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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
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8.あんな男!

「ああ、もう。思い返しても腹の立つ!」


 見合いから帰ってきてから、紫乃は、弘晃との短いやり取りを思い返しては、クッションと妹たちに当たり散らしていた。もう何度も痛めつけられたクッションは、今日紫乃が最初に手にした時には新品同様であったのに、今は見るからにヨレヨレで、縫い目の一部がはじけている。


 罪のないクッションのようにボコボコにされるのを恐れた妹たちは、とりあえず頑丈そうな家具の陰に身を潜めつつ、姉の落ち着くのを待っていた。……が、翌日になっても、彼女の怒りは一向に収まる気配がない。とうとう好奇心に負けて、まずは年長の明子と橘乃が、恐る恐る紫乃に声をかけた。


「姉さま。お見合いの席で、いったいなにがあったの?」

「お父さまは似合いの2人だって喜んでいらしたけど、姉さまは中村さまをお気に召さなかったの?」


「誰が、お気に召したりするのものですか。あんな男と結婚なんて、冗談じゃないわ!」

 紫乃は、振り向くと妹たちを睨みつけた。 


 慌てて壁際に置かれた黒いアップライトのピアノの陰に隠れた明子と橘乃は、訴えるような目で4女の紅子を見た。年の順からいえば次は紅子が質問する番だということもあるが、その下の妹の夕紀は既に怯えきっているし、末っ子の月子では余計なことまで言って更に紫乃を怒らせることになりかねない。消去法で次の質問者に押し出された紅子は、恨めしげに姉と妹を振り返りつつ、ひとり安全地帯から抜け出して紫乃に近づくと、彼女と向き合うようにソファーにそっと腰を下ろした。


「姉さま。中村さまは、姉さまに何とおっしゃったの?」

 紅子の柔らかい声に、紫乃が不機嫌な顔を向ける。

「なにを……って、私が親の閨閥作りの犠牲になるなんて馬鹿げているし、六条グループと中村グループの仲が悪くなることなんかないから、嫌だったら断ってもいいって言ったのよ」

「それは、お見合いを断るのも断らないのも、姉さまの自由にしてもいいってこと?」

「そうよ。人に責任を押し付けて……だから、ずるい男なのよ!」

 紫乃が紅子に訴えた。訴えられたほうの紅子は、紫乃の主張に肯けないものを感じたのだろう。曖昧な笑みを浮かべたまま固まっている。


「ずるいって……そのぐらいのズルはズルのうちに入らないだろう?」

「姉さまが嫌っていて、あちらが断っていいって言っているのなら、何の問題もないんじゃないのかしら。姉さまは、なにをあんなに怒っているの?」

 部屋の隅で本を読むフリをして部外者を決め込んでいる和臣と月子が、不思議そうに顔を見合わせた。月子は、紫乃のほうに顔を向けると、「そんなに嫌な男なら、さっさと断ればいいじゃない?」と勧めた。


「嫌よ。絶対に断ってなどやるものですか!」

 紫乃は月子に向かって叫んだ。


「姉さま。嫌だ嫌だと言いながら、実は、実は中村さまに恋してしまったのではなくて?」

「そんなこと、あるはずないでしょう!!」

 紫乃は、妙な想像を巡らせながらうっとりとしている橘乃の代わりに、力いっぱいクッションを殴りつけた。


「そんなのじゃないわ」

 紫乃は強い口調で言った。

「絶対に、むこうに断らせてやるんだから。それで、お父さまの逆鱗に触れて、中村グループごとなくなってしまえばいいのよ!」


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 だが、しかし。

 中村家は、この縁談を断ってはこなかった。


 それから数時間もたたないうちに、父の秘書の葛笠が姉妹たちの部屋を訪れた。


「『紫乃さまとは、是非とも、今後も親しく家族ぐるみのお付き合いをさせていただきたい』 と、先ほど、あちらさまから社長にお電話がありました」

 葛笠は、一言一句たがえずに父から託された言葉を伝えただけだった。だが、「うちの執事でもないのに、なんで、あなたが、わざわざ伝言なんてもってくるのよ!」と紫乃に八つ当たりされた。葛笠も、そこで逃げればいいものを、馬鹿正直に、「社長が、『おめでたい知らせだから直接伝えるように。紫乃は、この知らせを聞いてきっと大喜びするに違いないよ』と申されまして」などと答えたものだから、紫乃から、一時間前はクッションだったものを叩きつけられることになった。


「どうしますか。あちらは姉さんのこと気に入っているようですが?」

 和臣がニヤニヤしながら、紫乃にたずねた。

「……どうするって……別に、どうもしないわよ……」

 紫乃は和臣から、赤らんだ顔を背けた。


(そうよ。どうもしないわ。そもそも見合い相手がどんなに嫌いな奴でも結婚するつもりだったんだし……)

 紫乃は口の中で、負け惜しみのようにつぶやいた。


 そう。紫乃としては、親子ほど年の離れている男でも、金に飽かせて遊興三昧の苦労しらずの馬鹿息子でも、あるいは相手に好きな女がいたとしても、自分が心に思っていた条件にかなうなら、結婚相手はどんな男でも構わないはずだったのだ。

 ただ、弘晃は、紫乃にとって嫌な男には違いないのに、彼女が覚悟していた「嫌な奴」のイメージと、あまりにも、かけ離れていた。それが良くなかったに違いない。


(だからよ。だから、きっと、こんなに腹が立つのよ)

 なんだか動悸がいつもよりも激しい気がするのも、自分が怒っているために違いない。


(そうだ、きっとそうに決まっている)

 紫乃は、無理矢理自分に言い聞かせながら、自分の胸元を、両手でそっと押さえた。


 



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