24.雨のち晴れ?
それから、数日後。
その日も雨が降っていた。ただし、傘が差そうか差すまいか迷うぐらいの小雨である。雲は薄く、雲の隙間から漏れ出した太陽の光が、レースのカーテンのように下界を照らしている。気温も湿度も上がって、いっそ本降りになってくれたほうが楽だと思うほどのうっとうしさである。
うっとうしいといえば……
「あ~あ、僕たちは、もうおしまいだ~」
「本当にもう、あの無能な経営者たちのせいで……」
中村物産の社員ふたりは、今日も、嫌がらせをしている会社の社長の事務所に押しかけては、まるで嫌がらせの仕返しのように、いつ果てるともしれない泣き言を喚き続けていた。
「いい加減にしてくれよ……」
愚痴を聞かされ続けている社長は、頭を抱えながら呻き声を上げた。中途半端な外の天気と相まって、ふたりの存在の暑苦しさは倍増していた。
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同じ頃。
やはりふたり組で行動している彼らの同僚たちは、船に乗せられたままの鉱石に代わるものを国内でかき集めるべく奔走していた。
船荷の到着が予定よりも遅れること自体は、それほど珍しいことではない。これまでも、同じようなことは何度かあった。だが、今回ばかりは、こちらのほうも思うような成果があがらない。あちこちに頭を下げまわって一週間ほどのうちに彼らが集められたのは、最低限必要としている量の3分の1にも満たなかった。六条グループに肩入れする気はなくても、中村が潰れてしまえばいいと思っている競合他社が少なくないということなのかもしれない。
「これ以上、打つ手がありませんね」
……と、彼らが、弱音を吐きながら諦め半分に向かったのは、川沿いにあるそれほど大きくもない町工場……スクラップから金属を取り出すリサイクル工場であった。ひっきりなしに大きな音を立てる機械音に負けないような大声で、彼らは、ここの主に訪問理由を説明した。
「話はわかった。で、どれだけ入用なんだ?」
禿げ上がった頭に鉢巻のように薄汚れたタオルを巻きつけた工場の主がたずねた。
「え? うちに回していただけるんですか?」
それまで何処に行っても冷たくあしらわれていた社員たちは、信じられない思いで油まみれの工場主に問い返した。そんな彼らを面白そうに眺めながら、工場主が、「あたりめえじゃねえか」と大きな声で笑う。
「中村さんには散々世話になったからな。特に、あの兄ちゃんのほう……。あの出不精の兄ちゃんすら駆けずり回らなくちゃならねえほど中村が大変なときに、俺が何にもしねえってのは、人の道に外れるってもんだろうが?」
「いえ、あの……、相談役は、別に出不精という訳ではないんですけど……」
社員たちが消極的に訂正を入れた。
「とりあえず、うちにある分は全部回してやるよ。でも、それだけじゃ全然足りねえんだろう? あと、どれだけ必要なんだ? 欲しい分だけ言ってみな」
工場主は、同業者にも声をかけて、できる限りの量を揃えてやると、気安く請合ってくれた。
「六条さんと中村さんの板挟みになって困っている奴らもいるだろうからな。中村からの依頼だって知らずに俺に回したってことにしておけば、六条に対して言い訳も立つってもんだ。喜んで協力してくれるだろうよ」
「本当に、お願いしてしまってもいいんですか? 」
「なに、心配するねえ。塵も積もれば山となるって言うだろう? この東京周辺にはよ、外国のでっかい鉱山に負けないほどのお宝が眠っているんだからな」
工場主は、スクラップの山を振り返って、胸のすくような笑い声を上げた。
雨は既に止み、青空をバックに、雨に濡れたスクラップの山が、ようやく顔を出した太陽の光を反射してきらめいていた。
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同じ頃。
姉妹たちが共同で使っている部屋に現れた紫乃は、雨が止んでいることに気がつき、外の様子を見るために窓辺へ向かった。そして、窓辺にぶら下がっているものを見て我が目を疑った。
てるてる坊主が、夏の日差しを浴びて、気持ち良さそうに揺れている。
頬に紅など入れて、あたかも他人が作ったものであるかのようにカモフラージュされているものの、材料に使った布の質感や頭の大きさも、左右で微妙に高さが違う目も、首に巻かれた母のお気に入りの洋菓子店のリボンまで同じ。これは、間違いなく、先日まで紫乃の部屋にぶら下がっていたてるてる坊主だ。
「……。 どうして、ここに?」
空に向けて顔を上げたてるてる坊主は、なんともお気楽な表情を浮かべているように見え、同じように常にのほほんとした顔をしていた何処かの誰かを、否応もなく紫乃に思い出させた。
(あの男は、今頃、ちょっと前まで付き合っていた女のことなんぞ忘れ果てて、気楽に暮らしていることだろう)
そんな考えが、紫乃の頭をよぎった。無性に腹がたってきた紫乃は、てるてる坊主をはずしてしまおうと、手を伸ばした。
そこへやってきたのが、次女の明子であった。
「お姉さま。ああ、丁度よかった」
明子は、強引に紫乃の手を引っ張ると、ソファーに座らせた。
「ちょっと、これをご覧になって」
次女の明子が、彼女の前に積み上げたのは、お見合い写真だった。全部で5人分ほどある。
「……。なにこれ? 」
「お父さまのところに持ち込まれたお見合い写真です。順番でいくと次は私だから、見るだけ見てみなさいって、いただいたのですけど」
「見るだけ?」
「お父さまとしては、この写真の人たちよりも、もっと上を狙っているようですわ。興味がなければ捨てても構わないけど、気になる人がいれば、その人と会うだけは会いましょう……ということみたいでしたけど」
実感がわかないのだろう。 明子が、まるで他人事のような口ぶりで言う。
「ふうん」
紫乃は、気のない様子で、一枚ずつお見合い写真を検分し始めた。
最初の写真は、小柄でよく日に焼けた男だった。ストライプの浮き立ったスーツに、ブランド物であるらしい金ぴかのごつい時計を身に着けている。某政治家の息子らしいが、本人はまともな職についているのだろうか?
次の男は、笑顔の眩しい製薬会社社長令息だった。容姿は普通以上かもしれない。それは紫乃も認めてもいい。だが、見合い写真で白い歯を見せてカメラ目線で笑う男…… 正直、気味が悪い。
3枚目は、父よりも年上に見えた。他の2枚も、前の3枚に比べればインパクトが薄いが、似たようなものだった。
「これは……」
一緒に眺めていた明子が顔を曇らせる。
「なるほど、お父さまが『捨てちゃっていい』というわけねえ」
紫乃が笑った。父は、面白がって、これらを明子に渡したに違いない。真面目な明子なら、この手の男たちは論外だろうから、渡したところで益にも害にもならない。
「どう、明子。気に入った人はいて?」
100%全員明子の好みではないだろうとわかっていながら紫乃が明子をからかうと、彼女は、「何を言っているんですか」と几帳面な顔で首を振った。
「私が、姉さまを差し置いて先に結婚するなんてわけないでしょう? こんな変な人たちはともかく……」
自分で持ってきたくせに、明子は、紫乃から写真を取り上げると、後ろに放り投げた。そして、紫乃の手を両手でしっかりと握り締める。
「姉さま。いつまでもクヨクヨしていないで、新しい恋を見つけるべきですわ。もう、中村さまのことは忘れましょう。あの方よりも素敵な人は、この世に5万といるはずです。姉さまなら選り取りみどりです」
「……。 わかっているわよ。そんなこと」
紫乃は、むっとしながら言い返した。
そんなことは、明子に言われるまでもなくわかっている。何が変わるわけでもないのに、グジグジと悲しんだりするのが彼女は大嫌いだった。だから、弘晃のことは忘れようと日夜努力している。だが、困ったことに、努力すればするほど思い出してしまうのだ。
紫乃は、明子が放り投げた見合い写真に目を向けた。政治家の息子に、大手製薬会社の御曹司、大手楽器メーカーの社長に製菓会社の社長の長男、製鉄会社の社長の次男…… 見た目で既に受け入れられなくても、条件だけなら、紫乃が結婚相手に求めていた条件に充分に叶う。
そう。 弘晃に出会う前なら、彼女は、迷うことなく、これらの縁談を受けていただろう。紫乃は明子の手を解くと、床に散らばった写真を拾い集めた。
「明子。この写真、しばらく私に貸してちょうだい」
「は? そんなもの、どうするんですか?」
「検討してみるわ」
「ええっ? なんで??」
悲鳴に近い声をあげる明子を見て、紫乃は笑った。
「おかしな子ね。今、私に、新しい恋を探せといったばかりじゃない?」
「言いましたけど、そこから選べとは言っていません!!」
「……。どこから選んだって同じだわ」
紫乃の返事は、どこまでも投げやりだった。
「お姉さま! お願いですから早まらないでっ!!」と、叫ぶ明子を残して、紫乃は自分の部屋に戻った。
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一方、こちらは、愚痴社員ふたり組。
「あ~あ、このままじゃ、六条への再雇用も無理だなあ」
「そうだよねえ。今回の件で俺たちの評価はがた落ち。役立たずは捨てる。六条って、そういう会社だもんな」
「来月からは、職安通いだよ~。嫌だなあ……奥さんに何て言われるか……」
「それもこれも、ここの会社が僕たちに船荷を渡してくれないせいで……」
「だめだめ。そんな目をしたって。うちだって、社の存亡が掛かっているんだ」
荷物の陸揚げを拒否し続けているこの会社の社長は、向かい側に座ったふたりの社員に恨めしげな顔を向けられて、顔をしかめながら首を振った。このふたりに同情して荷を渡せば、次に六条に目を付けられるのは自分の会社である。中村グループに比べれば塵に等しい会社かもしれないが、彼にも大勢の従業員とその家族を守る責任がある。
(それに、なんなんだ、このふたりは……)
社長は、日がな一日、自分の会社に来ては泣き言ばかり繰り返している社員たちに目を向けた。日ごろから気が荒くて人の好い肉体労働者たちとの交流が多い彼は、この手の軟弱な若者が大嫌いだった。普段は尊大でエリートぶっているくせに、ちょっとしたことで簡単に挫折し、すぐに責任を放り出す。
(少しは根性見せてみろってんだ)
六条に圧力を掛けられて仕方なしに荷を止めた頃、彼らがひたすら自分に頭を下げていたときには、彼は迷惑していたものの、彼らの熱意に内心で感心したものだ。だが、今は、彼らに失望するばかりである。
彼は椅子から腰を上げるように身を乗り出すと、説教口調で、ふたりにたずねた。
「君たちさ、ここで愚痴ばっかりこぼしていないで、他に何かしようがあるだろう?」
「他にすることはありません。これが僕らの仕事です」
彼のうちのひとりが、きっぱりと答えた。
「そんなことないだろう? 俺たちに邪魔されたからって、他に手がないわけじゃあるまい? 例えば、他の港にあの船を動かすとか……」
なんで、俺がこいつらに知恵をつけてやらなければいけないんだと思いつつ、社長は、港に留まっている彼らの船に目を向けた。だが、彼の親切も虚しく、ふたりは、「船を何処に持って行っても同じですよ。結局、六条の邪魔が入るんです」と初めから諦め顔である。
今度こそ、社長は頭に来た。
「おまえらっ! ふざけるのも大概にしろっ!!」
社長は、おもむろに立ち上がると、ふたりを怒鳴りつけた。
彼に怒鳴りつけられたふたりは、ビックリしたように首をすくめて下を向いた。そして、そのまま顔を下に向けた状態で顔を見合わせる。
「怒られちゃいましたね。でも、社長のおっしゃるとおりです。そろそろ我々も動きますか?」
「そうだな。愚痴のネタも尽きたしな」
ふたりは、小声で短い申し合わせをしたあと、ゆっくりと顔を上げ、社長に向かってニヤリと笑った。
彼らの態度は、さっきまでのグダグダの軟弱ぶりとは、明らかに違っていた。なによりも、目の輝きが違う。まるで、獲物を追い詰めた肉食獣のような眼差し……
「な……」
本能的に、社長は身構えた。
「僕らは、ふざけてなんかいませんでしたよ。ひねもす社長に愚痴をお聞かせし続ける。これが今回の僕らの役割でした」
ふたりのうちの若い方が、口元に笑みを湛えながら、社長に言った。




