25.待てば海路の・・・
「え?」
「正確に言えば、愚痴を言うのが私たちの任務というわけではなくて、社長に1日中張り付いていればよかっただけなんですけどね」
ふたりのうち年配のほうのひとりが笑いながら訂正を入れ、港に泊まったままの彼らの船に目を向ける。
「船って、あれだけ大きなものになると、何にもしないで桟橋を占拠しているだけで、結構な費用が掛かるりますよね? 使用料だけではなくて、他にも迷惑料とか?」
「あ、うん」
頭を痛めていた問題だけに、社長は、つい素直にうなずいてしまった。
今回、港から船が出て行けない原因は、彼の会社にある。なぜなら、『機械が壊れた』とか、『従業員が全員悪性の風邪にかかった』などとあれこれ理由を付けて荷を渡さないのが彼の会社だからである。
港の使用料は、船の大きさや運んでいる荷物の量により、日割りで決められる。また、荷が滞っている以上、彼の会社は、荷主である中村物産や荷を運んでいる船会社に対して相応の賠償をしなければならない。
そのうえ、『早く仕事を再開しないと、他の船が入れないじゃないか!』と、港湾関係の人間にどやされたり、従業員たちにも作業の再開をせっつかれたりして、社長は社長で毎日辛くて肩身の狭い思いをしているのだ。
(まあ、掛かりのほうは保険でなんとか賄えると思うが……)
「保険金はね。おりません」
社長の考えなどお見通しだとでもいうかのように、若い方の社員が言った。
「だって、そうでしょう? 六条に圧力をかけられてしかたなく……とはいえ、苛めに参加するために荷が降ろせないなんて事由で、保険屋さんが保険金を払ってくれるわけがないじゃないですか」
「う……だから……」
たとえ、本当の理由はそうでも建前は違う。「だから、機械が壊れているんだよ。だから……」
「いいえ。機械は壊れていません」
年配の社員が首を振った。
「少なくとも、我々が社長に付きまとい始めてからの間、あなたは問題解決のために何の手段も講じていない。ここの会社が持っている作業用機械は特殊ですからね。修理ができるところは限られている。メーカーさんを始め、思いつく限りをいろいろと当たってみましたが、どこも、こちらの会社からの修理の依頼を受けていないそうです。ついでだから、メーカーさんにお願いして、コッソリ点検してもらいました。どこも壊れていないそうですよ」
よかったですね。そう言って、ふたりが社長に笑いかけた。しかも、愛想笑いを絶やさぬまま、更に社長を追い詰めにかかった。
「それから、こちらの作業員さんたちですが、休みをもらわなければならないほどの悪性の風邪を引いている人など、誰もいませんでしたよ。皆さん、仕事がしたくて、うずうずしてらっしゃったそうです。作業員さんたちの中には、日雇いの人も多いようですね。仕事をさせてもらえないと飯が食えなくなるって困っている人もいましたよ」
「その他にも、うちの会社の船が港から動かない理由を、社長が何と言って港湾関係者に説明しているか、方々で証言を取ってきました。それらをつき合わせてみると、いろいろと矛盾が出てくるのですが?」
年配の社員が、片方の眉だけを器用に上げ、探るような目で社長にたずねる。それから、ふたりは真面目くさった表情に戻って、彼に最後の言葉の刃を向けた。
「これらの証拠を保険会社に持っていけば、支払いのための審査も省けて、さぞや喜んでくれることでしょう」
「保険会社だけではありません。この港を管理する港湾局宛に、こちらの会社への懲罰を求める正式な文書。および、うちの会社の取引を不当に妨害したとして、こちらの会社を法的に訴えるために必要な書類等、全て整えてあります」
「い……いつの間に……」
社長はうめいた。答えは聞かなくてもわかっていた。ふたりが自分に付きまとって自分の行動を著しく制限している間に、彼らの同僚が動いたのだろう。
「で……できるものなら……うちには六条がついて……」
社長は、強がってみたものの声が震えていた。彼の精一杯の虚勢も、このふたりの社員には、もはや通じていないように思われた。というよりも、初めから通じていなかったのかもしれない。彼らは、ただ、ひたすら頭を低くして反撃するため時を待っていただけにすぎなかったのだ。
「できますよ」
彼らは、社長の動揺を見透かしているかのように微笑んだ。
「あなた方にとっても私たちにとっても、六条グループは大きな存在かもしれません。ですが、万能ではありません。船は、既に10日以上も港に停泊し続けています。この先も荷を止め続ければ、更に何週間も船は港から動かないことになる。こちらの会社の立場は悪くなる一方です。巨額の負債を抱え、裁判を起され、そのうえ、仕事場であるこの港からペナルティを科され…… いや、ひょっとしたら追い出されるかもしれませんね。これだけのことを一度に引き受ける覚悟が、あなたにありますか?」
年配の社員が、穏やかに社長に問いかけた。
「六条は、おそらく、最後まであなた方の面倒を見る気はないと思いますよ。こちらの会社が厄介ごとに巻き込まれたら、トカゲの尻尾を切るように、あなた方を切り捨てるでしょう。役立たずは、捨てる。そういう会社ですから」
若い方の社員が、意地悪く言い添えた。
社長は、しばらく黙りこんだ後、「確かにな……」と力なくうな垂れた。六条は、きっと助けてはくれない。六条は、彼の会社を切り捨てることについて、なんの痛痒も感じないだろう。会社が潰れた後ならば、六条グループが拾い上げて再生してくれることはあるかもしれない。だが、たとえそうなったとしても、社長である自分の首は、すげ替えるに違いない。
「六条に潰されるか、中村に潰されるか、どちらかを選べ……ってか?」
社長は、両手で頭を抱えた。
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ふたりの社員は、目の前で絶望に打ちひしがれる社長を見ると、顔を見合わせてニンマリと笑った。
証拠を集め、はったりをかまして社長を追い詰めたのは、まだ序の口。彼らの実際の仕事は、ここからが本番である。本音を言えば、保険会社に言いつけたり裁判に訴えたり……などという悠長な真似をしている時間的な余裕は、中村グループのほうにもありはしないのだ。
彼らは、社長の耳元に顔を寄せると、希望という名の蜘蛛の糸を慎重に垂らした。
悲観するのはまだ早い。もうひとつ、選択肢がありますよ、と……
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ふたりの言葉に驚いたように、社長が顔を上げた。
「これからお願いすることを引き受けていただけるのであれば、保険屋さん告げ口するようなことも、裁判に訴えるようなことはしません。しかも、船は今日中に港を出て行くことができるという……」
年配のほう…ふたりの社員のうちの上司にあたるほうの社員は、そんな台詞を言いながら、社長を勇気付けるようにニッコリと微笑みかけた。
彼としては、精一杯にこやかに微笑んだつもりだったが、ついさっきまで自分を追い詰めていた男の甘い言葉を信じろというほうが無理なのだろう、彼らを見返した社長の目つきには、これ以上騙されまいという意思が見え隠れしていた。
「出て行く? 俺に何をしろっているんだ?」
警戒しながら社長がたずねた。
「船が沖に出たら、荷をこちらに渡してほしいんです。全部とは言いません。とりあえず半分……いや3分の1でもいい」
「海の上で、荷を渡す?」
「この会社なら、できますよね?」
ぼんやりと問い返す社長に、彼は、突っ込むように首を前に伸ばしてたずねた。社長は、虚ろな目をしばし宙にさまよわせたあと、「あ~~…そうか、艀か……」と言った。
艀とは、海上で荷物を運ぶための平底の船である。多くの艀には動力はなく、タグボートなどで牽引されて進む。足場の悪い船の上での作業は危険を伴うことや、大型の作業機械などの導入、道路の整備や貨物船のコンテナ化が進んだことで、今ではトラックなどの陸上輸送が主流となってはいるが、かつて、大洋を航海してきた貨物船の荷の多くは、港に到着すると小分にして艀に積み替えられてから、臨海部の工場など、水深の浅い場所まで運ばれていた。
艀は、今でも、安くて大きくてかさ張るものの輸送には使われている。当然、この会社にも艀はあったし、その作業ができる沖仲士もいた。
「でも……沖~…って、どれぐらい沖? 海の上とはいえ、どこでもいいって訳にはいかないだろう? 本当にやるなら、港湾に話して、事前に作業場所だって確保しないと……」
「沖といっても、それほど遠くでなくてもいいんです」
だいぶやる気にはなっているようだが踏ん切りがつかないのであろう社長に向かって、彼は慌てて言葉を足した。
「あまり目立たずに作業できればそれで良いわけですから、それほど港から離れる必要もないでしょう。社長のところの沖仲士さんたちにも、こちらの会社が現在置かれている辛い状況と、うちの会社の事情を話しました。天候が落ち着きさえすれば、六条にバレないうちに、夕闇に紛れて、こっそり迅速に作業してくれるそうです」
「今日なら、海も穏やかだし波も高くはありません。作業するには打ってつけです。既に港湾とは話をつけてあります。作業のための場所も確保済みです」
「あんたたち、ひょっとして天候が落ち着くのを待っていたのか?」
社長の問いを肯定するように、彼らは微笑んだ。
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「ええいっ! 六条にバレたら、その時はその時だ」
……と、かなりヤケクソになっている社長から荷を渡してもらう約束を取り付けるとすぐに、ふたりの社員は事務所を出て、1番近くにあった電話ボックスに駆け込んだ。
「片桐です! 鉱石を渡してもらえることになりました!」
先月以来、トラブル対策本部になっている本社の会議室に電話が繋がった途端、年配のほうの社員が受話器に向かって叫んだ。短い沈黙の後、電話の向こうで大歓声が上がるのが聞こえた。
電話口には彼らの会社の最年少の相談役……弘晃も出てきて、彼らの労をねぎらってくれた。
『片桐さん。 よく頑張ってくれましたね。本当にご苦労様でした。ありがとうございます。 あなたと一緒に頑張ってくれた高野さんにも、宜しく言っておいてくださいね』
弘晃は、片桐と一緒に愚痴を言い続けた彼の部下の名前も知っていた。
いつも驚かされるのだが、この人は、社員数が数千人に上るこの会社の中で、誰が何処でどんな仕事をしているか、実によく把握している。高野の名前もそうだが、鉱石の精錬をしている工場が、以前はトラックではなく船で原料の搬入を行っていたことも、ちゃんと知っていた。その時の弘晃の話しぶりからして、彼の頭の中には鉱石の精錬所の正確な見取り図まで入っているに違いないと、片桐は思っている。
「高野に伝えておきます。喜びます」
片桐は、彼の隣に控えている部下に笑みを向けながら答えると、「私こそ、相談役にお礼を言わなくてはなりません。交渉が成功したのは、相談役のおかげです。ありがとうございます」と、心からの感謝を込めて礼を言った。
だが、弘晃には、片桐に礼を言われる心当たりがなかったようだ。
「私? 私、片桐さんたちのお役に立てるようなこと、なにかしましたっけ?」
弘晃からは、どこかとぼけた返事が返ってきた。
「ええ」
片桐は微笑んだ。「『待つ』と言ってくださったでしょう?」
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海の上の作業は危険が伴う。悪天候の中で無茶をすれば、作業員の人命はもちろんのこと、荷だって失う危険がある。
実を言えば、六条の影におびえる荷揚げ会社の社長を追い詰めるための証拠と書類だけなら3日前には全て揃っていた。それにもかかわらず、ひたすら愚痴を言って過ごしたのは、あの社長を困らせるためばかりではなく、なによりも天気が悪かったからだ。
そんな片桐の慎重さに、彼の会社の多くの社員は腹を立てた。
会社が存亡の危機に立たされているときにお天気待ちなどと……、お前は何と悠長なことをしているのだ? 天気がなんだ! 多少のリスクは犯すべき、犯さないのは腰抜けだけ。だいたい、悪いのは向こうの会社なのだから、悪天候など勇気と根性で乗り越えさせろ……と、片桐は会議で他の者たちから散々責められた。
だが、片桐としては、会社が危機だからこそ、勇気と根性などという曖昧なものに頼るのはイヤだと思った。彼は、彼を責める者たちに向かって、無理と無謀は違うと頑なに主張した。そんな片桐の主張を聞き入れてくれたのが、現在は社長の補佐役として影ながら中村物産とそのグループ企業に君臨している中村相談役……すなわち弘晃だった。
「期限が迫っているということは問題には違いありませんが、それを抜きにして、確実さと安全という面から考えれば、皆さん片桐係長の言っていることは正しいと思っているのでしょう? ここはひとつ片桐係長を信じて任せましょう」
白熱している議論の最中、ひたすら黙って社員の主張に耳を傾けていた弘晃は、互いの主張が堂々巡りを始めた頃合を見計らって今月一杯という期限付きで、この件については、彼を責任者とするチームに全て任せてくれた。
弘晃のこの決定に逆らうものは、誰もいなかった。先代の社長に対してそうであったように、弘晃を恐れたがゆえに何も言えなかったというわけではない。優しげで頼りなげな外見に似合わず、弘晃の判断には、個人的な好みや、その場の雰囲気に左右されることがない。基本的に人の和を尊び、平和な時には他人に命じることまで人任せにしがちな弘晃が、周りの文句などものともせずに片桐に任せると決めたのなら、そうすることが会社のためには1番なのだと、社員たちは経験的に知っているのである。
弘晃が任せてくれたおかげで、片桐は自分の判断で自由に動くことができた。もちろん、任されたがゆえのプレッシャーは大きかった。だが、彼を信じてくれた弘晃のために、そして、何よりも自分のために、片桐は絶対に失敗できないと思ったし、自分のできる精一杯のことをやって期待に応えたいと思った。
「だから、無事に荷を渡してもらうことができるのは、相談役のおかげです」
ありがとうございました。
……と、片桐は、電話の向こうの弘晃に向かって頭を下げた。




