…………ディノ。とても短い間でしたが、私はこの物語の中に呼ばれて、良かったです。それに、物語が指定してくれたのがディノで良かったと思います」

「…………けれど私は、結局は君に怖い思いをさせてしまった。…………知らない事が多いし、他の魔物であれば、もっと君を上手く守れたり喜ばせられたかもしれない……………」



(……………ディノ?)



ふと、仮初めの契約者に投げかけるには、何て奇妙な問いかけだろうと首を傾げたが、ここで共に過ごした時間について、ネアがどう思ったのかを知りたいのだろうか。


なぜこの質問をしたのだろうという少しの困惑は残ったが、ネアは、率直な感想を伝えてみることにする。



「……………確かに、ひやりとするような事件もあったかもしれませんが、ディノという旅の仲間と一緒にこの素敵なウィームを観光し、美味しいものを食べれた旅行だと思えば、こんなに素敵な時間はないでしょう。……………アルテアさんの一件は、ハラハラドキドキの体験型冒険だと思えばいいのです。……………私はきっと、ここで過ごした日々のことは絶対に忘れないでしょう」

「……………ネア」

「きっと他の魔物さんとでは、こんな風に心を緩められなかったと思うのです。…………なぜか、ディノと一緒にいるととても楽しいんですよ」



そう答えると魔物は泣きそうな顔をしたので、ネアは慌てて撫でてやらなければいけなかった。




ゆっくりと陽が翳り、ウィームは得も言われぬ青色の夕闇に染まり始めていた。


空から降る雪が白さを増し、ぼうっとあちこちにオレンジ色の魔術の火が灯る。

家々の戸口にはリースが飾られ、飾り木に揺れるのは青白く燃える花や、星屑の煌めきだ。


ネアはにっこり微笑むと、手に持っていた三つ編みを離して手を差し出した。

ディノは目元をいっそうに染めたが、おずおずと手を重ねてくれる。



「少し暗くなってきて、イブメリアの飾りがなんて素敵なんでしょう。まだ時間があるようなら、リーエンベルクまで歩いて帰ってもいいですか?」

「……………そうだね。ゆっくり歩いて帰ろうか」



二人は、大聖堂前の大きな飾り木の前を通って、雪の降るウィームの街を歩いてリーエンベルクに帰った。


屋台で買ったホットワインに、また別の屋台で買った揚げドーナツ。

赤い実が輝くような美しさの柊のようなホーリートの木。


美術館前の通りにあった出店で、ディノはリボンの形をした雪結晶のオーナメントを買ってくれたので、ネアもお返しに飾り木の形をしたオーナメントを買って贈り物にする。



リーエンベルクに戻った二人は、晩餐の後にアルテアからディノが預かったという魔術道具をエーダリアに預け、出かけている間にリーエンベルクに設置された大きな飾り木を見ながら最後の時間を過ごすことにした。



まさに最後の晩餐になるのだなと考えてしまいネアはくすりと微笑んだが、やはり胸は鋭く痛んだ。

叶えられるかもしれない願い事を自ら手放すことについては、考えないようにしてそっと胸の奥に沈めてゆこう。



それはきっと、美しい祝祭の街を共に歩いてくれて、ネアも、誰かを心の内側に入れてあたためる事が出来るのだと教えてくれた大事な魔物に、心から感謝していたからに違いない。




(ディノも、この世界も、…………私の人生の最後に現れた、最初で最後の魔法だったのだろう…………)



願い事はいつだって叶わなかった。

可愛い弟は、治療法すら確立されていない病で命を落としてしまったし、最後の二人の家族だった両親は無残に殺された。


そして、両親を殺した人をこの手で破滅させ、そこからずっと。



ずっと、どこまでもどこまでも、願い事は叶わず神様の与えてくれる奇跡も、優しい魔法も、ネアの元には訪れなかった。




(だからもう、欲しいものは手に入れたわ……………)




この美しい世界で優しい魔物と共に過ごし、お土産だって沢山買えたのだ。

だからもし、更なる余分を求めて手の中に残ったものすら失くしてしまったら。



例えばもし、このブレスレットを大切な魔物に貰ったのだという事を忘れてしまったり、向こうに戻された後に消えてしまっていたりしたら悲しいではないか。



(誰かの願いを歪めてしまえば、そこはもう恩寵や祝福の世界ではなくなってしまうかもしれない……………)



勿論、それでもと、欲しい物を欲しいと叫ぶだけの勇気というものもあるだろう。


だが、大切な人の幸福よりも自分の欲求を優先させるだけの贅沢さなんて、ネアの手の中にはないものであった。


初めて手にした宝物だからこそ、大事に大事に抱き締めるばかりで、そのようなものを持ち慣れた人のように大胆には扱えない。

そちらの手法は、もっとずっと経験のある者達にしか成せないものなのだと思う。



部屋の花瓶から一輪の薔薇を引き抜くと、その淡いラベンダー色の花びらにそっと口づけを落とした。



幸福な時間にはいつだって終わりがあるという事ばかりは、ネアもそれなりに経験を積んでいるのだ。









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