2:溜め息の魔王
艦隊司令官のエドガー・ヴェルター准将は、厳格な男として知られる男である。50歳を過ぎ、青の小惑星帯での偵察任務を何度も経験していた。今回のような、国同士の大規模な戦闘は始めてだったが、宇宙海賊の討伐などで、実戦経験も実績もあるベテランの軍人ある。
ここ数年は、カルデニア中央士官学校で教官を勤め、溜め息の魔王─溜め息1つで生徒を震え上がらせた─と呼ばれ、生徒達から恐れられる存在だった。
数年後には、士官学校の学校長の座に着くだろうと思われていたが、軍上層部はヴェルター准将の実績を評価し、今回の任務に司令官として抜擢したのである。
しかし、当の本人であるヴェルター准将は、正直乗り気ではなかった。
士官学校の教官の任に就いて3年。ようやく仕事にも慣れ始めていたし、生徒からは恐れられ、嫌われていようとも、教官という仕事にやりがいを感じ始めていた。
そして、何より家族の存在が大きかった。
ヴェルターには結婚して25年になる妻がいたが、半年程前に長男に子どもが誕生し、おじいちゃんと言われる存在になっていた。士官学校では恐れられる教官であっても、家に帰ればどこにでもいる優しい普通の祖父である。ヴェルターにとっては、そんな家族との平和な日常が何よりの幸せであった。
この任務を受けるということは、そんな平和な日常から、少なくとも数ヶ月の間離れることとなる。かといって、軍人である以上、断るという選択肢があるはずは無かった。
こうしてヴェルターは複雑な心境を抱えながら、艦隊司令官という立場を受任し、今はアルデバラン星系の辺境にいるのである。
「全艦、警戒態勢を維持せよ。ラマーン艦隊の影が見えたら即座に報告」
ヴェルター司令官の太い声がブリッジに響く。
ブリッジに緊張感が張り詰める中、ルーディ・クラウスは、何かを思い立ったかのように席を立ち、航宙士の座席に姿勢良く座って、真剣な眼差しでコンソールを操作しているフリーダ・ベッカー少尉に歩みよった。
彼女とは士官学校時代の同窓生で、お互いに認識はしていたものの、話したことはなかった。彼女もまた、新米の航宙士として配属されていたのだ。
「ベッカー少尉、モニターのデータをもう一度見せてくれない?1ヵ所ガス雲の重力値が気になるところがあるんだ」
ルーディの存在に気付いてなかったフリーダは、突然話しかけられた事に驚き、一瞬の間を空けたのちに頷いた。
「りょ…了解、クラウス少尉。」
彼女の指がコンソールを舞う
「……確かに、この辺りの重力値がだいぶずれてる。詳しい原因は解析しないと分からないけど、この星域での重力異常は珍しくはないわ。」
ルーディはそれを聞くと、何やら考え深げにモニターを見つめ、何も言わなくなった。もはや、フリーダの存在すら忘れているかのようである。
フリーダは(やつぱり噂通り変わっている人だわ)と思いながら、ルーディの様子を伺っていた。
すると、何か思い付いたようにルーディはフリーダに囁いた。それを聞いたフリーダは理解が出来ずにルーディに問いただした。
「そんな事を調べてどうするの?私が理解出来るように説明してほしい」
フリーダは困惑していた。いつ敵の艦隊が現れるか分からない状況の中で、ルーディに言われた…いや、頼まれた事が、今すべきことなのかわからなかったからだ。
だが、そんなフリーダの困惑など気にする様子は、ルーディにはなかった。
「コンソールを操作するのが苦手で、こういう計算が出来ないんだ。士官学校でも成績が悪かったし。この中で頼めるのは君だけなんだ。時間がある時でいいからお願い出来ないかな?」
そういうことを言ってるのではない。とフリーダは思ったが、結局ルーディの頼みを受けることにした。
元来、人から頼まれたら断れない性格ではあったが、それよりも、フリーダは時間を持て余していたのだ。航宙士として艦橋に席はあるが、ルーディと同じく、新兵に与えられる仕事は少なかった。この緊迫した状況の中で、何もせずに座っているよりも、何か作業をしているほうが気も紛れると思ったのだ。
「……わかったわ。計算が終わったら、あなたの端末にデータを転送するから」
それを聞いたルーディは、ほっとした表情を浮かべて小さな声で感謝を述べた。
「ありがとう、ベッカー少尉。ハイデルに帰ったら、必ず何かお礼をするよ。まぁ生きて帰れればね。」
そう言うと、何やらぶつくさと呟きながら、自分の席に戻っていった。
フリーダはそんなルーディの背中を見ながら思っていた。(最後に不吉なこというんじゃないわよ)と。




