オウル・デューク
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ニンゲンであれば残念に感じるかもしれないが、私は両親の顔も姿も知らないことで生を嘆いたことはない。
重要なことがある。
じつは「バロン」なる地位を与えてくれたのは私の飼い主である薫子なのだが、最近、これまた彼女の一存によって、いきなり「デューク」に成り上がったのである。
「きみ、これは大いなる出世だよ?」
そう唱えながら薫子は私に、意味不明なことに「いぇーい」と右手でブイサインを作ってみせた。
ほんとうによくわからない。
しかし、一気に位が上昇したことについては悪い気はしなかった。
不思議だ。
私は気高く、それでいて無欲な「フクロウ」であるはずなのだがなぁ……。
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薫子はつい先日、男と別れたのだ。
日常的なDV野郎で、だから私は奴さんのことを心の底から軽蔑していた。
弱い者いじめに晒されているにもかかわらず「やめてやめて」としか言えない、あるいは言わない薫子のこともじつは蔑んでいた。
しかし今、くだんの男に三行半を叩きつけた薫子はそれなりに幸せそうにしている。
私としても喜ばしい限りだ――などと考えるあたり、私にとって飼い主は案外、大切な存在――大事なニンゲンなのかもしれない。
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薫子が散歩をする際にはお供をさせてもらっている、足枷付きで。
私が賢明な人物――ではないな、私が優れた性格だとしても、念のため、縛りを設ける必要くらいはあるのだ。
いつもの公園。
父親であろう人物とキャッチボールをしていた小学生の低学年とおぼしき男子がびっくりしたような目をして駆けてきた。
「すごいすごい、おねえちゃん! それってフクロウだよね!!」
薫子は「おねえちゃん」と呼ばれたことについてご満悦の様子、よほど嬉しかったのか胸まで張ってみせた。
いっぽうで私はというと、「それ」呼ばわりされたものだから、若干、不機嫌になった。
かと言って、訂正の文言を人語にて披露するわけにはいかない、面倒なことになりかねないからだ。
物分かりがいいあたり、私はつくづく偉大なフクロウなのである。
足枷がうっとうしい。
――が、飼い主のもとから離れようとは思わない。
「偉大なフクロウ」であることは間違いなく確かなのだが、ろくに野生を知らない私だから、ときどき情けなく、また腑抜けだなと思わされる――。
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ある日の夜、薫子がご機嫌な様子で仕事から帰宅した、頬が赤い、アルコールを飲んできたようだ。
「聞いてよ、デューク! 新しい恋人ができそうなんだ!!」
少し、驚いた。
刹那ののち、「だいじょうぶだろうか」と心配になった。
またDV野郎だったら薫子はいよいよ不幸になる――そう考えたからだ。
しかしだ、薫子は浮かれている。
「ほんとうにイイヒトなんだよ? 私は今までの境遇を包み隠さず話したんだけど、かわいそうだったねって肩を抱いてくれたんだっ!」
初対面の女の肩を抱く男はどうかと思うのだが……。
「私の家に来たいって言ってくれたの! 誘ってあげようって思うんだ!!」
やれやれ。
なんとおめでたいおつむの女か、まさに脳みそがお花畑ではないか。
ホーホー、ホーホー。
最近はそんなふうに喉を鳴らすようにしてそう発していただけだが、さすがの私も心配になって、「それはどうかと思うぞ」と口にした。
「わっ、しゃべってくれた!!」と、薫子はじつに嬉しそう。
「おまえの肢体が著しく魅力的だとは言わないし言えない。――が、馬鹿な男は抱くことができたらいいんだろう?」
「わっ、わわわっ」心底驚いたような薫子。「酷い物言いは無視するとして、『抱く』とかどこで覚えたの?」
「私は賢いんだ。界隈のニンゲンより、よっぽどな」私は言いつつ、カーテンレールからまあるいちゃぶ台に身を移した。「だが、まあ連れてくるといいさ。場合によっては、私が一言、物申してやる」
「わあぁ」などと、薫子はぱぁと明るい顔をして。「頼もしいなぁ。わかった、任せる。何かの折にはお願いね?」
やぶさかじゃあないんだ。
なにせ私はデュークだからな。
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問題の男がやってきた。
これが……いや、大した男だったのだ。
ひいき目とか色眼鏡などは抜きにして。
薫子と一緒にペンネ・アラビアータを作って、「ちょっと辛かったね」とか言いながら薫子と笑い合って、二人でうまそうにビールを飲んで。
男は私のほうにしきりに目を向けて、「かわいいなぁ」と言ってくれた。
まあそうだな、確かに一般的に見て、私は非常にかわいい存在だろう、なんというかこう、もふもふだしな。
男がまた私を見て、「ほんとうに賢そうだなぁ」とか言った。
賢そうなんじゃないぞ、賢いんだ。
――とは、まだ言ってやらない。
簡単に心は開いてやらないのだ。
男は食事を終え、洗い物まで終えると、私のほうに近づいてきた。
私に触れようとした。
ヘンにすばしっこくよけることはしなかった。
胸のもふもふに触れさせてやった。
やっぱりだ。
嫌な気はしない。
「じゃあね、薫子さん。また来るよ――っていうか、また来たいな。一緒にご飯を食べたいんだ」
薫子はとても嬉しそうだった。
玄関で見送ると、うきうきした様子で戻ってきた。
「どう? 彼、イイ男でしょ?」
否定のしようがない。
イイ男だ。
洗い物までしていった点、評価が高い。
「おまえが満足なら、私は異議を唱える立場にない」
「わぁっ、またしゃべってくれたっ!」
「私はおまえが苦労をしたことを知っている。つまるところ――」
「幸せになってほしい、って?」
「そうだ」
薫子はバンザイしながらぴょんぴょん跳ねた。
階下の住人から苦情が来るかもしれないから「やめろ」と注意した。
「きっと幸せになれるんだ! あのヒトはわたしを裏切ったりしないんだ!!」
信じることは尊い。
だからこそ、蔑ろにされたときのダメージは大きい。
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少し天気は悪い。
いつもの公園だ。
今日も足枷付きの私は薫子の右肩に乗っている。
そのうち、くだんの男が姿を見せた――まだだいぶん遠い位置なのに、「おーい、おーい!」と大声を発しながら右手を振ってみせたのだった。
男が近付いてきて――近づいてくるなり、まず私に挨拶をくれた、「こんにちは、フクロウさん。『デューク』だよね?」と、にこやかに言った。瞬間的に軽率な男なのかもしれないななどと思わされたが、きっとそんなことはないのだろう、この男の物言いには他意なんてないのだ、爽やかな風貌、雰囲気がそうであることを如実に示している。
二人して、ただの散歩だ。
ただの散歩なのだが、二人ともなんともご機嫌だ。
薫子がイイ男に巡り合えたのであれば、いろいろなことに無頓着な私とはいえ、やはり嬉しい。
飼い主の幸福的栄転? を喜ばないだなんて、どんな存在からしても良くないのだ。
なだらかな傾斜の草むらに至った。
薫子がおにぎりを作ってきたのは知っている。
二人は微笑み合いながら、うまそうに食べた。
私としても、微笑ましく感じたものだ。
そして、おにぎりを一通り食べて、指に付着した海苔を舐めるようにして拭いながら――それから男は言ったのだ。
「結婚しよう、薫子さん」
あまりにいきなりだ。
薫子が驚くのも当然だ。
「本気なんだ。大切にする。今度、指輪を見に行こう」男は照れくさそうに笑った。「サイズがわからないから、買えなかったんだ」
びっくりしまくってだろう、目を大きくしていた薫子の、その両の瞳からは大粒の涙が溢れだした。
「いいんですか? 私、料理もろくにできないんですよ……?」
「一緒にやろう。結婚って、きっとおたがいが楽しくなるためにするんだ」
薫子がしくしく泣く様を、私は草むらから見上げていた。
良かったじゃないか、薫子。
それもこれも、おまえの生真面目さがもたらした結果だぞ?
ほんとうに喜ばしいものだから、私は「おめでとう」と口走りそうになった。
周りにヒトはいないから口にしても良かったのだが、なんだか気が引けた、なぜだろう?
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明日、薫子は結婚する。
誰よりも祝ってやりたいのだが、なにせフクロウでしかないのだから、出席するわけにはいかない。
その旨、重々承知しているし、だから「私はここで待っているよ」と告げたのだが、そしたら薫子に「ダメだよ、デューク。あなたには立ち合ってほしい」とか言ってくれた。その物言いは素直に嬉しい。――が、フクロウが出張る結婚式など聞いたことがないのだ。
「……ダメ?」
「ああ、ダメだ。おまえの幸せに、私は必要がない」
「悲しいこと言わないでよぅ……」薫子は両手で目元を擦りながらめそめそ泣く。
私はカーテンレールからちゃぶ台に舞い下りて、それから無意味に「ホーホー」鳴いた――ご機嫌さを表現したつもりだ、たぶん目を細めてもいる。
「もう一度言う。私はおまえたちの幸せな暮らしには要らないんだ」
「どうしてそんな悲しいことを言うの? きみはきみじゃない。一緒にいようよぅ、ずっと、ずっと」
「間違っても、邪魔をしたくないんだ」
「……わかった」決意したように、薫子は――。「結婚、やめる。あなたと一緒にいられないなら、結婚やめる」
また、とんでもないことを言い出してくれた。
「よし、わかった。一緒にいよう」
「ほ、ほんと? ほんとにほんと?」
「ああ、約束する」
「やったーっ!!」
薫子は嬉しいとき、子どもみたいに喜ぶ。
その様子が、私は結構、好きだ。
――今夜は蒸すから、薫子は窓を開けたまま眠りに至った。
私は器用に網戸を開けて、夜空に向かって翼を羽ばたかせ、飛び立った。
べつにそんなことをする必要はなかったのかもしれない。
そうだ。
きっと私は結婚する――否、結婚してしまうことを残念に思い、くだんの男に嫉妬しているのだ。
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慣れない自然での生活。
私は貴重な猛禽類だから、目立ってしまうと厄介だ。
国というかその道の組織にカウントされ、あるいは管理されてしまう。
意外と、なんでも食べた。
うまいものもあればまずいものもあったが、腹を満たすくらい、わけなかった。
これからもこの調子で生きていこうと思う。
どこで野垂れ死にしようが、今の世の中、自己責任だ。
そう考えると、気楽だった。
そんな感じで自らの生を達観しはじめた折のことだった。
気がつけば私はいつもの公園にいて、それなりに高い枝から見下ろすと、なんとまあ、薫子の奴がいたのだ。
薫子は大声で泣いた。
ほんとうに、周りのニンゲンのことなんておかまいなしに、大きな大きな声で泣いた。
「やっと見つけた! 見つけたよぅ!!」
彼女の隣には、例の男の――今や夫であろう男の姿があった。
私はすぐさま飛び立とうとした、なんだか気まずさを覚えたからだ。
それを見透かしたように「待って!」――薫子が叫ぶように言った。
「ダメダメダメ! 私はきみがいないと生きていけないよぅ!!」
なんとも大げさな女だ。
ただの一個のフクロウなんて、時が経てば忘れてしまうに違ないのに。
……しばしの間があって。
……あれ?
……あれ、れ?
私は自らの左の瞳から頬にかけて、涙が伝ったことに気がついた。
それが恥ずかしくて恥ずかしくて。
だからやっぱり飛び立とうとする。
「考えすぎだよぅ! どうして私に、私たちにとって、きみは自分が必要ないだなんて思うの?!」
それは……。
「帰ってきてよぅ! 三人で仲良く暮らそうよぅ!!」
涙が止まらない。
そもそも私はペットショップの売れ残りだった。
誰にも買ってもらえないものだから、それなりに年を食った私はそのうち呆気なく、処分されるものだと考えていた。
救いの手を差し伸べてくれたのが薫子だった。
だから、私は誰より薫子の幸せを願い、祈っている。
そこにはまるきり嘘はなく、だからだ、中途半端に口を利く私の意味なんて……。
「戻っておいで! 僕は心の底から歓迎するよ!!」
イイ男だな。
ほんとうにイイ男だ。
だからやっぱり、涙が止まらない。
私が私自身を卑下しすぎなのだろうか……。
それでもそれでも、それでも……。
私はぽろぽろぽろぽろ泣く。
誰かに優しくされることに、慣れていないからだろう。
私がくだした決断は?
そのへん「紛れ」を残したうえで、物語を閉じようと思うのだ――。




