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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
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79.取引

 中村という家は、もともと1つであった事業を4つに分割しなければ存続を許されなかったほどの大家である。4分の1ずつを別々に相手にできる保証があるのならばともかく、これと進んで事を構えようとする愚か者はいない。また、中村は、様々な分野の仕事を手がけている。中でも中村物産は、国を挙げての一大プロジェクトといった仕事も数多く請け負っている。


 中村と親密になれば、六条グループも、あちらの事業に一枚かませてもらう形で、正規のルートから大きな仕事をコンスタントに得ることもできるようになる可能性は高い。そうなれば、六条グループは名実ともに大企業の仲間入りを果たすことになる。



 なによりも、学校の隣の中村さんなら、きっと紫乃を大切にしてくれる。 

 必ず娘を幸せにしてくれる。


 実現すれば、六条にとって良い事尽くめの話ではあった。しかしながら、紫乃を中村本家の跡取りの嫁にするという源一郎の発想自体に無理があることは否めない。

「だが、うち紫乃ならば、他のどこの良家の娘と比べても劣るところなどないだと思った。だから、希望を捨てることができなかった。それに、中村にも付け入る隙が無いわけではなかった」


 付け入る隙は、源一郎が狙いを定めた中村の本家そのものにあった。怪しげな噂ばかりが流れている中村本家の長男の弘晃と、彼らが経営している潰れかけの中村物産である。

「気になる噂ばかりだったのでね、全て調べたよ。だが、弘晃くんの体が弱いということと、中村本家の真の当主は弘晃くんであるという噂以外は、みんなデタラメであるようだった」


 なによりも、源一郎は自分の勘を信じていた。紫乃の荷物を拾い集めてくれたあの誠実そうな若者が、世間で言われているような怪しい人物であるはずがない。それに、潰れかけているとばかり思っていた中村物産は、先代が隠居する数年前から陰で中村物産を操っていたという弘晃のおかげか、確実に立ち直りつつあった。誰が何と言おうと、弘晃は人並み以上の才覚の持ち主に違いないと、源一郎は値踏みした。



 恋のライバルは少ないに越したことはない。過剰に脚色された悪い噂だけではなく弘晃が病弱であることさえ、源一郎には、まるで運命の女神が彼のために用意してくれた贈り物であるかのように思えた。源一郎は、後ろ暗い仕事で手に入れた金の力と人脈を最大限に活用して中村物産に近づくと、資金援助を申し出た。そして、紫乃が高校を卒業するのを待って、弘晃に見合いを持ちかけた。


「交際は順調。後は婚約するばかりだと思っていた。それなのに、突然別れてしまう。しかも、まさか、弘晃くんが自分が病弱なことを気にしていたことが理由だなんて思いもしないじゃないか」

 源一郎が、恨めしげな視線をふたりに向けた。源一郎にとって、好いた女子というのは、命がけで手に入れるもの。相手のために諦めるなど、思いもよらない発想だったのである。


「はあ、すみません」

「弘晃さんが謝ることないわ」

 紫乃は、面目なさそうに頭を下げる弘晃を叱ると、源一郎に食って掛かった。

「だいたい、破談したとたんに、どうして弘晃さんの会社を潰そうとしたりしたの? 無茶苦茶だわ!」

「だって、私は、ふたりの縁談に自分の財産と運の全てを賭けていたんだ。喧嘩別れしたぐらいで、『そうですか、じゃあ、今回はご縁がなかったということで……』なんて言葉で礼儀正しく終わらせるわけにはいかなかったんだよっ!」

 源一郎がムキになって娘に言い返した。

「こちらが無体な行動に走れば状況が変るかと思った。だけど、弘晃くんは一向に音を上げないし、介入されることを恐れていた分家すら、静観を決め込んでいる。引くに引けなくなってしまった。それで、こうなったら、本当に一度中村物産を潰し、彼に会社を返す交換条件として、強引に紫乃との結婚を承諾させるしかないかと……」

 源一郎の声が、どんどん小さくなっていく。


「……。お父さまって、馬鹿?」

 呆れ果てた紫乃が言った。

「そんなふうに、なんでもかんでも、お父さまの思惑通りに事が運ぶわけないじゃないの! 沢山の人に迷惑をかけただけじゃない。弘晃さんなんか、死んじゃうところだったのよっ!!」

「すみません。それについては深く反省しています。綾女さんにも、散々怒られました」

 紫乃の怒りから身を守るために、背中に置いていたクッションを楯のように掲げつつ、源一郎が情けない声を出した。

「お母さまだって、同罪よ! あの人ってば、しれっとした顔をしながら、実は、いろいろ知っていたんじゃないの!!」

「まあまあ、紫乃さん。もう、怒ってくれなくていいですから。ね?」

 弘晃が腰掛けたまま、いきり立つ紫乃の服の袖を引いた。


「六条さんのご本心とご希望は、よくわかりました」

 紫乃がしぶしぶと着席するのを見届けると、弘晃が源一郎に向き直った。


「それでは、これからのことも含めて、具体的な取引の話をいたしましょうか? ここでは手狭ですから、食堂のほうにお移りいただけますか?」


 

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 食堂の長いテーブルの窓を背にした側に独り座る源一郎の真向かいには、名目上とはいえ中村本家の当主である弘晃の父親の弘幸が座った。弘幸の左右には、弘晃と既に現役から退いて今は長老と呼ばれている分家の年寄り3人が2名ずつ椅子に腰を下ろした。彼ら背後には、正弘などが5人ばかりが並び、一方の源一郎の背後には、いつものように葛笠が寡黙に控えている。同席を許された紫乃たち女性は、話し合いの邪魔にならないように、テーブルの一角に固まって座った。


 テーブルの上に、一枚の大きな模造紙が、源一郎のほうを正面にして広げられた。模造紙には、組織図のようなものが貼り付けてあり、ところどころに赤や青のペンで、文字を囲むように丸が描かれていた。


「こちらは、中村四家の全組織図になります」

 予め段取りができているのだろう。大会社の社長の風格を十二分に漂わせながら、弘幸が口火を切った。


「それで……ですね。この図の赤で示しているところをすべて、六条さんのほうで引き取っていただけますか?」

「は?」

 中村からの破格の申し出に、源一郎はしばし声を失った。それから、彼は立ち上がりテーブルに両手をつくと、食い入るように模造紙に貼られた組織図を見つめた。その間にも、父親から話者を交代した弘晃が話を続けている。


「それから、青色のペンで囲まれている部署が受け持っている一部の業務についてですが、現在、非常に効率が悪い状態なので、これを機会に、まとめて六条さんのところに業務を委託したいと、私たちは考えているのですが、いかがでしょう?」

「『いかがでしょう?』って、こんなに? でも、このあたりなど、ほどんど丸ごとうちのグループに移行ってことではないですか?」

 大きな赤丸で囲まれた部分を指差しながら、源一郎が口をパクパクさせる。弘晃と話していたときの大きな態度はどこへやら。紫乃の目には、源一郎が、かなり動揺しているように見えた。


「なに、構いませんよ。その部門は、うちの本来の仕事からは逸脱しておるだけでなく、現在では、莫大な広告費と営業努力のわりには元がとれないお荷物と化しておりましてな。このままでは利益も先細りになる一方でしょうし、良い機会だから、整理しようと思いました。それに、この分野は六条さんが得意とされておるところでしょう? 裏で何をなさっておられるかは、ひとまず置いておいて、表のお仕事は、手堅くも誠実であるご様子。喜んでお譲りしたいと思います。うちの分を足せば、業界一位も夢ではございますまい?」

 弘晃と弘幸に挟まれて座る白い髭を長く伸ばした老人が、源一郎を唆すように微笑んだ。


 その他、主に建築と不動産、それに国内での陸上輸送に関わる事業が中村から六条へ譲渡、あるいは業務委託という形で譲り渡されることになった。その代わりに、中村側は、六条が現在経営している会社の幾つかを譲ってもらいたいと要求した。『譲ってもらいたい』といっても、中村が指定してきた会社は、どれも形ばかりが大きく見えるだけの、いわゆるダミー会社である。源一郎に否も応もあるわけがない。そうやって、やり取りした結果。六条グループは、この話し合いに先立って、紫乃が六条グループの『本業』として苦し紛れに答えた4つの事業を、本当に本業してやっていくことになりそうだった。



「しかしなあ。こんなに良くしてもらっていいのだろうか?」


 話し合いが一段落した後、珍しく気弱な顔をしている源一郎に、「どうぞ、気兼ねなくもらってください」と弘晃が笑った。

「こちらにとっても利益になることです。それに、先にお約束していた資金援助もしていただくわけですから、五分五分だと思います。そうですよね?」

 弘晃が背後を振りかえると、他の者たちが彼に同意するようにうなずいた。


「いかにも。取引は、持ちつ持たれつ。そちらだけが良い目を見ることなどないから、安心なさるがいい」

 弘幸を挟んで弘晃と対称となる場所に座る髪の無い老人が笑顔でうなづきながら、紫乃に目を向けた。

「それに、こちらは紫乃さんをいただくわけですからな。紫乃さんの親御さんが困っているとなれば、これぐらいのことは、喜んでさせていただきますよ。それほどの価値があなたのお嬢さんにはあると、私どもは考えております」

「は、はあ、そうですか?」

 源一郎が、ほんの僅かな間だけ、親バカ丸出しの笑顔を見せた。



「さて、六条さんにご異存がなければ、このままお話を詰めさせていただきたいと思います。ですが、その前に、絶対に飲んでいただきたい条件があるのです。聞いていただけますか?」

「はい。何でしょうか?」

 源一郎が、真面目腐った顔で、弘晃に応じた。他の者も、この条件については弘晃から聞かされていなかったようで、不思議そうな顔で彼を見た。


 弘晃が、ちらりと紫乃に目をやった。それから、まっすぐに源一郎に視線を戻した。

「妻としていただく以上、結婚式を挙げた時点で、紫乃さんは私のものです。たとえ私が早死にしたとしても、二度とそちらにお返しするつもりはありません。私の死後、彼女の人生は彼女のものであることを、私は望んでいます。ですから、六条さんの野心の実現のために、彼女を再び他の男に嫁がせるようなことはしないでいただきたいのです。彼女が再婚を望むのであれば、その時は、この家から彼女を嫁がせるつもりです。このことは、既に両親には話しておりますが、この場に居合わせた者全員に証人となってもらうつもりです」

 源一郎は、弘晃が出した条件を受け入れるかどうかを悩む素振りも見せず、「願ってもないことです」と微笑んだ。それから、「ありがとう。紫乃を頼みます」と机に頭がくっつきそうなほど体を曲げて、弘晃に頭を下げた。


 結婚式は、紫乃の大学卒業を待って行われることに決まった。



 話し合いが終わると、食堂には飲み物や軽食が運び込まれ、ちょっとした婚約のお祝いになった。


 そこでの、主な話題は紫乃たちの結婚式に関することだった。ふたりの結婚式は、両家の結びつきを周囲に見せつけるための大事なイベントでもある。どうやら、紫乃は、かなり大掛かりで派手派手しい式を覚悟しなければならないようである。




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 夕方になり、上機嫌で中村家を辞する源一郎を紫乃は見送った。


「明日、家に戻ります」

 紫乃は源一郎に微笑みかける。


「それからね。私は、何があっても再婚はしないと思う。たとえ明日弘晃さんが死んでしまっても、私は、あの人のところ以外にお嫁には行かない。それが弘晃さんの望みではなくても、この家で、中村家と六条家の絆を深めるための存在として、弘晃さんが守っていきたいと思っているもののために生きるつもりだから」

 それでもいいかと紫乃がたずねると、源一郎は、「紫乃なら、そう言うと思ったよ」と笑った。


「でも、心配しなくても大丈夫だよ。弘晃くんは長生きするから」

「また、そんないい加減な慰めを……」

 紫乃は、ため息をついた。


「本当さ。お父さんは、いつだって正しいのだ。今回のことだって、ちゃんと私の言った通りになっただろう?」

 源一郎が、いつのも自信たっぷりの笑顔を見せながら胸を張った。


「え?」

「『紫乃は、きっと弘晃くんを気に入る』、『弘晃くんなら、紫乃の一途で健気なところをわかってくれる』。最初に、君にそう言っただろう?」

「ああ、そういえば」

 源一郎は、見合いの前に、そんなことを紫乃に言っていた。


「だから、今回も絶対に私の言った通りになる。弘晃くんは大丈夫。面倒見の良い紫乃が、弘晃くんを死なせたりするものか。だから、彼はずっと長生きして、いつまでも紫乃のことを守ってくれるよ」

「そうね。お父さまの言うことは、いつだって間違いはないわね」

 紫乃は、笑いながら父の言葉にうなずいた。


 だから、きっと大丈夫。

 私は弘晃さんと幸せになれる。


 ずっと。一生。


 そして、いつまでも。




 心の中で紫乃は何度も繰り返した。





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