想像する魔法
目が覚めたら、ニケが目の前にいた。
ああ、まただ。また私はニケに喚ばれる夢を見てる。
茉麻はニケの両頬に手を当てた。柔らかくて、温かい毛皮の感触にほっとしながら、自分のいる場所を確かめる。
また、見たことがない場所だった。どうやら部屋のようだけど、昨晩来た書斎のような場所と違って、こじんまりとして生活感がある。もしかして、ここはニケの家だろうか。
「ニケ……大丈夫?」
「マーサ、明日の進軍に参加することが決まったよ。……まだ、制御は不十分だからって、師匠は反対してくれたんだけど、……やっぱり、この戦いで負けると、厳しいんだ……」
茉麻は頷いた。
「うん、いいよ。私はニケの召喚獣だから。……ねえ、私は何と戦えばいいの?」
「この世界の、魔物。闇、とも呼ばれるけど。……世界の魔力を食い荒らしてしまう存在だよ」
戦いが、国同士の戦争ではないことに茉麻は少し安堵した。人を傷つけるのは夢であっても嫌だ。
魔物に関する説明は抽象的だったが、とにかく存在そのものが悪いもののようだ。ならば、ロールプレイングゲームで沸き出るモンスターのようなものと考えればよさそうだ。
「……魔力を食い荒らす、悪い魔物。わかった」
「うん……なんだか奇妙だ、こんなこと説明してるなんて」
「どうして?」
茉麻はふっと笑ったニケに、尋ねた。
「なんだろう……この世界では常識だから、それが。マーサはここじゃない世界から来たから、説明するのが当たり前かもしれないけれど……」
「召喚獣は、みんなそうじゃないの?」
「そう、だけど」
ニケはくらり、とよろめいた。ただ、いつもより呼吸は落ち着いている。そのまま、ベッドに座る。茉麻も一緒に横に座った。
「……召喚獣で、マーサみたいに、言葉で話ができるのは……いないよ。意思の疎通はできるけど、術士が指示を伝えている、だけで……」
「そうなの」
「うん……」
ニケの声が少しずつ小さくなっていく。茉麻は、ニケの頭を自分の肩にもたれかからせた。ニケは少しピクリと震え、尻尾がパタパタと揺れたけれど、茉麻は構わず頭を寄せた。少しでもニケの負担を取り除くために、彼が小さな声で話しても聞き取ろうとした。
「マーサ、あの、僕」
「うん」
「その……明日、魔力切れにならないように。戦場で、一番激しいところまで行って……ギリギリのところでマーサを喚ぶことになってしまうと思う。だから。君にとっては、急に戦場にいることになるけど……ごめん……」
「大丈夫だよ。召喚獣って、そういうものでしょう」
そうだ。茉麻のプレイしたことのあるゲームで、召喚といえばバトル、それもボス戦のここぞという時に使う切り札のような技だった。だからそういうものだと、茉麻は納得していたが、ニケは目を伏せる。
「でも君は……いつも、僕に喚ばれた後、周りを見渡すから……ここはどこだろうって……だから……怖がらせたら、嫌かなって……」
「……。そう、かな」
「うん……そうだよ……」
見てるからね、自分の召喚獣のことは、よく。
ニケは囁くように言った。
ついに、ニケが自分の体を支えきれなくなったのか、ずるずると力が抜けて、茉麻ごとベッドに倒れ込んだ。もう夢の限界だと、茉麻は悟った。そろそろ、目が覚めてしまう。
カーテンの間から光が差し込む、自分の眠る、狭くて散らかった1LDKの部屋が、瞼の裏に迫る。
「ニケ、絶対にまた喚んでね、私、」
「マーサ、僕は……!」
マーサが消えた瞬間、支えるものがなくなって、一人シーツに顔を落としたニケが泣いているのを見たような気がするのは。
――これも私の夢?
日曜日の朝、もう昼近い時間。無機質な時計の秒針の音が響く部屋で、茉麻は目を閉じて、しばらく横になっていた。
今もう一度眠ったら、またあの夢の続きが見られるだろうか。
デートの後、月曜日の仕事のために日曜日に前乗りで移動するから、早く帰るという彼氏を駅まで見送って、茉麻は久々にゆっくり料理をした。
カボチャの煮つけと味噌汁、ご飯という純和風の食事は、茉麻の好みだ。昔から脂っこいものが好きではないので、友達や彼氏と行く、お洒落だけどカロリーの高い外食にはいつも辟易している。
それから、ラベンダーの香りの入浴剤を入れて、お風呂に浸かった。いつもシャワーだけで済ましてしまうので、休みの日くらいはゆっくりとお風呂に入るのを楽しみにしている。
友達にはなんか枯れてる、と言われるけれど、仕方ない。会社に入って以降、平日もクタクタ、土日もどこかに遊びに行くだなんて、とても体力がもたなくなってしまった。
そして、花の香りに包まれたまま、ゆっくりと眠って見たのが、あの夢だった。
「……もう、これで五日連続か……」
ノートに夢の記録をつけた茉麻は、考えた。
唐突に繰り返されるようになった、ファンタジーで現実離れした夢は、不思議だけれど、茉麻にとっては特に恐れるようなものではなかった。これが巨大な虫に追い回されるというような悪夢なら、不眠症になるところだったけれど(茉麻は虫が苦手だ)、動物が好きな茉麻には、二足歩行のしゃべる動物である、夢の住人達の姿はむしろほっこりと癒される。
ベッドの上で、茉麻は考えた。
「ニケは、次は戦場で召喚するって言ってたっけ……。ということは、次は戦いの夢を見ることになるのかな……」
夢なんてコントロールできないのだから、真面目に考えても仕方ないと思いつつも、茉麻はネットでゲーム実況動画を探した。茉麻が学生の時に遊んでいたゲームより格段に映像が綺麗になり、MMORPGも増えた今では、本当にそのまま世界に入り込めそうなほど。
「……ゲームか、ほとんどやらなくなったなあ」
映像をみてワクワクする気持ちはあるけど、忙しくて、やろうという気力までは起きない。
学生の頃はあんなに好きだったのに、高いゲームもぽんと買える立場になってみたらそうだというのは、皮肉だと思う。
「夢の中でゲームしてると思えば、いいか」
夢で体験したことは、VRなんかよりずっとリアリティがあるし。
茉麻は少し期待しながら、早めに布団に入った。
たくさんの、音が聞こえた。
風の音、金属のぶつかって鳴る音、叫び声。
焦げたような煙の臭い。炎の熱気、草いきれ。
空中、戦場を見下ろせる位置に茉麻は浮かんでいる。半透明な自分の体が、少しずつ実体をもちながら降りていくのを、それに従って視界がはっきりしていくのを感じた。
――ニケ、ニケの近くに。
ニケは茉麻を喚ぶため、戦場の中心まで、進むと言っていたはず。だけど彼は本来、前衛に立つべきではない魔法使い。だから、ニケが茉麻を喚ぶということは、ニケが危険な位置にいることを意味する。
見つけた。
ニケはいつもと違う、黒のコートを着て、腕を突きだし呪文を唱えていた。
茉麻はニケの前に降り立ち、そして両腕を広げた。
昨晩、ニケから聞いて覚悟もしていたから、茉麻は目の前でぶよぶよと蠢いている魔物にも、恐れることなく向き合った。
「ニケ、私の後ろにいて」
「マーサ……来てくれた、良かった……」
格好いい呪文は思い付かないし、恥ずかしくて唱えられない。
だから茉麻はただ念じた。魔物よ消えろ、ニケ達を守れと。神々しさのある、白い光が茉麻の全身から吹き出した。