45.光の子
「呪われている? この弘晃が?」
「阿呆。 呪われるほど憎まれておるのは、この赤子ではなく、そなたのほうじゃ」
老婆が、厳しい顔で幸三郎をたしなめた。
「恨みのある者の血族を絶たんとする怨霊たちにとって、跡継ぎは誰よりも邪魔な存在じゃ。長男次男とその息子たちが既に此の世にはおらぬとなれば、次に狙われるのは、この子であろう? ちなみに、そなたは……」
老婆は、父親と共に夫妻の居間に突然乱入してきた者たちを唖然と見つめるばかりだった弘晃の父親に目を向けると、苦笑を浮かべた。「そなたは幸三郎の息子には違いないが、跡継ぎとしては論外のようじゃの?」
「は……はあ……そのようですね」
弘幸が、幸三郎を盗み見ながら、力なく老婆の言葉を肯定した。
「しかしながら、そなたには別の強力な《守り》がついておられるようじゃ。《それ》がついておる限り、そなたにも害は及ぶまい」
老婆は、意味不明のことを弘幸に言うと、幸三郎に向き直った。
「この赤子は、そなたのとばっちりで受けた呪いを必死で跳ね返そうとしておる。それが結果的に、そなたを始め、この家に住んでいる人間を守ることとなった。つまり、そなたたちは、この赤子が敷いた結界の中で暮らしているようなものなのだ。だが、なにせ2つの家族をあっという間に屠ったほどの強力な呪い……これだけ強力な呪いを跳ね返すためには、相当な生命力を要する。誰よりも生命力に溢れたこの赤子は、この家に繁栄を約束する存在であったはず。だが、今のこの子は、呪いを跳ね返すので精一杯。どれほどに生命力が強くても、この家に降りかかった災いの全てを引き受けるのに、人という器はあまりにも脆すぎる。気力も体力も使い果たし、この子は壊れかけておる。この子がひどく弱々しく見えるのは、その為じゃ」
老婆は、厳しい口調で幸三郎に告げると、腕に抱いた赤ん坊に笑いかけた。
「本人は、訳がわかっていないとはいえ、自分のことを抱いても下さらぬ人でなしのお祖父さまを守るために、これだけのことをしてのけておるとは、なんとも健気なことよ。なあ、弘晃?」
「失礼なことを言うな! わ、わしは、その子をちゃんと可愛がっておるぞ!」
「見え透いた嘘をつくでない」
怒りで顔を赤くした幸三郎を小馬鹿にするように老婆が笑った。「この呪いは、そもそも、そなたに向けられたもの。そなたの言うことが本当ならば、この子に初めて触れたときに、すでに死んでおる」
「え??」
「わしの言うことが信じられぬか? ならば、ためしにこの子を抱いてみるがいい」
「ひいっ!!」
青ざめる幸三郎を見て悪戯心を起こしたのか、老婆は彼の前に赤ん坊を差し出しすと、幸三郎は、小さな悲鳴をあげながら、弘晃を避けるように慌てて後ろに飛び退った。
「そんなに嫌がるでない。この子が、この家の守りの要ぞ」
老婆が可笑しそうに声を上げて笑った。
「よいか、幸三郎」
老婆は笑いを収めると、幸三郎を見据えた。
「この子が死ぬとき、この中村本家は終わる。だが、こう呪いの力が強くては、この子の命も、そう長くはもたぬ。この子が死ねば、呪いは、そなたやこの家に向かって雪崩のように襲い掛かってくることだろう」
老婆の言葉に幸三郎は息を呑んだ。
「だから、わしが、力を貸してやろう。この子を守るため。そして、この家を守るために、わしがこの子と共に、この家を滅ぼさんとする怨霊どもを鎮めてやろう。 それが、わしの使命。《てんのいちなるもの》さまから、わしが授かった命であるゆえな」
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「こうして、婆さんは、まんまと中村本家に入り込んだ」
岡崎医師は、自分の一番近くにあった湯飲みに手を伸ばすと、中身を一気に飲み干した。
「つまり。 弘晃さんは本当は健康で、中村財閥の総領息子として申し分のない人なのだけど、彼のおじいさまが引き寄せた呪いだか怨霊だかから家族を守るのに力を使い果たしているために、体が弱いのだということですか?」
紫乃は、顔をしかめながら、これまでの岡崎の話を自分なりにまとめてみた。
「なんだか、わかったような、わからないような…… その話……本当なのでしょうか?」
「だ~か~ら~っ!! 信じたら駄目だって!」
「紫乃さん。最初に言ったでしょう? あの人は『インチキ』なの!」
「あ、そうでしたね。すみません」
岡崎と静江のふたりから叱られて、しおしおと紫乃は小さくなった。
「婆さんの話は、もちろん作り話だよ。ちょっと考えれば、突っ込みどころ満載の与太話だ。幸三郎爺さんでさえ、初めのうちは、婆さんの言うことを頭から信じていたわけではなかった。少なくとも、表向きはね」
だが、幸三郎は、老婆が家に入ることを許した。そうしたところで、彼に迷惑が掛かるわけではなかったからだ。
幸三郎の許可を得た老婆は、その日から、白装束の男たちと共に弘晃を連れて離れの部屋に篭った。そして、弘晃と中村の家を守るために、彼女の信じる神に祈りを捧げ続けた。
「でも、おじいさまに迷惑がかからなくても、弘晃さんにとっては、大迷惑ではないですか?」
「いいんだよ。 幸三郎爺さんは、もともと弘晃のことなんて、どうでもいいと思っていたから」
岡崎の言葉を裏付けるように、静江がうなずいた。
幸三郎は、弘晃には何の思い入れもなかった。
この家の将来に影響を及ぼすことがないのなら、弘晃が死のうが生きようが、幸三郎にとってはどうでもいいこと。 弘晃が嘘つき老婆に何をされようが、幸三郎の心が痛むことはない。
「でも、そんなのは爺さんの言い訳にすぎない。爺さんは、疑いながらも、あの婆さんを恐れていたんだよ。それを証拠に、彼は、婆さんが言うところの《弘晃の結界》である中村本家の敷地から外に出かけるときには、婆さんがくれた護符を手放さなかったし、弘晃のことも怖がっていた」
「怖がっていた?」
「『弘晃に触れれば死ぬ』って、婆さんが彼に警告しただろう? 幸三郎爺さんは、死ぬまで弘晃から逃げ回っていた」
幸三郎は、一生、弘晃を側に寄せつけなかった。
弘晃と遠くから目を合わすことさえ恐れていた。
それだけではない、幸三郎は、両親をも弘晃から遠ざけた。
「え?」
驚いた紫乃は、弾かれたように静江を見た。
紫乃と目を合った途端、静江は、彼女の視線を避けるようにうつむいた。
「呪いの話が本当かどうかはともかくとして、現実問題として、体の弱い弘晃では中村本家の事業を継ぐことはできない。だから、お義父さまは、わたしたち夫婦に、もうひとりの男の子を望んだの。そうしたら、お義父さまは、『弘晃の傍にいると呪いの影響を受けるから、授かるものも授からない』……そう言い出して……」
静江は、話しながら、何かを堪えるように自分の膝を覆うスカートの布地を握りしめていた。
弘晃が傍にいると、弘幸夫妻は、もう二度と子宝に恵まれないかもしれない。
老婆は、幸三郎に、そう進言した。そして、静江が身ごもれば、弘晃のせいで腹の子に悪い影響が出てはいけないと言った。
「そして、正弘が産まれれば産まれたで、今度は、跡継ぎの正弘に何かあってはいけないと、そうやって、ずっと……」
静江が辛そうに両手で顔を覆った。静江によると、弘晃の周囲には老婆が連れてきた男たちが、そして、弘晃が居る離れの周りには幸三郎の命令を受けた見張りがいて、静江たちが弘晃に近づくのを幾重にも阻んでいたのだという。
「そこまで厳重に?」
「そう。幸三郎爺さんは、力ずくで皆を弘晃から遠ざけた。ともあれ、そうして3年の月日が経った。婆さんの祈祷が効いたのか、3年の間、弘晃は病ひとつせずに無事に育ち、正弘も、弘晃が全部引き受けてくれているお蔭で呪いの影響を受けずに無事に生まれ、幸三郎爺さんは、今度こそ本当に婆さんのことを信じてみようという気になり始めた。 そして、弘晃が3歳のとき……」
「ちょっと待ってください!」
紫乃が、慌てて岡崎の話を遮る。「おかしくないですか? 先生の仰っている通りなら、お婆さんの力は本物だということになってしまいます」
「偽者だよ。婆さんには何の力もない。弘晃を治せるわけでもない」
岡崎が、確信をこめた眼差しを紫乃に向けた。
「じゃあ、どうして、弘晃さんは病気ひとつしなかったんですか?」
「紫乃さん。良いところに気が付いたね」
岡崎が出来のよい生徒を見るような表情で満足げに紫乃に微笑みかけた。
「だから、あくまで、『結果として』だよ。 見せ掛けだけのね」
「見せ掛けの結果?」
紫乃が首を傾げる。
「そう。弘晃の周りには、婆さんの配下の祈祷師もどきの男たちしかいなかった。静江おばさんたちも、気軽に会うことを禁じられていたから、何日も弘晃の姿を見ないことがあった。幸三郎爺さんは論外。弘晃のことなど平和な時には考えたくもなかっただろう。そして、僕らは……っていうか、うちの親父たち医者も、そのころ出入りがなかったから、本当に3年の間、弘晃が本当に病気ひとつしなかったかどうか、本当のところはわからない」
「でも、いくら皆を遠ざけたって、弘晃さんが病気になったらお医者さんが必要になるはずです」
「医者がいなかったなんて、誰も言ってない。医者が呼ばれなかっただけだ」
岡崎は、面白くなさそうな顔をすると足を組んだ。
「おそらく3人の男のうちの誰かが医者だったんだよ。それならば、弘晃の具合が悪くなっても、医者ができる範囲の対処はできる。そして、弘晃の具合が悪いときには誰の目にも触れないように隠しておけばいい。ついでに言えば、人の出入りを極端に制限することで病原菌に接触する機会も減るしから、病気にも掛かりづらい」
つまり、老婆の言葉を疑いながらも弘晃を皆から遠ざけることに手を貸した幸三郎は、知らぬ間に老婆たちの計略に力を貸していたことになる。そう岡崎は紫乃に説明した。
「よくもまあ……」
「こんな雑な企てが成功したものだと思うだろう? これを計画した奴は、余程の阿呆か、幸三郎爺さんの傲岸不遜な性格を熟知していた人間に違いない」
紫乃の心を見透かしたように、岡崎が失笑した。
「……ということは、弘晃さんが病気になっても悟られないようにするために、弘晃さんは、あの祈祷師のお婆さんたちだけの手で育てられたということですか?」
「う~ん、育てた……というより……」
滑らかだった岡崎の口が急に重くなった。
「世話をしていたのは、確かに彼らなんだけど、だけど、『育てた』っていうのは……ねえ?」
岡崎が持って回った言い方をしながら、静江のほうに視線を向けた。
「ええ、育てては、いないわね」
静江も話すのを躊躇うような素振りを見せた。
「弘晃はね。3年経っても、赤ちゃんのままだったの」
「は???」
「もちろん、体は、だんだん大きくなっていったわよ」
面食らっている紫乃を見て、静江が慌てて言葉を足す。
「でも、それだけだったの。3歳になっても、あの子は言葉ひとつ覚えていなかったし、歩くことだって満足にできなかった。あの子は、ただ、あの人たちに生かされていただけだったの」




