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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
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56.弘晃少年の陰謀

「僕は、ずっと、オババさまが祖父を騙しているのだと思っていました。でも、違った。祖父は、オババさまに騙されてしまったのではなく、騙されたくて騙されていただけです。騙されてさえいれば、自分の落ち度を反省することなしに、都合の悪いことは、全て『呪い』のせいにしてしまえるから。お気に入りの者たちだけを重用してきたつけも、経営者としての判断の誤りも、なにもかも『呪い』に転嫁してしまえる。 祖父にとっての『呪い』は、忌むべきものであると同時に、『救い』でもあったのです」

弘晃が言った。

「それだけじゃない。会社がとうとうどうにもならなくなったとき、祖父は、自ら考えることさえ放棄して、神頼みに走りました。あの時点で、僕も爺やも、社員も親戚も、祖父を完全に見限ったのだと思います。それと、僕は、このまま会社が潰れてしまうことが、とにかく嫌だった」


 幸三郎の横暴をこのまま許しておいたら、中村物産は、数年のうちに倒産する。その時、彼は、倒産した原因を、やはり『呪い』のせいにするに違いない、と弘晃は思った。


「『なにもかも『呪い』が悪かった。 どんなに頑張っても『呪い』には勝てなかった。 仕方がなかった』僕は、そんな結末を迎えることだけは、どうしても嫌だった。だって、まだ誰一人として、なにもしていないじゃないですか?」


 幸三郎は、闇雲に『呪い』を恐れ、ただ威張り散らしていただけ。 

 弘晃ら家族や社員たちも、祖父を恐れて、ただ下を向いていただけ。 


 どちらも、実際に何一つ変えようとはしなかった。

 これでは、弘晃たちも、祖父と同罪である。


「僕は、このまま手をこまねいて、祖父が会社を潰すのを見ているのは嫌でした。『呪い』なら『呪い』のせいでも構わない。どうせ潰れるしかないのなら、僕や社員たちの手で会社を潰してやろうと思った。いまさら頑張っても無駄な努力に終わるかもしれない。でも、自分たちで倒産させないためにできる限りの手を打って、それでも潰れたのなら諦めもつく。『呪い』という言葉さえ、僕や社員たちがした死に物狂いの努力に対するはなむけの言葉になるでしょう」


「それに……」と、弘晃は、言葉を切った。

「もしも、僕らの努力が実って会社が立ち直ったとしたら? そして、立ち直ったとたんに、それまで祖父が虫けらのように思っていた社員たちが大っぴらに反旗を翻し、祖父を経営者の座から追い出したとしたら、どうでしょう? そればかりか、次の社長が、祖父の傀儡でも祖父の血を引くものではなく、会社の一般の社員の中から能力と人徳で選ばれた者だったら? 祖父のお気に入りの者が全員クビか降格になり、中村物産にいる一族の者も全て一般の社員と同じ扱いになったら?」

「え?」

「会社の内部事情をいろいろ調べてもらっていたら、あれこれと…… その……法的に些か問題のあることを見つけてしまいまして……。もうちょっと、ちゃんと証拠を揃えたら ――もっとも、会社そのものへのダメージが大きいので、公表するわけにはいかないのですけど―― でも、それを盾にとって祖父に引責辞任してもらうという筋書きもありかな……と思ったんですよ」

 目を瞬かせる紫乃に、弘晃が歯切れの悪い言葉で説明する。


「長年祖父を追い詰めてきた『呪い』が、とうとう彼自身と中村本家だけを破滅させた。それだけ酷い目に合わされたら、祖父は、そう思うでしょう? ついでに、分家にも協力してもらって、そのタイミングで祖父に隠居してもらう。祖父から、祖父を祖父たらしめている矜持や誇りを何もかも剥ぎ取って、『社長』でも『当主』でもない、ただの中村幸三郎という人物になってもらう。それが、僕が考えた復讐。僕が、祖父が受けるに相応しいと考えた『呪い』です」


 弘晃が、冷めた笑みを浮かべた。



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 紫乃は、まるで初めて見る人物であるかのように、まじまじと弘晃を見つめた。


「……。弘晃さんって」

「ええ。本当は、とても性格が捻じ曲がった奴だったんです。がっかりしましたか?」

 少し不安そうな弘晃に、紫乃は、微妙に頬を引きつらせながらも微笑みを浮かべつつ、「いいえ」と強く首を振った。

「今の弘晃さんの立場を考えれば、それぐらい強かなほうが妻となる私としては、かえって安心ですわ」

 強がりを言った紫乃は、ふと顔を曇らせた。

「でも、経営者を中村本家の方以外に……って、弘晃さんたちはそれで良かったのですか?」

「社長業が世襲である必要はありませんよ。人事に関することは始めから骨抜きもいいところでしたけど、財閥解体時のGHQのお達しでは、財閥創業者一族は事業の経営に関わることはまかりならんとなってましたしね」

 こともなげに弘晃が答える。「同族経営にはメリットもデメリットもありますけど、うちは、祖父がトップであることがデメリットでしかありませんでしたから、世襲を続ける意味がない。……と、今の言葉は、大叔父の受け売りですが」

 弘晃が微笑んだ。


 『もしも、会社を立て直すことができたら、そのときには、経営者の世襲制を廃止したい。一族の者も、他の社員と同じように、それぞれの能力に応じて会社の一構成員として働くこととしたい』と、弘晃は、社員たちを自分の陰謀に巻き込む前に、とりあえず家族と大叔父、それから中村物産に席のある親戚の2人には話をした。 

 誰も、弘晃の提案には反対しなかった。反対のしようがないとも言えた。商売が嫌いで勘当されたことのある弘幸と半病人の弘晃、そして中学生の正弘と。本家には、すでに単独で幸三郎の後を継ぐことができる人材がいなかったからだ。唯一適任と言えるのは、幸三郎の弟である大叔父だけだったが、彼は『天地がひっくり返っても、兄貴の後釜になどごめんだ』と過去に幸三郎に対して啖呵を切っており、一生、その言葉を曲げるつもりはないということだった。ちなみに正弘は、『大人になって、社長になりたかったら、自分の力でなるからいい』と言った。


「でも、結局、今は、事実上おとうさまと弘晃さんの2人で会社を継いでいるのですよね?」

 紫乃の問いに、「そうなんですよ。しょせんは、ガキの浅知恵だったというか……。僕が思った通りには、なかなか事が運んでくれませんで……」と、弘晃が大げさにため息をついた。



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 ……とはいえ、会社の再生と祖父への復讐という、弘晃の裏も表もある計画は、最初のうちは、非常に順調に進んだ。


「このまま祖父に任せておいてはいけない。皆で力を合わせれば、会社は、きっと立て直せるに違いないんです」という(一見)健気で儚げな少年(弘晃)の病床からの言葉に、社員たちは奮い立った。


 計画を実行に移す前に、弘晃は、大叔父と一部の親族、それから幸三郎に解雇された元社員にも参加してもらって、今後は、どのような会社にしていきたいかということを、計画に巻き込んだ社員たちと徹底的に話し合った。その後。 話し合いで決めた理念と方針に沿って、それぞれが、それぞれの立場から、独自に暗躍し始めた。その成果は、だんだんと、だが確実に上がりはじめた。 


 仕事のことは実務経験皆無の弘晃よりも、現場を知っている社員たちに任せるに限る。弘晃は、社員たちに指図するようなことはなるべく控え、自分は、社員たちの報告を受けることと彼らの意見を調整することに専念した。それだけでも、未成年の弘晃にとっては重すぎるほどの役目だが、彼には頼もしい助っ人がいた。


「うちのご先祖さまです」

 弘晃が、枕に頭をつけたまま、母親によって持ち込まれた彼の荷物が収められている棚のほうに目をやった。目に付くところに並べられた数冊の本の中に、古めかしい和綴じの本が混じっている。

「見てもいいですか?」

 弘晃がうなずくのを確認すると、紫乃は、立ち上がって、その本を手に取った。表紙の文字を読み取り、最初の数ページをめくったあと、紫乃は難しい顔つきのまま顔をあげた。

「この本、商売の……心得みたいなものですか? ところで、正徳って、西暦で何年?」

「1711年から15年。元禄の少し後で享保の前です。それは、書き手が自分の息子のために書き残した商売と当主としての心得ですが、他の時代の人も、同じような心得書きとか日記とかが、盗まれずに蔵の中に沢山残っていたんですよ」


 判断に迷ったときには、それを片っ端から読み返すのだと弘晃が言った。


「こんなに昔の人が書いたことなんて、参考になるんですか?」

「ええ。昔も今も、人というのは、それほど変っていないようですね。商売人が抱え込む問題というのも、規模が違うけど似たようなもののようです。なにより、たかだかティーンエイジャーが独りで考えて出した結論よりはマシだろうという僕の心の拠り所にはなりますから」

「ふううん。すごいですねえ」

うっすらと黄ばんだ和紙のページをパラパラとめくりながら紫乃が言った。こんな古い書き物が現代に役立つこともすごいが、判読するだけで頭が痛くなりそうな筆文字の文章を読み切って理解した弘晃もすごい、と、紫乃は思った。


 弘晃が、先祖の残した古文書と、日々弘晃のところに回ってくるようになった会社からの大量の報告書に埋もれながらも奮闘している一方で、中村物産の社員は、彼が予想していた以上の速度で、会社を改善して言った。そのうえ、一番の邪魔者の幸三郎が祈りに夢中になるあまり、めったに祈祷所から出てこなくなったために、いちいち彼の判断を仰がなくてもよくなったという幸運にも恵まれて、中村物産は、このまま順調に行けば倒産の心配などする必要などなくなるかもしれない……という明るい希望も見えてきた。


「でも、うまく行き過ぎて、ちょっと図に乗ってしまったのでしょうね」


 幸三郎の取り巻き連中は、お互いにけん制しあいながら祖父に取り入ることに必死で、こちらのしていることに全く気がついていないとばかり思っていたが、彼らの中にも、ちゃんと回りを見ている者はいた。弘晃たちは、彼らを侮りすぎていた。また、弘晃が仲間に引き入れた者たちにも、それぞれの思惑や事情があり、必ずしも一枚岩でなかったこともある。


 弘晃が二十歳の春。彼が仕組んだ中村物産クーデター計画は、幸三郎の知るところとなった。


 幸三郎は、もちろん激怒した。


 部長クラスの5人の人間が、計画の首謀者として、久しぶりに出社した幸三郎の前に突き出された。弘晃の名前は、この時点では挙がっていなかった。彼が関与していることなど、幸三郎は、露ほども疑っていなかったようだ。5人は、祖父の前に連れ出された時点で、クビになることを覚悟したようだった。幸三郎が脅そうが懐柔しようが、彼らは他に計画に関与している者の名を明かそうとはしなかった。


 その時の弘晃には、5人がいなくなっても、計画に支障をきたすことなどないぐらい、大勢の協力者がいた。だから、本当は、5人がクビになるのを黙って見ていたほうが良かったのかもしれない。


「でも、できなかった?」

 なんとなく安心しながら、紫乃がたずねた。

「甘いと言われても、計画の最初のうちから、ずっと一緒にやってきた人たちでしたから……」

 弘晃が、照れたように笑いながら、うなずいた。 


 弘晃は、今は中村家の運転手だが当時は免許を取ったばかりだった坂口の車に乗り込むと、初めて自分の意志で家を出て、中村物産本社に向かった。



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「いよいよ、おじいさまとの直接対決ですわね」

 基本的に好戦的な紫乃が、声を弾ませる。 


「おじいさまは、弘晃さんがやってきて、さぞや、驚かれたことでしょうね?」

「祖父はね。でも、オババさまは違ったようです」


 その時、老婆も、幸三郎と共に社長室にいた。弘晃が現れる直前、彼女は、5人が首謀者ではないと幸三郎に訴えていたそうだ。

 『こやつらの心は上を向いておる。こやつらが仰ぎ見る何者かがおるはずじゃ。そやつこそが今回の謀反の首謀者じゃ!』

 では、その首謀者とは誰なのかという議論をしていたところに、弘晃が父と共に社長室に飛び込んできた。弘晃は、老婆の『なるほど、首謀者は、そなただったか?』という声と、幸三郎の『なぜ、お前が此処にいる!!』という怒鳴り声に迎えられた。怒鳴りながらも、祖父は、弘晃と直接目を合わせることを避けるように、彼に対して斜に構えて立っていた。


「それは、オババさまの言うとおり、僕が、この件の首謀者だからです」

 弘晃は、祖父に目を据えると、真っ直ぐに彼に近づいた。

「お祖父さま。いい加減に、目を覚ましてください。会社がおかしくなったのは、オババさまのせいでも、呪いのせいでもありません。お祖父さまが社員の意見を入れることなく好き勝手なことをし続けたせいです」

「うるさい! うるさい! うるさいっ!!」

 幸三郎は、喚きながら首を大きく振った。「弘晃! わしに意見するか!!」


 社長室全体に響き渡る幸三郎の怒声は恐ろしかったが、弘晃は、負けじと顔を上げ続けた。

「ええ。意見させていただきます。大叔父さまや社員。これまでも、何人もの人間が、今の僕のようにお祖父さまに意見にしにきたのでしょう? あなたは、その意見のどれひとつ、まともに聞こうとしなかった。自分に逆らう者として退けてきた。だから、僕たちは、あなたを説得することは諦めて、勝手にやらしていただくことにしたんです。そうでないと、ここにいる社員と家族、何万人という人間が路頭に迷うことになるからです。おじいさまのように、だた祈っているだけでは、この会社は、じきに潰れてしまうんです。どうして、おわかりにならないんですか!」

 弘晃の言葉に、幸三郎は顔色を変えた。

「貴様! なんて罰当たりなことを言うんだ! 『てんのいちなるものさま』を愚弄するなど……」

「愚弄しているのは、お祖父さまのほうです。祈りは、結果を得るための努力をしてこそ聞き遂げられるものではないのですか? なんの努力もせずに良い目をみようとする者の願いなど、誰が叶えてくれるというのですか?」

「わし……、わしだって、努力しておる!」

 幸三郎が、一瞬、怯んだように見えた。

「あなたの場合、あなたが努力しているんじゃなくて、他人にできない努力をさせてきただけです。オババさまの言葉を鵜呑みにして、ありもしない『呪い』に踊らされていただけです。今だって、そうだ。お祖父さま、ちゃんと僕を見て話してください!!」


 弘晃は、依然として弘晃と視線を合わすことを避けている幸三郎を自分のほうに向かせようと、彼に手を伸ばした。

 弘晃の手が彼の肩に触れる直前。 幸三郎が、獣が吼えるような悲鳴を上げながら、体を後ろに引いた。ほぼ同時に弘晃の手に向けられたまま大きく見開いていた幸三郎の目が、きつく閉じられる。彼は、胸を抱え込むように首を曲げ肩をすぼめて、手で胸を掴みながら膝をつくと、その場にうずくまるように前のめりに倒れた。


 それら一連の幸三郎の動作が行われたのは、ほんの数秒の間だったが、弘晃の目には、ひどくゆっくりに見えた。


「お……じい、さま?」

 弘晃は、目の前で倒れている人物にぼんやりと話しかけた。


 幸三郎の側近のひとりが、『救急車!』と叫び、もうひとりが、幸三郎を仰向けにして、苦しそうに顔をゆがめている彼の衣服を緩め始めた。


 誰か……おそらく、弘幸が、呆然としている弘晃の肩を抱くようにして、椅子に座らせた。

「すぐに救急車が来る。お祖父さまは大丈夫だから。こうなったのは、決してお前のせいではないよ」


 耳元でそう囁かれる後ろで、「弘晃が幸三郎に触れたせいじゃ! 『呪い』が、とうとう幸三郎を捕まえおった!」 と老婆が甲高い声で叫んでいた。 


 



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