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赤ちゃんのいる産婦人科

作者: ディア

「旦那さん、それに奥さん。

 経過は順調ですよ、あと半年もすれば元気な女の子が産まれます」

「あぁ、良かったわ! これでようやく私達の子供が……」

「そうだな、我が子がとうとう産まれるんだな……これも先生のおかげです! ありがとうございます、先生!!」

「いえいえ、お二人の強い願いが実を結んだんですよ」


 診察室で恰幅の良い夫婦が共に喜びの声を上げていた。妻の方はお腹が少し張っており、夫はそんな妻を支えるかのように肩を組んでいる。

 夫婦は共に中高年くらいのようで、ところどころ白髪や(しわ)が目立つ風貌であったが、まるで子供のように鼻をすすりながら嬉し涙を流していた。


「この病院で診て頂いて本当によかったです……。長年の不妊治療でも叶わなかった夢が、こんなにもあっさり叶っただなんて……」

「ここを訪れた夫婦の方々は同じように(おっしゃ)られますよ。私達も微力ながらお力添えできて嬉しい限りです」


 ここは、とある産婦人科医院。

 小高い丘に二階建ての建物として建てられ、周りには田園と神社しかない長閑(のどか)な場所にあったが、ここには毎日のように大勢の夫婦が訪れ、赤ちゃんの泣き声が連日響き渡るほど人気のある病院であった。

 長年、不妊治療で悩まされた夫婦が通院するとすぐに子供を授かるという噂話が広がり、そして今日も何組かの夫婦が訪れては幸せそうな顔で帰っていく。



 ……だが、そんな産婦人科医院から少し離れた場所に、一人の男が立っていた。

 薄汚れた古着をまとい、それに合わせたかのように小汚いキャップを深く被っている。およそ産婦人科には用が無さそうな風貌だったが、その男は産婦人科医院の方をキツく睨んでいた。


「あそこが、噂の病院か……」


 男は探偵であった。

 この産婦人科医院について"噂"の調査を依頼され、あまり乗り気では無かったが金に目が眩んで引き受けてしまい、こうして渋々ながら訪れていた。


「どうせ妬んだ同業者の与太話だろうが、仕事はきっちりしないとな……」


 そうぶつくさと言いながら、男は建物の周辺や監視カメラの有無、そして病院内で働いている人々が何時頃帰宅して手薄になるのかを確認し、潜入する方法を検討していたのであった。

 そして、深夜になるまで待ち、病院から明かりが消えて辺り一帯も静まり返ると、男はようやく行動を開始した。


「一階の入口や窓はしっかり防犯対策しているようだが、二階はどうかな……っと」


 男は雨どいを伝って屋根にまで登り、二階部屋にある窓の一つに狙いをつけると、慣れた手付きで解錠した。そのまま窓を静かに開けると、物音を立てないよう慎重に建物内へと侵入していく。


(さて、どこを調べるべきか……?)


 あらかじめ記憶しておいた病院内の間取り図を思い出しながら、男は奥へと進んでいく。夜勤の医師も居ることも考えて油断はせず、しかし、その足取りは普通に歩いているのとそう変わらない程度には速い。

 男は長年の経験から、必要以上に臆病なのは良いことだが、戸惑い萎縮することは危険だということを熟知していた。

 ときおり、奥の方から赤ちゃんの夜泣き声が聞こえてくるが、怯えることも迷うこともなく足を進め、そうしてものの数分で院長室前にたどり着いた。


(ヤバいネタってのは、だいたいこういう場所にあるもんだ。

 まぁ噂の証拠なんて見つかるとは思えないが、ゆするネタの一つでも見つければ依頼主も満足するだろう)


 男はそう呑気に考えながら院長室へと忍び込んでいった。

 室内は真っ暗であったが照明はつけず、点灯させたヘッドライトを頼りに引き出しや棚の中にある書類を取り出しては目を通していく。

 だが、いくら探しても噂の証拠となるような情報は見つからない。辛うじて見つけた情報は些細な脱税ネタ程度であった。


「やっぱり、噂の方はデマだったか。

 医師達が孕ませているだとか、危ない薬で妊娠させているだとか好き勝手言ってたが……」


 この病院が人気の理由、つまりどんな不妊症の人でも必ず子宝に恵まれるという話の裏には、非合法な方法によって叶えられているという黒い噂もあった。

 だが、それを証明するような証拠が見つからなかった以上、噂は噂の域を出ない。

 それがわかっただけでも十分な仕事をしたと結論づけた男は、漁った資料を元通りに戻して院長室から出ようとドアノブを握った。


 だがそのとき、ふいに違和感を感じた。

 誰かに見られているような、そのような感覚。男は咄嗟(とっさ)に後ろを振り返った。



 そこには、裸の赤ちゃんが床に這いつくばっていた。

 ヘッドライトに照らされているせいで顔色は薄白く見えるが、無邪気そうに男の方を見ながらニコニコ笑いかけている。

 予想外の遭遇に男は驚いたが、相手が相手だったため身構えることもなく、冷静なまま赤ちゃんを見つめ返した。


「どうしてこんなところに赤ん坊が……暗くて居たことに気づけなかったのか?」


 こんなところまで赤ちゃんが脱走しているなんて病院は杜撰(ずさん)な管理をしているのだと眉をひそめたが、不法侵入している身では誰かに知らせて助けてやることもできない。

 少し罪悪感を覚えたが、男は赤ちゃんをそのまま放っておくことにして院長室を出て、来た道を戻ろうとした。

 がしかし、廊下に出ると男はまた驚かされることになった。


 廊下にも赤ちゃんが這いつくばっていたのであった。それも今度は1人ではなく、見える範囲でも5、6人は居る。

 そして、全員が男の方を見て笑っているのであった。


「なんだこいつら、来たときには居なかったはずだぞ……」


 笑っている赤ちゃん達とは対象的に、何かおかしいと思い始めた男の表情からは焦りの色が見えていた。

 いくら杜撰な管理をしていたとしても、赤ちゃんがこんなに集団脱走しているのは流石におかしい。それに、待ち構えていたかのように出てきた男を見て笑っている姿は可愛らしさより不気味さが勝っていた。


 男は赤ちゃん達の姿に得も言えぬ不安から警戒心をどんどん強めていき、そんな男の様子を察知したかのように、赤ちゃん達は一斉にハイハイしながら男の方へ向かい始めた。


(何かわからないが、このままだとマズい……ッ!!)


 理屈では説明できないが、わけのわからない"マズいこと"に巻き込まれつつある。男はそう理解していた。

 とにかくここから早々に脱出しなければならない。来た道は赤ちゃん達の居る方向であったが、赤ちゃん達の這う速度は遅い。

 普通に歩いていても追いつかれるような心配は無いが、男は来た時以上に素早く逃げるべきだと考え、赤ちゃん達の頭上を飛び越えて、そのまま後ろも振り返らず駆け出していく。


(これだけ急げば追いつかれないだろう…………ンッ!?)


 走りながら廊下の角を曲がったあと、男は目の前の光景に絶句した。

 そこには廊下を埋め尽くさんばかりの赤ちゃん達がワラワラと這っていた。どう見てもこの病院のキャパシティを超えている数である。

 そして、その赤ちゃん達もまた男を見つけると笑いながら一斉に向かってきていた。


「何だこれ……、クソッ!」


 脱出経路を塞がれた男は来た道とは別の道を探さざるを得なくなった。記憶の中の間取り図を頼りに別の出口を探して駆け出していった。

 だが、どこに行っても赤ちゃんが現れては追いかけられ、じわじわと追い込まれていく。

 男は半ばパニックになって息も荒くなっていたが、それでも諦めず走り続け、そしてようやく窓のある部屋の前にまでたどり着いていた。


「はぁはぁ……、ここからなら脱出できるはずだ……」


 ドアノブを握り、あとは扉を開けるだけだったが、そこで男はふと頭をよぎった。もし、この部屋にも赤ちゃんが居たとしたら、どうすれば良いのだろうかと。

 だが、考えている時間はもう無い。男が振り返ると、廊下の向こうから赤ちゃん達が津波のように押し寄せてきている。

 覚悟を決めるしか無かった。もうここまで追い詰められれば人道的な考え方を優先するよりも、赤ちゃんを蹴散らしてでも脱出したいという思いが勝っていたのであった。


 男は意を決して勢いよく扉を開けた。




 ……そこには、赤ちゃんが居た。

 それも、部屋にぎっしりと詰まった状態で。


 ちょうど目の前に居る赤ちゃんが男と目が合った。

 赤ちゃんは例に漏れず笑っており、そして次の瞬間、赤ちゃん達は雪崩れるように男に降り掛かっていった。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」 


 赤ちゃんに埋もれていく男は叫び声を上げながら、そうして気を失っていった。



──



「うっ、ぐぅ…………」


 男が目を覚ますと、見覚えのない部屋で仰向けになっていた。ベッドに寝かされている模様で、近くの窓からは日光が燦々(さんさん)と照りつけている。


「……どこだ、ここは?」


 男は目だけを動かして一面を見るが、物の少ない簡素な部屋というだけで、いまが何時何分なのかすらわからない。


「おぉ、ようやく目が覚めましたか」

「ッ!?」


 足元の方から声が聞こえ、男は首を上げてその方を見ると、そこには一人の医師が椅子に座っていた。


「ここは院内の病室です。貴方がそこの廊下で倒れていたのを運び入れたんですよ」

「……」


 男は黙り込むしかなかった。

 結果的に仕事は最悪の形で終わり、病院の人間には顔バレどころか身柄まで押さえられ、そしてこの後はおそらく警察に突き出されて当分は冷や飯を食うことになる。

 そこまでの暗い未来を想像して、男は観念していたのであった。


「貴方が何者なのか興味はありますが、とりあえずそのお話は置いておいて、いまはゆっくりと休んでください。これから大変でしょうし」

「…………」

「貴方は何か目的があってこの病院に忍び込んだんですね? 泥棒が目的だったようには見えませんが、それでも不法侵入したことには変わらず、本来ならすぐにでも警察に通報するべきなんでしょう。

 ですが、この病院の秘密を守って頂けるのでしたら、今回のことは無かったことにしたいと思っています」

「……あの赤ん坊の群れのことか?」

「えぇ、そうです。あの赤ちゃん達のことです」


 思いがけない提案に男はしばし考える素振りを見せたが、悩む必要が無いことはわかっていた。

 通報されずに済むのであればそれに越したことはないし、提示された条件も男にデメリットは無い。


「わかった、黙っていることを約束する。

 ……一応、伝えておくが、俺がここに侵入したのは確かに泥棒目的じゃない。ここで非合法な犯罪が行われているという噂を聞いたから侵入して調べようとしたんだ。

 勝手に調べてアンタ達には悪かったと思うが、あの赤ん坊以外は不審な点も見つからなかったし、通報されずに済むなら誰にも言わないと誓おう」

「そうですか、いつの時代も噂のせいで余計なトラブルを引き寄せてしまうんですね……。

 とにかく、すんなり交渉が済んでホッとしました。まぁ、どちらにしても貴方には正直に話す必要があるとは思っていましたが」

「……?」

「この病院の噂のことです」


 医師は声のトーンを少し落としながら語り出した。


「まず、昨晩の赤ちゃん達のお話から話したほうが良さそうですね。単刀直入に言ってしまうと、あの子達は幽霊です」

「幽霊? あの赤ん坊が全員?」

「えぇ、貴方が幽霊を信じるか信じないかはお任せしますが、私達はそう認識しています」


 男は幽霊を信じるほど信仰深い人間ではなかったが、昨晩見た赤ちゃん達の姿は目の奥に焼き付いており、それが現実的な光景ではないとわかっていた。

 半信半疑でも頭ごなしに否定する理由はなく、そんな男の心境に構わず医師は言葉を続けた。


「かなり昔のお話ですが、この辺りには水子塚がありました。飢饉や疫病などで毎年かなりの数の赤ちゃんが亡くなっていたそうです。

 それを供養するためにお墓が建てられたのが始まりでしたが、しばらくして水子塚にお墓参りすると子宝を授かるという噂が広がっていったそうです」

「……よくある地方の伝承だな」

「私も聞いて最初はそう思いましたが、ここからが重要なお話です。

 お墓参りをして子を授かったのは夫婦だけではありませんでした。お墓参りさえすれば未婚者や性経験の無い者はおろか、まだ年端もいかない子供まで子を妊娠したそうで、さらには犬や牛まで……と言い伝えられています」


 最後の方辺りは流石に尾ひれのついた話だと男は思ったが、それは口にせず黙って聞き入った。


「そして、妊娠した人達は揃って同じことを言ったそうです。『お墓参りしている最中に赤ちゃんの幽霊を見た』、と」

「……その赤ん坊の幽霊が取り憑いて妊娠したとでも言いたかったのか? 間男との間にデキた子供の言い訳にしか聞こえないが」

「そういう言い訳に使われたこともあったと思いますが、あの赤ちゃん達を貴方も見てしまっては信憑性のあるお話だと思いませんか?」

「まぁ、確かに……」

「話を戻しますが、その幽霊騒ぎがあってか人々はこの辺りに寄り付かなくなってしまい、お墓も手入れされず放置されるようになって、いつしか土地ごと朽ちてしまったそうです。

 そして、とうとう捨て値でお墓の跡地が売られるようになったのですが、そこを院長が買い取って建てたのがこの病院だったということです」

「それで、病院内に赤ん坊の幽霊が出るようになったと。そして伝承どおり、この病院に来た夫婦は子供ができて病院も大賑わいということか」

「そういうことです。それが、この病院に来れば子供を授かるという噂の真相になります。

 ……ここからは私の見解も入っていますが、おそらく赤ちゃんの幽霊達も何か悪さをするために出てきているわけでは無く、この世にもう一度生まれ変わりたいから出てきているのではないのかと」

「なるほどな……」


 にわかに信じがたい話であったが、医師が嘘を言っているようには見えず、すべてが真実であるなら理には適っている。だが、男の中にはまだ疑問が残っていた。


「一つ聞きたい。アンタ達はこの事をどう思っているんだ? 人の生命を弄んでるとまでは言わないが、幽霊で商売しているようなもんだぞ?」

「世の中には望んでも子供が産まれない夫婦がいます。……私もその中の一人でした。

 そんな夫婦が子供を授かれるようになり、赤ちゃん達も平和な時代で生まれ変われるのでしたら、私達はどんな風に蔑まれようと構わないと思っていますよ」

「そうか、達観しているんだな」

「達観とまで言われると少し恥ずかしいですが……、ここでの仕事は誇りに思っています」


 目の前の医師がまだ信用するに値する人間かどうかを探るための質問であったが、概ね想定どおりの回答が返ってきて、男は少しだけ安堵した。

 だが、本当に聞きたいのは次の質問であった。


「もう一つ、どうして俺にここまで話をしたんだ? これ以上、深く詮索するつもりはもう無かったが……」

「それは貴方を共犯者にするため……とまでは言いませんが、ここまで知られた以上、全容を知っておいて頂いた方が何かと今後のお話を進めやすいですからね」

「今後の話?」


 医師の回答に男は思わず聞き返した。


「だって……」


 医師はにこやかに笑いながら言い放った。


「貴方ももう妊娠しているんですから」




和風ホラー物によくあるゾクゾク感を感じられていただけたのなら幸いです。

いまメインで執筆しているのもゾンビパニックホラー物なので、良ければこちらもよろしくおねがいします。

https://ncode.syosetu.com/n1078ed/




最後に、この作品を執筆中に少し考えていた裏設定なのですが、




この作品の登場人物に妊婦は一切出てきません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 性別には一言も触れていませんでしたが、探偵さん女性だったんだ…
[良い点] 最後の一言で「ヒッ」てなりました。やはり最後にひっくり返すホラーは楽しいですね。 言い伝えについても、本当に伝わってそうな感じが良かったです。
2019/07/15 00:53 退会済み
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