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婚約から3年。待ちに待った結婚式のはずが……
(時間的には、本編最終回、結婚式の直前からのお話となります)
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紫乃と弘晃が婚約してから、およそ3年の月日が過ぎた。その間に、中村物産グループをした筆頭とする旧中村財閥……いわゆる『中村四家』と呼ばれる4つの企業グループと六条グループは、婚約時に交わした取り決めに従って、お互いの結びつきを強めていった。半年後に控えた紫乃たちの結婚披露宴が、その総仕上げとなる。
披露宴は、茅蜩館ホテルで行われることになった。
茅蜩館の創業は、江戸時代後期。中村家が大昔から懇意にし、伝統とか格式とかいうものに滅法弱い六条源一郎が愛してやまない都内有数の由緒正しい老舗ホテルである。
招待客は、およそ1700人を予定している。しかしながら、その中に、紫乃の個人的な知り合いは、ごく僅かしか含まれてはいない。なぜなら、ふたりの結婚披露宴は、結婚した若いふたりのお披露目というよりも、六条家と中村四家との繋がりが磐石となったことを周囲に見せ付けるためのイベントとしての意味合いが大きいからだ。ゆえに、招待客の選定は、主に源一郎と中村一族の『長老』と呼ばれているような人々によって行われた。選ばれたのは、花嫁花婿よりも、中村と六条との繋がりが自分たちにどのような利益をもたらしてくれるのかを探ることのほうに関心がある者たちばかりである。
披露宴における新郎新婦の役割が、ただのお飾りでしかなくても、紫乃は全く気にしていなかった。
兎にも角にも、あと半年! それだけ待ちさえすれば、彼女は弘晃の妻となり、彼の傍に、いつでも好きなだけいることができる。そのことが、紫乃は何よりも嬉しくてしかたがない。正直なところ、結婚式に押しかけるほとんど見ず知らずの人間たちがどれほど醜い野心や打算を抱えていたところで、今の紫乃にとっては、どうでも良いことだったのである。
だがしかし、そんな飛びっきりの幸せは、ただウキウキしながら半年間待っていれば向こうからやってくるというものでもなかったようだった。
11月の終わりごろ。
『そろそろ具体的に細々としたことを決めようと思うから』と言われた紫乃は、初めてホテルの担当者との打ち合わせに参加させてもらった。
披露宴を仕切ることになる責任者は、紫乃が思っていたよりも、ずっと若い男で梅宮といった。年齢は20代半ばから30代前半といったところだろう。名家として知られる中村本家に老舗ホテルの代表として打ち合わせに来た者だけあって、もの言いにも所作にも、いっそ女性的だと思えるほど嫌味のない柔らかさと美しさがある。ちなみに、彼がくれた名刺には『宴会部長』という肩書きがあった。大学で同じゼミをとっている青年が、年末の忘年会シーズンに向けて自らそのような肩書きを名乗っていたことを思い出して、紫乃は内心おかしくなった。
面白いではなく不審に感じるという意味で『おかしなこと』といえば、もうひとつあった。それは、梅宮が、こちらからの要望を、全て笑顔で受け入れてくれることだった。弘晃の虚弱さを招待客に知られないために、かなり無理なことをお願いしている自覚がこちらにあるというのに、彼は、どれひとつ渋ることなく、『おまかせください』とか、『なんとかいたしましょう』という言葉ひとつで引き受けてくれた。その気安さが、紫乃にはかえって心配でならない。
(ちょっと調子が良すぎやしないかしら? この人が担当で、本当に大丈夫なのかしら?)
案の定、彼女の不安は、やがて現実のものとなった。
3日後。 ホテルから、先に会った梅宮とは別の男がやってきた。
男は、松雪と名乗った。先日来た男と同じように若かったが、背が高くがっちりとした体つきをしており、しかも、とても堅苦しそうな黒縁の眼鏡をかけていた。 動きも、先日来た彼と比べると、なんというか大雑把で直線的に見えた。
「招待客を減らせですって?!」
「申し訳ございません!」
黒縁眼鏡の松雪くんが、上背のあるがっしりとした体を窮屈そうに曲げ、床に頭をこすり付けんばかりの勢いで頭を下げた。
彼によれば、披露宴の行われる会場に1700人は収まりきらないとのことだった。
「でも、先日いらした梅宮さんは、2000人は余裕で入れると、胸を叩いていらっしゃっいましたわ」
「それは、立食でのパーティーを想定しての人数でございまして……」
だが、立食では、もてなす側である弘晃が立たないわけにはいかなくなる。それでは、体が弱い弘晃が辛いだろうと、松雪は言った。
「2、3時間のことでしょう? ならば僕が頑張って立っていればいいだけのことです。なんとかなりますよ」
「ですが。これだけの人数をお招きする披露宴となりますと、ご祝辞などを賜る人数も多くなると思います。お開きになるまでには、5、6時間は覚悟していただかないといけません」
強がりをいう弘晃に、松雪が申し訳なさそうに首を振る。
2時間だろうと6時間だろうと、紫乃は、弘晃にそのような無理をさせる気はなかった。途中で倒れるに決まっている。
「全員座ってのお食事だと、何人までお招きできますか?」
「1200人が限界です」
松雪が答えた。つまり、500人の人間を招待客リストから外さなければならないということになる。
「一番最初にお電話でお話をいただきました時に、こちらの担当者が立食と勘違いしておりましたようで。こんなことになって、誠に申し訳ありませんでした」
「あなたが謝ることはないですよ」
重ねて頭を下げる松雪を慰めるように、弘晃が微笑んだ。
「そうですよ」
紫乃も憤慨して言った。
「だいたい、どうして、あなたひとりが謝りにくるんですの? おかしいじゃありませんか?」
これほどの失態なのだ。本来ならば、最初に結婚式の予約を受けた誰か、または、先に打ち合わせに来た梅宮、あるいは、それ以上の人が謝りに来るのが筋というものだろう。それを、たった独りの若者に謝りに来させるなど、ホテル側の対応にこそ、紫乃は疑問を感じずにはいられない。だが、松雪は、全てが自分の責任であるかのように、愚直に「本当に、申し訳ありませんでした」という謝罪の言葉を繰り返すばかりである。とはいえ、これ以上苛めては松雪が可哀想だと思ったのかもしれない。「紫乃さん、もうその辺で……」と、まだまだ言いたい事がある紫乃を、弘晃がやんわりと制した。
「わかりました。あなたの言うとおりに招待客を減らすことにしましょう」
弘晃が、紫乃の父や中村家の年寄りたちに相談することなく、その場で返答した。
「お客様には、やはり座ってゆっくりとお食事を楽しんでいただきたいと思うから……と、そのように、こちらから、あらためてホテルのほうに申し入れましょう。そのほうが、あなたにとっても、よろしいのですよね?」
弘晃が、どこか持って回った言い方をしながら、松雪に思わせぶりな笑顔を向ける。
「え?」
たずねられた方は、ひどく驚いたような顔をして弘晃を見つめた。ついで、その眼差しを、感謝に満ちたものに変えると、「ありがとうございます。そうしていただけると、大変助かります」と、何度も頭を下げて帰って行った。
とはいえ、1700人から500人減らすとなると大仕事である。
招かれるのは政財界の重鎮ばかり。当たり前のように自分が招かれると思い込んでいる者もいれば、既にこちらから出席の内諾を取り付けてしまった者もいる。 座る席が足りなくなったからといって、誰でもいいから減らせばいいという訳にもいかない。
この時点で、紫乃は自分の友人を招くことを諦めた。
「もうお誘いしてしまったけれども、とにかく謝るしかないわね」
それでも、減ったのはやっと30人程度のことである。500人削減達成まで、まだまだ先は長い。
紫乃の頭を悩ませていたのは、招待客のことだけではなかった。松雪から言われるまで紫乃は気がつかなかったのだが、結婚式当日は、披露宴も合わせれば、ほぼ一日仕事となる。弘晃に無理をさせないためには、途中途中で、どうにかして、彼に休憩を取らせる必要がある。
「それより、当日、弘晃さんが熱でも出してしまったら、どうしよう?」
もしも、そうなったら、弘晃は欠席…… なんてことは、今回に限っていえば、不可能である。
だが、慌ただしい時に限って、更なるトラブルがやってくるものである。
「招待客が多すぎるのだったら、まずは私から減らしてくださいな」
……と、物わかりの良いフリをして、ふざけたことを言い出したのは、よりにもよって紫乃の母親の綾女だった。
「実の母親が欠席なんて。 そんなことが、できるわけがないでしょう? 」
紫乃は呆れながら、綾女を諫めた。
気位の高い母は、自分が愛人であることを恥ずかしく思うがゆえに、普段から人前に出ることを好まない。しかも、この母は、昔から、とんでもなく頑固なところがあった。いったん『こう』と決めてしまうと、父が泣こうが脅そうが素知らぬ顔で、「結婚式には出ません」の一点張りである。
「もう、どうして面倒を増やすのよ!! お母さまの馬鹿~~っ!!」:
こんな調子で、本当に結婚式なんてできるのだろうか?
さすがの紫乃も、不安になってきた。




