5.初対面
見合い相手とその両親とは、都内にある会席料理の店で会うことになっていた。ただし、彼らに会いに行くのは、紫乃と父源一郎だけ。父がいくら誘っても、母は同行を拒否した。
「どうしてだい。君は紫乃の母親なんだよ?」
「どうしてもです。たとえ紫乃の生みの親であろうと、日陰者の身であるわたくしが、そんな晴れがましいお席にノコノコと出て行くわけにはまいりません。それでは、紫乃が、初めから中村家の皆々さまから侮りを受けることになるでしょう」
心もち顎を突き出すようにして父に意見している母は毅然としていて、紫乃の目には、日陰者どころか、どこからどう見てもプライドの高いお姫さまにしか見えなかった。一方の父は、母に痛いところを突かれて、情けない顔だ。母は、そんな父に近づくと、細い指先で父の髪を撫で付けながら微笑んだ。
「そんな顔なさらないで、あなた。わたくし、別に拗ねているわけでもなんでもありません。ただ、いけないものはいけません。紫乃のこと、どうぞよろしくお願いしますね」
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「……う、ううっ……綾女さ~ん」
車に乗り込んだ後も、諦めの悪い父は、遠ざかっていく家が見えなくなるまで、名残惜しげに後ろを向いていた。
「私だって、わかっているんだよ。世間に愛人として顔が売れるぐらいだったら死んだほうがまし……あの人は、そう思っているんだ。あんなに気位の高い人に理不尽な思いをさせて、私は本当に申し訳ないと思っている」
「……。そうですね」
鼻をすすりながら自戒する父に、紫乃は心の籠もらない相槌を打った。自業自得なのだから、父を慰める気にもならない。そんな紫乃の冷たい態度に居心地の悪さを感じたのか、父が突然顔を上げると宣言した。
「よし、決めた。私は綾女さんと結婚する!」
その言葉に、運転中であるにもかかわらず運転手が驚いたように父のほうを向く。とはいえ、紫乃は、父の爆弾発言に驚くどころか益々冷静になった。
「お父さま。そうやって、その場その場で、皆に好い顔しようとなさるから、今のように困ったことになったのではありませんの?」
「そ、そんなことは……」
紫乃がたずねると、父は途端に困った顔になった。
「じゃあ、うちのお母様と結婚なさったとしたら、他のお母様たちは、どうなさるおつもり?」
「え、ええ……とぉ……?」
「お別れできるんですか。それとも母と籍を入れた後も今のままの関係を続けていこうと他のお母様におっしゃるのかしら。他のお母さまたちに泣かれてしまったら、どうなさるおつもり?」
「そうしたら……」
「そうしたら、きっと、その場を取り繕うために、お父さまはおっしゃるに違いないわ。『わかった、君と結婚する』って」
「いや、そんなことは……」
父が目を逸らした。
「ほら、図星でしょう。やめてくださいね。その場は収められても、あとから血の雨が降ることになります。その時に泣くことになっても、わたくしは知りませんよ」
「また、そうやって、紫乃は、すぐ私をいじめる。そういうところ、お母さんそっくりだ」
父が、恨めしげな目をしながら紫乃を責めた。
「いじめてなんかいません。まったく、戦後のありとあらゆる難局を乗り切って一代でこれだけの大企業を築き上げた人物が、どうして、女性がらみのことになると、ありとあらゆる問題を抱え込むような考えなしになってしまうのかしら」
紫乃が呆れながら、父に更なる小言を浴びせ続けていると、運転手が「旦那さまも、紫乃お嬢様にあっては形無しですね」と笑う。
「そうなんだよ。紫乃は、私と2人っきりの時には、鬼のように厳しいんだ」
父は座席から腰を浮かすようにして運転手に訴えたが、この家の内情を静かに見つめ続けてきた実直で優しい運転手は、「ですが、旦那さま」と、紫乃の肩を持ってくれた。
「紫乃お嬢様は、和臣さまや他のお嬢様たちの前では、それはよく旦那さまを立ててくださっています。旦那さまの悪口も決して言わないし、言わせませんしね。鬼なんて言ったら、バチがあたりますよ」
「わかっているよ。恥知らずの私が、子供たちの前でいっぱしの父親面していられるのも紫乃がいるおかげさ。ありがたいことだよねえ」
父は運転手に機嫌よく同意すると、今度は紫乃に、「紫乃のそういう優しいところを、わかってくれる人だったらいいね」と微笑みかけた。
「はい?」
意外な父の言葉に、紫乃は目を瞬かせる。
「今日のお相手の弘晃くんだよ。弘晃くんなら、紫乃のそういう一途で健気なところをわかってくれそうな気がしたんだ。だから先方に無理を言って、見合いを申し込んだ。とはいえ、気楽にね。たとえいい人でも、紫乃の好みがあるだろうからね。イヤだと思ったら断りなさい。結婚が本決まりになるまで仲人も立てないでおくつもりでいるから、うちの会社に不利になるとか、そういうことは考えなくてもよろしい。それで中村グループと険悪な関係になったとしても別に構わないからね」
「は……あ」
父が自分の幸せの心配をしてくれているとは……。普通の父子なら当たり前でも、紫乃にとっては新鮮な発見だった。
(……ということは、この見合い、お父様の都合だけで決めたわけではなかったのかしら?)
父がそういうつもりだということは、この見合いは、初めから結果が決まっているわけではないということになる。
「でも、あちらがわたくしを気に入らないかもしれません」
紫乃は、ここにきて初めて謙虚な気持ちになった。だがしかし、世界中で『謙虚』と一番無縁な父は、「なにを言っているんだね。紫乃に恋しない男なんているわけがないじゃないか」と信じて疑わない。そのうえ、「万が一そんなことがあったとしたら……紫乃に恥をかかせるような男は生きるに値しないな。彼もその家族も会社もただではおかない。身包み剥がして、中村グループもその関連会社も、この世から消し去ってくれる!!」と、鼻息荒く言い放つ。
父は、やはり、どこまでも自分本位で自分勝手な男であった。更に謙虚になった紫乃は、この強引な見合いを押し付けられた中村家を、心の底から気の毒に思えてきた。
(中村家の人々は、きっとお通夜みたいな顔をして自分たちの前に現れるのだろうな)
見合い相手に会う前から、紫乃は気が重くなってきた。
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だが、しかし、相手の家は、紫乃が思っていたほど……否、思っていた以上に……否、ごく一般的な普通の見合いでも、ここまではありえないだろうと紫乃が驚くほど、この見合いに大乗り気であるようだった。
「まあまあまあまあまあまあ……!」
中村家の人々は、紫乃たちよりも一足先に到着していた。
お仕着せの和服姿の女性に案内されて彼らが待つ座敷に通された紫乃を見るなり、将来の姑となる予定である中村夫人は、目を細めて惚れ惚れと……そう、まるで紫乃にひとめ惚れしたかのような目つきで、うっとりと彼女を見つめた。
「なんて、お綺麗なお嬢さんなんでしょう。本当に、こんな素敵なお嬢さんが、うちの弘晃のお嫁さんになってくれたら、どんなに嬉しいかしら」
夫人は、自分の台詞に感極まったかのように、ハンカチを取り出すと目頭を押さえた。しかも、「ねえ、あなた、そうは思わなくて?」と、同意を求められた中村氏もまた、「そうだね、おまえ。まるで夢をみているようじゃないか。もしもこれが夢ならば、ずっと覚めないでいてほしいものだねえ」と夫人の肩に手を添えつつ涙ぐむ。
親バカな父源一郎は、そんな2人の様子を見ても、満足気に頷くばかりだったが、紫乃は、すっかり面食らっていた。
(どうなっているの?)
中村夫妻は、言い方は悪いが、紫乃の目には『まともな人たち』に見えた。奇抜な服装もしていないし、奇声を発するわけでもない。物言いは、確かにオーバーだと思うが、芝居がかっているわけでもない。
(それなのに。この実質的に吸収合併みたいな見合いが、なぜ、そんなに嬉しいのかしら?)
思い当たるのは、父が中村グループに申し出た資金援助だが、中村グループは、紫乃が救いの神に見えるほど内情が苦しいのだろうか?
「お父さん、お母さん。それぐらいにしておいてください。紫乃さんが、びっくりなさっているじゃないですか」
戸惑っていた紫乃を救いの手を差し伸べてくれたのは、今日の見合いのもう一人の主役である、中村弘晃だった。