あの空へ
あれから数日。部屋の片付けは済み、彼女の残された品々も、それぞれの運命に動き出した。僕は岩手を発つ前に、彼女の墓前に花を手向けに行った。そこは墓地の中でも、空が良く見えて、眼下に街を見下ろす高台だった。空は澄みきっており、雲は静かに流れていた。僕は花を手向け、線香をあげてから、彼女に話し掛けた。
「空、綺麗だよ。紗世がこの空の向こうにいるなんて、今でも信じられない。だけど、僕も少し落ち着いた。手紙もちゃんと読んだよ。僕だって、紗世に会って“好きだ”って言いたかった。でも言えなくなっちゃった。でも、この気持ちは変わらない。君は忘れてほしいって書いていたけれど、僕には君を忘れることはできないよ。今までだってそうだし、これからもずっと。君は僕の愛した人に変わりないし、それはこれからも変わらない。そうなると、僕が君に謝らなくちゃならないね。ごめんね、わがままで」
僕は立ち上がって空を仰いだ。どこまでも続く空、空に国境はない。空は常に世界と繋がっている。
「僕も、やることが決まったよ、紗世。また来た時に、そのことについて話す」
僕はそれだけ言うと、墓前に自然と笑いかけた。そこに彼女がいたから。
墓参りを終えた僕は、彼女の母親に礼を言って岩手を後にした。僕の右手に提げられた紙袋の中には、彼女が読んでいた小説が何冊かと、科学雑誌が入っていた。少し肌寒い空気が吹き抜ける駅のホームで、僕はもう一度空を見上げた。僕の目標は決まっている。その目標のために、僕は前に進む。ホームに滑るように入ってくる列車を、僕ははっきりと捉えた。
僕が中東に飛んだのはそれから一ヶ月後のことだった。親には反対されたが、その反対を押し切って飛行機に飛び乗った。目的はただ一つ。中東に学校を造る。それは僕の願いであり、目標であり、彼女の願いでもある。僕は彼女の成し遂げることの出来なかったことをやる。僕が彼女に代わってこの目標を遂行する。そう心に決めて、僕は日本を後にした。
砂漠の空は高い。日本とは比べ物にならないほどに、高かった。その下を、子ども達が笑い声を上げながら、走り回っていた。僕が立っているのは学校の校庭。今は休み時間だ。子ども達は暑さなんて気にしないように、元気に走り回っている。それを見ている僕の顔も、自然と綻んでくる。子どもというのは、どこまでも純粋だ。その心はこの空のように透き通っている。その心を忘れないでいてほしい。僕は彼らを見ながら、そう思わずにはいられなかった。彼女も、ここでそんなことを考えたのかもしれない。僕は空を仰いだ。
「見ているかい。僕はここまで来たよ。君のためにも、僕のためにも。だけど、これはほんの一歩。これからが本番。見ていてくれよ」
僕は、彼女もかつて見たであろう空に向かって語りかけた。それは僕が日本に一時帰国する、三日前のことだった。