22.緊急招集
「六条さんが怒っている?」
「弘晃との話はなかったことにしてほしいって。それから、仕事上のうちとの付き合いも、これきりだって。 援助の話もなかったことにするって。それから……」
「それから?」
「『叩き潰してやる!!』……って」
弘幸は、涙目になりながら、息子と秘書に向かって、六条源一郎から聞かされた言葉を聞かされたままの口調で再現した。
六条の言葉がただの脅しではないということを、3人はすぐに思い知らされることになる。それから数分も立たないうちに、銀行から正弘に今日の午後和やかな雰囲気のなかで取り決めたばかりの話をなかったことにしてほしいという旨の電話があった。理由をたずねる正弘に、『六条グループの後ろ盾があればこその、お話でしたから』と銀行側の担当者は、申し訳なさそうに答えた。
「なんてこった」
電話を置きながら、正弘が、惚けたようにつぶやく。だが、悲嘆にくれている間もなく、その後も、中村グループとの取引を打ち切る、あるいは、しばらく付き合うのを遠慮したいという電話がひっきりなしに掛かってきて、正弘はその対応に追われることになった。しかも、その合間にも、中村グループの関連企業や各部署から、トラブル発生の報告が休む暇もなくもたらされる。それらの報告はすべて、『なんの問題もなかったはずなのに相手が一方的に取引を打ち切ってきた』とか、『思いもよらないところから、いきなり無茶な妨害が入った』といった類のものだった。
どうやら、六条が裏で糸を引いているのは間違いなさそうである。事の深刻さに、正弘から連絡を受けた弘晃も、直ちに本社に駆けつけてきた。
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立て続けに起こるトラブルにうろたえ、手をこまねくばかりだった社長と数名の重役たちは、社長室に飛び込んでできた弘晃を見て、一様に安堵の表情を浮かべた。彼に向かって一斉に口を開きかける彼らを手を上げて制すると、弘晃は、ここ一時間以内に起こったトラブルの有無をまず確認した。
「連絡が入ったのは1件だけです」
だが、それも対応に追われて連絡が遅れていただけとのこと。
「どうやら、ピークは過ぎたようですね」
弘晃は、社長室の壁にかけられた丸い時計を見ながら言った。時刻は11時を過ぎている。
「これ以上なにかが起きるにしても、明日。そう判断してもよさそうですね」
弘晃は、集まっている重役たちに、各部署、および支社の責任者を集めるように命じた。
「いろいろなことが一度に起こったために、情報が錯綜しているようです。今回のトラブルは、おそらく根っこが同じでしょうから……」
「六条……ですか?」
「間違いなく」
弘晃は、うなずいた。
「ですから、各所各所で個別に対処していても、無駄に騒ぎを大きくし、社員を動揺させることになるだけです。判断を仰ぐのに、いちいち上と連絡を取っていては間に合わないことも、この先は出てくるでしょう。まずは、何が起こっているのか全員が正しく知る必要がある。その上で社としての総意を明確にしておいたほうが、皆も動きやすいでしょう?」
「本社の部長以上のもの、および近隣の支社長に非常召集をかけます。場所は大会議室」
「会議が始まるまでに、手分けして地方や海外にも連絡をとります。今のところトラブルの連絡が入っていないところにも全て……」
弘晃の言葉を受けて、それまで呆然とするばかりだった重役たちが、自主的に動き始める。
「あ、それから! 長丁場になるでしょうから、手の空いた社員は、家に帰すか休ませるかするように言ってください!」
部屋を飛び出していく者たちの背中に向かって、弘晃が叫ぶ。
社長室には、弘晃と弘幸だけが残った。
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「すみません、お父さん。僕のせいです」
正弘から知らされた時点で、弘晃は、今回の怒涛のごときトラブルの襲来の元凶が自分であることを認識している。2人きりになると、弘晃は弘幸に深く頭を下げた。
「紫乃さんに、振られちゃったんだね?」
弘幸がたずねた。
「はい。いえ、いいえ。 振ったのは……、この場合、僕…ということになるんですかね? いずれにせよ、紫乃さんを酷く傷つけてしまいました」
弘晃の答えは、彼には珍しく、かなりあやふやだった。
弘晃は顔を上げると、「きちんと話そうと思ったんですけど、もう聞いてくれそうになかったんです。いずれにせよ、彼女を傷つけたことは確かですし、今から説明しても言い訳どころか、余計に彼女を傷つけてしまうと思うんです」と、肩を落とした。
「こんなことになってしまって、本当にすみません」
「そんなに、謝らなくてもいいんだよ」
弘幸が、しょげる弘晃に微笑みかけた。
「後々のトラブルの元なったら困るから初めから断ろうって言っていた君を、無理にお見合いの席に連れ出したのはお父さんたちだからね。うまくいかなかったからって君を責めるのは、お門違いというものだよ」
弘幸がカラカラと笑った。弘晃の父がもつ『寛容さ』という美徳は、時に、彼の実利的な能力の欠如を補って余りあるほどの偉大さがある。
「でもね。弘晃。『会わなければよかった』なんて思ってはいけないよ」
「お父さん?」
「悲しい結果に終ってしまったけれど、それが間違いだなんて思うことはない。紫乃さんと付き合っている間、君はとても幸せそうだった。お父さんは、君と紫乃さんを会わせたことを良かったと思っている。紫乃さんにも感謝している」
「お父さん……」
見かけの若さを裏切るようにいつも分別臭い表情を浮かべている弘晃の顔から、子供のように頼りなさげな表情が覗く。
「紫乃さんに会えてよかったね」
そんな息子に弘幸が念を押すように微笑みかけた。
「ええ、そうですね。あの人に会えて良かった」
弘晃は、弱々しいながらも笑みらしきものを浮かべた。弘晃の顔に笑顔が戻ったのを確認すると、弘幸は『よし』と満足そうに微笑んだ。そして、直前までの大らかな態度を一転させて、情けない顔で息子にたずねた。
「六条さんは、本気でうちを潰す気なのだろうか?」
「本気かもしれませんね。当初の彼の思惑としては、紫乃さんの夫となった僕ごと中村グループを取り込むつもりだったのではないでしょうか? 紫乃さんとの縁談が破談になった時点で、その計画は実行できなくなります。だから、娘を泣かしたにくい相手ごと潰してしまおうという強引な手に出たのでしょう」
「どうしよう? どうしたらいいと思う?」
「やれるだけのことを、やってみるしかありませんね」
怯える弘幸を安心させるように、弘晃は微笑んだ。
「でも、相手は六条。力及ばずに潰される……という結果に終る可能性のほうが高いです。だから、会議室に行く前に、お父さんたちに話しておきたいことがあるのですが」
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それから1時間ほど後。
本社内にある大会議室は、本社および都内と近県の支社で部長格以上の者という条件で集められた者たちで一杯になった。そればかりか、彼らが状況報告や今後の対策を説明させる必要から連れてきた配下の社員たちで、廊下にまで人が溢れかえっていた。また、弘晃が帰るように言ったにも関わらず、このときばかりは、彼の命令に逆らうものが続出した。
六条グループには幾つもの別名がある。
六条グループにとって一番耳に心地良い名前は『再生請負人』。そして、誰にとっても不快な名前は、『のっとり屋』あるいは、『死神』『ハイエナ』などが挙げられる。
六条グループは、確かに、平和的な方法で多くの企業を傘下に入れ、その再生に力を尽くしたことで知られている。だが、それを遥かに上回る数の企業をルール違反ギリギリの汚い手を使って手に入れてきたことでも知られている。彼らに目を付けられたが最後、傘下に取り込まれることなく生き残った企業は、これまでのところ知られてはいない。早いものは3日、遅くても1ヶ月以内には潰されてきた……という噂である。
その六条グループの魔の手がついに中村グループにまで及んだ。近いうちに、この会社も潰される。……というのが、ここに集まった大勢の人々の共通の認識である。
自分たちの近い将来の問題なのだ。帰れと言われても安心して眠ることができないのなら、ここに残って会議の成り行きを見守るほうがマシだということらしい。
今更秘密にしておくことは何もないからと、弘晃は、居残りを続けてくれている社員のために、会議室の音声を社内放送を使って本社全館に流させることにした。各部署に残っている者たちが、連絡用の電話だけを残して遠くに赴任している同僚に電話回線を繋ぎ、部署内のスピーカーに受話器を向けて会議の様子をリアルタイムで知らせようとしていると、社長室で事前の打ち合わせをしていた弘晃に知らせてくるものがあった。
「六条と通じている者が、彼らの中にいるかもしれません。やめさせますか?」
重役の一人が弘晃にたずねたが、彼は首を振った。
「誰が聴いていても構わないよ。六条さんが聴きたいというのであれば、聴かせてあげればいい」
「さて、そろそろ始めようか?」
創業者一族の中でいまだにこの会社の経営に関わっている者の中では最年長の大叔父がのっしりと立ち上がる。弘晃は大叔父にうなずくと、社長室に集まっていた者たちと共に会議室に向かった。
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会議場は、弘晃が外から感じていたよりもずっと、熱気と興奮に包まれていた。
弘晃たちは、会議室の先頭に設けられた参会者と向かい合わせになる席に横一列に並んで座った。多くの者たちに頼りにされているにもかかわらず立場的にはあくまで『相談役』である弘晃は、控えめに末席に近い椅子に腰を下ろした。
まずは社長の弘幸、そして、先刻の最長老の大叔父が重々しい口調で短い挨拶をする。その後、六条グループが資金繰りで苦労していた中村グループに手を貸そうとしてくれていたこと、それと平行して、弘晃と六条家の令嬢との間に縁談が持ち上がり、その話がこじれたことで、今回のような事態に陥ったことが説明された。
「まあ、だいたい、この弘晃に縁談……ってことからして非常に無理がある。ゆえに、弘晃の涙ぐましい努力もむなしく、この縁談は、こじれるべくしてこじれたわけだが……」
振られた弘晃よりも、見合い話を受けた奴が馬鹿なのだと言わんばかりの視線を弘幸に送りながら、大叔父は着座した。彼と入れ替わりに立ち上がった弘晃は、「私のせいで、皆さんにご迷惑をかけることになってしまいました。申し訳ありません」と、出席者に向かって潔く頭を下げた。
だが、社員たちは、そもそも六条の突然すぎる暴力的ともいえる嫌がらせに憤っていたのである。それゆえ彼らは、この話を聞いて、弘晃の不始末を責めるどころか、同情した。
「立場の弱いうちの会社の創業者一族として、その見合いが断れるはずがないじゃないですか!」
「たとえ縁談が上手くいってもいかなくても、六条は、どっちみち、うちの会社を手に入れるつもりだったんですよ。今日のことで、彼らの魂胆は丸見えじゃないですか」
「相談役が、気に病む必要なんぞ皆無です!」
社員たちは、会議室にいる者もいない者も口々に叫んだ。
その後、各部署からトラブルのあらましが報告されるたびに、彼らは六条への不満や憎しみを声や態度で表明したが、報告が進むにつれ、六条の容赦ないやり口に対してもはや打つ手がない……そんな絶望的な空気が会議室全体を支配し始めた。
その中で、弘晃だけは、常とは変わらぬ冷静さを保ち続けていた。弘晃はマイクをもって立ち上がると、騒然とする人々を見回した。 彼の視線が及んだ先から、人々は速やかに口を閉じ、弘晃に注意を向け、彼の言葉を待った。
「確かに、この会社は『もうおしまい』かもしれません」
弘晃は集まっている人々に静かに話しかけた。
「うちは、創業470年。 江戸幕府が開府される以前から、この東京で商売をさせてもらってきました。だから、どうせ潰れるのであれば、老舗の意地と心意気を見せたうえで。そして、どうせ『のれんを仕舞う』なら、きちんと『仕舞い』たい……と、先ほど、私たちはそういう結論を出しました」
弘晃は、話を締めくくると、自分と同じ方向を向いて座っている者たちに視線を向けた。弘晃の言葉に同意するように、弘幸がうなずいてみせた。正弘を始めとした創業者一族の者たちもそれに倣う。
弘晃は、先ほど経営陣だけを集めて話し合って決めたこと、つまり。経営側として、これからどういった方針で行動しようとしているかを説明した。もちろん、全員がもろ手を挙げて賛成するようなことはなかった。弘晃たちの決定に不満を示す声も、そこかしこから上がった。 だが、多くの者は、身じろぎもせずに弘晃の話に耳を傾けていた。
「ただ、こちらの都合を皆さんに押し付けるつもりはありません。退職を希望される方があれば、この会議が終り次第、随時受け付けます。退職者の数によりますが、今ならば退職金も用意できます」
そんな水臭いことを言わないでほしいとでも言うように、今度は、一斉にブーイングがおこった。弘晃は、眼差しに彼らへの感謝の気持ちを滲ませつつも、「その場の感情に流されないで、ひとりひとり、ちゃんと考えてくださいね。皆さんには家族もいるのですから」と苦笑しながら釘を刺した。
その後、今回の事態にどのように対応していくか、もっと具体的な話し合いが持たれた。社員たちから、数多くの有意義な提案がなされ、それを速やかに最大限の効果が出るように実行するために、更に多くの意見が出された。白熱した議論は深夜遅くにまで及んだ。
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「これが、7,8年程前までは潰れかけて青息吐息だった会社と同じ会社だとは信じられんなあ」
弘晃の隣に座っていた彼のまた従兄弟の中年男性が、社員たちの間で交わされる活発な意見のやりとりを眺めながら、感じ入ったようにつぶやいた。
「先代が生きていたころは、集まりがあっても、みんな頭を下げっぱなしで、先代の話を小さくなって拝聴するばかりだったってのに。君は、よくぞ、ここまでにしたね」
「僕だけの力じゃありませんよ。とはいえ、せっかく頑張ったのに、もうすぐ潰れちゃうんですけどね」
労いの言葉をかけられた弘晃は、微苦笑した。それから、寂しそうな顔で小さくため息をつく。
「結局、オババさまが言っていたことが当たってしまいました」
「あの狂った巫女さんか? 馬鹿な。この会社が潰れるのは、君のせいじゃないよ」
「そうそう。あの婆さんの言いなりになった大馬鹿者の先代のせいだ。おまえは、むしろ被害者だ」
最年長の大叔父が相槌を打つ。この人は、先代である弘晃の祖父が生きていた頃には、なにかにつけて先代と意見が対立し、人目をはばからずに年中大喧嘩をしていたものである。
「とはいえ、あの婆さんの言っていたことも、あながち嘘ではなかったな。『この子こそが光の子。 この子がこの家を繁栄に導くだろう。たが、この家に降りかかった災いの全てを引き受けるのに、人という器はあまりにも脆すぎる』だったか?」
「やめてくださいよ」
うんざりとした顔をする弘晃を見て大叔父が笑った。
「しかし、こうなってくると、婆さんのいう通りならいいのに……と思わんでもないよ。お前がいる限り、うちが生き残る方法が、どこかにあるのかもしれないからな。弘晃。 本当に、もうどうにもならんか?」
「残念ながら、今のところ、僕たちが生き残る手までは思いつきません。ここまで頑張ってくれた社員の皆さんたちが何とか路頭に迷わずに済む方法を考えるだけで精一杯でした。他に思いつくのは、つまらない悪あがき程度のことで」
「ほう? どのような?」
弘晃は、大叔父に耳打ちした。
「いいんじゃないか?」
最年長の大叔父は、ニンマリと笑うと、弘晃の手首を掴んで挙手させた。
「皆さん静粛に。我らが相談役から提案があります」
また従兄弟が、マイクを通して聴衆に話しかけ、活発な議論に水を差した。
年上の親戚ふたりに恨みがましい視線を向けながら、弘晃は手元のマイクを引き寄せた。
「ええと……ですね。今回の事態への対応策として、いろいろと意見がでましたが、細かいところはもう少し詰めるとしても、それでいいと思います。それとは別に、皆さんに、ちょっとやっていただきたいことがあるのですが……」
それは、本当にちょっとしたことだった。だが、社員の間から、一斉に反対の声が上がった。
「でもね。結果的には、そういうことになるしかないでしょうし、そうすることで、相手が多少は自主的に手加減してくれるのではないかと思うのです。最初にお話した通り、僕が六条との再交渉にこぎつけるまで、少しの時間が必要です。ですから、それまでの間、お取引先のお客さまには決してご迷惑をかけないように最大限の努力をしていただきたいのです。今、僕がお願いしたことは、そのための方便だと思ってもらえれば……」
「よろしいか?」
語り口の優しい……言い方を変えれば押しの弱い弘晃の代わりに大叔父が立ち上がった。彼は、片手をテーブルにつき、身を乗り出すようにして会議の出席者を見据えると、マイクなど必要のない腹に力の入った力強い声で皆に発破をかけた。
「粘れるだけ粘れ! そうすれば交渉も我らに有利に進むであろう。つまらない悪あがきかもしれないが、最後まで六条をてこずらしてやれ!」
「おお!!」
大叔父の飛ばした檄に、出席者は拳を突き上げて応えた。




