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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
21/89

21.急転直下

 弘晃と喧嘩別れもできずに帰ってきた紫乃が部屋に閉じこもって泣いている頃、弘晃の弟の正弘は疲れた顔に満足げな表情を湛えて出先から本社に戻ってきた。


「銀行との話し合いは円滑に進みました ほぼ、こちらの要望どおりに話しがまとまりそうです」

 自分の部屋に戻るよりも先にまず社長室に向かった正弘が、本日の成果を彼の父でもありこの会社の社長でもある弘幸に報告した。


「そうか。やはり六条の影響力は大きいね」

「うちが不渡りを出す危険性が一気に減りましたからね。銀行も気が楽なんでしょう」

 正弘が皮肉っぽい言い方をして笑う。

「とはいえ、これでやっと一息つけますね」

「そうだな。これで弘晃と紫乃さんの仲さえ上手くいってくれれば、もう何も言うことがないんだが……」

「父さん。それは、この会社の将来のため……ですか?」

「まさか!」

 正弘が探りを入れるように意地悪くたずねると、艶やかに磨き上げられた社長用の大きな木製の机で頬杖をつきながら夢見るように目を閉じていた弘幸が驚いたように立ち上がった。


「私は弘晃の幸せを願っているだけだよ。君は、私が、そんなにえげつないことを考えていると思っていたのかね?」

「いいえ。全然」

 明らかに傷ついている様子の父に向かって、正弘が笑いながら首を振った。 


「疑ってみたことさえありませんよ。むしろ、父さんにそれぐらいの抜け目のなさがあればいいのに……と、思っているぐらいです」

「ああ、確かに、そうだよねえ。私がもう少ししっかりしていれば、弘晃も、もう少し楽ができるのだろうし……」

 弘幸が、悄然と肩を落とした。


 性格が良すぎて人を疑うことを知らないお人よしで、しかも優柔不断で日和見の内向的な小心者。

 正弘と弘晃の父親は、いかにも『大企業の社長』らしい外見をトコトン裏切って、人の上に立つために必要な気質と才覚がまるでない。ふたりの息子を亡くした先代社長が、唯一残された三男坊に絶望していたのは、社内では周知の事実。今の弘幸が社長室の椅子に座り続けていられるのは、もっぱら、彼のふたりの息子の働きによるところが大きい。


「これからは、少しでも君たちの負担を減らせるように努力するからね」

 ……と、弘幸が、息子に向かって、いつもと代わり映えのしない決意表明を行ったところで、ノックの音と共に男性秘書が書類を持って入ってきた。


「本日分の決済待ちの書類です」

「わかりました~」

「父さん! ハンコを押すときには、ちゃんと中味を確認してくださいって、あれほど言っているでしょう?」

 目の前に置かれた書類にせっせと印鑑を押しはじめた弘之を、正弘は慌てて諌めた。


「そんなに目くじら立てなくても……。川村くんが、変な書類に印鑑を押させるわけがないだろう? 疑ったりしたら、彼に失礼じゃないか」

「だから、そういう問題じゃないんですってば!」

 不服そうな顔をする弘幸を正弘は叱りつけた。親子喧嘩に発展しそうなふたりに、秘書が「まあまあ、落ち着いて」となだめるように微笑みかける。


「本日お持ちしました書類の内容については、既に相談役のほうからお聞き及びのものばかりだとは思いますが、一応、一枚ずつ説明させていただきますね」

 だが、社長向けのわかりやすい説明を始める前に、秘書はいったん部屋を出て行くと、先刻とは比べ物にならないほど大量の書類を抱えて戻ってきた。


「専務。こちらが、本日、相談役にお渡しする分なのですが……」

「こんなに?」

 正弘が、机の上に載せられた書類を見て咎めるように顔をしかめた。 


「はい。とはいえ、急ぎの分は、これと……、これですね。それから、こちらの書類は、できたら今日中に相談役に目を通しておいていただけたらと思います」

 秘書は、書類の山から2枚のメモと5束の書類をより分けると、正弘に渡した。


「それと、海外事業部が来週予定しております会議ですが、部長の佐々木が、ぜひとも相談役にご臨席いただきたいと申しております。詳細は、本日お渡しする書類の中にございますが……」

「どうして? あの件については、既に彼らに一任ってことになっていたのではなかったかい?」

「そうなのですが。佐々木が、是非とも相談役にもお出まし願いたいと……」

「わかった。じゃあ、その会議は麻布のほうで。それよりも、川村さん。兄さんのことを『相談役』って呼ばないようにって何度言ったらわかるわけ? その呼称は兄さんの実際の役割を正しく表現しているとは思えない」

 正弘は、弘晃宛のメモから目を外すと父付きの秘書に文句を言った。


「ですが、相談役が、『CEO』とか『CKO』みたいな記号で呼ばれるのもイヤなら、『影の社長』とか『真社長』『裏社長』は言語道断。そんなふうに呼ばれるぐらいなら死んだほうがマシだとおっしゃいまして……」

 秘書が困ったように正弘に言い返す。

「ああ、そう。兄さんがそう言うのなら仕方がないね。また、別の呼び名を考えるとしよう」

 正弘は、あっさりと折れた。正弘を筆頭に、弘晃を知る者は、なにかと口実を見つけては弘晃に懐きたがり、他の誰よりも弘晃の言いつけに常に忠実であろうとする。


「いっそ弘晃が社長になってしまえればいいんだけどねえ」

 社長の椅子に何の未練もない弘幸が、ため息をついた。

「そうだよねえ」

 次期社長の野望がない正弘も、弘晃宛のメモに目を通しながら相槌を打つ。普通の電話の取次ぎメモに比べて紙も大きく文字の量も多いそのメモから顔を上げた正弘は、「そうだね。これは、今日中に兄さんから先方に電話をしたほうがいいね」と秘書にうなずいてみせた。


「でも、弘晃は、今日は無理なんじゃないかな」

 正弘と秘書が話をしている間、すっかり蚊帳の外に置かれていた弘幸が、おずおずと口を挟んだ。

「ああ、そうか。海に行くのって今日でしたっけ? じゃあ、今日は使い物になりませんね。では、この電話は父さんがしてください」

「私がかけなくちゃ駄目かい?」

 正弘がメモを押し付けると、弘幸は、とたんに心細そうな顔になった。

「とりあえず誰かが連絡しないとマズいんですよ。僕がかけてもいいんですけど、父さんが適任です。取引先の社長じきじきに電話されて気を悪くする人はいないでしょう? 兄さんのために、是非とも頑張ってください」

「電話をかける前に、私とリハーサルしましょう。そうすれば大丈夫ですよ」

 尻込みする弘幸に、正弘と秘書が辛抱強く言い聞かせた。 


「ところで、海……というのは?」

 社長が渋々うなずいたのを確認すると、秘書は不思議そうな顔で正弘にたずねた。

「ああ、今日の兄さんは、海まで彼女とデート」

「彼女と海ですって! あの相談役が、ですか?」

 秘書が、聞いているほうがびっくりするほどの大声を上げた。


「そんなことして、大丈夫なんですか?」

「いや、あんまり大丈夫じゃないけどね。愛があるから、たぶん大丈夫。でも、ボロがでると困るから、もう家に戻っていると思う」

「愛はね~ 偉大なんだよ」

 正弘の言葉を、弘幸が能天気な顔と声で補強する。


「へぇ~~…あの、相談役が、ですかあ……」

 感動と驚愕が入り混じったような表情を浮かべながら秘書はつぶやくと、ふと何かを思いついたような顔で正弘を見た。

「相談役のお相手というのは、六条家のお嬢様ではありませんか?」

「どうしてそれを?」

 正弘が眉をひそめ、ついで、咎めるような視線を弘幸に向ける。

「どうせまとまらない縁談だろうから、内緒にしておこうって言っていたのに……。父さんが話したんですか?」

「いいや。私は何も言っていないよ」

 疑われた弘幸は首を大きく横に振りながら否定した。


 ふたりは、問いかけるような視線を秘書に向けた。

「誰から聞いたわけでもありません。ですが、先ほど、正弘さまを訪ねて、六条グループの社長のお嬢様という方がおみえになったと受付から……」

「僕を? 紫乃さんが?」

 正弘が不思議そうな顔で、自分を指さした。

「いいえ、それが、人違いだったとかで」

「紫乃さんが兄さんを訪ねてきた?」

 正弘は、弘幸を見てたずねた。「紫乃さんって、どこまで知っているんですかね?」

「どこまでって……彼女は何も知らないと思うよ。知られたら最後、彼女に振られると、弘晃は信じているようだから……」

 弘晃はいい子なんだから、そうとは限らないかもしれないのにねえ……などど、ぶつぶつ言いながら、弘幸は、何気ない様子で、けたたましく鳴り始めた電話の受話器を外して耳に当てた。


「はい。……。ああ、その節はどうもありがとうございました。 ……。 え?なんですって?」

 和やかに話していた弘幸の顔は、見る見るうちに青ざめていった。


「あ、あの、どういうことなのでしょうか? ちょ、ちょっと待ってください。訳を……。あ、ちょっと? もしもし?」

 電話の相手は、一方的に言うことを言って、さっさと電話を切ったようだった。


「大変だ……」

 切れた電話の受話器を握り締めたまま、弘幸が呆然とつぶやいた。

 彼は、のろのろとした動作で正弘に顔を向けると、今にも泣き出しそうな顔で、「どうしよう……、六条さんが……」と息子と秘書に訴えた。


「電話の相手は六条さんだったんですか? 彼は? なんて?」

 正弘がたずねると、弘幸は更に情けない顔になった。



「六条さん……。 無茶苦茶、怒っている」







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