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たかしの筋肉哲学  作者: さつま芋行
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筋肉とのハネムーン

 筋肉とは何なのだろうか。最近分からなくなってきた。明確な答えを俺は出すことができない。


 二年前、俺は突然筋肉を崇拝するようになった。理由があったわけでもない。まさに天啓という奴だったのだろうか、無性に筋肉を欲した。

その日を境に俺は筋肉を鍛え上げ続けてきた。大学も三年目で順調に単位も取れていたのだが、筋肉の申し子となった俺には座学などという非筋肉的な行為はまさに唾棄すべきものであり、当然出ることはなくなった。


 ある日親父から電話が来た。留年の知らせが届いたらしい。たかし、どういうことだ、一度実家に帰ってこい。そう言われた。


「筋肉に目覚めた。もう大学には行かない」


 そう伝え、決意を込めて通話停止をタップした。込めすぎたようで液晶が割れた。

まるで俺の育て上げた筋肉が退路を断ち、進むべき道を暗示しているかのようだった。

俺は携帯電話を握りつぶし、部屋の隅にぶん投げた。社会との経路を断ったことで、この六畳一間の城で俺は筋肉と二人きりでり合い続けることができる。


 しかし筋肉との蜜月もすぐ終わりを告げることになった。金が無い。金が無いと食事が取れず、そうなるとこの子は衰弱し、過去の脆い骨と爬虫類にも似た皮のみの貧弱な俺に戻ってしまう。

 俺は一度捨てた社会にまた復帰することを余儀なくされた。


 大学に通っていたころ、友人が、引っ越しのバイトはきつい、腰を痛めた、と言っていた。それを思い出した俺は早速近くにある引っ越しセンターに直接向かった。パソコンも携帯も無いのでそうするしかなかった。

 お金を稼ぎつつ筋肉を育てたい、雇ってくれないだろうか、という旨を伝えると、快く承諾してくれた。

 仕事は筋肉もあくびをする退屈なものであった。家具などの積み込みをするのが仕事の中心なのだが、これでは全く筋肉を鍛えることはできない。しかし、体を動かすことができるアルバイトなだけ良い方なのだろう……


 日中はアルバイトに出ることが多く、夕方ごろに自宅へ帰り、筋肉との甘い夜を過ごす。そんな日々を繰り返しているうち、俺は筋肉の迷路に迷い込んでしまった。

 筋肉に目覚めた当初は、筋肉のことのみを考え、ただがむしゃらに鍛え続けるのが楽しくて仕方なかった。だが今はどうだろう。一度浮かび上がってきた雑念、迷いは筋肉に伝染し、トレーニングも質が落ちた気がする。


 筋肉のために、したくもない退屈な筋肉遊びをし、日銭を稼ぐ。

……それでいいのか?

 しかし現状、そうするしかない。筋肉まみれの生活が理想ではある。それはこの社会では許されないのだ……。

 明日の朝は早くからアルバイトだ。今日はもう寝よう。


 今日の現場は少し遠いとの説明を受けた。俺は車の免許を持っていないので、いつものように助手席に乗り込む。昨日は筋肉との将来で苦悩していたため寝付くのが少し遅くなってしまった。睡眠不足も筋肉には良くないだろう。

 俺としたことが自己管理を怠ってしまった。車というものはどうも狭苦しく、図体の大きな俺にとって快適には眠れない場所だが仕方ない。ドライバーには悪いかもしれないが少し寝させてもらおう。



 いきなり凄まじい衝撃で体が前方に吹き飛ばされそうになる。何とか下肢の筋肉を総動員し踏ん張ることに成功する。急ブレーキを踏んだのか。ドライバーを見るとエアバッグに顔を突っ込んだまま動かない。顎のあたりから血が滴り落ちている。


 努めて冷静になる。フロントガラス越しに外を見てみると、車体より三メートルほど前方に、人が仰向けになっているのが見える。……人を轢いてしまったのか。抉れているであろう頭部のあたりは血で真っ黒だ。とりあえず車を降り、駆け足で近寄る。

 既に生臭い匂いを感じる。近くで見ると、ひどい有様だ。右手がひしゃげ本来曲がるはずのない方向に肘が曲がっている。匂いがひどい。血をそのまま飲んでいるかのような感覚に襲われる。顔を見ても頭部からの出血と口からの吐血により性別もわからない。

 だが筋肉や骨格を注視すると中高生ほどの少年であることが分かる。女性にしては肩幅が広く、肋骨や臀部のあたりを見ても男性であることを示している。


 ここで俺のできることは、救急車を呼ぶことだけだ。胸のあたりが動いていない。呼吸はしていないのだろう。一刻を争う事態なのだが、あたりを見回すも一面田んぼしか見えない。この道は以前アルバイトで通った道であることに気付く。ここら一帯は田園地帯であり、民家があったかどうかも怪しい。

 どうする。担いでいくべきだろうか。しかし怪我人は無理に動かしてはいけない、というのを聞いたことがある。


 何にせよ彼を道の真ん中に置いてはおけない。彼を端まで動かそう。

 最早生きているかもわからない彼に近づくと、何やら中にぼんやりと裂け目のようなものが見える。緊張状態が続き幻覚でも見ているのだろうか。しっかりしなければ。

 頬を両手で張り気合を入れる。かなり痛い。しかし裂け目は依然とそこにあり、気のせいか徐々にその大きさを増しているようにも見える。これは何だ。以前テレビで見たオーロラに少し似ているかもしれない。


 オーロラもどきは困惑している俺を後目にどこ吹く風と揺らめき続けている。

 何だか腹が立ってきた。お前は何なんだ。人が懊悩しているのに目障りだ。むしゃくしゃしたので両手を突っ込み、裂け目を広げるように力を込めた。

 すると軋むような音とともに裂け目はだんだんと広がっていく。向こう側におっさんが見える。俺に向け何か言っているのだがうまく聞き取れない。どのような仕組みなのか理解できないが、助けを求めるべきだろう。俺は裂け目から手を放し、身動き一つしない彼をそっと抱えて裂け目に入った。



 裂け目を抜けるとそこは八畳ほどの和室だった。本棚やちゃぶ台がよく部屋と調和している。

「君ね、こういうことされると困るよ、どうやって入ってきたの」


おっさんは入ってきた俺を見るなり言う。おっさんはくたびれたスーツを着ており、パソコンデスクの前に座りながら湯呑を啜っている。やや太った体格と疲れ切ったような眼はどこかマスコット的な愛らしさすら感じさせる。

「玄関が無かったからな」

「はぁ……人の家勝手に上がってきちゃ駄目でしょ。僕は君じゃなくてそこの男の子に用があったのに」

「そうなのか、とりあえず救急車を呼んでくれ」

「必要ないよ、今治してあげるから」

そういうと彼は腰を上げ、部屋の隅へ歩いていき、棚にある救急箱のような白い箱から何かを取り出しこちらへ近づいてきた。

「それは何だ」

「まあ見てなって」


おっさんは二、三センチの、丸みを帯びた長方形を指先でいじっている。外装と思しき白い紙をはがし、肌色の長方形を彼の頭に張り付けた。絆創膏だ。さっきの箱は救急箱だった。

「ふざけているのか」

「君は失礼だな」


 失礼なのはどっちだ。この際自分で助けを呼ぼう。おっさんと遊んでいる時間はない。

部屋の角に黒電話が置いてある。昔、祖母の家で数回使ったことがある。彼をゆっくりと畳に横たえ、電話を手にとる。一一九だ。受話器を上げ、ダイヤルを回す。一……駄目だ、焦りが筋肉のストッパーを外してしまっているようだ。ダイヤルはストッパーをぶち抜きぐるぐると回る。しまいにガキッ、という音とともにダイヤルは外れ、今は俺の人差し指に刺さったままである。電話とは相性が悪い。


「おっさん、携帯電話を持っていないか」

おっさんは俺の指を見て溜息をついた。

「だから必要ないって、ほら見てみなよ」


 そう言っておっさんは床に寝ている彼を指さす。言われた通り彼を見てみると、曲がっていた右手はあるべき姿に戻り、血まみれだったはずの全身も、不健康そうな青白い肌が見えるようになっている。痛々しく抉れていた頭部もすっかり治ってしまっている。先ほどまではよく血に塗れて確認できなかったのだが、こうしてみると顔立ちは幼いが、涼しく整っており中性的とも言える。



「彼を治してくれてありがとう、おっさん」

「……どう致しまして」

横たわったままだった彼がもぞもぞと動き始めた。呻き声のようなものを上げ、遂に目を開いた。

「……あれ……ここは……」

「まあ、天国みたいなものかな。今月の自殺者千万人目おめでとう」

何だそれは。まったくめでたくない。待て、自殺だって?

「君は自殺だったのか。轢いた方は大変だったんだぞ」

「あなたは……。すみません。でも、一番簡単で楽な死に方だと、思ったから……」

顔を俯け、少年はぽつぽつと喋った。


「あー、君の願いを一つ叶えてあげるよ」

おっさんは神のような存在なのだろうか。だとするとここは天国か?随分俗世的だ。

「マジで!?うっわすげえネット小説みてえ。異世界で無双とかできんの!?」

先程までの暗い顔が嘘のように、少年は明るく笑う。少年もまた俗世的であった。

「ああ、君くらいの年の子はよくそう言うね。出来るけど、それが願いでいいんだね」

「……僕をいじめてた奴に、復讐もしたいけど……」

目まぐるしく表情が変わる奴だ。それが原因で彼は自殺したのだろうか。


「うーん、残念だが願いは一つだ。どっちにするんだい?」

「じゃあ復讐はいいや。あんな奴らのために願いを使うのももったいないし。」

「分かった。じゃあちょっと待ってね」

おっさんは救急箱の隣にある、ペン立てのような筒から何かを取り出した。

「それは何だ」

「まあ見てなって」

おっさんは少し得意げな顔をしている。

おっさんは、十五、六センチの、金属のヘラのようなものを手に握っている。      

 ヘラの根元には輪になっている取っ手が二つあり、おっさんはそこに指を通している。

おっさんは取っ手に通していた指を開いた。するとヘラが中央から二つに分かれ、その形状はまるで、そうまるで鋏のようだ。


 鋏だった。さっきの筒はペン立てだった。

「ふざけているのか」

「……本当に君は失礼だね」

おっさんは部屋の中央に戻り、鋏を宙にかざして空間を切るように手を動かす。すると先ほどの靄のような裂け目が現れる。裂け目を広げるようにおっさんは鋏を操り、ちょうど人が通れるほどの大きさになった。


「さあ、ゆうたくん。どうぞ」

「え?何かすげー武器とかないの?」

「ああ、君には補正があるから」

「……補正?まあ、思い通りになるなら何でもいいよ」

「それは保証しよう」

自殺した少年、ゆうたは返事をせず、どこか狂気染みた表情を浮かべ、悠遊と裂け目を潜っていった

 裂け目は、ゆうたが通った後も以前そこにある。が、こうして眺めている間にもみるみる小さくなっていく……。


 気づけば俺は裂け目に手を突っ込んでいた。筋肉が暫定独立政府となり肉体操作権を行使している。

 この向こうに何があるかは分からない。だがここで筋肉を持て余し腐っていくだけの人生に何の価値がある?

 筋肉迷路の出口が、もしかしたらあるかもしれない。きっと筋肉もそう思って筋肉政府を樹立させたのだ。行こう。筋肉の答えを見つけ出すために。

 俺が深い哲学的な思索に耽っている間に、裂け目は既にバスケットボール大まで縮んでしまっている。


「ちょっちょっと駄目だって君!そっちはほんとに駄目だって!」

おっさんはパチパチッと何かで裂け目を挟み、空間の穴を埋めようと必死でいる。

ホッチキスだな。俺も舐められたものだな。文房具如きで俺の筋肉と戦おうというのか。

がっちりと裂け目を掴み、引き裂く。空中で平泳ぎの練習でもしているようだ。

思ったよりも、硬い。ホッチキスの針のせいで入るときよりも広げるのが困難だ。


「一般人がそっちに行くと僕の首飛んじゃうんだよ」

知らん。俺は渾身の力を込める。ブヂィッ、とまるで大腿四頭筋が千切れたかのような音がした。空間ホッチキスの針を破壊したのだろうか、抵抗は一気に弱くなり、裂け目は例の小気味の良い軋むような音を立てながら拡張されていく。

「君おかしいよ……何で広げられるの……」

「鍛えているからな」

「いやそういう問題じゃ……もういいや……」

俺が通れるほどの大きさまで広げることが出来た。まあまあの手応えだったな。

 おっさんは諦めてしまったようだ。俺に背を向け、事務机の前に座り何やら書類を書き始めた。

「お邪魔しました」

「二度と来ないで」

期待と小胸筋を、大胸筋の深くに秘め、俺は裂け目を潜った。








 


 

 






 






























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