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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
27/89

27.悪あがき

 紫乃としては、特にえり好みをするつもりはないのだから、おそらく最初に見合いをした男性と結婚することになるだろう。


 では、まず誰と最初に見合いをするか?


 明子から借りた5人分の見合い写真と写真の人物についてのプロフィールを何度も見比べ3日間ほど悩んだ後、とりあえず父に相談してみようと思いたったのは、そのほうが、あみだくじで決めるよりも、まだマシだと思ったからだった。


 真夜中を過ぎるころに戻ってきた源一郎を訪ねて紫乃が書斎に行ってみると、彼は、着替えもせずに電話で話しこんでいる最中だった。


「いいや、そこまでしなくてもいい。ああ。 放っておいても、いずれ我々の手に落ちる。それよりも、あまり派手に動いて他社までが買収に乗り出すようなことになったら厄介だ」

 壁際に置かれた背の高い乳白色のランプシェードが照らす灯りが、壁に大きくぼんやりと父の影を映し出している。紫乃が扉の前から数歩前に出ると、彼の影に彼女のそれが重なった。源一郎はこちらを向くと、少し待っているようにと手振りで紫乃に伝え、再び電話での話に戻った。


「あちらの思惑など気にしなくてもいい。好きにやらせておけ。いいんだよ。こちらにとっても好都合だ。ああ、そうだ。株価と世間の評判を下げるようなことはするな。由緒正しい老舗の金看板に、わざわざ泥を塗ることもあるまい?」


 どうやら、源一郎は、またしても悪巧みの真っ最中であるらしかった。 しかも、今度の相手は、それなりに骨のある相手であることは、彼の顔を見ればわかる。


「手詰まりゆえの捨て身の手に出るとはね。自虐的ではあるが、あの若造も、なかなか楽しいことを考えてくれる。それに、伝統と格式を無闇にありがたがる私の悪癖を上手い具合に利用してくれるじゃないか?」

 電話を置いた源一郎が嬉しそうにつぶやきながら、ちらりと紫乃に視線を向けた。そして、得心がいったように微笑む。「情報の仕入先が仕入先だから、正確なわけだ」


「どうかしました?」

 紫乃が、椅子に脱ぎ捨ててあった父の上着を、ハンガーに掛けながらたずねた。

「いいや。なんでもないよ。ところで、こんな夜中に何のようだい? 見合いがしたいという話をしにきたのかね?」

「まあ。 どうしてお見合いの話だってわかったの?」

「明子が、一昨日、『お姉さまを止めてくれ』って私に泣きついてきたんだよ」

 源一郎が笑いながら種明かしをする。 


「明子は、しっかりしているようでも気が小さい子だからね。お姉さんのくせに、妹を困らせるのは感心しないな」

「お父さまだって、父親のくせに子供たちを困らせているじゃないですか」

「私が?」

 紫乃が言い返すと、源一郎は意外そうな顔をした。

「私たちの学校の同級生のご家族やお身内の方が、お父さまが乗っ取った会社の社長だったり重役だったり……ということが意外に多いのですわ。そのことで、どれだけ私や妹たちが厭な思いをしたことか」

 そういうことがあるたびに、紫乃や妹たちは、級友たちからひどい陰口を叩かれたり、あるいは面と向かって詰られたりしたものだ。もっとも紫乃が常に気をつけていたので、妹たちが学校に行きたくなくなるほどの深刻な事態にまで発展したことはなかった。


「ああ、なるほど。 それは悪いことをしたなあ」

 源一郎はそう言ったものの、あまり悪いと思っているようには見えなかった。紫乃が咎めるような視線を向けたままでいると、彼は、気詰まりなのか、言い訳を始めた。


「でもねえ。『乗っ取った』と君は言うけれど、こちらから仕掛けた乗っ取りは、実は多くないよ。ほとんどは、経営に行き詰った会社を、うちの会社が引き受けたってだけだ。だから元はといえば、経営にしくじった奴ら……君の友達のお父さんたちにも大きな責任があるわけだ。そいつらの首を切ってなにが悪い? 私は慈善事業をしているわけじゃない。会社を手に入れたからには、利益を生まなければ手に入れた意味がない。違うかね?」

「もちろん、わたくしは、お父さまのお仕事に口を出す気はありませんわ。ですけど、なるべくなら阿漕なことはしないでほしいと思っているだけです。誰に何を言われても、堂々としていられますから」

「わかった」

 源一郎が神妙な顔で紫乃に誓った。 


「約束するよ。どのみち、無理矢理会社を手に入れるのは、今回限りにしようと思っていたんだ」 

「……って、やっぱり、強引な『乗っ取り』をしているんじゃないですか!」

 紫乃は、夜中には似つかわしくない大声を上げた。


「当初の予定が大幅に狂ったんだから仕方がないだろう? でも、本当に今回限りだよ」 

「また、そんな口からのでまかせを……」

「本当だよ」

 はなから疑ってかかっている紫乃に源一郎が大きくうなずいてみせる。 


「大きければいいってものでもあるまい? 六条グループはいずれ和臣が引き継ぐ。あいつには、あいつの器ってものがある」

「和臣は、お父さまほどの器ではないということですの?」

 紫乃の顔が険しくなった。

「和臣どころか、今の私でも今の状態を維持するのが精一杯だってことだよ。大きさ的には、ここらが限界だろう。それに…… なんと言ったらいいのかねえ…… 今までの私のやり方をそのまま続けていたのでは、これからの時代は生き残れない。私のようなやり方は、今だって既に時代遅れになりつつあるのだよ。これからは、より複雑により幅広く、その上で他に追随を許さないだけの自社の独自性を深めていく必要がある。だからこそ…… 悪い。君は、真夜中に私とそんな話をするために、わざわざ来たわけではなかったね」

 源一郎が苦笑した。「見合いの話だった」


「明子が言っていたけど、弘晃くんを忘れるために新しい恋をしようという発想は、私は感心しないな。恋とは、しようと思ってするものではない。恋とは、落ちるものだ。世界の果てと果てにいるかのように、それまでは何の接点も持ちえなかった男女が出会い、抗いがたい引力によって結ばれる……」


 源一郎は、華麗な身振りを交えて大演説を始めたが、そもそも、紫乃と弘晃との出会いにしても見合いである。その見合いをお膳立てした当人に、そんなことを力説されたところで、なんの説得力もありはしない。紫乃が白けた顔をしていると、父の演説は急に尻すぼみになり、今度はイライラしたような口調に変化した。


「君を振った男のことなど、さっさと忘れてしまいなさい。君を振るような男なんぞただのカスでしかない。君の素晴らしさがわからずに振った男など無価値だ。君を振るような男は、この世に存在する資格もない」

「わたくしは振られたわけではありません。だって、弘晃さんとのお付き合いを断ったのは、わたくしですもの」

 『振られた』『振られた』と連呼されて、なんだか悔しくなってきた紫乃は、きっぱりと訂正を入れた。すると、思いがけないことを聞いたかのように、源一郎が口をポカンと開けた。


「え? 君が弘晃くんを振ったのか?」

「そうですわ」

「振ったくせに、なぜ、振った当人が落ち込む?」

「それは、だって……、だって、イヤだったからですわ。弘晃さん、なんだか沢山隠し事をしてらして、それなのに、何一つ話してくださらなくて……だから、この先やっていく自信がなくなって、それで……」

 紫乃は、ふて腐れたように下を向いた。


「弘晃くんが、嘘をついていたと?」

「いえ……。えーと、そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし……」

「彼は、何を隠していたのかね?」

「それは……その……普段は会社にいらっしゃらないとか……」

「それが隠し事?」

「え?」

 紫乃は驚いて顔をあげた。


「隠していたのは、『会社に行かないこと』ではなく、『会社に行かない理由』ではないのかね?」

「それは……。そうだったのでしょうか?」

 逆に問い返した紫乃に、源一郎が呆れた顔をする。

「本人は何と言っていた?」

 はっきりしない娘の態度に、父がイラつき始める。

「話してくれようとはしたのですけど……」

「君が聞かなかったのか?」

「だって! まさか、たった一言で帰っちゃうとは思わないもの! それなのに……『いままで、ありがとうございました』なんて、無茶苦茶礼儀正しくって……そのあとは、そのまま……」


「おいおい、なんてことだ……」

 娘の告白を聞き終えた源一郎は、肘をついたほうの掌を口元に持っていったまま、しばらくの間呆然としていた。

「『そのあとは、そのまま』 そりゃそうだ。そんな暇、ないよな……」

 源一郎が、独り言のようにつぶやいた。紫乃は知らないことだが、彼が、弘晃の暇をなくした張本人であった。


「いや、だがしかし、暇ぐらい作ろうと思えば…… いや、それはいいとして。とはいえ……知ら…ってのは ……気づかな……気づかせない? それって、結局、つまり、ただの……」

 彼女のことなどそっちのけで、考えるポーズをとったまま、長い間ぶつぶつとつぶやき続けていた源一郎が、ぼんやりとした表情のまま、紫乃のほうに顔を向けた。 


「なんだ。一番の間抜けは、俺か?」

「は?」

「そうだよな。一番の間抜けは、この俺だ」

 源一郎が、今度は声を上げて笑い始めた。


「お、お父さま?」

「なんだ、そうか、そういうことか~! しかし、私も馬鹿だな。つい自分を判断基準にして、先走ってしまった。しかし、彼も、なかなか可愛いところがあるなあ」

 源一郎は、目の前にいる紫乃を置いてきぼりにして、一人で勝手に喜んだり盛り上がったりしている。


「お父さま。なにが、どういうことなんですの?」

 イライラと紫乃がたずねると。笑いの発作を収めた源一郎が、やっと、紫乃を見た。

「結論を言えば……とはいえ、私の推論にすぎないが、弘晃くんは紫乃のことが、ものすごく好きなのだと思うよ」

「は?」

 紫乃は、眉をひそめた。 そんなに唐突に結論だけを語られても訳がわからない。それに、弘晃がそれほど紫乃のことが好きだったとも思えない。彼は紫乃に沢山の隠し事をし、そして、まるで、紫乃が別れを切り出すのを待ち構えていたかのように、あっさり、彼女の前から去っていったのだ。


「どうして、お父さまに、そんなことがわかるんですか?」

「それはね。半年も付き合っていたにも関わらず、紫乃が弘晃くんのことを何にも知らないからさ」

「なにそれ?」

「彼はね。ただ、紫乃の…… つまり、自分が好きな子の前で、いいとこ見せたかっただけなんだよ。ふふふ、男の子なんてそんなもんさ。いやあ、実に可愛い。そうは思わないかね?」

 源一郎が、にこにこしながら、紫乃に問いかける。その思わせぶりな態度が、紫乃を更に苛立たせた。


「お父さまの言っていることが全然わかりません。 もっと、きちんと私に説明してください」

「いやだ」

 源一郎が、子供ように歯をむき出しながら、答えるのを拒否する。

「知りたかったら、弘晃くんに直接たずねてみなさい。紫乃が聞けば、ちゃんと教えてくれるよ。『教えてくれる』って言ったんだろう?」

「でも、わたくしのほうから会いに行くなんて……。いまさら、どんな顔して弘晃さんに会いに行けっていうんですか? それに、わたくしは、もう彼のことなど何とも思っておりません」

「素直じゃないね。君も」

 喉を鳴らして父が笑う。


「では、残念だが、彼との縁は本当にここでおしまいということになるね。言っておくが、弘晃くんのほうからは、もう2度と君に会いにくることはないだろうよ。それが、君のために彼が出した結論だろうから」

「私のため?」

「たぶんね。彼自身のためとは思えないから、おそらく君のためなんだろう。意地ばっかり張っていないで、たまには素直になってごらん。それができないのなら、弘晃くんのことは潔く忘れることだ。見合いでもなんでも、君の気が済むまで、何度でも好きなだけするがいいさ」


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「……。 それで、お姉さま。いったい何回お見合いしたら気が済むんですの?」


 それから、およそ1ヵ月後。

  意地を張り続ける紫乃に、妹たちは、すっかりあきれ果てていた。





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