13. その問いかけに答えます
「この辺りは雪が硬くなっていますので、ゆっくりどうぞ」
微笑んで手を貸してくれた姿に、さすがは騎士だとネアは心の中で唸った。
同行してくれた男性は、騎士というものはかくあるべきと言わんばかりに、紳士的に気遣ってくれ、騎士に気遣われる経験など勿論なかったネアは、どぎまぎしてしまう。
ひらりと揺れるケープが清廉で、やはりリーエンベルクの騎士は麗しい。
給金も高く福利厚生の手厚いリーエンベルクの騎士達は、その魔術稼働域の高さから魔術師としての才もある。
この見目麗しさであれば、さぞかし人気もあるだろう。
ネアは密かに、物語が終わった後もこちらに残れるのであれば、リーエンベルクの騎士とまではいかないが、街の騎士団の誰かと仲良しになりたいなという野望を抱いていた。
子供の頃に、物語に出てきた白い騎士服の騎士のお嫁さんになりたいと考えていた事を思い出したのだ。
(ふむ……………)
なのでネアは、こちらの騎士にも感じ良く振る舞っておこうと企んだ。
きっと騎士達同士の交流もある筈なので、もしネアがこちらに残れるようになって、街の職人街で住み込みの仕事などを始めた場合、あのお嬢さんはいい子だったよと一言貰えれば、なかなかに心強い。
とても具体的な妄想で気持ち悪いが、ネアとていっぱしの乙女であるので、この世界に一人で残った場合の想定を、幾通りか楽しく考えている。
一番の理想は、偶然もふもふした綺麗な獣に出会って飼い主となり、その獣がなかなかに助けになるというご都合主義のものだ。
とは言え、この妄想については考えるだけでもにやりとしてしまうので、人前での熟考は自制している。
なお、出会う獣については、場合によっては小さなふかふかもこもこでも構わない。
そんな事を考えていたせいか、ネアは騎士から少し遅れてしまった。
「大丈夫ですか?早足になってしまい、申し訳ありません」
「い、いえ、こんな大変な時にご一緒させていただくのですから、小走りでついてゆきます!……………そして、通用門の近くに、お客様がいるようですね」
遠くに見えてきた通用口の前に、誰かがいるのが見え、ネアは目を瞠った。
そちらを見た騎士も、訝しげに眉を寄せている。
「……………妙ですね。あの装いからすると貴族のご婦人のようですが、今の状況で外客は受け入れていない筈だ。………従者も連れずに一人でいるとなると、高位の人外者である可能性もあります。……………ネア様、僕の後ろに入って、けれども離れないようにしてくれますか?」
「……………はい。ディノを呼びますか?」
「悩ましいですね。……………ですが、契約の魔物様が興味を示したのであれば、正門の祟りものの気配も、軽視出来ないものなのでしょう。出来れば、そちらにいていただきたい」
騎士がそう思うのも無理はない。
正門近くには、エーダリアがいる。
ネア達は客人ではないのだから、そんなウィーム領主を守る為の一つの剣として使わねばなるまい。
であれば、ここでネアを安心させる為に契約の魔物を呼び戻すより、騎士としての目線では、エーダリアの側にいて欲しいと考えるのは当然だった。
ではそうしましょうとネアが頷けば、騎士はほっとしたような目をした。
国の歌乞いとして高位の魔物と繋がるネアは騎士達より高い階位を与えられるが、騎士達からしてみれば、さしてよく知らない人間でしかない。
歌乞いとしてのネアの扱いの難しさを不安に思うだろうし、エーダリアの方が大切なのは当然の事だった。
(それに、…………ただ、このタイミングでの訪問が解せないというだけで、見た目は綺麗なお嬢さんなのでは……………)
通用口の門のところに立つお客は、華やかなドレス姿の美しい女性であった。
さらりと揺れる深みのある向日葵色の髪には上品なクリーム色の筋が入り、艶やかな緑のドレスによく映える。
こんな雪景色の中ではなく、初夏の庭園が似合いそうな美貌に、薔薇色の唇が艶めかしい。
ディノの言葉を思い出して、一緒にいる騎士に彼女は妖精だろうかと尋ねたところ、人外者だとしても妖精ではないようだ。
「高位の妖精は、羽の枚数で階位が分かります。………あのような、…………我が儘そうな雰囲気の方の場合は、羽を隠すことはしないでしょう」
「…………我が儘そう」
「ええ。ネア様はあまり人外者に馴染みのない土地から来たと伺っていますが、ウィームで暫く暮らすと、人外者を一目見ただけで、多くの場合はその気質も測れるようになりますよ」
「まぁ。…………そうなのですね…………」
「くっきりとした黄色や金色を持つ者は、陽光の系譜なので良く言えば朗らかで天真爛漫ですが、茶や琥珀を持たない生粋の黄色は、高慢で気位の高い者が多いんです。淡い金色や青みや緑みのある檸檬色は、また別の気質ですけれどね」
「とても勉強になります。今後のためにも、覚えておきますね!」
ここで、ネアは念の為にもディノが他の王子達の代理妖精が現れる事を警戒していたのだと、騎士に伝えてみる。
何しろネアはまだまだ新参者で、魔術の素養もない。
よく分からない者が言うべき事を共有せずに、事故るのは嫌だったのだ。
「……………それはないでしょう。あの階位の人外者との契約があれば、継承権など容易くひっくり返ってしまう。………髪に淡い砂色が混じっているでしょう?爵位のある魔物か、精霊だと思います」
「……………本当に高貴な方なのですね」
(それだけの人が、こうして通用口に現れる理由も気になるけれど、………………)
ひとまずは、ディノが懸念していた人物ではないのだろうと考え、ネアは、ひとまず門の内側に入ってしまいましょうと判断した騎士に従う事にした。
彼は、正門側にいるエーダリア達には、こちらのお客について一報を入れたらしい。
ネアには、くれぐれも自分の側を離れないようにと言ってくれる。
幸い、高位の見知らぬ人外者がリーエンベルクの周囲に現れるのは、異例の事態という事でもないのだそうだ。
かつてここに暮らしたウィーム王家の人々は、とにかく人外者に愛された。
そんな人々を懐かしみ、または、既に彼らがいなくなってしまった事を知らずに尋ねてくる人外者も、それなりにいるらしい。
通用口には既にその女性に応対している騎士もいるので、その騎士に対応を任せたまま、ネア達はリーエンベルク内に入ってしまう事になった。
微かに嵩を増してゆく不安を覚えながら、ネアは、騎士の横を歩いた。
決して駆け足ではないが、先を急ぐのでという雰囲気でそこを抜けてしまう作戦だ。
「……………まぁ。お前なのね」
けれども、騎士の陰に隠れるようにその横を通り過ぎようとしたネアは、あっさりとそんなお客人に捕まってしまう。
涼やかで美しい声を向けられ、ネアはぎくりとして顔を上げた。
(………………私を、見ている?)
こちらを見ているのは、金貨色の美しい瞳だ。
嫌悪や蔑みとはまた違う、もっと温度のない拒絶に満ちているその瞳を勿論知っている訳もなく、ネアは、途方に暮れて足を止めてしまう。
慌てた騎士がこちらを見たが、知り合いではないとネアは力なく首を横に振った。
「…………あの、どなたかとお間違えではありませんか?」
「間違えるものですか。わたくしは、昨日もお前を街でも見かけたのよ」
思わずそう尋ねてしまったネアに隣の騎士はぎょっとしたようだが、金貨色の瞳の女性は話しかけた事に対して気分を害した様子はない。
(街で…………………?)
となると、リノアールへの買い物の時だろうか。
その時に誰と一緒にいたのかを考え、ネアはひやりとした。
「脆弱だけれど、醜いとまでは言わないわ。けれど、何の才能があるの?お前だけのものは何?凄烈な野望もなく、心を溶かす柔和さもない。お前の無色さは、心から醜悪だわ。……………お前のような方が、あの方のお傍にいるだなんて」
唐突で一方的な糾弾に対しては、こちらにだって言い分はあるのだ。
でも、おとぎ話の中によくある人ならざるものとの邂逅もこんな感じなのかなとも思うし、美しい薔薇色の唇が吐き捨てた言葉は、まっとうな指摘としてネアの心を抉った。
(……………それにしても、何て綺麗な人なのだろう)
その美貌の特別さと、そうして感嘆せざるを得ない美しいものに拒絶されたことに、ネアの心はキリキリと痛んだ。
こちらに来てからの時間の短さを思えば、ネアの事を知っているらしいこの女性に、あなたに私の何が分かるのだと返す事も出来るだろう。
しかし、そう言ってしまうにはあまりにも、この女性の言葉は的を射ている。
人間より長くを生き、叡智を備えた高位のものらしく、ネアのちっぽけな心の内など、一目で見抜いてしまうのかもしれない。
だからネアはまず、その高貴な生き物に一礼した。
当然のようにその礼を受け入れる女性は、当然のように傅かれる階位のものなのかもしれない。
一緒にいる騎士がじりじりと門の内側の方に動き、ネアをそちらに押し込んでくれているので、どうかこの場はそつなくやり過ごしてしまい、門の中に逃げ込めればいいのだが。
金貨色の瞳の人外者は、少女と大人の女性の間くらいの年齢に見える、危うく繊細な美貌の持ち主だった。
向かい合うと甘さのない爽やかな花の香りがするので、もしかしたら花の系譜の者なのかもしれない。
遠目で見た際には向日葵色の髪色だと思ってしまったものの、近くで見るともう少し硬質な色合いとでも言えばいいのか、ともかく、違う花の色だとなぜか思う。
「お前は醜悪だわ。理解しないことが、不相応なことが、そして甘んじていることがとても醜い」
ディノの歌乞いであることを指しているのであれば、それは見せかけのものなのだと言いたかった。
けれど、そんな見せかけのものであれ、ネアはあの綺麗な魔物と一緒にいることを貪欲に楽しんでしまっているのだから、これもまた不当な苦言とは言えないのかもしれない。
「……………私は多分、確かにそのような人間なのでしょう。自分で理解していながらも目を逸らしている分、あなたの言葉は刃物のようですね」
ネアがそう微笑むと、女性は少しだけ困惑したようだった。
「お前はそれを、変えようともしないの?」
そう尋ねた声音には混じりけのない困惑が混ざり、ネアは、この高慢だが無垢な生き物が何だか愛おしくも思えてしまう。
彼等は多分、人間などよりもよほど清廉な生き物なのだ。
(そしてこの女性はきっと、ディノをよく知っている人で、私の存在を我慢ならなく思うくらいに、ディノの事を大切に思ってくれる人なのだろう…………)
心から不思議そうに尋ねられ、人間は容易く己の在り方を変えられないのだと答えたネアは、自分の狡さに何だか落胆してしまった。
先程から感じている事だが、目の前の女性はネアの事が大嫌いに違いないが、その言動にはおやっと思う程に毒も暗さもない。
多少は過激で身勝手だとしても、主君の憂いを取り除く騎士のようにすら見える。
「いつか、そんな身勝手な在り方が私を殺すのだとしても、この有り様を手離せば、私は私ではなくなってしまう。だから、私は私を手離せません。これは私の理想ではない。でも、私自身なんです」
それは、もしかしたら自分を騙しているかもしれない魔物の言葉を信じ、良いものだけを取り上げて、見知らぬ世界を呑気に楽しんでいる無謀さかもしれない。
或いは、あの古い家族の屋敷を手放せず、ゆっくりと破滅に向かってゆく愚かさなのかもしれない。
けれども、そんな苦さを噛み締めても、ネアは自分が欲しいものだけを手にしてしまう。
どれだけそれが必要でまっとうだと言われても、ちくちくするセーターは着られないのだ。
なぜこんな場所で見ず知らずの相手とこんな問答をする羽目になったのかは分からないが、そんな惨めな在り様が申し訳なく、目の前の女性が理解出来ないのも尤もだと思った。
「どうしてお前は、執着しないの?」
ぎいっと音がして、騎士が通用門を開けた。
その音に内心ほっとしつつ、最後の問いかけに応えないまま、途方に暮れたような目でこちらを見ている美しい女性に一礼し、立ち去ろうとする。
その時の事だった。
問いかけの答えが得られなかったからか、ネアを引き留めようと、金貨色の瞳の女性が手を伸ばしたのだ。
ぎょっとして体を強張らせかけたネアに対し、その女性は何かに弾かれたように華奢な手を引き戻した。
だから、触れられてはいなかった。
けれども、その一瞬で何かが動いてしまったものか、ぴしりと音を立てて見えないどこかがひび割れる。
先程に嗅いだ薫香が、またどこからかぶわりと濃密になり、ネアは、リーエンベルクの周囲に漂う霧のようなものが煙だったことに漸く気付いた。
「……………あ、」
がくんと、足元がなくなってどこかに落ちてゆく。
呆然とこちらを見た金貨色の瞳からすると、彼女も与り知らぬ異変なのだろう。
落下の恐怖にぎゅっと目を瞑り、ネアは、こちらの世界は、あわいも影も何かと繊細でひび割れ易いのだと言われていたことを思い出した。
「ディノ!」
取り返しのつかないことになる前にと、ディノの名前を呼んだ筈なのに、その声は水の中にいるみたいに淀んで掻き消されてしまう。
噎せ返るような香の香りに包まれ、けふけふと咳をすると、今度は雪崩に押し潰されるような濃密な闇の圧迫感に息が止まりそうになる。
暗闇の手のひらに包まれてぶんぶんと振り回されているようで、どちらが上なのかも分からないまま、遠くに連れ去られてしまうような気がした。
(………………私が諦めるのは、きっと、手に入らないものばかりだから。……………手に入らないものに心を傾けるのは、とても悲しくて疲れるから。……………手に入れられると分かれば、私だって頑張るのにな……………)
どこまでも真っ暗な中を落ちながら、ネアは、先程の女性に返せなかった言葉を胸の中で震わせる。
それでも、望む程多くを手に入れられない事こそが悲しい現実でもあるのだと言い訳がましく言いたくなったのは、もしかしたらネアが、あの女性をちょっぴり気に入ってしまったからかもしれない。
ぎゅんと、耳元で風が唸る。
このままどうなってしまうのかも分からず、ネアは暗闇の中でぎゅっと自分の手を握ると、魔物の指輪の感触を大事に大事に抱き締めた。