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15. 随分早い再会です




ウィリアムがネアを連れて来てくれたのは、この小さな国の高台にあるお城であった。



(……………うわ、)



こうして上から見てみれば、この戦場がどれだけ几帳面に管理されているのかよく分かる。


あちこちに纏められた亡骸の山は等間隔に並んでおり、地上からでは不規則に見えたのは、建物や窪地を避けて設けられていたかららしい。


失われたのは人間の命なのだから、事務的なことなど許されないという考え方もあるだろう。

だがネアは、この国の人々が死者の国に落とされた王女を取り戻す為に、死者の国への侵略戦争の準備をしていたと知ってやむを得まいと思ってしまった。



何しろ、こちらの世界では、死者は死者の日になると地上に戻って来られるのだ。



それは、喪った家族とは二度と会えなかったネアにとって、驚愕の世界の仕組みであり、まさに恩寵といってもいい要素である。


そんなにも恵まれているのに、なぜ、それ以上を求めてしまったのか。

永遠に会い続ける事は出来ないが、死の向こう側でも転生の準備が整うまでは再会出来る贅沢さに、なぜ感謝しなかったのだろう。


そこでネアはたいそう立腹してしまい、この国は自業自得であると判断させていただいた。



(死者の国には普通に街があって、お買い物をしたり、死者の国らしい機関で働いたりも出来るのだとか…………)



悪さをしたり規律を守らない死者は怖い目に遭うようだが、その向こう側でまた大切な人に会えるのなら、こちらの世界で生きる人々の心は、ネア達の世界の人々よりもどれだけ安らかだろう。


酷い死に方をした人も、生前の健やかな姿を取り戻せると知れば尚更だ。



「……………すまないな。ここにも粛清の名残がある。怖かったら目を閉じていてくれ」

「いえ、このくらいであれば問題ありません。…………私はとても冷たい人間なので、自分ごとではないものは怖くないようです」




この国は、ウィームのあるヴェルクレア国からはそこまでは離れていない、良質な砂岩と香りの良い香草の有名な小国であるらしい。

ガゼットという国を宗主国に持ち、小さいながらもそれなりの軍事力を誇っていたのだそうだ。



(それが、死者の国への侵攻という禁忌に触れた事で、こんな風に一晩で滅ぼされてしまうのだ………………)



本来であれば、二日はかけるのだとウィリアムは教えてくれた。


しかし、宗主国であるガゼットの内情も思わしくなく、近々そちらでも大掛かりな戦乱が起こると予測されている為、手早く済ませてしまいたかったのだそうだ。


そんなところにもまた、この人は人ならざるものなのだという様子が窺え、ネアはあらためて魔物というものを知る事になる。



そして今は、ウィリアムから、このお城のどこかにネアが休めるような部屋を設けるのでそこで、鳥籠が開かれる迄待つようにと言われ、二人は質実剛健といった感じの石造りの城内を歩いていた。


石の床には靴音がこつこつと響き、この回廊には、まだ粛清で命を落とした人々の最期の様子がまざまざと残されている。


さすがに亡骸は片されてしまっているが、血溜まりや壁に残された痛ましい血の跡はそのままで、床に落ちて粉々になった茶器が、襲撃が突然であったことを物語っていた。



「うーん、さっきまでの戦場が自分ごとだったのは、身に危険が迫る可能性があったからか?」

「…………それもありますし、私の両親の亡骸は、…………事故現場が燃えたので、……………あの戦場が怖かったのは、それでなのでしょう」



ネアがそう言えば、隣を歩くウィリアムはちらりとこちらを見たようだ。


その気配は不思議なもので、抱き上げられた時にはしっかりとした男性の体温を感じたのに、体を離すとひんやりした霧が凝っているように感じるのだ。


ウィリアムは、じっと見上げるとぞくりとするような冷ややかな美貌なのだが、眼差しの一つで表情に温度が宿る。



「……………これは、俺が気になっただけだから、言いたくなかったら話さなくていい」

「…………ウィリアムさん?」

「君の持つ終焉の気配は、…………不思議な程に濃密なんだ。両親以外にも、身内で亡くなった者がいるんじゃないか?或いは、…………そうだな、その手で終焉を成したか」



そう問いかけた魔物は、終焉を司る者であるらしい。


たくさんの人々が死に絶えた城にやって来た時、ウィリアムは、ここには戦の少なかった年に騎士として暮らしていた事があるのだと話してくれた。


この夜の殲滅戦でウィリアム自身が手を下した者の中には、その時に共に語らった仲間達もいるのだとか。


人間が好きなのに、身に持つ終焉を最も多く与えるのは人間なのだと呟いた軍服姿の魔物の瞳に、手に負えないような疲弊と絶望の影を見たネアは、例えそれが資質だとしてもこの魔物は優しい人なのだと知った。



「…………小さな弟がいましたが、あの子は病気で亡くなってしまいました。………両親は元々身内の不幸が多くて、あまり親族は残っていませんでしたし、残った親族達も、私が小さな頃に劇場で起きた事件に巻き込まれてみんな亡くなってしまいました…………。そういう事でしょうか?」

「…………それでか。にしても、そこまでとはな。何らかの障りがあったにしても、かなり強いものだったのだろう」



(……………障り…………?)



その言葉を聞けば、まさにそのようだと少しだけ思い、ネアは小さく震えた。


けれども、ネアが暮らしていた世界には魔術などどこにもなくて、難病を背負い、ゆっくりと壊れてゆく小さな弟の代わりに自分の命を取って欲しいと教会で必死に神様に祈っても、誰も助けてはくれなかった。


だからそこにあったのは、どれだけ救いがなくともただの不運なのだ。


一度目を閉じてからとげとげの記憶をぐっと飲み込み、きらきらと輝いていたリノアールの飾り木を思い出した。



(ああ、……………不思議だ)



瞼の内側でしゃりんと煌めいたのは、あの星飾りだろうか。

視線を落とした先で清廉な光を宿したのは、その時にディノから貰ったブレスレットの一粒石。


僅かに持ち上げた指先には、そのブレスレットを贈ってくれた魔物の色の指輪が光る。


その色にすとんと押し出されるようにして、飲み込んだばかりのとげとげが、どこかに転がり落ちてゆく。


それはまるで、一人ぼっちで生きてゆくことを考えるのが怖くて堪らない夜に貪るように読んだ物語のページを捲るよう。



(……………そうか、これも物語なのだった…………)



それならばきっと、これからのネアは、怖くて堪らない時には、お気に入りの本の頁を捲るのではなく、目を閉じて美しいウィームや、そこで真珠色の三つ編みの魔物と過ごした日々を思うのだろう。


もう二度と会えなくなってしまっても、これからもずっと宝物のように。




広い廊下に響く靴音に、ゆっくりと目を開いた。



「……………急に黙り込んでしまってごめんなさい。少しだけ、…………綺麗で優しいものを思い出していました」

「はは、それはいいな。俺はよく、砂漠の夜の流星雨を思うんだ。誰もいない砂漠の夜は静かだが、星の降る夜ばかりは星屑が降り積もる音がする」

「まぁ、星が降る音がするのですか?」



ネアの沈黙に触れはせず、ウィリアムが無言で隣を歩いてくれた事を有難く思う。

ふと、こうして胸の淵に沈めたものを揺らすのも、終焉というものなのだろうか。


隣を歩く人は人間ではないが、綺麗なものに触れたいと願い砂漠の流星雨を見上げているウィリアムを想像したら、胸がきゅっとなってしまう。



(……………そして私は、それを成したこともある。…………その事も、告白するべきなのだろうか…………)



ネアの沈黙を経て、ウィリアムはもう会話を他所に流してしまったが、人ならざるものなのだからその問いかけには意味があるのかもしれない。




ネアは、人を殺した事がある。



自らの手を下してその人を殺したのではなかったが、それは、彼が、当時はまだ学生だったネアごときでは命を狙えないような立場の人だったからに過ぎない。


だからネアは、その人物が薄氷を踏む思いで手をかけた進水式の式典を失敗させる事で、その人が粛清されると分かっていて騒ぎを起こす事にした。


見ず知らずの人間が無作法にも間違えて手にした彼のグラスに毒が入っていたかのように見せかけ、毒を呷って倒れたネアのせいで、その人の威信にかけて行われた式典をめちゃくちゃにしたのだ。


結果としてネアは毒の後遺症で障害の残る体にはなったものの、両親を殺した男は、彼の失態を見逃さなかった同業者達に粛清され、ネアの復讐は終わった。



(終焉の影と言うのなら、それも大きな終焉なのだろう。ウィリアムさんは、私が誰かを死に追いやった事もあるのだと、気付いているようだった………………)


そちらについても話しておくべきなのかどうか、ネアが悩んでいた時の事だった。




「…………っ、」



がらんと大きな音がして、蝶番が外れかけていた大きな木の扉が倒れてきた。


ウィリアムが庇うように立ってくれたが、もう誰もいない筈の場所で大きな音がするとさすがにびっくりする。


ネアは、ばくばくとした胸に手を当てたものの、石床に倒れて割れた立派な扉はそれ以上にこちらを脅かすものではない。


けれども、その扉を踏みつけた上等な革靴を見た途端、ネアはひやりとした。



(……………あ、)



ウィリアムの純白の軍服姿も凄艶なものではあるが、こんながらんどうの城の中に、不似合いな漆黒のスリーピース姿の美しい男性がいるのは明らかに不自然だ。


その不穏さと記憶に触れる装いに、ネアはこくりと息を飲む。



「…………やれやれ、誰かが鳥籠の中で回収作業をしていると思っていたら、あなたでしたか」

「ウィリアムか。……………ほお、妙なところで妙なものに会ったな」

「…………あれ、彼女を知っているんですか?」

「さてな。場合によると、浅からぬ仲かもしれないぞ。………なぁ?」



階位が近いからか、この二人は顔見知りであるようだ。


ネアは、階位が上のウィリアムの方が敬語で話すのだなと思いつつ、先日ぶりなアルテアの姿に遠い目になる。


巡り合わせが悪いと見るべきか、或いは第二席の魔物が粛清をしているような土地だからこそ、そこにいたのか。

どちらにせよ嫌な予感しかしないし、ウィリアムの言葉を聞く限り、あまり歓迎の出来る客人ではないらしい。



「お庭から迷い込んだ先で遭遇し、うっかり椅子ごと持ち帰っただけですので、浅からぬ要素はこれっぽっちもありません………」

「…………うーん、それは浅いとも言えないんじゃないか。と言うか、アルテアを持ち帰ったのか…………?」

「あれは、大変に不本意な事故でした…………」



そう説明しながら、ネアは、さっとウィリアムの陰に隠れた。


唇の端を持ち上げ、ぞくりとするような赤紫色の瞳でこちらを見て微笑んだ魔物は、あまり良い事を考えているようには見えない。


ましてやこの魔物は、再会するようなことがあればという言葉を前回残していったではないか。


出来るだけ距離を置こうと思ったのだが、次の瞬間、思わぬ事態が起こった。

扉がなくなった部屋から、ぞろりと巨大な生き物が這い出てきたのだ。




「…………アルテア。以前にも言いましたが、鳥籠の中を荒らすのはやめて下さい。術式の獣だとしても、その類のものは土地を腐敗させる」

「元はと言えば、この国の奴らが俺の土地から持ち去ったものだ。どう使うのか見ていてやろうとそのままにしたが、使う前に終焉の禁忌に触れるとはな」

「だとしても、術式に戻した上で持ち帰れた筈では?」

「冗談じゃない。これが、どれだけ重い術式だと思っている。自分の足で歩かせた方が手っ取り早い」



そんなやり取りを横に聞きながら、ネアは、ふさふさの漆黒の毛並みを持つ巨大な狼に視線が釘付けであった。



(…………こんなに大きな狼さんが、…………)



体の後ろ側は黒い砂煙のようになっているが、前面は間違いなく狼である。

残忍そうな緑の瞳は理想的とは言えなかったにせよ、この毛並みは素晴らしい。


小さく息を飲んで凝視していると、その視線が気になったのか、狼は居心地が悪そうに少しだけ身動ぎした。



「…………狼さん」

「ネア、あまり近付かないように………っ?!」



よろよろと狼に近付いてしまうネアを下がらせようとしたウィリアムの声が、不自然に途切れる。

はっとして振り返ろうとしたネアは、がきんと硬質な音が響いたその直後、誰かの手で壁際に突き飛ばされていた。



「…………?!」



壁は、勿論石造りだ。

したたかに体を打ち付けてしまい、遅れて跳ね返った体にごつんと頭まで打ったネアは、その衝撃から立ち直るのに暫く時間を有した。


当たり前だが、突き飛ばしてくれたウィリアムはネアを逃がそうとしてくれたのであっても、受け止め先の壁にはクッション性など皆無なのだ。



「……………っ、つぅ…………っく」



ずりりっと体を持ち上げて何とか顔を上げた先では、ウィリアムとアルテアが激しい打ち合いをしていた。

ウィリアムの手には、先程まで腰に下げていた長剣が薄闇でぎらりと光を放ち、アルテアはあの白い杖を使っている。


くらくらする頭を振ってそちらを見たネアには、打ち合いではウィリアムの方が圧倒的に押しているように見えたが、飛び退って距離を空けたアルテアがざりっと床を踏みつけると、そこから鮮やかな術式陣が立ち上がった。



「……………あ、」



そこから吹き出したのは霧のようなものだったが、ぷんと香るのは、こちらに来たばかりの時に嗅いだ香木から立ち昇るような香りで、あっという間に、二人の姿はネアからも見えなくなる。



「…………っ、………アルテア!」



低く軋るようなウィリアムの声は、ネアの体温までぐっと下げる。

しかし、実際に石床に霜が落ちたのだから、人ならざる高位のものの激昂とはそれだけの力を持つのだろう。



「悪いが、この状況はそれなりに楽しめそうだからな。まさかの鳥籠とは、なかなかに粋な計らいだとは思わないか?」



笑うような声に滲んだ悪意にぞっとし、ネアは大きな獣の影が、ウィリアムだと思しき影に飛びかかるのを呆然と見つめた。



突然の事だった。


遭遇した後の会話を聞いていて知り合いなのは察したものの、この二人がそこまで切迫した関係だとは思っていなかったのだ。


ぎしぎしと体を軋ませる空気の重さにぐらりと傾きそうになる体に力を入れ、ネアは、壁に手をついてその白い靄を避けるようによろよろと走った。


若干、人間の肉体強度を上に見積もり過ぎな気もするが、ウィリアムはネアを逃がす為に突き飛ばしてくれたのだから、ここで無防備に立ち尽くしていては申し訳ない。



(でも、善意からとは言え、石の壁にくしゃっとやられた状態で、逃げ切れる気はこれっぽっちもしない……………!!)




もし今後ウィリアムと話し合う機会があれば、有事の際の突き飛ばし方について是非に提言させていただこうと思う。


そして、あの狼の胸元の毛皮を撫で回してみるまでは、出来れば酷い事をしないで欲しいなと考えながら、ネアはその場から逃げ出したのだった。










続きのお話をもう一話、本日18時前後に更新します。

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