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……もう、いいかな?
竜種の大型魔獣を前にして、ワタシはそう思った。いくらなんでもエリック達は逃げ切れただろう。時間稼ぎの殿の務めは果たせたはずだ。
張っていた気が緩んでしまったようだ。体の重さがズンと増したように感じた。そして、同時に死の恐怖がジワリと湧いて出てくる。
ここで死ぬのか……。
怖い。死んだらどうなるんだろう?無になるの?あの世とやらがあるの?まだ死にたくない。
どんどん湧いて出てくる負の感情がワタシの心を侵食してくる。
「ロウ家の戦士が仲間のために死ぬんだ。笑って死ね、リナ・ロウ。あわよくば腕の一本でも道連れに……」必死に自分にそう言い聞かせるが、一度切れてしまった気持ちを戻すことはできそうになかった。クヨクヨと後ろ向きな考えしか浮かんでこない。
あのとき、もっと強く止めておけば……。
今日はヒュー家の毎年の恒例行事である「初狩り」の日だった。いくつかに別れた年少の子たちの班の一つをワタシとエリックの二人で引率することになった。魔宮に入り、順調に狩りを進め、もう帰ろうかというところで、エリックが「ガキどもに今日の記念にダゴ池を見せてやろう」と言い出した。ダゴ池はアルカンタラ大森林魔宮の有名スポットの一つで、とても奇麗な池だ。ワタシは止めたのだが、「ちょっとだけ、ちょっとだけ」とエリックは言って、ずんずん先に進んだ。正直、ワタシも「ちょっとぐらいなら、大丈夫か」とどこか甘く考えていた。そして、ダゴ池に着いたところで、コイツが出た。
大型魔獣はじーっと観察するようにワタシを見ていた。
おかしい……。
ワタシは恐怖にとらわれながらも、もう何度も思ったことをまた思った。さっきからいつでもワタシを仕留められるはずなのに、決定的な一撃が来ない。
魔獣の前脚の攻撃が来た。ワタシは地面に尻もちをつくようにしてなんとかそれを避けた。もう体がまともに動かない。続けざまに、魔獣の口が大きく開けられた。魔力がすでに収束しているのが見える。人間の魔術とは違い詠唱ナシで触れれば凍てつく銀色に輝く光線が放たれる。尻もちをついたまま、なんとかひねった体の横を光線が通った。
やっぱり……。
今、ワタシの反応はかなり遅れた。でも、まるでワタシが動き出すまで待ったかのような変な間があった。一拍にも満たない短い時間だったが、確実にワタシと魔獣の目が合っていた。
絶対にわざと外している。しかも、魔獣の表情なんかわからないけれど、楽しんでいるような気配すらしている。魔獣がこんな風に人間を嬲って楽しむようなことをするとは聞いたことがない。人と魔獣は相容れないもので、特に中型以上の魔獣は遭遇したらどちらかが死ぬまで、狂ったように全力で襲ってくるのが常のはずだ。もっとも、嬲られた人間が全員死んでしまったという可能性はある。
また魔獣が私を観察するように見てきた。なんとなくだが、先ほどまでと目つきが違うような気がする。さすがにもう遊ぶのにも飽きたのかもしれない。
ここまでか……。
ワタシはなんとか立ち上がった。でも、もう抵抗する気力はないし、体も動かないし、魔力ももうないといっていい。魔獣がこれみよがしに前肢を振り上げた。そのとき、急にカクンと魔獣の体が傾いた。
魔獣が大きく吠えながら頭を後ろに向けたのと同時に、「行け」という声が聞こえた。何が何だかわからないまま、その声に背を蹴り飛ばされたみたいにワタシはヨロヨロと歩を進め、魔獣のガラ空きの脇腹に剣を突き入れた。魔力剣を伸ばす。そして、必死に後ろに飛び退く。
魔獣の前肢が振られた。かすった?風だけ?自分の体を確かめる間もなく剣を中段に構え直す。
魔獣がまた大きく吠え、ガクリと膝を落として四つん這いの状態になった。
その後ろにデレクがいた。
「脚は潰した。油断すんな」とデレクが叫んだ。私も反射的に「氷魔法。口から」と叫び返す。
言ったそばから魔獣の口に魔力が収束した。狙いはデレクだ。デレクはサッと魔獣の真後ろに隠れた。放たれた魔法は当たらない。
私はもう一度、今度は体を支えている前肢に突きを放った。手応えあり。そして、噛みつきをギリギリ躱す。
すると、魔獣が今度はけたたましく吠えた。デレクが何かしたのだろう。後ろを振り返る魔獣のさっきとは違う前肢に一撃入れる。また魔獣が私に向きなおり口に魔力を充填させ始めた。もう魔獣は腹ばいの状態だ。
デレクがまるで体重を感じさせない動きで魔獣の背を駆け、流れるような動作でその頭部に突きを4発も入れた。だが、しぶとい。魔獣はデレクを頭から振り落とし、噛みつこうとした。
私はヘロヘロの体に鞭を打ち、ちょうど良い高さで横を向いている魔獣の頭に大上段からの渾身の切り落としを喰らわせた。




