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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
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71.リフレイン

 和臣が持って帰った念書の効果は、その日のうちに現れた。


 その日の夜。紫乃の父であり六条グループ総帥でもある六条源一郎は、数人の部下を引き連れて、大手町にある中村物産の本社に突然やってきた。そして、中村の重役たちに命じて、集められる限り大勢の社員を本社1階のロビーに社員を集合させると、彼らに向かって、おもむろに土下座した。



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「父が謝った??」

「ええ。 驚きましたよ。いきなり、『すまなかった! 今度のことは、すべて私の不徳のいたすところだ。本当に申し訳なかった!』 ですから」

 その時のことは、その夜遅くに病室に現れた正弘によって、紫乃と弘晃に知らされた。源一郎は、中村物産を、速やかに六条からの介入を受ける3ヶ月前とできる限り同じか、それ以上の状態に戻すことを、その場で確約していったそうだ。また、今回のいざこざの中で生じた損害賠償等については、すべて六条が負担することも約束してくれたという。他にも、中村側から提示してくれさえすれば、どんな無茶な要求でも必ず呑んでみせる。だから、どうか自分たちのしたことを許してほしいと、源一郎は、床に頭をこすりつけながら謝ったそうだ。


「『だから、どうか許してほしい。いいや、私のことなんか許してくれなくても構わない。でも、娘の紫乃と弘晃くんとの結婚については、どうか祝福してやってほしい』」

「そんなことまで言ったんですか? あの人」

 紫乃は、げんなりした。まるで浪花節だが、父親の言動が派手派手しいのは、いつものことだ。彼が、どこまで本気で言っていたのかは、怪しいものがある。 

「紫乃さんと六条さんって、そういう突拍子がないところが似てますねえ」

 紫乃の横で、弘晃が聞き捨てならないことを言いながら笑った。


「でも、正弘。六条さんが言ったことを鵜呑みにして、無理な要求をすることはしないようにね」

 弘晃が、正弘にやんわりをクギを刺す。『そうですよ。あの人の言っていることは、本気にしないほうがいいです』と言わんばかりに、紫乃も何度も首を縦に振った。

「もちろん、わかってますよ」

 正弘が心得たようにうなずいた。

「今日の六条さんのあれは、一種のパフォーマンスでしょうからね。でも、六条に対して反感を持ち続けている社員たちから毒気を抜くことには成功したようです。わざわざ来て、派手に謝ってみせてくれただけでも、充分ありがたいですよ。っていうか、ああいう人の下で働くのって、大変でしょうねえ」 

 正弘は、葛笠を初めとした六条の社員に心から同情しているようだった。


 それはさておき、明日からは、彼らと無駄にいがみ合うことなしに、お互いに助け合って気持ちよく仕事ができそうだと、正弘は嬉しそうだった。



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 ところで、正弘は、源一郎から紫乃への伝言も預かってきた。


「『お父さんが悪かった。お願いだから、家出なんかやめて、帰ってきてほしい』そうです。ああ、そうだ。六条さんからのプレゼントも預かってきたんですよ」

 正弘が、花束を紫乃に差し出した。花束の中には、白い花弁のふちがほんのりとピンク色に染まっている2本のバラが混じっていた。長時間水から上げられていたせいなのか、いささか元気がないように見える。


「あれ? そのバラは……」

 花束を見た弘晃が不思議そうな顔をした。

「ええと……、六条さんによれば、『紫乃を失ったお父さんの心は、この萎れかけたバラの花のようなもの』だそうです。それから、『さもなくば、砂漠で一滴の水をさがす旅人のよう。君というオアシスを失った私の心は、乾きひび割れてしまった。この先、君をなくして、どうして私が生きていかれようか? このバラを哀れと思ったら、どうか、この愚かな父にも、わずかな情けをかけてやってほしい』。それから……、ええと、なんだったけ? ああ、そうだ。 紫乃さんという潤いがなくなると、お父さんはこのバラのように枯れて干からびて死んでしまう……とか、なんとかかんとか……で、バラなら枯れても風情があるが、お父さんが枯れたら、ただの惨めに干からびた老人でしかないとかなんとか……」

 正弘は、婚約者である華江にも気が利いた愛の言葉の一つも囁いたことがないのだろう。顔を真っ赤にし、ところどころで突っかかりながらも、できる限り正確に源一郎から紫乃への伝言を伝えようと努力してくれていた。だが、正直なところ、紫乃は、白々しい美辞麗句を連ねた父からの伝言などどうでもよかった。


「そのバラの花」

 紫乃は、正弘が差し出した花束を指差した。

「父ではなく、葛笠さんが持っていたはずなんですけど?」

「え? 紫乃さん、どうして、それを……」

 正弘は顔を引きつらせると、助けを求めるように弘晃を見た。弘晃は、可哀想な弟に同情するかのように小さく息を吐くと、顔を横に向け、紫乃が持ってきた見舞い用の大きな花束を飾った花瓶とは別に、一輪だけ飾ってあるバラの花に目を向けた。

「あれ? 同じ……バラ?」

「その花は、弘晃さんへのお見舞いにと、妹たちが葛笠さんに預けたんです。私も、彼女たちから一輪貰いましたので、ここに持ってきましたの」

 驚いたように目を見開いてバラの花を見つめている正弘に、紫乃が冷えた声で告げた。


 花束など扱いなれていない葛笠のことだ。妹の紅子たちから預けられたものの、気恥ずかしくて、会議の間中、目につかないところに花束を隠して置いておいたに違いない。その花束を、父が目ざとく見つけて、横取りしたのだろう。誰から誰に対して託された花だと葛笠に説明する暇も与ぬほど強引に、そして、父に対して腹を立てている紫乃の心証を少しでも良くしたいばかりに……

(本当に、どこまでも自分勝手なんだから……)

「わたくし、絶対に帰りません。 帰ってなどやるものですか!」

 紫乃は、鼻息荒く宣言した。




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 そんなこともあって、それから一ヶ月以上にわたって、紫乃は中村家で家出を続けることになった。ただ、六条家を出るにあたって、彼女は、弘晃の両親から、ふたつの約束をさせられた。ひとつは、今すぐは無理でも、いつかは必ず家に帰って源一郎と和解すること。それから、弘晃が病みついていようがいまいが、なるべく普段通りでいるように心がけることである。


「普通のお家なら、家に病人がいるのは常とは違うことなんでしょうけど、うちの場合は違うの」

 病人が常に家の中にいる。紫乃が弘晃の妻になれば、彼女の日常も、当然そうなることになる。

「だからね。弘晃が具合を悪くしても、あまり特別なことだと考えないようにしてほしいの。弘晃が具合を悪くするたびに思いつめているようでは、すぐに紫乃さんのほうが参ってしまうわ」

「紫乃さんは、まだ学生さんなんだから、さしあたっては学業を優先してください。そこまで手が回らないというようなことであれば、余程のことがない限り、弘晃のほうを後回しにすること。いいね?」

 それが守れないようなら、自分たちとしては、紫乃を家に帰さざるをえないし、弘晃との結婚についても賛成しかねると弘晃の父親から言われてしまえば、彼女も彼らの言うことを聞かないわけにはいかない。紫乃は、週明けの月曜日から、再び大学に通い始めた。


 今まで通り大学に通い、その日の講義が終わったら弘晃の病室に行く。ただそれだけのことが毎日の習慣に追加されただけであるにも関わらず、それからの紫乃の日常は、それまでと比べて、かなり忙しいことになった。だが、紫乃が、疲れた顔を少しでもみせれば、「弘晃のことは放っておいて良いから、もう少し手を抜くように」と、すかざず静江のチェックが入る。

 朗らかで優しい未来の姑に叱られたところで、紫乃は痛くもかゆくもないのだが、そういうときには、必ずといっていいほど、弘晃も紫乃の無理に気が付いているし、気に病んでいるのだということが、紫乃にもだんだんわかってきた。入院してからの弘晃の具合はといえば、『良くなったり悪くなったりしながら、だんだん良くなる』と、まさに彼の母親が経験から予測したとおりの経過をたどっており、入院した当日のように生死の境をさまようような深刻な状態に陥ることはなかったものの、本当に良くなっているのかと疑いたくなるほど回復の経過はゆっくりだった。


 肺の影は消えたから……と肺炎が完治したことを理由に熱が下がりきらないまま退院して自宅療養に切り替えたのは、入院してから3週間後。それから更に一週間。退院後の弘晃は、入院していたとき以上に頻繁に、少なくとも1日に1回以上は、紫乃に彼との結婚を考え直させようとする。元気になりつつあって気持ちの余裕が出てきたから、そうなるのか、それとも、紫乃が大学と看病との両立がうまく行かずにジタバタしているのが弘晃の目に余るのか判断に迷うところである。


「あのね、紫乃さん」

「いやです。わたくし、あなたとの結婚は絶対に考え直しませんから」

「……。まだ、何も言っていないんですけど?」

「でも、また、そういうお話なのでしょう? ずっと、傍にいてもいいっておっしゃたくせにずるいです」

「ですから、それは、文字通り熱に浮かされていたからというかですね……」

 ふたりの間で、毎日のように、そんなやりとりが繰り返される。


「結婚は考え直しません。弘晃さん以外の人と結婚するぐらいなら尼にでもなります。ご迷惑でなければ、ずっと傍にいさせてください」

「迷惑な訳がないでしょう。それにしても、『尼になる』って……紫乃さん……」

 弘晃が困り果てた顔をする。だが、何度弘晃を言い争おうが、紫乃は自分の決心を変えるつもりなどなかった。弘晃が観念して紫乃を受け入れる気になるまで、彼女は、何度でも、同じ思いを込めて、同じ言葉を繰り返すつもりだった。


 あなたを愛している。だから 「傍にいさせてね」 と……





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