表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
37/89

37.隠しきれない



「紫乃さん。僕ならば、もう大丈夫ですから」

「でも、心配ですから、もう少しの間、こちらにいさせてもらいます」


 紫乃は、ここ一ヶ月間ほど、中村家で寝起きし、大学もこの家から通っていた。六条家には、ずっと帰っていない。着替えや荷物で足りなくなったものは、隣の学校に通う妹たちに頼んで運んでもらっていた。


「いいじゃないですか。 弘晃さんのおかあさまは、好きなだけこちらにいてもいいっておっしゃってくださったわ」

「あの人は、紫乃さんのことが大好きだから、そう言うに決まっているんです」

 口ごたえする紫乃に、弘晃が仏頂面で言い返した。


 弘晃の母は、息子が寝込んでいるにも関わらず、紫乃が家にいるので、毎日上機嫌だった。弘晃の母だけではない。中村家に出入りしているものは、誰もが紫乃に対して好意的であった。

 紫乃に帰宅を勧めているのは、彼女に気兼ねしている弘晃のみである。その弘晃にしても、紫乃が彼の傍にいてくれて嬉しくないはずはない。

 目下のところ、紫乃が中村家に居座っていることで本当に困っているのは、彼女の父親である六条源一郎のみであった。


「父は、少しは困らせたほうがいいんです。 あの人は、自分の欲求を満たすためだったら、何をやっても構わないと思っているんだから」

 紫乃は、きつい口調で言いながら、弘晃が寝ているベッドの脇に置いてある椅子にドスンと腰を下ろした。

 

 紫乃は、いまだに父親に腹を立てている。

「あの人は、弘晃さんの体が弱いことだって、ちゃんと知っていたのに。それなのに、こんなになるまで無理させるなんて、最低。少しどころか大いに反省すればいいんだわ」

 自分の父親の身勝手なやり口のせいで、弘晃がどんなに大変な思いをしたことか。それを思い出しただけで、紫乃は涙が出そうになる。だが、本当に涙を流していたことを、紫乃を見ていた弘晃の顔つきが変わるまで、彼女は気がつかなかった。

「ああ。 違いますよ。 これは泣いているんじゃなくて、勝手に……」

 紫乃の頬に触れようとした弘晃の手を避けるように彼から顔を背けると、彼女は目頭を指で軽く押さえた。だが、涙は簡単には止まらなかった。悲しくもないのに、かえって勢いを増したかのように涙が目からポロポロと零れてくる。

「あらら? いったいどうしちゃったのかしら? もう、大丈夫なのに。今頃になって変ですよね? 安心して、気が抜けちゃったのかも?」


 紫乃は笑いながら、涙で塗れた顔を両手で拭おうとした。弘晃は、その手を押さえると、空いているほうの手で、紫乃の頬を伝う涙を拭ってくれた。

「ごめんなさい。泣かないって約束したのに……」

「泣いたらいけないなんて、そんな約束をさせた覚えはありませんよ」

 弘晃が微笑んだ。

「だって、泣いたら、弘晃さんが『帰れ』って言う……」

「言うでしょうね。でも、だから泣くのを我慢するっていうのは、本末転倒でしょう? 僕は貴女に笑っていてほしいだけです」

 弘晃は、ベッドに座ったまま前かがみになると、子供のような物言いをして拗ねる紫乃を、彼の腕の中に引き寄せた。少し無理のある体勢ではあったが、紫乃は、大人しく彼の肩口に顔を預けた。そして、髪を撫でてくれる彼の指先の感触にうっとりしながら目を瞑った。



-------------------------------------------------------------------------------


 今から、およそ一ヶ月前。


 パーティー会場で高熱があるのことに気付かれた弘晃は、会場から車で15分ぐらいの場所にある中村グループ系列の総合病院に運ばれた。時間は夜の9時を回っていたが、幸いなことに、弘晃の主治医はまだ病院に残っていた。 数ヶ月前に紫乃が弘晃の部屋に踏み込んだ時に、彼と一緒にいた男性だった。


「お前はっ! こんな時間に、そんな格好で何をやっているんだ!!」

 主治医は、ドレスを着込んだ紫乃に付き添われて診察室に入ってきたタキシード姿の弘晃を見るやいなや、彼を怒鳴りつけた。

「しかも、市販の風邪薬で一週間以上我慢していただとっ?! そんなものを俺に黙って服用するとは、いい度胸してんじゃねえかっ!!」


 紫乃から簡単に症状を説明された主治医は、更に激昂した。ふたりは、かなり気安い間柄であるらしい。主治医は、医師として患者を気遣う前に、まずは友人として弘晃に腹を立てているようであった。

「それに、俺が許したのは、具合のいいときに限っての昼間半日程度のデートだけだ。熱があるときに夜まで遊んでいいとは言っていない。あなたも、少しは気をつけてやってくれないと……」

 主治医の怒りの矛先は、紫乃にまで向けられる。睨みつけられた紫乃は、反射的に『すみません』と頭を下げた。


「違うよ。紫乃さんは、たまたま同じ場所に居合わせたんだ。 彼女は僕に熱があるのに気が付いて、ここまで送ってくれただけだよ」

 弘晃が、すぐに訂正を入れた。

「そうなのか? でも『紫乃さん』って言ったら、例の彼女だろう? でも、そういえば、お前、振られたんじゃ……?」

 いろいろと事情を知っていそうな主治医がたずねるような視線を弘晃に向けた。

「そうなんだけど……、どうだって、いいじゃないか」

 長い話をする気力がないのだろう、弘晃は説明を省略した。


「だけど、彼女は本当に関係ない。ごめん。病院に行ったほうがいいのはわかっていたんだけど、ここ数ヶ月、毎日のように会社に行かなきゃならないほど、なにかと忙しくて……」

「はあ?? 毎日、会社!? 馬鹿っ!! なにしてんだ、お前はっ!!」

 弘晃の言い訳を聞かされた医師の声が裏返った。 

「ほら、やっぱり怒るじゃないか。それに、バレたら、絶対に止められるだろうと思ったし……」

 だから、ここに来るのは嫌だったんだと言わんばかりに弘晃が身を竦めながら喚いた。

「当たり前だろ! 死ぬ気か? とにかく即刻入院! いつもの特別室、空いているよね? 空いてないなら空けてください。長くなると思うから。それから点滴は……」

 主治医は、弘晃に入院を申し渡すと、側にいた看護婦に有無を言わさない口調で矢継ぎ早に指示を出した。 ふたりいた看護婦のうちの一人は、慌てて電話に取り付き、もう一人は、診察室から出て行った。


「あのさ、『いつもの』って言うの、やめてくれないかな?」

「うるさい常連。部屋の準備ができるまで、とりあえず、そこに横になってろ」

 主治医は、弘晃の抗議をそっけなく封じると、診察室に設置されている小さなベッドを顎で示した。

 それから、「最近、連絡がないから安心していたのに、なんてことだ……」とぶつくさ言いながら カルテになにやら書き込み始めた。


「あの、 『いつもの』って、どういうことですか?」

 大儀そうにベッドに移動する弘晃に付き添いながら、紫乃は、主治医にたずねた。主治医が、書き物の手を止めて、紫乃を見た。


「弘晃さん、どこかお悪いんですか?」

 たずねたそばから、これは間抜けな質問だと、紫乃は思った。案の定。主治医が 『見ての通りですが』と、見るからに辛そうな弘晃を示す。


「……だから、そういう意味じゃなくて……、ただの風邪ではないのですか? 何かもっと他の……病気でも?」

「ああ、そういう意味ね。うん、ただの風邪というか……いわゆる過労ですよ。忙しかったようですから、疲れが溜まっていたのでしょう。彼を、ここまで送ってくれてありがとう。後は、こちらでやりますから、お嬢さまは、どうぞ、お引取りください」

 主治医は、座っている椅子から立ち上がると、 愛想の良い笑みを浮かべながら紫乃に退出を促した。


 だが、紫乃は、その場から動かなかった。このまま家に帰されたりしたら、弘晃のことが気がかりで、気が変になってしまうような気がした。

「先生。誤魔化すのはやめていただけませんか? わたくし、本当のことが知りたいんです」

「でもね。医者は、患者さんのことをみだりに話すことはできないんですよ。ただの好奇心では……」

「ただの、好奇心じゃありません。 大事なことなんです」

 紫乃は食い下がった。

 主治医が愛想笑いを引っ込めた。


「あの……さ」

 主治医は、ペンの尻で髪の生え際のあたりをガシガシと掻きながら、訴えかけるように彼を見ている紫乃と、何か言いたげだが黙ったままでいる弘晃をじっくりと見比べた。

「ひょっとして……。 君たち、ヨリ……戻っているの?」

「それはその……」

「戻っています!!」

 言葉を濁す弘晃とは対称的に、紫乃はきっぱりと言い切った。


「……。 つまり、あなたは、ゆくゆくは、この男と結婚する予定だということですか?」

 主治医が、弘晃を示しながら、紫乃に確認をとった。

「そう、です」

 自分の大胆な発言を恥ずかしく思いながら、紫乃は、医師に向き合った。「だから、教えてください。 何を言われても、驚きませんから」


「わかりました。そういうことならば。どうぞ、おかけください」

 主治医は微笑むと、丁重な物言いで、彼の前に置かれた背もたれのない丸い椅子を紫乃に勧めた。

「ちょっと待って、壮太。それは、後で、僕から……」

「いいから、お前は、寝てろ」

 主治医は立ち上がると、慌てて起き上がりかけた弘晃の頭を、力ずくで枕に押しつけた。


「ずっと言い出せなかったくせに。弘晃は、この人と家族になるんだろう? ならば、俺は、医師として家族には説明の義務がある。幼馴染の友人としても、この人に、ちゃんと話しておきたい。それに、彼女だって、お前と結婚する気なら先に知っておくべきだ。このまま結婚しちゃったら、後から絶対に『こんなの詐欺だ』って思うに違いないからな。あのね、紫乃さん。実は、こいつ、あと3年生きられるかどうか……」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ