繋がる物語
心地よい感覚に身を委ねていた。温かい水に沈むような、体が軽くなって浮かぶような。
「マーサ、」
名前を呼ばれて、茉麻は目を開いた。自分の真正面、すぐ近くに立っていたニケの手を、反射的に取って、瞳を覗き込んだ。
「ニケ。大丈夫なの、私を喚んでも、魔力は……」
「マーサ、僕は、」
「こりゃあ、驚いたわい」
ニケの言葉を遮って、下から聞こえてきたお爺さんらしい声に、茉麻は少し驚いて自分の足元を見た。そこには、ニケと同じ魔法使いのローブを着た、リス――の獣人がいた。小さくて可愛い見た目だが、声からするとどうやらかなり年寄りらしい。
茉麻が目を丸くしているのに気付いたのか、ニケが言った。
「僕の師匠だよ」
「ニケの……お師匠さん?」
リスの獣人は、頷くと、片腕を上げた。すると、尾羽の長い青い鳥が飛んできて彼を乗せ、茉麻の顔の高さまで浮かび上がった。
「いかにも。儂がニケの師じゃ。……隠居した身を引っ張り出されてきたと思ったら、まさか弟子がこんな大層なことになっておったとはのう」
「……っ、」
急にニケが何かを堪えるように身を震わせた。はっとして茉麻は手を握る。
「落ち着くんじゃ、ニケ。落ち着けば力が制御できる。いかに召喚獣が強力でも、周囲に充分な魔力は満ちているから、それを取り込むんじゃ」
「……はい。……ごめん、マーサ……君を、安定してこの世界に留めるために、今、修行しているところで……」
苦しそうなニケに、茉麻は何かできることはないかと、もどかしい気持ちで背中をさする。そうしながら、茉麻は呟いた。
「私のせい? 私が……ニケを苦しめてる?」
「そんなわけない!」
ニケは意外にもしっかりした声で答えた。
「僕がマーサを求めたんだ! これは……僕が……未熟なだけで……」
どうにか茉麻をこの世界に繋ごうとするつもりか、ニケが茉麻の手を強く握り返した。それを見て、リス師匠は頷く。
「さよう、召喚獣を留めておけぬのは、術士の責任じゃ……まあ、今回に限ってはニケが未熟とも言いがたいが、それも次第に慣れるじゃろ。魔力を限界まで使い果たし、己の器を拡げることができれば、徐々に長く留めておけるようになる」
「……あ」
そういえば、段々とこの夢の時間が長くなっていることに気付く。最初の方は、夢の時間は体感ではものの数十秒くらい。ニケと二つ三つ会話を交わすくらいが限界で、すぐに夢から覚めていたが、今はまだ茉麻は夢の中にいる。それも、夢だと自覚しても、まだ覚めていない。
しかし、とリス師匠は難しい顔をした。
「しかし、陛下は伝説の召喚獣の力を欲していたが、次の出陣に間に合うかのう……」
「……戦い……。敵は、何なの……?」
茉麻は怖くなって尋ねた。夢の中だからか、戦いといっても現実味はない。ただ、あまり恐ろしい敵であればいくら夢でも嫌だなと思う。
「それは……あっ」
説明しようとしたニケが声をあげる。茉麻の体が透けて、白い光を放ちながら、空中に溶ける。
目が覚めるのだと、わかった。
ニケが青い瞳で、自分を苦しそうに見上げる。申し訳ないと思いながら、茉麻は思わず言葉を残した。
「――また、喚んで、ニケ」
土曜日の朝、というより、もう昼に近い時間。カーテンの隙間から眩しく光が差す部屋の、天井を見上げながら、茉麻は目を覚ました。
昨日も終電ぎりぎりに帰ってきて、それから、一週間の睡眠不足を取り戻すようにベッドで眠り続けた。
「……なんか食べよ」
お湯を沸かす間に、ノートを開いて、今見た夢の記録をつける。
リスの獣人……半分リスで半分人というよりは、大きなリスが二足歩行しているといってもいいレベルだった……可愛かったが、あれがニケの師匠らしい。
師匠ということは、やはりリス師匠も召喚術士で……連れていた鳥は、リス師匠の召喚獣なのかもしれない。
「今日の夢は、ニケとたくさん話せたな」
夢の中では、ニケは茉麻を喚ぶので精一杯であまり話せないし、すぐに茉麻が元の世界に戻ってしまうから――つまりは目覚めてしまうから。そこまで考えて、ああ、そうか、と茉麻は気が付いた。
今日はたくさん寝たからだ。この夢を見るようになったのはここ数日だったけれど、毎日、睡眠時間は四時間もないくらいだった。眠っている時間と夢を見ている時間が完全に正比例するわけではないだろうけど、眠っていた時間が長かった分、夢をみていた時間が長かったのかもしれない。
ほうじ茶を淹れ、お茶漬けを作って食べる。その後、スマホを確認すると、彼氏から連絡が入っていた。
『明日なら会える』
……唐突な返信に、少し前のやり取りを見返した。
この連絡が入っていたのは昨日だから、つまりこれは今日のことだ。
確かに予定は空いているけど、もっと前から言っておいてよ……。茉麻はため息をつきながら、今連絡を見たことについての返信と、今日着る服を考え始めた。
「それはお前が悪いと思う」
茉麻の仕事の愚痴を聞いた彼氏は、コーヒーを飲みながら、話をばっさりと切り捨てた。
大学時代にサークルの先輩の紹介で知り合った茉麻の彼氏は、大手IT企業でコンサルティング業務をしている。要するに、職場の問題を改善する仕事だ。職場に詰めっきりになる茉麻のような仕事より、営業に飛び回る彼は、人に振り回される苦労をより分かってくれると思ったら、逆に批判された。
「……でも、下請けの立場じゃ断れないじゃない」
「そりゃそうだろ。相手をどうこうできないんだから、自分のやり方を変えるしかないだろ?」
正論を言われ、茉麻は口ごもった。
「……それは、そうだけど、でも、どうしろって言うの?」
「俺に言われても。お前の職場のことがわからないんだから、アドバイスのしようがないだろ」
彼が少し乱暴にマグカップを置いた。テーブルに響く音に、もうこの話は終わりにしたいという彼の苛立ちを察して、茉麻は謝った。
「……そうだね、ごめん。……あ、そういえば、最近ね――あ、最近でもないか、この前テレビで観たんだけど」
話を、テレビで観たサッカー選手の話題に変える。インドア派の茉麻はスポーツ全般に詳しくないので、大した話はできないが、中学高校とサッカー部だった彼は、サッカーの試合を時々観るらしく、話題に食いついてくれる。
「ああ、あの試合は微妙だったよ、だってさ――」
微妙とは言いながら、楽しそうにその試合を説明してくれる彼に、私は相槌を打った。
話題を探すとき、真っ先に思いついたのはあの夢の話だったけど、それはしなかった。毎晩ファンタジー世界の登場人物になる夢を見るなんて、子供じみてて、馬鹿にされる気がした。