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物語の夜とあわいの障り





「やれやれ、随分と穢れが深いものだね」



しんと静まり返った真夜中のリーエンベルクに、雪曇りの空が割れてどろりとした黒い障りが落ちてきた。



清廉な雪の上に立ち、見上げた夜空を侵食してゆく障りに手を伸ばすと、べったりとした黒い影がその端からさらさらと光の粒子になって崩れてゆく。




「どのような執着で、どのような願いを持ってこの物語を書いたものか。…………けれども、私には君の思いなどどうでもいいんだよ」




この物語を書いた作家は、見付けた者達が早々に排除してしまっている。



身勝手な物語を作家の魔術を使って書き、正しいものを捻じ曲げようとしたのは、一人の迷い子だった。



教会に呼び落とされたその人間は、教区主から、魔術が潤沢で豊かなその土地を得るだけの才があると唆され、ウィームを得る事に固執したらしい。


当然の事なのだが、呼び落とされる迷い子の全てが無垢な訳ではなく、その人間は遠い昔に終焉の禁忌に触れて滅ぼされた国の悪辣な魔術師であった。


呼び落とされた土地を追われたその迷い子は、姿を隠して一冊の物語本を書き、世界を自分が望むような形で書き換えようとしたのだろう。


使われていた魔術はそこまでのものではなかったが、物語の序章に組み込むなどして、それが変えられない事だという強固な規則性を織り込んできたあたり、頭のいい魔術師ではあったようだ。



「……………ああ、煩わしいな」




物語がウィームを舞台とし、このリーエンベルクこそを住処としたのはその迷い子がウィームで評価される事を強く望んだからだろう。



こうして物語の結実を控えようとしている中で、物語そのものに張り巡らされている作家の魔術がこちらに手を伸ばすのは、この物語に結ばれた魔術が、本来は書き手自身を取り込んで願いを叶える為に作られた魔術工房であったからだ。



だから、物語の片隅に凝り首をもたげた障りの影は、何かが思い通りではないと苛立ち踠いている。


既に主人を失った魔術は歪で、さめざめと泣いたり声を上げて笑ったりしながら、ぐるぐるとリーエンベルクの周囲を彷徨っていた。




「もうここには、記される筈だった身勝手な物語は残っていないよ。私が内側から書き換えてしまったからね」



そう呟き微笑めば、残された障りがざわざわと声を上げる。


あちこちで一斉に鳥が囀るようなその声は、言の葉の系譜の魔術や、書の魔術には比較的よく見られる音階だ。


それがどのような規則性なのかは知らないが、新しい書は鳥の姿を纏う事が多く、人目に触れずに隠された古い書物になると、魚や鯨の姿を持つようになる。


大きな鯨になった本達は千年もすれば竜になり、二千年で魔物になると言われているが、人目に触れない事が条件であるからか、最も長命な書庫の竜もまだ二千年には足らず、新しい魔物が派生するのはまだ先の事になりそうだ。



(あの竜が魔物になれば、恐らく侯爵くらいの階位は得るだろう。このまま、秘密と知識を司る者に育つのであれば、その他の書の周りの魔物達と同じように、他者と交わるのは好まないのではないかな……………)



そんな事を考えながら、物語に染み付いた障りを一つずつ引き剥がし壊していった。


物語のあわいの中に時折現れる作家の妄執やそれによって生まれた障りは、虫食いと呼ばれており、放置しておくと大きな怪物に育ってしまう。


そうなると物語に必要な者を飲み込んでは喰らうようになるのだが、まだ製本されて一年も経っていない本にここまでの虫食いが現れるのは、やはり書き手が作家の魔術を持つものだったからだろうか。




空からこぼれ、ばらばらと雪の上に落ちてきた黒い霧のような障りの欠片が、一人の乙女の姿を取ってこちらに手を伸ばす。



けれどもその指先は、こちらに届く前に不可視の排他結界に触れてばっと青白い炎に包まれた。


燃え落ちるのを見ているのも不愉快なので、小さく息を吐き、燃えていた人型を灰にしてしまった。

崩れ落ちた灰の山もすぐに消えてしまい、後には穢れに損なわれない程に潤沢な魔術を持つ雪ばかりが残る。




「…………今夜はこれで全部かな」



そう呟き、三つ編みに結ばれたリボンに視線を落とす。


丁寧に丁寧にリボンを結んでくれたあの指先ならば、どこにだって触れて構わないのに。



けれども彼女はいつも、おずおずと伸ばしたその手を引き戻してしまうのだ。




「妙なものが集まっていたようだな………」



その声に振り返れば、約束したものを届けに来たアルテアの姿がある。


この物語の筋書きに沿うようにと手に入れたのは、かつて月の魔物が一角獣を繋ぐ為に作らせたグリムドールの鎖ではない。


かの鎖は、失われた者を追跡出来るという意味に於いては有用だが、使いようによっては、印さえ付けておけば指定した人物の証跡を好き勝手に辿って悪用も出来てしまい、人間の手には余る品物だ。


特定の者に預けられるのならば構わないが、誰の手に渡るか分からない場所では扱いが難しい。



「作家の魔術の名残りのようだね。もう片付けてしまったから、今夜は静かだと思うよ」

「………名前を記された事といい、随分な執着だな。件の魔術師は排除したにせよ、名前を掴まれるとは迂闊だったんじゃないか」



そうだねと頷き、その本が流通するまで気付かずにいた事を悔いた。

世に出回ってしまった物語は人々の記憶に残り、その魔術を完成させてしまう。


記した文字だけで相手を変える程の力を持たなかったからこそ、そのような手段が講じられたのだ。



(だから、流通される前であれば、迷い子を壊してしまえばそれで済んだのだけれど…………)



それでは済まなくなり、こうして物語のあわいに下りる羽目になっている。


実は、物語が直接ディノの名前を記した訳ではなかったが、その他の記述が要素を補ってしまい、ディノが指名されたのと変わらない状態になっていたのだ。



より高位の魔物で、尚且つ国からの敬意を得られる地位をと、あの迷い子が己の虚栄心を満たす為に望んだその為に。




「…………作家が望んだのは、契約の魔物だけではなかったみたいだね。ウィームで評価され、為政者達から求められる事も含めて望んだようだ。だからこそ、ウィームの領主やこのリーエンベルクもその執着の範囲なのだろう………」

「…………加えて、お前の歌乞いもか」

「あの障りがね、そこは自分の居場所だから、彼女を殺して余計なものを追い出せと言うんだよ。もはや障りでしかないのに、愚かな事だと思わないかい?私の歌乞いは一人だけなのに」

「…………っ、…………お前がそれだけ不愉快がるのは珍しいが、その精神圧を収めないと自らこの土地を滅ぼす事になるぞ」




なぜか顔色を悪くしたアルテアにそう言われて首を傾げ、足元を見れば、そこには雪が溶けすっかり枯れ果てた花壇があった。


小さく溜め息を吐いて手を翳すと、雪の中でも咲いていた花々が色を取り戻し、新たに芽吹いた葉が伸びてまた同じように花が咲いた。


雪はどうしようかなと思ったが、少し工夫して降らせてみれば、先程までと同じような状態に戻る。




「……………不愉快だと、そう思う事も多くなったかな」



そう呟けば、アルテアは肩を竦めたようだ。

だが、歌乞いを得て自分の心の形を知るまでは、今のように心を動かす事はなかったと思う。



あまり気が乗らない食べ物を苦手だと思って良くて、気に入ったものを好物として選んでもいいのだと、そう教えてくれたのは、いつだって彼女だった。




(……………そう言えば、これを書いた人間も歌乞いではあったのか…………)




物語の中に欠け残った、その妄執を思う。



「…………そろそろ戻るよ。それを受け取っておこう」

「あいつには触れさせるなよ。ハスファーレンの事もある。その魔術書が万が一にでもあれを主人に選んだら、魔術書として組み上げられた魔術構築が破綻するからな」

「彼女には、君が持ち込んだものが何なのかは知らせないつもりだ。魔術の縁が紐付くと危ないからね」



その言葉に小さく頷き、アルテアはくるりと回した杖で地面を叩くと、転移を踏んで姿を消した。




手にした魔術書は、今は沈黙している。

人間達の手にこれが渡るのは、数百年ぶりになるだろうか。


記された禁術に人間達は喜ぶだろうが、こちらには深刻な影響のないものをアルテアの持ち物から選ばせたが、確かにこれであれば問題ないだろう。



(ネアには、物語の中での財宝として得られた物がどんなものだったのかを、知らせる必要はない……………)




明日にはもう、このあわいから出してしまうのだ。



不用意に、彼女がこちらに紐付くような真似はするまい。

物語が終わらず、ここに物語の妄執と共に閉じ込められる訳にはいかないのだ。




最後にもう一度だけ空を見上げたが、そこには淡く灰紫に染まった雲が静かな雪を降らせるばかりで、もうあの黒い影は見当たらなかった。



ああ、やっとこの物語が終わると思えば、小さな安堵に微笑みがこぼれた。











こちらは幕間のお話となりますので、

本日の18時前後に、本編を1話更新しますね。

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