悪役令嬢は中二病な転生婚約者が好きすぎる
初めて婚約者と会った日のことは、きっと一生忘れない。
「この先お前は、嫉妬にまみれて残酷な…悪魔のような女になるわけだが…まぁ世界の異端児たる俺が箔をつけるには、ふさわしい婚約者だ」
伯爵令嬢として花よ蝶よと育てられて9年間。
生まれて初めて投げかけられる酷い言葉に、私 リリス・ウォールデンは泣くことも 怒ることも忘れてただ呆然とすることしかできなかった。
先方の公爵家も、跡取り息子の失礼な発言は予想外だったらしい。婚約者との初顔合わせはすぐにお開きにされ、後日 謝罪を兼ねたと思われる【婚約祝い】の品々が届けられた。
社交界で流行りだという、真珠をあしらったブローチや琥珀のペンダント。幼心に美しいとは思ったけれど、婚約者の…アレン・フロリア様の「嫉妬にまみれて悪魔のようになる」という言葉は重く、少しも心は踊らなかった。
いつか私は誰かを傷つけたいと願うようになってしまうのか……
その不安は、アレン様と交流を持つたびに実に…小さくなっていった。
「俺には前世の記憶があってここはゲーム…つまり創作の世界だ。お前の未来も知っている」
「俺がここに転生したのは、世界を動かす大きな力…そう、通称【闇の組織】が関わっているに違いない!」
「今はまだ目覚めていないが、俺には特別な力があるはずだ…危うい闇の魔力だとか、第三の目が開くとか…」
だってアレン様の言動は、どう考えても常軌を逸した ありえないものだったから。
公爵家の跡継ぎなのに こんな人で大丈夫なのかしら?と心配になることもあるけれど 、私以外の人に対してはアレン様は意外にも、至って常識的な振る舞いをする。
私の前でだけ語られるアレン様の空想話は、今まで出会ったどの物語よりも面白くてずっと聞いていたい。
それに「リリスだから特別に話してるんだからな!くれぐれも他言するなよ」というアレン様を愛しく思ってしまうから……
アレン様の言う
『学園で第三王子に惚れてしまい、アレン様と婚約破棄。
そして第三王子と仲のいい男爵令嬢に嫉妬し、彼女をいじめにいじめぬいて 果ては犯罪に手を染めて国外追放になる』
なんて未来は絶対にないって思ってた。
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アレン様の言うゲームの強制力とはこういうことなのかしら…
2年先に入学していたアレン様に「破滅したくなければ第三王子とモルディオス男爵令嬢には近寄るな」と口酸っぱく言われていたこともあって、15歳で貴族学園に入学してもその2人とは極力 関わらないようにしていた。
…そもそも良くいえば中性的、悪くいえばナヨナヨしい第三王子なんか全然好みじゃない。
アレン様の方が夜の帳を思わせる漆黒の髪に 月明かりのような金の瞳…
ここ最近なぜか剣術に力をいれているらしい体躯の引き締まった筋肉はまさに男性の色香ってものを匂わせていて、その逞しい二の腕に抱きついて、アレン様の匂いを胸いっぱいに吸い込みたい…………
…とにかく、第三王子になんて目をくれる理由もなければ暇もなかった。
なのに
「身分の差でカノンを脅し、嫌がらせを繰り返していたようだな」
「ぅっ…教科書も破られて…っ…カノンの家……買い直す余裕なんて無いのにっ…うぅっ」
こらえきれず泣き出すモルディオス男爵令嬢、それをかばうように前に立つレイリー第三王子。その両脇を騎士団団長の息子であるオルドラン侯爵子息と、宰相の息子であるハザール伯爵子息が固め私をキッと睨みつけてくる。
生徒会室に呼ばれた時点で嫌な予感はしていたけれど……
公衆の面前でつるし上げられないだけ、まだマシだと思うべきなのかしら?
もちろん、立派な冤罪。移動教室の間に教科書を破るなんてしていない。脅しどころかモルディオス男爵令嬢に声をかけたことだってないわ。
けれども王族が黒と言えば白でも黒になってしまう世界で、「私はやっていません」と声をあげたところで…
「正直に認めたらどうなんだ!」
レイリー殿下が机を叩きドンっと大きな音をたてたので、反射的にびくついてしまう。
脅してるのはどっちよ…
「殿下…私は…そのようなっ…ことは、してはおりません…」
声が震える。
情けない。
もっと私は…何があったって、堂々と振る舞えると思っていたのに。
「カノンに嫌がらせを繰り返していたくせに、自分はこの程度で怯えるって言うの?」
「わっ…カノンね、ウォールデン様にいつも睨まれて…とっても怖くって…」
もう耐えられないとばかりにレイリー殿下の影に隠れるモルディオス男爵令嬢。
嘘つき!
睨んだことなんて……一度しかないわよ!その一度だって、モルディオス男爵令嬢が頬を赤らめてアレン様に迫っていくからどうしても許せなくて……!
これが 嫉妬にまみれて破滅するということなのかしら…?
レイリー殿下に恋をしなくても、婚約破棄しなくても、アレン様を心からお慕いしていても…嫉妬から破滅する運命からは逃れられないとでも言うのかしら…。
目頭が熱くなるのを感じる。涙なんてこぼしたくないのに。
どうしたらいいの?未来が見えるなら教えてよ…!助けてよ!アレン様!
「殿下!私の婚約者を呼びつけたと聞きましたが……リリス、どうしたんだ!?」
「アレン様…っ…」
突如現れたアレン様は普段よりも少しばかり荒々しくドアを閉めた。息もあがっている…走ってきたのかしら?
涙をぬぐい、背中を撫でてくれるアレン様の手の優しさが、温かさが私の心を落ち着けてくれる。
「殿下、これは一体どういうことでしょうか?」
殿下を見据え、語気を強めて問うアレン様に殿下が一瞬怯んだ。
「きっ…君の婚約者ときたら、みっ、身分を笠に着てカノンをいじめていたんだよ。そうだ、3日前にも移動教室の隙をついて教科書をビリビリにしたんだ!最低な…ひどい女だ!」
「そうよ!音楽室から戻ったら教科書が裂かれていて…カノンとっても怖かったし悲しかったのよ!」
再び瞳をうるませるモルディオス男爵令嬢。
やめて…!いかにも男性受けしそうな、そんな顔でアレン様を見ないで。
「…3日前の音楽室での授業というと…1年生は合唱会の練習を学年合同でしていた時で間違いないですね?」
「そうよ!音楽室にウォールデン様はいなかったもの!授業に出てなかったウォールデン様が犯人に違いないわ!」
それは…私は確かにその日授業に出ていなかった…だって
「ならば犯人はリリスではありません。リリスは3日前は朝から、母の見舞いに公爵家に来ていましたから」
「なっ!?嘘を言え!フロリア公爵家に病人や怪我人がいるなど聞いていない!」
「ちょっとした手違いですよ…。母が転んで膝を擦りむいただけなのですが、何故かウォールデン家には大げさに『倒れた』と伝わりまして…」
そう。突然おばさまが倒れられたと聞いて、慌てて公爵家に向かった日だったわ。
アレン様が言う通り、膝を擦りむいただけだったのだけど、おばさまが「せっかくいらしたんだからお茶をご馳走したいわ」って美味しいお菓子も差し出してくるものだから…学園を丸一日休んでしまって。
「リリスが学園を休んだことは学校の職員も、我が家の母や使用人も知っています。リリスに犯行は不可能です」
「手下を…手下を使ったのかもしれないじゃないか!」
食い下がる殿下だけど…手下を使って嫌がらせなんて…恋愛小説の読みすぎじゃないかと心配してしまうわ。
「手下とはどなたのことでしょうか?殿下、証拠なく人を疑うは愚者の行いというものです。真実を全て明らかにするとおっしゃるならば、私も協力は惜しみません。器物損壊罪として第三者を交えて正式に調査すべきと思いますが…いかがでしょう?」
「…確かに。カノンを傷付けた者は公然と裁かれるべきだな…」
それはいい とばかりに殿下が頷きかけると、どうやらそれでは都合の悪かった人がいたらしい
「あーっ そんな!罪とか~、そんなんじゃないですし?女子のトラブルだとよくあることっていうか~」
ないわよ。全然ないわよ。
っていうかさっきあなた、ボロボロ涙こぼしながら怯えてたわよね…
「カノン、無理をすることはない。これは立派な犯罪だ。たとえ君より上位の貴族だろうと、しっかりと裁かれるべきなんだ」
「でっ…でもぉ…さすがに大げさすぎますし…あっ、新しい教科書 そういえばオルドラン様がくれるって言ってた気がしますし全然大丈夫かな~って」
「おっ…オルドランなんかより俺が新品を用意しよう。そうだ、特注で表紙に宝石を縫い付けて…」
「ええっ!さっすがレイリー様~!カノン嬉しいです。カノン、青い宝石がいいかなぁ~」
すっかり話を逸らされて2人の世界に浸るレイリー殿下たちだが、
「では私達は退出させていただきますが…調査がやはり必要だと思われましたら、いつでもお申し付けください。必ず真実を突き止めてみせますから」
アレン様が声をかけ私の手をとって 生徒会室から退出すると 彼の言葉に蒸し返されたのか「やはり調査して犯人を…」「いやいや、でもだって…」という会話が聞こえてきた。
「送っていく」と言われ、公爵家の馬車で一息つくと、緊張の糸が解けたのか ふいに震えに襲われた。
怖かった。
「リリス!?大丈夫か…?怖かったよな…って…えっ!?」
アレン様の腕に思い切り抱きついたって、いいわよね。
怖かったんだもの…頑張った自分へのご褒美をもらったっていいはず…。
あぁ…アレン様のいい匂いがする…。
恍惚としているだろう私の表情を見せるのはさすがに恥ずかしくて、顔を埋めるように抱きつく。
アレン様は私がまだひどく怯えていると思ったのか、反対の手で優しく、私の後頭部を撫でてくれる。
体勢的にアレン様に包まれているように感じる…すごく……ものすごく幸せだわ。
幸せすぎておかしくなりそう。
「怖い思いをさせて悪かった。まさかあそこまで馬鹿な王子だったとは…」
アレン様が謝ることではないと思うのだけれど…
寧ろ私がアレン様を巻き込んでしまったような気がするわ。
「そ…そういえばアレン様…殿下に向かって愚者とか仰ってましたけど…ふ……不敬罪に問われたりはしないでしょうか!?私のせいでっ…」
アレン様が罰せられるかと思うと、さっきより激しく体が震える。
震えをごまかすように、アレン様の服をギュッと握った。
「それは心配ない。俺が言ったことはあくまで苦言の範囲内だし、真実を突き止めるか聞いただけだ。もし仮にあの馬鹿王子が騒ぎ出したところで…ふっ…公爵家の俺を排するのは容易じゃないだろうな」
優しく笑って余裕を見せるアレン様は…荒唐無稽な話をする普段の姿とは全く違って…頼もしい…
「…どうした?何か俺、変なこと言ったか?」
じっと見つめすぎてしまったかしら…
「あ、…いえ……やっぱりアレン様は最高に格好いいと思って…」
「えっ…あ…ありがとう…」
私だけじゃなく、アレン様のお顔も赤くなった。
また一つ、大好きなアレン様の表情が増えた。
「でもな…リリス、俺…本当になんの力もなくって。いや、弱気になるのはよくないが…プレゼント一つすら上手く選べなくて、こんなものしか…」
そう言ってアレン様が鞄から取り出したのはペンダント
「今…プレゼントっておっしゃいましたよね…これを貰ってもいいのですか……」
「あ…いや、やっぱり宝石店でもっといいものを買おう。こんなものじゃ…あっ」
鞄に戻そうとしていたそれを奪い取る。
「アレン様は本当に闇の魔力を持っていたんですね!素敵!!星明かりをペンダントに閉じ込めてしまうなんて…!」
真ん丸のペンダントトップには宵闇のような深く濃い紺色が広がり、その中で無数の白色のキラキラが…まるで満天の星のように輝いている。
こんな美しいもの見たことがない。アレン様は星空を宝石に変えることができる魔法が…本当に使えたんだわ。
「それ…ただのガラス玉なんだ。前世でそういうの結構得意で作ってみたんだけど…気にいってくれたなら嬉しい」
「気に入るも何も…。私…今年のデビュタントにこれをつけて行きます!」
本気でそう決意したのだけど、アレン様はまた「ただのガラスだから」とか「デビュタントならちゃんと宝石にしよう」とか言ってくる。
けれど、私だって譲れないの…
「だってこの宝石…『宵闇の公爵子息』のアレン様みたいなんですもの…。アレン様の婚約者は私だって、知らしめてやりたいんです」
顔を真っ赤にしながらでも、言ってやったが最後。とうとうアレン様が折れてくれた。
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「来月のレイリー殿下の交流会とっても楽しみですわね」
「えぇ!レイリー殿下が初めて主催される交流会にご招待いただけるなんて幸運ですわ。なんでも特別なお香を焚いていただけるとか、珍しいお茶を振舞ってくれるとか、今から楽しみでなりませんわ」
「交流会に着ていくドレスも悩みますわぁ…国王陛下もいらっしゃるそうですから デビュタントに負けず劣らず立派なものにしなければ…」
学園では、来月レイリー殿下が主催する交流会の話題ばかり。
公に発表されていることではないけれど、どうやらモルディオス男爵令嬢も主催に一枚噛んでいるらしい。
というか、「カノンも交流会に協力してて~、忙しくってお勉強する暇ないんです」って赤点の言い訳をしてたとか。
そんなわけもあって当然、私には招待状が来なかった。
学生中心の、若者向け交流会だそうだから 学園の生徒のほぼ全員に招待状が来ているなかで だ。
嫌がらせにしては少し子供っぽいんじゃないかしら…
まぁ別に行きたくもないのだけど。
誘われなかったことで、同級生からなんとなく腫れ物に触るように気を遣われるのは…ちょっと堪える。
私のせいで交流会の話題に水をさすのも気が引けて、学園では1人でぼーっと過ごすことが多くなった。
そんな私を見つけると、モルディオス男爵令嬢が「ざまぁみなさい」とでも言わんばかりの視線を送ってくると思うのは、決して被害妄想じゃないと思う。
ギュッっと、制服の下に忍ばせたペンダントを握る。
大丈夫…アレン様がいるもの。
けれど、少しだけ不安なの。
根拠も何もないけれど
アレン様が交流会に行ってしまったら…アレン様を奪われてしまうような予感がして。
―――行かないで欲しい
生徒会メンバーであるアレン様が、生徒会長のレイリー殿下の交流会に行かないなんて、ありえないって分かっているけど。
このごろ交流会の準備か、アレン様は忙しく動いていて授業を休むことも稀じゃない。
もし…モルディオス男爵令嬢と一緒に準備をしていたら………嫌っ…。
嫉妬にまかせちゃロクなことがないと分かっていても、1人でいると悪い考えばかりが頭をよぎってしまう。
けれど…交流会の前日、事態は急転直下の展開を迎えた。
「えっ!交流会が中止!?一体どうして…」
「交流会どころじゃない。レイリー第三王子は廃嫡されて無期投獄。詳細は分からないが侯爵家や男爵家も国外追放やら爵位や財産を没収されているとかで、王城は大混乱だったよ。領地のことは後にしてくれだの、職員が不在だの…もうクタクタだよ」
領地関連の申請のため 王城に出向いていたお父様から聞かされる衝撃の真実…
「本当に何があったのでしょう『国家反逆罪』だなんて…」
「さぁねぇ…こういうお国の恥みたいなことは、伯爵家とはいえ、うちみたいな末端貴族に詳細が明かされることはないだろうね。
フロリア公爵家なら知っていそうだけど…知らないほうが幸せなことかもしれない。
パパにとっては王家のスキャンダルより、公爵家に卸す糸の計算をするほうが大事だからね」
知らない方がいいこと…か。
確かに、その後学園から姿を消したモルディオス男爵令嬢の結末を知りたいとは思わない。
風の噂によれば「スラム街で売春婦をして、病気を貰ったらしい」だの「国境を越えたところで夜盗に襲われて死亡」と言われているけど、ざまぁみろとか可哀想とかいうのも含めて、金輪際彼女に何の感情も持ちたくはなかった。
ただ…彼女が消えたことで、アレン様を奪われる心配をしなくていいことだけは、ほっとしたけれど。
私も、王家のスキャンダルよりデビュタントの準備の方が大事だものね。
そして三ヶ月後のデビュタント
デビュタントを示す真っ白なドレスに、星空を模したペンダントと、アレン様が追加で作ってくれたイヤリングはとても映えた。
「その宝石は一体どこで手に入れることができますの?」
「もっと近くで拝見させて下さいまし」
目立ちすぎて、デビュタントだというのにたくさんの令嬢や奥様方に囲まれることになってしまい、アレン様も驚いていた。
やがて、ガラス細工のアクセサリーは公爵領の新たな名産品となって領地を潤していくのだけれど、星空を模したものだけは決して市販しなかった。
だってそれは私だけのものだから。
「最近、社交界ではリリスのことを『月の伯爵令嬢』と呼び始めているらしいな」
『宵闇の公爵子息』の隣に立つ私を月に見立てるとは…なかなかに洒落たこの二つ名を、私は気に入っている。
「アレン様の隣にふさわしい、素敵な二つ名だと思っていますわ。…ところでアレン様、二つ名と言えば
また【闇の組織】のお話を聞かせてくださいね」
純粋に、最近聞いていなかったアレン様の前世のお話を聞きたかっただけなのだけど、なぜかアレン様はひどく恥ずかしそうな顔をして
「もう忘れてくれ…」
なんて呟いた。