終わりと始まり
そこは、城のテラスのようだった。
風に吹かれながら遠くを見つめるニケは、少し疲れた様子だった。私はニケの隣に、静かに立つ。
「マーサ、話があるんだ」
遠くに霞む山々を見ながら、ニケは世界について話す。
世界に降り注ぐ魔力、恵みとは光。普通なら光は四方から降りそそぐから、影ができることはない。
だけど、時折、ほんの巡り合わせの悪さで、光に対して影ができることがある。
それが世界の闇、魔物となる。
魔物は世界がある限り、常に一定の数発生してしまうけれど、その性質上、爆発的に増えることもない存在なのだという。
本来、沸き出た魔物は数が増えすぎないように、兵士達が定期的に遠征し、脅威とならないよう減らすものだということ。
それができず、あれほどの大群で城を襲うほどになってしまったのは、国の中でクーデターや流行病など、悪い出来事が重なってしまい、魔物に手を回せなくなってしまったからだということ。
今の王は賢く強く、治世も安定していて、少なくとも先百年は、あのように魔物が溢れかえるような事態にはならないということ。
強大な力をぶつける先がなければ、あれだけ英雄視された伝説の召喚獣を喚べる召喚術士も――脅威の対象だということ。
それらをニケは、丁寧に話した。
「国は、僕のことを、城の重役にしようとしている。戦果を称えてなんて言っているけど、本当は目の届くところで監視したいんだ」
「……。」
ニケが隠居を申し出たのも、そのためだった。
茉麻の、城の手すりを握る手が震えた。
「だから、」
「もう、いらないんだ」
茉麻は、震える声で呟いた。言葉にしてしまえば、あとは止まらない。耳を塞いで叫んだ。
「いらないんだ! 私のこと、もう戦わなくていいから、いらないって……!」
「違う、マーサ!」
ニケの話を聞きたくない。茉麻はテラスから飛び出し、空を走って逃げた。
相変わらずこの夢の世界は茉麻が望むままに、空も飛べるし魔法も使えるのに、どうして一番欲しいものが、今、一番欲しいときにままならない。
どうして、どうして。今までニケは私のことを受け入れてくれていたのに、どうして。
役に立たないから、もう必要ないから?
このまま世界の果てまで飛んでいこうとした時、茉麻の周りの空間がぐにゃりと歪む。
(これって――)
強制帰還だ。
召喚士が自らの召喚獣を自分の意思で、還す行為。今までニケは、自分の魔力の限界まで茉麻を留めようとしていたから、一度も茉麻は還されたことはなかった。なのに。
夢でさえ、私は望まれない――
朝だった。シーツを掴み、体を捩る。息ができず咳き込む。
息が荒い。過呼吸で苦しい、喉が詰まる、駄目だ、これじゃ駄目だ。辛すぎる現実から夢に逃げ込んでも、現実が作用するせいか、夢までおかしくなっている。
「っ、はあ、はあ、」
水を飲まなければ、起きなければ。早く支度をして会社に行かなければ、次はどんな仕打ちを受けるか。
そう思うのに、体は重く、頭がガンガンして動かない。飲み過ぎた睡眠薬の作用だろうか。
でも、もう眠りにも茉麻の救いはない。寝ても覚めても追い詰められたら、茉麻はどうしたら――
(――違うんだ、マーサ!)
その時、茉麻は。
確かに、頭の中に響くニケの声を聞いた。
「二、ケ……」
再び召喚された茉麻は、力強く抱き締められる腕の中にいた。
「無理矢理、還してごめんね。でもこうしなければ、君を捕まえることができなかったから」
連続の召喚は、かつてない負担だったのか、ニケは咳き込んで、血を吐いた。それでも、茉麻を決して離そうとしない。喉に血がはりついて掠れた声で、ニケは言う。
「マーサ、僕と共に、ずっとこの世界で生きてくれないか。そのためなら僕は、最強の召喚士でなくたっていい」
「で、も……私は、ずっとこの世界にはいられないんだよ……」
「マーサを、永遠に、この世界に縛りつけておく方法が、ひとつある」
ニケは茉麻の肩に両手を置き、じっと真正面から見つめた。
「マーサの力を、封印する。そうすればマーサはとても弱い存在になってしまうから、今までのように魔法は使えないけれど、でも、そうなれば、僕は君を一生ここに留められる」
「そんな方法が、あるの………? でも、そうしたら、私、ニケの役に立たなくなっちゃう……」
「愛しているんだ。傍にいてくれさえすれば、いいんだ。たとえ、マーサが弱くなっても、僕が一生守る。約束するよ。幸せにする。……だから」
「…………ニケ」
この魔法は契約だから、マーサが応じなければ封印はかけられない。
あと必要なのは、マーサの気持ちだけ。
自分を見つめる青を残し、世界が白く消えていく。
ベッドから落ちて気を失っていた茉麻は、寒気のする体をゆっくり起こした。気がつけば夕方だった。スマホに残る、大量の着信履歴は、茉麻の無断欠勤を責めるものだろう。
「……。」
頭痛はひいていた。床で眠っていたせいか体の節々が痛むが、その感触は、ニケがさっきまで強く抱き締めていてくれたことの名残のように感じられた。
永遠に、か。
そうだ。何で気付かなかったんだろう。永遠に、眠っていればいいんだ。そして、私を愛してくれるニケと、美しい世界で、ずっと一緒に暮らすんだ。
その考えは、茉麻のなかにすとんと落ちた。
霧がかかっていたような頭は冴え、静かに旅立ちに必要な準備を組み立てていく。茉麻は理系だ。危険な薬品を安全に使うための知識はそれなりにある。あとはそれを裏返すだけだ。
意識の片隅で、茉麻がいなくなって困るだろう人々のことが浮かんだが、首を振る。
私をここまで追い込んだ人達が、どうなろうと知らない。
私をここまで苦しめた人達に、悲しむ権利なんてない。
私がここまで泣いたことを知らない人達が、悲しむはずもない。
「私を封印して、ニケ」
そして離さないで。幸せになれるって、私に夢をみさせて。




