惟神(かんながら) 匠か稚拙か
神様は崇高なお方なので、お食事はカレーとプリンを好みます。顕現された日が3月3日という事もあり、白酒と雛あられをよくオヤツにお出ししていましたが、「飽きたっ!」と仰られたのでお小遣いを差し上げるようになったのですが、駄菓子をよく買ってくるようになりました。
やはり、私とは違い崇高であり高貴なお方の考える事はわかりません。
「鳥籠で育った鳥はそこから放つと生きてはいけない」
作中の一文だった。
神様がなんでそんな言葉を言ったのか分からず、梨花は意識を失った。目が覚めると自分は人工呼吸器に繋がれている。
先生と看護師が安堵したような表情で自分を見つめているのを梨花は不思議そうに見つめ返していた。自分は屋上で気を失いそれから?
「先生、ここは?」
医師から伝えられた事は、部屋で寝ていた自分が発作に見舞わられ、ナースコールを押した為、今に至るらしい。
(そんな、嘘だ!)
おそらく、自分は屋上で倒れ、それを運んだ神様がナースコールを押して知らせたのだろう。そしてまだあの時の神様の表情が伝えたかった事を梨花は聞いてはいない。梨花はただ早く、神様に会いたい。
そして、『礼装の小箱 著・九藤朋』の続きを読みたいとそう思っていた。病室に戻ればもしかすると神様の置いていった本があるかもしれない。
だが、それをただ読むだけではダメなのだ。あの神様の声で朗読された物語でなければ自分の心は動かない。
病室に戻りしばらく安静にしていると、梨花のベットの近くに神様が現れた。ジンベイザメのフードを頭にすっぽりとかぶり、金魚の髪留めがふわり動く。
「や」
やぁと言いたかったが、思いのほか言葉が出なかった。神様は見下ろすように梨花を見つめると花びらのような唇を動かした。
「加減は悪そうだな?」
答えるのが億劫なので頷いてみせる。神様は椅子に腰かけるわけでもなく、本を取り出すわけでもなく、ただ『礼装の小箱 著・九藤朋』の物語の朗読を始めた。暗記しているのか、神様は目を瞑り、詰まる事もなくその物語を読む。
最初、梨花は神様が自分と華夜理をだぶらせてみていたのかと思っていたが、違った。次に感じた事は特殊な者に興味を持ち、それでいて神の頂きに挑戦しようとした龍と梨花をだぶらせようとしていたのかと錯覚したが、それも違った。
神様は龍なのだろう。
「……神様、何か神様の言葉で私に頂戴」
龍の華夜理へ送られた言葉を再現しようとしているのだろう。神様は半目を開け梨花の瞳と合うと詩を歌うように神様は言った。
「子兎よ、牢獄を愛せ」
この病室を、愛せと神様は言うのだ。それは梨花にとって意味の違いによっては天国にも地獄にもなりうる意味を持っていた。
「……まぁいいわ。続きを」
頷いた神様は続きを読み聞かせる。それは龍との逢瀬を華夜理が何度となく選び、そして辺り間の如く晶が嫉妬をしている場面。
「案外子供なのね。晶って」
「年相応と言った方がいいかもな。どれだけ背伸びをしても手の届く範囲は決まっている。そういう意味ではよくこの少年を描いたとも言える」
「そうね。同感だわ」
そして、同時に龍という大人の男もまた子供であると感じさせる。そしてそれもまた悔しいかな、してやられたと梨花は思ってしまった。男というのは潜在的に母を求めるという。この龍という男は母親という存在にコンプレックスを持っている。
彼は理想の母親像を追っている。
そう梨花は解釈した。
神様の声により装飾された礼装の小箱は胸に、頭に響く。
『俺、お前が好きだ』
浅羽の台詞である。それをただ単に神様が朗読しただけ、なのに梨花の中の母性なのか、それとも雌としての反応なのか、切なく、愛おしい気持ちがあふれる。
神様に触れようと伸ばした手を神様は優しく握る。されど、物語を詠うのは止めない。それは雌を呼ぶ雄鳥のように、美しい声で鳴き続ける。
そして物語の魅力に梨花は引き込まれる。
「すごいお話ね。縁談の邪魔になる息子に縁談の相手の妹を宛がうなんて、なりふり構わないなんてレベルじゃないわ」
やや呆れ気味に言う梨花、ここにきて作品の質が下がったとでも感じているのかと神様は口元を緩ませた。
「古来の政略結婚の常套手段だ。まぁ、そこまで考えて描かれているかはわからんがな。もしそうだとしたら?」
つまらない展開とも思えるこの場面に対して万が一、風情を持ってこの局面を選んだのだとすれば……梨花の答えは一つだった。
「一流の匠ね」
「かもしれんな。それか、所詮は人の描くもの。綻びの一つでもあった方が可愛らしい……と私は思う」
神様は梨花に別の見方を伝えた後に必ず、その真逆の事も言ってのける。ならば自分もとっておきを神様に話そうかとベットから起き上がった。
「桜について神様は知ってる? 日本人が最も愛するソメイヨシノ、これが人工的に作られた。唯一愛でる為だけの花だという事を」
「うん、話の中でくらいの知識だけどな」
「短命だって事も?」
「らしいの、手入れをしなければ十年、手入れをしても五十年くらいだったか?」
まんまと一般的な知識だけでこのお話を聞いてくれたと梨花は思った。神様に教えてあげよう。
「ソメイヨシノはね。自ら生きる事を選んだの、突然変異種がもう生まれているのよ。短命である事を辞めたソメイヨシノ」
目を丸くして神様は頷く。素直に知らなかった事への驚きに梨花はやっとこの神様に一つ返してあげる事ができたとそう思った。
その時。
「いにしえのぉ、ならのみやこのやえさくらぁ、けうくじゅうに、においぬるかなぁ……とな?」
神様は八重歯を見せて笑う。
伊勢大輔の有名な句。
古来の桜は今尚目の前で美しく咲いていると、梨花の豆知識にちょっとばかし小洒落た返しをして見せた。
「もう、なんでそんな事言うかな? 君は」
神様は今まで暗記したように朗読していたが、梨花の目の前で『礼装の小箱 著・九藤朋』の本を生成して見せた。
「もう、梨花もさすがに気づいたろうけど、私は本当に全書全読の神様だ。私は、物語を愛する者が何も知らずに消えていくのを見過ごせない」
神様は今までのように幼い表情を梨花には返してくれない。それは大人びていて、いやもはや人のそれとは思えない威圧感を感じた。
「ちょっと神様、どうしたのよ?」
「ここは、梨花、お前にとって両親が残した愛の形だ」
「何言って……」
「いくらなんでも、誰も見舞いにこんなどおかしいとは思わんか?」
神様の唐突な一言、それに梨花は妙な胸騒ぎを覚える。そして当然神様に伝えた通りの言葉を腹の底からひねり出す。
「それは……私が捨てられたから」
「フン、晶を子供と言うだけあって、お前もやはり子供だな梨花」
神様は何かを知っている。
それは聞いてはいけない事なんじゃないかと梨花は思ったが、本能なのか、それとも怖いもの見たさなのか、神様の言の葉を練る口元を凝視せざる負えなかった。
「お前の、両親と弟は事故で亡くなっておる。お前の見舞いに来る途中、大型トラックに追突されて、そのままだったそうだ」
神様はそれを淡々と言ってのけた。
何のために?
それがもし事実だとして何故今言う必要があるのか?
「お前は愛されていた」
「帰って」
梨花にはもう神様の言葉は届かなかった。可愛らしい神様だと思っていたが、最後の最後で自分を不幸に誘う悪魔なのではないかと神様を睨みつけ、この場から去るように再び言った。
「ここから出て行って、二度と君の顔は見たくない」
神様は『礼装の小箱 著・九藤朋』の本を置いていく。それを持って帰れと言おうとした梨花だったが、部屋から出ていく神様の寂しそうな、悲しそうな顔を見てそれ以上何も言えなかった。
誰もいなくなった病室。
いつも通りの自分の空間が異様に広く感じたのはいつ以来だろうかと梨花は思い。一粒の涙をこぼした。
「……どうしてそんな事を言うのよ」
神様が置いていった『礼装の小箱 著・九藤朋』を掴むと、それを地面に叩きつけようとして梨花は大事そうに抱きしめた。
終わりに向かって歩む自分はおかしな夢でも見ていたのだと思いたかったが、今自分の抱きしめる本がそれを全力で否定しにくる。
「……私は愛されていたの? お父さん、お母さん、裕翔」
随分前からおかしい事には気づいていた。
いつ聞いても両親は仕事で忙しいと、ある時期はテレビが壊れているとみる事ができず、おかしな事が続いていた。
そして、自分はもしかしたらに気づかないフリを演じていたのだ。頭が冷めてくると、自分はまた神様の言葉を最後まで聞く事が出来なかったなと、そう思って『礼装の小箱 著・九藤朋』のページを開いた。
あらあら、神様と梨花さんが喧嘩別れしてしまいましたね。
あともう少しでクライマックスとなりますが、収拾がつくのでしょうか?
お言葉ですが、私の神様は『ごめんなさい』が出来ない方なので少々心配です。




