54.たかがそんな理由で
「………………………………………………………………………………………………… は?」
弘晃と紫乃が、穴が開くほど弘幸を見つめている間、弘幸は、妙におどおどした様子で、「いや、だからといって、オババさまを信じるのは、もちろん間違っているんだよ」と、慌てて付け足した。
「だから、僕が彼女の力が本物だなんて言えば、よけいな混乱を招くだけ。そう思ったから、今まで黙っていたんだがね。しかし……」
弘幸が痛ましげに息子を見た。「弘晃が、そんなふうに、ずっと思い悩んでいたのなら、話してあげればよかったね」
「本物って……、じゃあ、呪いも?」
「いや! 絶対に呪いじゃないって! オババさまの言っていることは、全くのデタラメだよ! ……と思う。いや、でも、この場合、嘘とも言い切れないのかな。でも、オババさまがどんなに祈ってもなんの効果もないのは、やはり、あれが呪いではないからだろうし……」
紫乃の問いに対して、弘幸は、なんとも煮え切らないことを独り言のように言いながら盛んに首を傾げていたが、続きを促す弘晃の刺すような視線に気がついて、軽く咳払いをしながら態度を改めた。
「あのね」
軽く唇を湿らせたあと、弘幸が、思い切ったように2人に顔を向けた。
「私が最初にオババさまに会った時。彼女は、私を見るなり、こう言ったんだ。私には、『別の強力な守り』がついているから、この家の呪いの影響を受けることはない、とね」
「身に覚えが?」
弘晃の問いかけに弘幸がうなずいた。
「正確に言えば、僕の『守り』じゃないんだよ。守っているのはむしろ私が持っているもの……いや、持っているというより、単に『あれ』に懐かれちゃっただけなんだけど、でも、懐かれちゃって離れてくれないから守るものもオマケとしてついてきた……というか」
弘幸の説明が、まったく要領を得ないまま、ずるずると続く。意味不明なことばかり言っている弘幸に、紫乃たちが困惑しきった視線を向けていると、彼の口調は、ますますしどろもどろになり、最後には説明することを諦めた。
「すまない。事情がありすぎて、詳しいことまでは君たちにも話せない。わかりやすく話そうと思えば話せるんだけど、迂闊に話せば、君たちも含めて大勢の人が厄介ごとに巻き込まれる危険もあるのでね」
だから、君たちも僕が話したことは、この場で忘れるようにと、弘幸が大真面目な顔で口の前で指を立てた。
「オババさまが見破った僕の『守り』というのは、戦争中に、私が拝命していた任務がらみで知り合いになった『力のあるモノ』とだけ言っておくよ。それは目に見えるものでもあるんだけど、本質は目に見えないところにある。ああ、やっぱり、これ以上は説明不可能だ」
弘晃が頭を抱えた。
「つまり、オババさまは、その『守り』とやらの目に見えない本質の部分を見極め、いとも簡単に、お父さんの前に提示してみせたというわけですか? だから、オババさまの力が本物だと言いたいわけですね? では、その『守り』のことについて、他の誰かがオババさまに話した可能性は?」
「ない」
弘幸が断言する。「私が、『あれ』に関係していることを知っている人間は、あと2人いる。だが、彼らは、私以上に、『あれ』が人と関わる危険性と無意味さを知っている。それに、オババさまが彼らと面識を得ることは……まあ、どうやっても無理だね。ましてや、泥棒の一味と関わるような人たちでもないよ」
「泥棒???」
紫乃は目をぱちくりさせた。「泥棒って? オババさま……ですか?」
「そのことは、まだ聞かされてないのかな?」
弘幸が、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「オババさまと一緒にうちに入り込んだ3人の男たちがいただろう?」
「ああ、弘晃さんの世話をしていたという」
「そう。彼らの本当の目的は、うちの蔵の中身だったんだ」
男たちの目的は、蔵の中にしまわれていた美術品を盗み出すことだった。彼らは、美術品の中でも、特に錦絵に関心があったらしい。
「錦絵?」
「多色刷りの浮世絵……って言ったらわかるかな? 広重とか北斎とか春信とか……」
弘幸が、有名な絵師の名前を挙げた。
浮世絵は、明治時代に海外に大量流出し、また、そのおかげで海外で芸術品として再評価された。外国には、何万点という単位で所蔵しているコレクターや美術館もある。
「欲しがる人は増える一方だけど、空襲などで家と一緒に焼けてしまったのだろうね、戦後になると、日本で状態のよいものを大量に入手できる機会が少なくなった。だが、幸運なことに、うちは空襲にあわなかった。蔵も昔のまま。普段使わないガラクタばっかり詰め込んであるから、虫干しもせずに放ったらかしという状態だった。蔵の中身に興味があるのは私ぐらいなものだった」
「その中に錦絵も?」
「あったよ。子供の頃に蔵に入ってよく見ていたんだ。代々のご先祖さまが、その時々になんとなく買い集めていったものだろうね。幾つかの茶箱の中一杯に、無造作に放り込んであって……」
弘幸が箱の凡その大きさを手で示す。茶を商品として扱う店で使うような、四方が一メートル近くあるかなり大きな箱である。茶箱の中身の錦絵の数は3~5千点。折れも紙魚もないものがほとんどで、かなり状態の良いものばかりだったそうだ。
「いつかちゃんと整理しようと思っていたんだけど、長い間、父から勘当同然の扱いを受けていたために、ずっと家に近づけなかったり、戻った時には戦争が終わってばかりで美術品どころではなかったり、と、なかなか時間が作れなくてね」
言い訳のように弘幸が言う。
「3人の男たちは、うちに錦絵があると知っていたか、それとも、錦絵があるだろうと推測して、蔵を物色する機会を外から伺っていたんだろうね。そこに、奇怪な婆さんが現れた。彼らはオババさまに協力すると言いながら、彼女を利用することにした。そして、弘晃を離れに閉じ込めることで、離れの裏手にあった蔵にも近づけないようにしたんだ」
弘幸が弘晃を攫って中村家を出ると、男たちもいつの間にか姿を消したそうだ。弘幸たちが連れ戻され、弘晃が閉じ込められていた離れ家が取り壊されたあと、弘幸は、何年かぶりに錦絵を見ようと思って蔵に入った。
「そうしたら、やられていた」
蔵の中の荷物は、どれも一度は中を開けて確認した痕跡があった。彼らは、食器などとしまう時ときに緩衝材や包み紙代わりに使われていたシワだらけの錦絵まで、丹念に探して盗んでいったらしい。 2年以上も老婆の信徒と称して離れに留まることができたのだ。それだけの手間をかける時間は充分にあった。盗まれたものは他にもあった。蔵の中身は、男たちが来る前に比べて、3分の1ほど減っていた。
「そんなもののために、弘晃さんを閉じ込めたっていうんですか?!」
「そんなもんとはいえ、売ったら、大層な額になると思うからねえ。茶箱の中の錦絵を売っただけでも、紫乃さんの家が2つぐらい建つんじゃないかな」
弘幸が、どこか能天気な口調で答える。
紫乃の怒りはもっともなものではあるが、彼らが弘晃の家に入り込んだのは、終戦後の混乱しきっていた時代である。男2人で持ち上げられるほどの桐の茶箱の中に六条家が2軒入っていると思えば、ためらうことなく人の心を捨てる者もいたに違いない。
「盗まれたことをは? おじいさまに話したんですか?」
「言ったけど、取り合ってはもらえなかった。父は、蔵の中身など興味なかったからね。あそこに何が入っていたかも全然知らなかった。オババさまを貶めるためのでっち上げだとか、さもなくば、錦絵を盗んだのは私で、彼らに罪をなすりつけるつもりなんだろうとか言われて、それっきり」
弘幸が肩をすくめた。
「それはさておき。オババさまには、普通の人には見えないものが見えるしわかるのだと、僕は思う。父もまた、僕と同じように、自分しか知らない秘密を、オババさまがスラスラと話すのを目の当たりにしたのだろう。だから、彼女を本物だと信じた。だから……」
弘幸は、言葉を切ると、酷く真面目な表情で弘晃を見た。
「だから、僕は、オババさまが見えるという『呪い』もあるのだろうと思っている。でも、彼女は、ただ見えるだけだ。自分が見ているものがなんなのか、彼女にも本当のところはわかってはいないのではないのかな。見えているけど、解釈のしかたが間違っているんだ。彼女が見ているのは、きっと『呪い』なんて言葉で片付けられるようなものじゃない」
「『呪い』でなければ、なんですか? お父さんは、なんだと思いますか?」
弘晃が、たずねた。
「我が家の上にのしかかっているというモノを何んと呼ぶか? いろんな呼び方を思いつくことはできるけど、僕は、あえて、それに名前をつけたくはないな。オババさまと同じ間違いをしでかす気がする」
弘幸が笑った。
「でも、それは、うちの当主たるべき者が、どんなに重くても背負うべきものなんじゃないかと思う。だけど、父は、当主として、その重荷を背負うことを拒み、恩恵だけを享受することを求めた。そればかりか、重荷を背負う役を他人に押し付けた。オババさまや、君にね」
「僕?」
不思議そうな顔をする弘晃に、弘幸は、「そう。君だよ」と、ゆっくりと大きくうなずいた。
「今、君は、ちゃんと背負っている。オババさまの言うとおり、それは、父にとっては『呪い』だったかもしれない。だけど、君が引き受けている限り、それを『呪い』と呼ぶのは、呼び方として相応しくない。だから、『呪い』と戦ってくれるオババさまも必要ない。そういうことさ」
弘幸がなにを言っているのか、紫乃には、よくわからなかった。だけど、息子に向ける弘幸の顔は、とても誇らしげに見えた。
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「さて、父のことに話を戻そうか」
弘幸が、紫乃に微笑みかけた。
仕事のことでも老婆をあてにするようになった幸三郎に対して、老婆は老婆なりの誠実さを見せた。
「そんなことわしに相談してどうする? それは、おぬしの仕事。わしは、商売のことなどわからんし、予言者のように先読みもせぬ」
老婆は、幸三郎を戒めた。そして、『それでも、なんとか良いお知恵を……』と食い下がる幸三郎に、共に祈ることを勧めた。
「悩みがあるのなら、わしと共に、『てんのいちなるものさま』におすがりするといい。そなたの祈りが届けば、『てんのいちなるものさま』は、必ずや、そなたにお力を貸してくれようぞ」
その日から、幸三郎は、老婆と共に、祈祷に励むようになった。
とはいえ、幸三郎が祈るのは、弘晃の部屋の前に設えられていた祈祷所ではない。いまだに弘晃に近づくことを恐れていた彼は、自分の部屋の側に、新しく祈祷所を建てた。そして、日がな一日老婆と共にそこに篭って祈るようになった。
彼の熱意が天に通じたのか、すっかり傾きかけていた中村物産は、徐々に立ち直りの兆しを見せ始めた。そして、彼が祈れば祈るほど、加速度をつけるように、会社が元気になっていった。
「う……うそ……」
紫乃は、今聞いたばかりのことを全否定するかのようにイヤイヤをした。何もせず、ただ祈るだけで会社が立ち直るなんて……そんなことは、絶対にありえない。あってはいけない。
「もちろん。嘘だよ」
弘幸が、あっさりと認めた。
「でも、父は本気で信じていた。信じるしかなかった。だって、自分は何もしないのに、実際に業績は順調に上がり、八方手詰まりみたいな状態からも抜けられたから。そうだよね、弘晃?」
弘幸が息子に含みのある笑顔を向ける。向けられたほうも、「ええ、まあ」と、曖昧に笑った。
そう。
幸三郎が自分の祈りの威力を信じてしまった全責任は、今度こそ、弘晃にあった。
爺やたちに、強引に父の補佐役にさせられてから数年。
初めのうちこそ父弘幸以上の間違いも何度もしでかしたものの、この頃の弘晃は、実力と密かに社内で築き上げた人脈をもって、中村物産を裏側から完全に掌握していた。




