28.時間切れ
父と話し合ってからひと月ほどの間に、紫乃は4回も見合いをした。つまり、毎週のように誰かと見合いしていることになる。そして、そのどれもが、あっけなく不首尾に終った。断ったのは、すべて紫乃のほうからだった。
「何度見合いしたところで、同じ結果に終るだけなのに」
「このまま、おばあちゃんになるまで毎週見合いをし続けたら悲劇よね」
「お父さまに勧められたとおり、さっさと弘晃さんのところに謝りに行けばいいのに」
5人目の男性と見合いをした翌日。姉妹たちのたまり場となっている3階の部屋に紫乃が上がっていくと、彼女たちは、丁度紫乃の話題で盛り上がっているところだった。
「う、うるさいわよ! あなたたち。それに、今回は、まだ断っていないわ」
「でも、お姉さまのお顔を見れば、今回のお相手もお気に召さなかったことぐらいわかります。もう少し自分の気持ちが落ち着くまで、お見合いするのは、お休みしたらいかがです?」
紫乃のための茶を用意しながら、すぐ下の妹の明子が生真面目な顔で彼女に意見する。
「結局、紫乃姉さまは、弘晃さん以外の人はお嫌なのよ。お父さまは、そのことを自覚させたくて、次から次へとお見合いのお話をもってくるのだわ。それを証拠に、ここ一ヶ月の間に紫乃がお見合いをしている相手は、関係が悪化しても、どうでもいいような取引先の関係者ばかりじゃない」
「あら? そうなの?」
驚いた顔をする橘乃に月子がうなずく。
「そうよ。 どのお相手も、弘晃さんと同じように社長の息子かもしれないけれど、お父さまにとっての価値が違うの。姉さまが見合いを破談にすることであちらと疎遠になっても、お父さまとしては、それはそれで好都合というわけよ」
「月子。どうして、あなたは、そういう、まことしやかなデタラメを……」
明子が、非難がましい視線を月子に向けた。
「デタラメじゃないわ。月ちゃんの言っていることは、全部、和臣兄さまの受け売りだもの」
紅子が、月子に気兼ねしつつ情報の確かさを保障した。
「和臣がそう言ったの?」
紫乃は、眉をひそめた。最近の和臣は、紫乃に対してとてもよそよそしい。冷淡な態度をとる理由を彼にたずねたところ、『姉さんがあまりにも愚かだから』と答えられた。『今の姉さんは、姉さんらしくありません。何がしたいのか、さっぱりわからない』とも言われた。
「でもねえ」
この手の話であれば、普段は人一倍盛り上がるはずの橘乃が顔を曇らせる。
「弘晃さんも、姉さまのお相手としてはどうなのかしら? ……と、私は思うのよ」
「どうって?」
「あんまり良い噂を聞かないのよねえ。『一日中家でプラプラしている中村家の道楽息子』とか、『学校もまともに出ていない』とか、『頭がおかしいので入院しているらしい』とか、『変な宗教に凝っている』とか、『実は弘晃さんがその宗教の教祖で、弘晃さんのご託宣で中村グループは運営されている』……とか」
「なによそれ?」
紫乃の刺すような視線に怯えたように橘乃が身をすくませた。
「牧本さんたちが教えてくれたんです。 あの人たち、姉さまと弘晃さんが海に行く途中で一緒になったのですってね? 彼女たち、姉さまのお相手について興味津々らしくて、実名を挙げて、私にあれこれ探りを入れてきたんですの」
彼女たちが推測した紫乃の夫候補の中に弘晃の名前もあったそうだ。
「もちろん。 私は、最初の姉さまのお見合いの相手が弘晃さんだってことは話してはいません。彼女たちが話してくれたことも、ただの噂にすぎないとも思うんです。弘晃さんは、そんなおかしな人には見えなかったもの。でも、それなら、どうして、中村家の皆様は、ここまでくだらない噂を野放しにしておくのかしら? 噂かもしれないけど、そんな人が姉さまの旦那さまになって、姉さままで、みんなに白い目で見られるようになったらと思うと……」
だんだんと先細りになる橘乃の声に同調するように、姉妹たちの顔も暗く沈んでいった。
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その後の数日間。紫乃は、橘乃が話してくれたことばかりを考えて過ごした。
なぜ、そんな噂が発生したのか?
なぜ、そんな噂が消えないのか?
噂の根拠となる事実が存在するからなのか?
海で出会った、あの老婆は、これらの噂とどのように関係してくるのか?
考えてもわからないので、父親に聞いてみたものの、彼は、『だから、そういうことは、直接弘晃くんに聞きなさいって言っているだろう?』の一点張りで教えてくれない。それでも、父の秘書の葛笠ならば何か話してくれるかもしれないと、紫乃は、毎朝の父の送迎を担当している彼を捕まえることにした。
「中村家が過去に妙な宗教に凝っていたのは、事実ですよ」
父から口止めされているとばかり思っていたのに、葛笠は、あっさりと紫乃の質問に答えてくれた。
「そうなの?」
「でも、それは、先代の頃のお話です」
彼によると、中村物産の事業そのものは、つねに安定した利益を上げ続けているのだそうだ。それにも関わらず、大きな赤字を抱えて潰れる寸前にまでいったのは、先代が独断で行った無茶な投機や投資がそもそもの原因であったという。
「そこで出た損失を穴埋めすべく、中村の先代は、更に無茶な投資をしたり、新しい事業に手を出したりと裏目にでるようなことばかりしたわけです」
「それを立て直したのが、弘晃さんのお父さまと弘晃さんなのね?」
「というよりも、ほとんど弘晃氏だけのお手柄でしょうね」
「和臣も以前にそんなことを言っていたけれど、本当にそうなの?」
中村の経営が上向き始めたのは、5、6年ほど前だと聞いている。そこまでの成果を出すまでに数年かかるとすれば、弘晃は10代の頃から会社を仕切っていることになってしまう。
「そうとしか考えられないんですよ。中村物産の社長は、まったくのお飾りです。あのいかにも『社長』っぽい外見に騙されて、気が付いている人は少ないようですけど……」
ですから、どうぞこのことは内密に。 そう言って、葛笠は笑った。
「じゃあ、じゃあ、弘晃さんが教祖さまっていうのも、嘘よね?」
「教祖? なるほど、言いえて妙ですね」
葛笠は、紫乃の質問を笑い飛ばしたくせに否定しなかった。
「葛笠さん。真面目に答えてちょうだい」
紫乃が文句を言っていると、父親が家から出てきた。
「葛笠から情報を得ようなんて……。そういうズルはいけないよ、紫乃。葛笠も、紫乃に余計な話はしないようにって言ってあっただろう?」
「ですが、社長」
「例の件の確認はとれたか?」
父が、釘を刺されながらも反論しようとする葛笠を手で払うような仕草をしながらたずねた。
「喜多嶋さまのご令息と富永さまのご令嬢との婚約披露パーティーの件ですか?」
「構わないよ」
なぜか紫乃を気にしながら確認する葛笠に、父が言う。
「中村物産の社長はおみえになるようです。 ですが、弘晃氏までいらっしゃるかどうかは……」
「来るさ。あのボンクラ父さんでは、もう誤魔化しきれないからな。では、今晩は、私も何が何でも出席するとしよう。弘晃くんが公の場に出てくることなんてめったにないことだからね。これで、最初で最後かもしれないしな」
「最初で最後って…… お父さま? 今のは、どういう意味ですの?」
驚いた顔をする紫乃を無視して、父は、さっさと車に乗り込んだ。窓を開け、紫乃を見上げる。
「そろそろ時間切れだよ、紫乃。これ以上、グズグズするようなら、中村物産と弘晃くんは、私がもらう」
さっきまでの愛想の良さなど微塵も感じさせない、突き放すような口調で父が告げる。
「お父さま、まさか……」
蒼ざめる紫乃を残して、父を乗せた車は、地面に敷き詰めた砂利を軋ませながら、あっという間に彼女から遠ざかっていった。
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「和臣がわたくしに呆れているわけだわ……」
父の車を見送りながら、紫乃は、自分の迂闊さを呪うかのようにつぶやいた。どうやら紫乃は、ここ数ヶ月間、自分のことで精一杯で、周りが何にも見えてなかったようだ。
父が中村グループを欲しがっていたことは、紫乃が弘晃と見合いをすることになった時点でわかっていたことだ。そして、破談になったぐらいで、あの人が欲しいものを簡単に諦めるわけがないことも、わかっていたはず。弘晃との見合いの直前にも、弘晃が紫乃を振るようなことがあれば中村を潰すと、彼は冗談交じりとはいえ言っていたではないか。
そればかりではない、先日も、どこかの会社の乗っ取りにてこずっているようなことを、楽しげに紫乃に話していた。そして、その会社が、すぐにでも手に入るようなことも言っていた……
「でも、まさか、たかが縁談が壊れたぐらいで……そんな……」
紫乃は、自分の中に生まれた疑念を笑って否定しようとした。いくら父が貪欲でも、中村物産ほどの大きな会社を、縁談が壊れたという口実だけで潰そうとするなど、なんとも馬鹿げた話ではないか。
「そうよね。馬鹿げているわ。 お父さまは、中村家との縁組を諦めきれないだけよ。だから、あんな思わせぶりなことばかりいって、わたくしを弘晃さんのところに行かせようと、焚きつけているだけに違いないわ」
だが、彼の娘だからこそ、紫乃には疑念を払拭しきれない。あの父なら、どんなに馬鹿げたことでもやりかねない……かもしれない。
「とにかく、確認してみたほうがいいかも」
紫乃は、家に入ると出かける支度を始めた。
今日の紫乃の大学での予定は2時限目からなので時間的な余裕はまだ十分にあったが、彼女は、とにかく大学に登校すると、真っ先に図書館に向かい、ここ半年間の日刊や週間の経済新聞や一般紙の経済関係の記事、及び、経済雑誌を片っ端からあさって、中村グループ関係の記事を探した。
父が中村に対して悪さを仕掛けているのであれば、新聞記事になるような、何かしらの動きがあってしかるべきだ。だが、紙面を見る限り、中村物産が潰されかけている気配はない。中村物産の株価にも、際立った動きは見られなかった。
「ほら、やっぱり、なんにも起こっちゃいないわよ」
紫乃は、新聞を片付けながら自分に言い聞かせるように言って笑う。きっと紫乃の思い過ごしだ。そうだ、そうに違いない。
それでも、彼女の中に巣食った不安の塊は、安心しようとすればするほど大きくなっていった。何事もないのだと自分を無理矢理に納得させておくのは、図書館を出て、2時限目の講義が終わるまでが精一杯だった。
もっと、確実な情報がほしい。そうは言っても、父は、あの調子では教えてくれないだろう。父が紫乃に秘密にしておくつもりであるならば、この件に直接関わっていそうな六条側の人間も信用できない。父に仕える者たちは、あの葛笠でさえも、命じられれば白い物でも平気で黒と言ってのけるような人間ばかりだ。
「……だとすると……」
中村側の人間に聞くしかない。
(弘晃さんなら……)
弘晃が影で中村グループを仕切っているという葛笠の話が本当かどうかは知らないが、彼ならば、六条が中村物産を潰そうとしているかどうかを必ず知っているはずだ。なにより、もし葛笠の話が本当なら、紫乃は弘晃を大いに誤解していたことになる。
(あの時、話してくれようとしていたのに……)
最後に彼に会ったとき、紫乃は、彼を一方的に責めて言い訳さえ聞かなかった。弘晃との仲が壊れたことで、万が一にでも、父が弘晃の会社に迷惑をかけるようなことがあったら、紫乃は、今度こそ悔やんでも悔やみきれないことになる。
弘晃に会いに行こう。
会って、ちゃんと話をしよう。
いまさら許してはくれないかもしれないけど、とにかく会いに行こう。
紫乃は、ようやく決心した。




