書くことを仕事に
フリーライター的な仕事を始めてから一ヶ月経つ。
ありがたいことに、仕事の依頼は増えてきた。
在宅ライターでもやりがいを感じるし、ちゃんと「仕事」として意識出来ている。
だから、自分のために文章を書くのは久しぶりだ。
結婚してた頃を思い出すと、今は本当に幸せだな、と思う。
もちろん当時もそれなりに幸せはあったけど、幸せになるために離婚した。
大きな傷は残ったけど、今でもたまに傷跡のかさぶたが剥がれそうになるけど、それでも今の方が幸せだ。
自分のやりたかった仕事を細々とでもやれる幸せ。
これから展開していきたい自分の未来。
そしてそれが出来るのは、今の彼がいるから。
ずいぶん遠回りしたけど、在宅でも安くても、ライターの仕事が出来るのは本当に嬉しい。
病気の方は最近なんだかいろいろと出てきたけど、それも検査すれば全部わかること。
ちゃんと判明すれば、今後外で働くにしても、自分の状態に合わせて考えることが出来る。
たぶん、今までは無理してた。週五日のフルタイム勤務に4年間、挑戦し続けたけどダメだった。あきらめが早いとか言われるかもしれないけど、私はそうは思わない。
ものすごい苦しい思いをして働くのは、もう散々やってきた。それのおかげで病気にもなった。
もちろん働くことは、どんな形にせよ苦しいこともある。大変なこともある。
病気でもあきらめたくなかった。正社員になるのが唯一の道だと思い込んでいた。
でも今、在宅でライターの仕事が出来るようになって、そうじゃないんだ、とわかった。
私が思い込んでただけなんだ。こだわりすぎて、自分の病状を冷静に見られてなかった。
もちろん、どんなに酷い症状があっても、外で働かざるを得ない人たちだってたくさんいる。だからその人たちをどうこう言うつもりはない。
私はたぶん、恵まれている。いや、たぶんじゃなくて確実に。
でもそれは、天から与えられたものではなく、私が今まで地道に努力してきたものが実り始めているから。果実が木から落ちてくるのを、ぼーっと待ってたわけじゃない。
今後、どういう方向になるとしても、夢はあきらめたくない。
書くことが、ゼロから何かを生み出すことがどんなに辛くても、それだけはあきらめない。
だって長年の夢を叶えるための、大事な一歩だから。
文章を書くことが好き。
これだけは子供のころから揺るがない。
こんなに長く好きなものがあるのは、私にとっては驚くべきこと。
飽きっぽいから、何を始めるにしても長続きしない。
ダイエット、習い事、資格取得の勉強など、何一つ続いた試しがない。
だけど、文章を書くことだけは、小学生のころから好きでいる。
飽きることなく、駄文を書き続けてきた。
そしてこれからも、文章を書いていく。
それが仕事になるなら、こんなに幸せなことはない。本望だ。
例えば、署名入りの原稿を書きたい、自分の名前で本を出したい、数え上げればキリがないくらい夢はある。でもそれは、今ある仕事を地道にこなしていく中で、自分で努力していけば何とか手に入りそうな夢。会社員時代にはとても想像できなかった夢を、現実のものに出来る最後のチャンス。
だからあきらめない。もう40歳が見えてきてるけど、まだまだ終わらない。終わらせない。
20代は仕事に夢中になりすぎて壊れて、30代は病気を引きずって散々だったから、今度来る40代は充実した年にする。そうやって年を重ねていきたい。
若い頃には書けなかったことも、年齢を重ねたからこそ書けるようになることもある。
いろいろな経験をしてきた分、それが自分の糧になって、文章を書くときに役に立ってくれればいい。経験に無駄なことなんて一つもない。もちろん嫌な経験だってあるし、思い出したくない失態もあるけど、それも無駄じゃない。
無駄じゃない、というより、無駄にするか糧にするかは自分次第。
私は、絶対に糧にしてステップアップする。ごみにはさせない。
会社という後ろ盾がない分、いろいろと風当たりは強くなるかもしれないけど、その時はその時だ。今まで散々、会社というところに属してきたから、今度は違う世界で頑張りたい。
仕事のさじ加減も、体調管理も、稼げるかどうかも、全部自分の腕次第。
やるよ。