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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
30/89

30.あと少しの距離


「な……なにをおっしゃっているんですの?」

「隠したって駄目ですよ。初めからわかっていましたから」

 うろたえる紫乃を5人目が笑った。

「紫乃さんほどの美人に言い寄られて、悪い気のしない男はいない。だから、ごく普通の男性なら、突然向けられた貴女の好意を自分の都合の良いように拡大解釈して舞い上がってしまえたのかもしれません。でも、あいにく、私は、女性に関してだけは、良い経験も悪い経験も豊富に積んでいるのでね。見合いの時にこちらを見ようともしなかった女性が、急に親しげに近づいてきたら、まずは警戒しますよ」

「じゃあ……」

「『どうして騙されてくれたのか?』ですか。理由のその1は、面白そうだったから。紫乃さんみたいに潔癖そうな女の子が、色仕掛けなんて手段をとってまでパーティーに出たい理由はなんなのかなあ……なんてね。でも、それよりも、実は私も困っていたんですよ。そのドレスを着てくれるはずの女性が……その……急遽、来られなくなってしまったのでね」

 5人目が、言葉を濁した。どうやら、彼は、同伴を予定していた女性に振られたようだ。


「それで、わたくしに?」

「サイズ直しも必要がなさそうだったのでね。こんなに綺麗なのに、着ないで捨てちゃうのは、もったいないでしょう?」

 5人目が、惚れ惚れと、紫乃ではなくドレスを見た。


「貴女も私も困っていた。そして、互いを必要としていた。これは、いわゆる『持ちつ持たれつ』……というやつです」

 5人目は、悪びれずに笑うと、離れたところで話し込んでいる弘晃のほうに視線を向けた。

「しかし、紫乃さんが、ああいうタイプの男性が好みとは意外でした。言っちゃあ悪いけど、彼と比べたら、私のほうがよっぽど男らしいし頼りになりそうだ。どうです。いっそ私に乗り換えませんか?」

「え?」

 問われた紫乃は、言葉に詰まった。言下に否定したいところではある。それに、5人目とて、それほど頼りがいがあるようにも見えない。だが、弘晃のほうが彼よりも頼りなさそうに見えることだけは確かだ。

「あ、あの、でも……」

「冗談ですよ」 

 返答に困る紫乃を見て、5人目が吹き出した。

「ドレスのモデルのアルバイトはここまでで結構です。後の時間は、貴女のお好きなように」

 彼は親しげに紫乃の耳元に口を寄せると、「彼とうまくいくといいですね」とささやいて、紫乃を解放してくれた。



-------------------------------------------------------------------------------



 一方。弘晃は、ここに来たときからずっと、紫乃の存在に気がついていた。それはなにも、弘晃に限ったことではないだろう。美しい女性があれだけ美しく着飾っているのだ。人目を引かぬわけがない。


招待されていないはずの弘晃がこのパーティーに来たのは、父のたっての頼みを聞き入れてのことである。なにしろ、本日の婚約披露パーティーの主催者である喜多嶋会長(今日の男性側の主役の祖父でもある)は、紫乃の父親である六条氏と、とても親しい間柄にある。


「だから、六条さんも今日のパーティーに呼ばれているに違いないんだよ。きっと厭味とか嫌がらせとかをネチネチされるに違いないよ!」


 だから行きたくない。 

 絶対に行かない。


 昼を過ぎたあたりから、父がごね始めた。


まるで怯えた子供のように、目を潤ませ、社長室の机にしがみついて首を振り続ける父を見て、周囲は呆れたが、そこまで嫌がる父の気持ちも、弘晃はわからないでもなかった。


「蛙が、わざわざ飲み込まれるために、蛇に会いに行くようなものですものね」

「そのとおりだよ。それに、いくら新聞やニュースで報道されてなくても、もういい加減に、よその会社もうちの会社がいよいよ危ないんじゃないかって疑っているに違いないよ。探りを入れられたら、なんて答えたらいいんだい。巧く誤魔化す自信なんかないよ」

「……確かに」

 それは、全員が認めるところである。そうは言っても、父が欠席すれば、やはり疑いを招くに違いない。


「そんなに心配しなくても、一緒に行ってあげますから。ね?」

 正弘と父付きの秘書がなだめられて、いったんは聞き入れてくれたものの、父はよほど気が重いのか、その後も、この世の終わりみたいな顔をし続けている。

「あれじゃあ、『中村物産は潰れる寸前』って、顔に書いてあるようなものですよねえ」

 正弘が、父の顔を眺めつつ、苦笑しながら弘晃に言った。


「お父さん。僕が一緒に行きましょうか?」

 見かねた弘晃が父にたずねた。

「え、本当?」

 その言葉に、父の顔はいっぺんに晴れたが、他の者は、そろって反対した。

「兄さんは駄目です。そこまで父さんを甘やかす必要はありません!」

「そうです。相談役は、おとなしくしていてください」

 強硬に反対する正弘たちに、弘晃は、「いいんだよ」と言って笑った。

「パーティーに六条さんがいらっしゃるのなら、ちょうどいい。この会社のこれからのことを話し合う機会を作ってくださるようにお願いしてくる」

「じゃあ……」

「うん。やっておかなければいけないことは、だいだい終わったからね。そろそろ潮時だと思う」

 弘晃は、皆に、うなずいてみせた。


 もちろん、面談の約束なら電話で充分事足りる。だが、500年近く続いた商家をいよいよ潰すというのに、それでは、あまりにも味気ない。最後の詰め……六条グループの総帥である六条源一郎との交渉は、弘晃の役目だ。こればかりは、父や弟に代理を頼むわけにはいかない。弘晃にしかできない、彼がやるべき最後の仕事である。


「彼に直接会って敗北宣言してくるよ。暖簾を……下ろそう」



-------------------------------------------------------------------------------


 そんなわけで、弘晃はスーツ以上に着慣れぬタキシードに身を包み、父と一緒にパーティー会場であるホテル出向いた。正弘も行きたがったが、たった1枚の招待状をもって3人で押しかけるのは、さすがにまずいだろうと思われたので、留守番することになった。


だが、会場に入った弘晃の目にまず飛び込んできたのは、紫乃の姿だった。裾の長い艶やかなドレスを身にまとって堂々と優美に歩く紫乃の姿は、まるで女王のよう。周囲を圧するような犯しがたい気品が漂っている。弘晃は、一瞬、ここに来た目的や胸に秘めていた悲壮な決意を忘れて彼女に見惚れた。足が、知らぬ間に紫乃の方に向いた。だが、すぐに、紫乃の傍らに立つ男の存在に気がついて、彼は立ち止まった。弘晃は男性なので男の容姿の美醜に興味はないが、表情のいい男性だった。『まるで七五三だな』と鏡に映った己を見てげんなりせずにはいられなかった弘晃とは違い、タキシードも実に自然に着こなしている。


「喜多嶋紡績の社長の甥っ子だよ。喜多嶋ケミカルの社員で、父親がそこの社長をしている」

 仲が良さそうに歩いている2人から目を離せずに弘晃がその場に立ち尽くしていると、出し抜けに弘晃の耳元で声がした。

「うわっ!!」と、弘晃の父親が叫び声を上げながら、弘晃の後ろに隠れた。

 いつの間にか紫乃の父……六条源一郎が弘晃の隣に立っていた。

「お久しぶりですね、中村さん」

 父の動揺などお構いなしに、源一郎は愛想よく父に挨拶すると、弘晃との会話を続ける。

「この間、見合いさせたんだ。中村物産の御曹司と比べれば、遥かに格下だが……」

「そうでしょうか?」

 弘晃は、紫乃たちに視線を向けたまま反論する。


 喜多嶋ケミカルのことは、弘晃も聞き知っている。扱っているのは、化学繊維を始めとした化学製品。 毎年赤字すれすれのこの会社を、『喜多嶋紡績のお荷物』だと誤認しているものが多いようだが、それは、金食い虫との噂がある研究所の運営資金に利益のほとんどが費やされてしまうから。興味本意で、研究所が持っている特許その他を調べさせて、弘晃は驚いたことがある。


 あの研究所は、とんでもない潜在力を秘めている。


「あの会社、いずれ大化けしますよ」

「君もそう思っているんだな。何が足りない?」

 源一郎が楽しげに話しに乗ってくる。

「さしあたっては、営業力と企画統合力といったところでしょうか。喜多嶋グループは、他社の介入を嫌うからやりづらいんでしょうね」

「やはり君と話すのは楽しいな」

 淡々と答える弘晃を頼もしそうに見て源一郎が笑った。「うちの息子なんか、まだまだだよ。『あんなところに姉さんを嫁がせる気ですか?』……とこうだ」

「それが普通の認識でしょう。和臣くんは、まだ高校生です。そこまで言えればたいしたものですよ」

 弘晃が面白くなさそうに答えた。本人たちですらあの研究所の真価に気がついていないのだ。だからこそ、今のうちに六条グループが介入しようというのだろう。娘を嫁がせて、彼女を足がかりに喜多嶋ケミカルを作り変え、我が物とする。喜多嶋一族は血縁の柵でガチガチになっているから、他者を自分のペースに巻き込んで自分の味方につけることが得意な紫乃などは、その役割にうってつけだろう。


「どこまでも、ご自分の為に娘を利用するおつもりなんですね」

 言っても無駄だろうと知りながら、弘晃の口から非難がましい言葉が出た。

「結婚を決めるのは、あくまで紫乃だよ」

 源一郎が笑った。 

「君とのことにしてもそうだった。決めるのはあの子だよ。どうだい、あの子とヨリを戻さないか。君を息子と呼べないのは、実に惜しい」

「いまさら僕からそれを言い出せないことは、あなたはご承知のはずだ。紫乃さんも承知しませんよ」

「え、いいんですか?」と、無邪気に喜ぶ父を肘で小突きつつ、弘晃は厳しい口調で源一郎に言い返した。


「やれやれ、石頭だね、君も。あんなこと、たいしたことではないだろうに」

「そりゃあ、あなたにとっては、なんでもないことでしょうけどね」

 弘晃は、ため息をついた。 どこまでも自分本位のこの男の考えを改めさせるなど、所詮不毛な努力でしかないのだろう。弘晃は、源一郎に顔を向けると、きっぱりと話題を変え、用件を切り出した。


「ところで、六条さん。うちの会社の今後について、折りいってご相談したいことがあるのです。後日、お時間を頂戴できますか?」

「ああ、あの件ね。しかし、『相談』ねえ……」

 源一郎が苦笑する。

「君がしたいのは、『相談』じゃなくて、『脅迫』の間違いじゃないのかな。あるいは『押し売り』?」

「お気に召しませんか?」

 弘晃は、ここぞとばかりに意地悪く微笑んだ。 

「六条さんなら興味がおありだろうと思ったので優先的にお話させていただくつもりだったのですが、お嫌ならば仕方がありません。他をあたらせていただきます。例えば……」

 弘晃は、外資も含めて六条のライバルになりそうな会社の名前をいくつか挙げた。


「待てよ。誰も嫌だなんて言っていないよ。承知した。2、3日中に時間をとるよ」 

 源一郎が慌てた様子をみせた。

「ありがとうございます」

 弘晃は丁寧に礼を言った。隣にいた父親も、彼にならって頭を下げた。

「でも、お買い得だとは思いますよ。そちらに損はないはずです」

「確かにそうなんだがね。……と、この話はここまでにしよう。話が本決まりになるまで、他社から腹を探られるのは、君にとっても避けたいところだろう?」

 源一郎が、こちらの近づいてきた恰幅のよい男性に笑みを向けた。

「これはこれは、六条さんと中村さん。……と、そちらの若い方を紹介していただけますかな?」

「彼は、中村さんの上の息子さんですよ」

「はじめまして」

 源一郎の紹介を受けて、弘晃は行儀よく頭を下げた。

「なんと、君が。一度、話をしてみたいと思っていたのだよ」

 男性は、嬉しそうな顔をして自己紹介をした。大手鉄鋼会社の社長だという。ここ数年、弘晃は、もっぱら父親の影に隠れてコソコソと行動してきたつもりだったのだが、彼が思うよりもずっと多く、彼の存在に気がついている者がいたようである。弘晃と知己になれるせっかくの機会を逃してなるものかと、彼の周りに、あっという間に、人垣ができた。 


 あの紫乃の父親だけあって、もともと面倒見のいい性格をしているのだろう。源一郎が、あたかも弘晃の後見人のような顔をして、集まってきた人々のあしらいを買って出てくれる。おかげで、弘晃は戸惑うことなく、彼らとの応対に専念することができた。通り一遍ではあるが気の抜けない会話をしながら、 弘晃は頭の片隅で全く別のことを考え続けていた。


あの紫乃と並んでも少しも遜色のない、彼女と似合いの男……


(そんな男もいるんだな)

(あの人なら、まだ若いし、将来性はありそうだし、いい人そうだし、健康そうだし、しっかりしていそうだし……)

 自分でも情けないとは思うが、弘晃は彼を羨ましいと思った。


(でも、羨ましく思えるほどの男で良かったじゃないか。そうでなければ……)

(そうでなかったら、僕は……)

(僕は……)


 紫乃がいる方向に顔を向けた。紫乃と目線があったと思った途端、彼は、彼女に背を向けられた。どうやら、彼女は、まだ自分に腹を立てているようだ。


(せめて、仲直りできないかな)

 未練がましい奴だと自分に呆れながら、弘晃は目の前の相手に視線を戻した。


-------------------------------------------------------------------------------



 さて、5人目と別れた後の紫乃は、弘晃からそれほど離れていないところで、友人たちと話しながら、彼と話す機会を覗っていた。だが、彼女と同じことを考えている人間は幾らでもいるようで、弘晃の周りの人ごみは減るところか増えるばかり。紫乃のような小娘が割り込む余地はなさそうだった。


 もしかしたら、父が呼び寄せてくれるかもしれないと期待したものの、彼はこちらをみようともしない。それは、弘晃も同じ。彼は目の前にいる人間の相手をするので手一杯で、こちらに注意を向ける余裕はなさそうに見えた。


「ここに、いるのに」

 紫乃は、つぶやいた。自分が勝手に早合点して、勝手に弘晃に会いに来ただけだとわかっていても、やはり面白くない状況ではある。紫乃は、弘晃がこちらを見ないのをよいことに、彼の観察を始めた。


 弘晃は、彼が紫乃と会っていたときの世間知らずぶりなど毛ほども感じさせることなく、彼よりもずっと年長で、しかも見るからに癖のありそうな大人たちを相手に、日ごろの温和な態度をいささかも崩すこともなく、そこにいるのが当たり前のような顔をして、実に堂々と振舞っていた。恰幅のいい男性に囲まれているせいだろう。以前にも増してひょろ長く見える。紫乃と最後にあってから日に焼けたようにもみえるが、それでも、周りにくらべれば、ずいぶん白い。5人目が『頼りない』と評したように、あの外見では、どんなに弘晃が切れ者でも、周りになめられてしまうのではなかろうか?


「もうちょっと鍛えればいいのよ」

 紫乃はつぶやいた。弘晃に、『筋肉ムキムキになるまで鍛えろ』などと無茶を言うつもりはない。せめて、500メートルのマラソンすら完走できないのではないか?……とか、炎天下に放置したら1時間で干からびるんじゃないか?……とか、そんな心配をしないで済む程度に鍛えたほうが、本人のためにもいいのではないだろうか?


「……。それに、トップの健康不安は、経営に悪影響が出るっていうじゃない?」

「紫乃。あなた、さっきから何をぶつぶつ言っているの?」

 傍らにいた友人が、怪訝そうな顔で紫乃を見た。

「なんでもないわ」

 紫乃は、我に返ると、顔を赤らめつつ首を振った。

「でも、なんだか人に酔ったみたい。ちょっと、外の風に当たってくる」


 紫乃は、友人に断りを入れると、会場の窓側の出口から庭に出た。生暖かい室温と弦楽四重奏の代わりに、虫の声とひんやりとした外気が紫乃を包む。室内よりも過ごしやすいこともあって、紫乃以外にも庭に出ている人はかなりいた。しばらく風に当たっていると、ホテルの係員が、客を中に呼び入れ始めた。これから、豪華賞品付のゲームが始まるという。


 紫乃は屋内に戻ろうとする人の流れに逆らって、白っぽい石を敷き詰めた緩やかな石段を降りていった。半分になった月が外灯よりも明るく地上を照らしているため、足元はしっかりしている。階段は、つづれ折りに下まで続いており、下に向かうほど、人の声よりも虫の声が大きくなった。このまま下ると、どうやら一階のティールームの脇……窓際に座る来店者の視線に曝されることになるようだとわかって、紫乃は立ち止まった。戻ろうか、それとも休もうかと迷いながら、植え込みに隠れるように置かれた石のベンチに目を向けた時、背後から彼女を呼ぶ声が聞こえた。


(この声……)

 うつむいた紫乃の顔に、自然に笑みが浮かぶ。


(全然、違うのに)

 こんなに違うのに、昼間は、どうして5人目の見合い相手の声と彼の声を聞き間違えたりしたのだろう?


 紫乃は、ゆっくりと声のしたほうを振り仰いだ。


 




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