14. 鳥籠の中は初めてです
ふっと、目隠しをされていた手のひらが外されるように、ネアはその光を浴びた。
暗い暗い闇色の中に、こうこうと燃えるのは赤い戦場の炎だろうか。
何かが焼ける馴染みのない香りに、ひくっと胸の奥が震える。
(夜……………?)
周囲は明らかに夜の暗さで、雷の気配にごろごろと鳴る空が鮮やかに光る。
吹き抜ける風は雨待ち風のようだったが、戦場の中で炙られ、本来の香りは失われているようだ。
リーエンベルクはどこにもなく、時間すら違う見知らぬ土地で、ネアは呆然と周囲を見回した。
自分が地面に立っているという感覚が認識出来るようになると、今度は空気の澱みに喉がひりつく。
赤黒く、そして冷たく硬く動かなくなって、様々なものが地面の上に積み重なって燃えていた。
そこに暮らしていた人々の全てが薙ぎ払われ、無残に荒廃した世界の真ん中で、ネアは、ここがどんな場所なのかを漸く理解する。
(……………そんな、)
初めて聞くその顛末の静けさと、肌をひっかくような悍ましさに身震いし、ひたひたと地面を濡らしていたものに気付き、慌ててよろめくように数歩下がった。
足元を濡らしていたのは、倒れてこと切れた誰かのどす黒い血だ。
呆然と視線を持ち上げれば、今まで認識出来ていなかった幾つもの灰色の塊は、折り重なり絶命した甲冑姿の人間達だと理解する。
どうしようもなく、言うまでもなく、ここは戦場だった。
遠い咆哮に慌てて空を仰げば、分厚い煙と雲の合間を飛んで行く竜の影が見えた。
はっとする程に赤い肢体の禍々しさに、ざあっと血の気が引く。
雲間を悠々と飛ぶ姿を見ている限り、少なくともあの竜は、ここで絶命している騎士や兵士達の側のものではなさそうだ。
(……………もし、あの竜に、私がここにいることに気付かれてしまったら、)
あんなに憧れていた竜を初めて見たのに、喜ぶ余裕もなく息を殺した。
幸いにも、ネアが着ているのは瑠璃紺色のコートなので、この夜闇に紛れてしまえば目立つ事はないだろうが、とは言え、この辺りには生者がいないのだ。
下手に動けば、目を引いてしまうかもしれない。
「……………ディノ」
小さな声でその名前を呼んでしまい、ネアは暫くその場に立ち尽くしていた。
けれど、何の訪れも気配もない戦場の煙の中でやがて諦め、ふぅっと息を吐き目を閉じる。
手を見ればディノの指輪もあるし、貰ったばかりのブレスレットもある。
また別の世界に迷い込んだのではないことが、せめてもの幸いなのだろうか。
(……………来れないのかもしれないし、来ないのかもしれない)
だが、このまま成す術もなく呆然としているには、ネアは自分が大事過ぎた。
どう考えても、こんな場所にじっとしていて良いことなどないだろう。
(……………歩こう。ここではあまりにも無防備すぎるわ。…………かなり広範囲が戦場になっているようだし、安全な所なんて見付からないかもしれないけれど、…………せめて身を隠す場所があれば……………)
ネアは、自分で自分を守ってやらなければいけない惨めさに泣きたくなりながら、周囲を見回し、比較的火の手が見えず、焼け爛れて廃墟のようになった建物の残骸が残る方へと歩き出すことにした。
反対側にも小さな森があるようだが、そのような所は、生存者の捜索で敵側の者達が降りてくるかもしれない。
上空を飛び交う竜達を警戒するのならば、彼らが目をつけそうにない、既に終わったと思わせるような場所で身を隠すべきだろう。
ネアは、何も感じませんようにと自分の心に言い聞かせ、そう願いながら黙々と歩いた。
苦心して心を鈍く保っておき、そこかしこに積み上がった亡骸の山を抜けてゆく。
時折、がさりと動くものにはっとするが、積み重なった死体の山が崩れる音だった。
どれだけ歩いただろう。
幾つかの焼け残った廃墟を見付けたが、壁の陰を覗くと、そこは大抵、何もないところよりも更に無残な状態の亡骸が積み上げられているので、身を隠すような空きはなかった。
その灰色の山を直視しないように必死に目を逸らし、また次の建造物まで無心で歩く。
そうして身を隠す場所を見付けられないまま歩いている内に、ネアは、亡骸が意図的に積み重ねられていることに気付きぞっとした。
(……………誰かが、この戦場の手入れをしている……………?)
そんな事があるだろうか。
戦乱が落ち着いてからなら兎も角、ここはまだ大地が赤く燃えているし、死者達は乾ききらない血を流している。
その中で亡骸を片して回る者がいるのだとしたら、それは一体どんなものなのだろう。
(………………こわい)
抑えていたその言葉が胸の中にぽたりと落ちると、心の中の水面がざわざわと波打ち体が震えてしまう。
先程から膝に力が入らなくなってきているのは、疲れたからではなく、その怖さが染み通ってきてしまったからのようだ。
見えない影から逃げるように足を早めた中で何回か、炎と煙の向こうに、パーシュの小道で見たような白い行列を見たような気がした。
この戦場で唯一生きているものにも思えたが、とは言え、不穏な気配しかないそちらに近寄りたいとも思えない。
そうして、またどれだけ歩いただろうか。
大きく屋根の部分が崩れた教会を見付けたネアは、疲弊しきった心で、今度こそその中で休めるだろうかと考えた。
幸いにも、亡骸の山はないようだし、大きな力で打ち崩されたような崩落部分があるだけで、目に見える危険はなさそうだ。
ほっとして崩れた瓦礫を跨ぎ、ひたりと落ちた異様な気配に息を飲んで上を見上げたネアは、そのまま動けなくなる。
(……………誰かが、いる…………)
剥き出しになった梁の部分に、明らかに人間ではない、純白の軍服姿の男性が立っている。
壁の側面が崩れ落ち、壮麗なものだったに違いない瑠璃色と黄金の装飾の天井画が僅かばかりと残る教会に、はたはたと戦場の風に真っ白なケープが揺れていた。
けれどもその内側は血の様に赤いので、ケープが夜風に翻ると戦場の夜に溶け込むようになる。
白い軍帽の向きがこちらを向き、呆然とその姿を見ていたネアは、ぎくりとした。
(逃げ……………)
しかし、慌てて逃げようにも、もう今更手遅れだという気がする。
元より、あまりにも距離が近いのだ。
じっと、こちらを見下ろしたものを何と表現すればいいのだろう。
人の形をしているのにとてもそうは思えなくて、例えようもなく美しいのに吐き気がする程に悍ましい。
肌にその視線が触れるだけで、もろもろと魂が腐り落ちてゆきそうな恐怖に、ネアは目を逸らせないまま立ち尽くしていた。
「まだ生き残りがいたのか。…………ん?」
恐ろしい一言でネアを凍り付かせたその男性は、おやっと眉を持ち上げると、底冷えするような白金色の瞳を瞠る。
考え込むような眼差しの後、軍服の男性は困ったような柔らかな微笑みを浮かべた。
すると、ぞっとするほどに暗い美貌が和らぎ、拍子抜けしてしまいそうな程に親しみやすい表情になるではないか。
(…………迷い込んだだけの無関係な人間だと、分かってくれたのかしら…………?)
祈るような思いでそう考えていたネアは、男性が続けた言葉に驚かされた。
「その配色と守護、………もしかして君は、……………シルハーンの歌乞いか?」
「……………ディノを、……………知っているのですか?」
「ああ。よく知っている。昨日、シルハーンから、少し特殊な履歴を持つ終焉の子供が、属性に引き摺られて俺の領域に迷い込むかもしれないと言われていたが、まさか、本当にここに迷い込むとはな………」
そう呟いた男性の声は、柔らかく美しい。
こんな戦場で聞くとは思わなかったような、どこか温もりのある穏やかで落ち着いた声に、ネアは短く詰めていた息を吐き出した。
(ディノの知り合いのようだし、あの金貨色の瞳の女性とは違って、傍にいても大丈夫そう……………?)
けれど、その男性が教会の梁から飛び降り、ずしゃっと瓦礫を踏む音が聞こえると、ネアは、本能的に体を強張らせてしまった。
その様子を見た軍服の男性が、困ったような目で苦笑する。
よく見ればひやりとするような美貌なのに、なぜかその微笑みは近所に住む優しいお兄さんのような柔和さだった。
「すまない。怖がらせてしまったかな」
「……………い、いえ。まだ、色々なことを飲み込めていないようです。過剰反応をしてしまってごめんなさい…………」
「……………さて、君は、どこからここに来たんだ?」
その問いかけは尤もであったが、ネアは、ディノがこの男性と話していた内容が気になった。
「ウィームというところにいたのですが、………もしかしてディノは、私をこちらに送り込むつもりだったのでしょうか?」
ここは戦場だ。
そんなところに、事前に説明もなく送り込まれたのが意図的であれば、ネアはあの魔物との関係を考え直さねばならない。
そんな考えが表情に出てしまったのか、目の前の男性が僅かに息を飲んだ。
「シルハーンから、昨日俺と会ったことは聞いていないんだな?」
「はい。…………昨日、とある用途に適した品物を探して、知り合いの方に会いに行ったとは聞いていましたが、どのような方に会いに行ったのか迄は聞いていませんでした」
「…………そういうことか。誤解したようだから説明すると、二人で話していたのはまさにその品物についてだ。俺は、仕事柄、戦場で放棄された魔術道具を目にする機会も多いからな。その際に、シルハーンが俺と会った事で、魔術的な縁が道になる可能性を心配していた。…………迷い子らしく足元が危うい君が、万が一にでもこちらに迷い込んだ際には、保護して欲しいと言われていたんだ」
「…………そうだったのですね」
説明された内容から、こうして戦場に落とされた事については、ディノが画策したものではないのだと知って、ネアはほっと肩の力を抜いた。
伝えられた事も嘘かもしれないと勘ぐる事は出来るが、そう考えていてもきりがない。
ほうっと息を吐くと、あらためて先程の質問に答えることにした。
「突然、真っ暗な空間に放り出されたようになり、気付いたらこの戦場に立っていました。随分歩いたと思うのですが、……………動揺していたと思うので、実際にはそんなに離れていないかもしれません」
「おっと、ここを一人で歩いてきたんだな………?この戦場で自分の持ち物の回収に入っている者達や、死者の行列に行き会わなくて良かった。シルハーンとの契約があれば大丈夫だとは思うが……………、損なわれたものがないかどうか、魔術の繋ぎを覗かせてくれるか?」
ゆっくりとではあるが歩み寄られ、ネアは、むぐぐっと軍服姿の男性を見上げる。
この男性の身に纏う軍服を見る限り、身分の高い軍人や、王族の礼装姿に近しい高位さを感じるが、帽子の下の髪は純白ではないか。
髪どころか装いまでもが純白であるし、最近見た白髪の魔物は第三席の魔物だったような気がするぞと、ネアは渋面になった。
何しろ、アルテアより白が多めともなれば、アルテアが第三席である以上、残りの上位の席はふた席しかないのだ。
しかしその表情を、男性は勘違いしてしまったようだ。
「俺に近付かれるのは不快だろうが、少しだけ我慢してくれるか?」
「勘違いさせてしまうような表情をしてしまいましたが、それはないんです。ディノのお知り合いであるどなたかが近くにいてくれるのは嬉しいのですが、……………もしや、とても高貴な、………例えば、魔物さんなのではと考えていました」
そう告白したネアに、軍服の男性は短く絶句した後に、くすりと笑った。
一緒にピクニックにでも行きたくなるような素敵な微笑みに、ネアは、子供の頃に大好きだった物語の中に出てくる純白の装いの騎士を思い出してしまう。
そうすると、単純な人間はすっかりこの男性が気に入ってしまった。
(損なわれたものがないかどうかというよりも、私が本当にディノの指輪をはめている人間かどうかを確認していたみたいだけれど、それは当然の事だろうし……………)
びゅおるりと、煙と火の匂いのする冷たい風が吹き抜けていった。
ウィームの清涼な空気を思って胸がざわざわしたが、物語の終わりまでには、あちらに帰れるだろうか。
そんな事を考えていたネアに、ウィリアムの低い呟きが届いた。
「……………戦場にいる俺を、厭わない人間は珍しい」
「まぁ、…………そうなのですか?最初は確かに警戒しましたが、こうしてお話しされるととても柔らかい雰囲気に思えてしまいますが………」
「うーん、そのシルハーンの指輪のせいかもしれないが、そんなことを言う人間に出会うのは初めてだな。それと、シルハーンの歌乞いの君が、俺の階位を気にするのか?」
白い髪なのだから魔物であれば公爵で間違い無いのだが、その言葉には、ディノに対してのある程度の距離の近さが感じられた。
とすると、白の分量から察するにアルテアと同程度の階位なのだろうか。
「むむ。実はディノに関しては、二席か一席の可能性があるという情報しかないのです…………。ディノより偉い方であれば、きちんとご挨拶をし直させて下さい」
「……………ああ、……………そうなると、俺が答えを教えたみたいになるな」
その答えを聞けば、この男性がディノの階位を決定づける位置に座するもの、即ち第一席か二席の魔物であると言うことは、ほぼほぼ確定だと思われた。
「あなたは、魔物さんなのですね………」
「そう言えば、それも伝えていなかったな。ああ、俺は魔物だ。因みにシルハーンより階位は低い」
「…………むぐ。となると、ディノは一席の公爵の魔物さんなのですね。…………公爵ではないと話していたのに…………」
「はは、シルハーンは王だよ。公爵位は三席までだ」
「………………王?」
その一言は、こんな戦場を歩いて来たネアにとって衝撃的以外の何物でもなく、ネアは、膝がかくりと崩れて危うく倒れてしまいそうになった。
さっと目の前の男性が手を伸ばして支えてくれたが、こんな瓦礫だらけのところで転んだら、それなりの怪我をしていたのは間違い無い。
危うく、戦場の瓦礫の一部になるところであった。
「……………っ、有り難うございます。…………それと、ディノは王様………なのですか?」
「うーん、シルハーンは君に話していなかったんだな。…………らしいと言えばらしいが、………ああ。彼は俺達の王だ。とは言え、魔物はそれぞれが己の司るものの独立した王でもある。一概にそれ以外の魔物達がシルハーンの臣下という訳ではないが……………」
「三席までが公爵という事は、二席の方も公爵様ではないのです?」
「ああ。俺も一応は王族という事にはなるが、シルハーンとの血縁関係などはない」
「………………王様。む、無理でふ」
「……………ん?」
「王様とまでなると、ちょっと荷が重いと言わざるを得なく……………」
さすがに、慎ましやかに暮らして来たネアにとって、王様という肩書きは重過ぎた。
それはもう、先程の女性のように、ネアを追い出そうとする者達も現れるだろう。
すっかり狼狽してしまったネアがそう言えば、目の前の男性は如実にしまったという顔をした。
慌てたようにネアの前で体を屈め、跪く姿勢でこちらを見上げると、名前を教えてくれる。
「…………………あの、………?」
「俺のことは、ウィリアムと呼んでくれるか?」
「…………ウィリアム、さん?」
「ああ。名前を教えることで与えられる守護がある。脆弱なものではあるが、俺が人間を損なわずに付与出来るものは少ないんだ」
「守護を……………」
(それはまさか、不注意から明かしてしまった事実から王様の歌乞いが逃走したりしないよう、捨て身な感じで道を塞いで来たというのでは…………)
そう警戒したネアだったが、残念ながら魔物の狡猾さには遠く及ばなかった。
「そうだな、まずはここを離れようか。戦場を歩くのは怖かっただろう。ここまで、一人でよく頑張ったな」
明らかに、ディノが王様だとばらしてしまった事をうやむやにしようとしているのがばればれの雑さだが、その言葉の優しさはなかなかの破壊力で、ネアはじわっと涙目になってしまう。
こくりと頷くと、ウィリアムは、白い手袋に包まれた大きな手でネアの頭をわしりと撫でてくれた。
親しみやすい微笑みは爽やかであるし、思わず甘えてしまいたくなるような包容力のある魔物ではないか。
このひとは、きっと何か素敵なものを司る魔物なのだろうと、ネアはくすんと鼻を鳴らしながら確信する。
「……………ウィリアムさんに、付いてゆけばいいのでしょうか?そして、私の名前をお伝えした方がいいですか?」
「……………そうだな、名前はシルハーンが嫌がるかもしれないから、今はやめておこう。それと、ここは殲滅戦の鳥籠の中で、君が一人で歩いていると実はかなり危ない。一緒に来てくれるか?」
「はい。ではご一緒させていただきます。ここは、鳥籠、の中なのですね…………」
こてんと首を傾げたネアに、ウィリアムは、どこか遠くを見据えるような静かな目をした。
その酷薄さは戦場にいる魔物らしいものだったが、こちらに視線を戻すと、また柔らかな眼差しに戻る。
繊細そうな人だなと思ったネアに、ウィリアムは、鳥籠というものの説明をしてくれた。
「この手の戦場は、魔術的な障りが周囲に拡散しないように、鳥籠と呼ばれる魔術で隔離閉鎖するんだ。終焉の系譜の障りは広がると厄介だから、戦乱や粛清、疫病の庭はこうして閉じてしまう事が多く、外部からの侵入や介入も出来なくなる」
「……………もしかして、そうして閉じてしまうと、外からは入れなかったりしますか?ディノを呼んでみたのですが、届いていないのかもしれません………」
「恐らくそうだろう。シルハーンの資質を、この終焉の系譜で満たした鳥籠の内側に入れてしまうと困ったことになる。鳥籠の術式では、除外しているものの一つだ。……………よし、抱えるぞ」
「……………っ?!」
「君が、俺がこうして触れても損なわれない、シルハーンの契約者で良かった。悪いが少しだけ辛抱してくれるか?そろそろ死者の行列の時間が近い。さすがに、生者をこの界隈に置いて置くわけにはいかないからな…………」
特に今回はと付け加え、ひょいっとネアを抱き上げたウィリアムは、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
ネアの強張った心をふわりと緩めるような微笑みは、どんな時でも安心して頼ってもいいのだと感じるような陽だまりの穏やかさで、けれども、その奥に一層の凍えるような暗さがある。
面倒見のいい年長者のようににっこりと微笑みかけてくれた白金色の瞳も、角度を変えて眺めれば、冷酷で残忍な微笑みであるのかもしれない。
(そして、人間の持ち方が……………!)
ディノもそうだが、魔物は、人間が見た目から推し量るよりも遥かに力があるのだろう。
ウィリアムも、軽々とネアを腕の上に乗せて子供のように抱き上げているのはいいのだが、荷物の様にひょいっと持ち上げられると、か弱い人間は頭がぐわんとなってしまい、首がもげそうだった。
同じ持ち上げ方でもディノとはまるで違う乗り心地に、ネアは、遺憾ながら乗り物としての評価はかなり辛口にさせていただこうと遠い目になる。
繊細そうな魔物だと思ったが、この評価は変えるべきかもしれない。
「……………それにしても、鳥籠の中に迷い込むとなると、シルハーンが懸念していた以上は前兆があったかもしれない。何か気になるようなことがあったのか?」
「……………残念ながら、私はあまり魔術に明るくないのです。何かがあったのかもしれませんが、どのような事が該当するのかがよく分かりません………」
ここでウィリアムは、確かに可動域が低いからなと口にしたが、その言い方はさらりとしていて決して嫌なものではなかった。
「何か変わった事や、記憶に残っていることがあれば教えて欲しい。…………すまないな。しつこいようだが、同じような事故が起こらないように、出来れば条件付けして対策をしておきたい」
「であれば、きちんとご説明しますね。…………こちらに落とされる直前に、人為的な祟りものが出るかもしれない騒ぎがあり、ディノはそちらに向かったのです。私は、ディノと離れて屋内に避難しようとしていたところで、恐らく人間ではなさそうな綺麗な女性の方にお会いし、その方に腕を掴まれそうになったところ、ぴしりと音がして暗闇に落ちていました…………」
ネアがそう説明すると、ウィリアムは少し考え込んだようだ。
「妙だな。…………ここは、鳥籠で閉じられている。完全にないとは言い切れないが、偶然道が繋がったということは早々ない筈なんだ」
「……………では、何某かの必然が揃ってしまったのでしょうか?」
ここで何が何でも偶然だと主張するのは憚られたので、ネアはそう首を傾げておいた。
(その必然は、物語のあわいの効力なのかもしれない………だなんて、さすがに説明も出来ないけれど……………)
そのような意味では、思い当たる節がないとも言えないのだ。
空は暗く、星も見えない。
戦場の夜は、安らかな夜の気配なく、塗り潰されたような黒一色とはいかなかった。
じりじりと燃える凄惨な戦場の向こうで、どこか不穏な気配を纏う不思議な行列がある。
ウィリアムは、それが死者の行列と呼ばれる鳥籠の中では珍しくないものなのだと教えてくれた。
その中の一人が立ち止まってこちらを見ていることに気付いてぞくりとしたネアに、ウィリアムが宥めるようにして大きな手で背中を撫でてくれる。
軍帽の影になった瞳の鮮やかさに、ネアは、大きな純白の森狼の姿を思い浮かべた。
ウィリアムにはどこか、そんな雰囲気がある。
「こちらを見ているあの方も、死者の行列の中のお一人なのですね…………」
「彼は多分、俺が君を抱いているから、不思議に思ってこちらを見たんだろう。死の精霊の王族で、死者の行列の中では最高位の一人だ」
「………死の精霊さん………。こちらから見ると、色々な方がいるようです………」
「ああ。死者の行列に参加するのは、死者達を刈り取り死者の国に落とす為の存在なんだ。終焉の系譜の魔物に妖精、精霊に竜と、様々な者達の中からその場に相応しい者が集まるが、今回の戦場は終焉の系譜による粛清だから、疫病の系譜はいないかな」
「……………これは、戦争のようなものではなく、……………あなた方の事情による、粛清なのですか?」
(つまり、……………ウィリアムさん達がここにいた人たちを粛清してしまったということ……………?)
死者の行列というものの存在は恐ろしいが、戦場で人が死んでゆくからこそ、その事後処理のような意味合いで必要とされて集まる存在なのかなと思っていたネアは、思ってもいなかった解答に震え上がった。
とは言え表面上は平静を装い、声が震えないように尋ねてみる。
「ごく稀にではあるが、終焉の系譜の禁則事項に触れるものがある。今回はこの国がその対象で、その場合は、……………そうだな、粛清するかな」
「……………ほわ」
にっこり笑って肯定したウィリアムに、ネアはあらためて思い知らされた。
どれだけ優しい近所のお兄さんのような親しみやすさでも、ここにいる男性は人間ではないのだ。
まさに人外者とはという事例を見てしまい、ネアは、これからは用心しようときりりと背筋を伸ばしたのだった。