11:知の饗宴
ローゼンタール艦隊は、宇宙を切り裂くように前進した。カルデニア艦隊が描いた巨大な弓形包囲網の左翼に鋭い楔を打ち込もうと突き進む。
「目標は敵の左翼だ。全艦集中射撃で穴を空けろ!」
ローゼンタール提督の命令が艦橋に響くと同時に、主砲が咆哮した。それに重巡航艦や駆逐艦が続き、一斉に火を噴いた。光の奔流がカルデニア左翼の隙間を狙って殺到する。
カルデニア側は即座に迎撃態勢を取ったが、ローゼンタールは正面からの殲滅戦を避け、一点集中の突破を狙っていた。砲弾とミサイルが交錯する中、左翼の一部に生じたわずかな綻びが、徐々に広がっていく。
爆炎の向こうに、包囲の内側で孤立しつつあるアイゼン艦隊のシルエットが、かすかに見えた。あと少し。あの狭い通路さえ確保できれば、彼らは脱出できる。
「続け! 死んでも構わん、こじ開けろ!」
ローゼンタールは拳を握りしめ、艦橋の窓越しに燃える戦場を見つめた。弓形の包囲網に穿たれた小さな穴は、まだ血を流す傷に過ぎなかったが、まもなくそれはアイゼン艦隊にとっての唯一の生路となるはずだった。
ローゼンタール艦隊の動きに合わせるように、包囲の内側で息を潜めていたアイゼン艦隊も動き出した。
旗艦の艦橋では、すでに戦死した司令官アイゼンに代わりに、参謀長のハンス・クレーマー少将が司令席に座り、静かに、だが決意に満ちた声で命じた。
「全艦、突撃。包囲網を脱出するには今しかない。諦めるな、怯むな。提督が最期に託した艦隊を、ここで失うわけにはいかん。ローゼンタール中将が開けてくれた道だ。必ず抜ける!」
重傷を負った軍艦群が、黒煙を吐きながら一斉に加速した。損傷した装甲から火花を散らし、舵を切るたびに軋む船体を叱咤するように、乗組員たちは歯を食いしばった。艦内放送からは、クレーマーの声が低く響き続ける。
「提督はもういない。だが我々はまだここにいる。アイゼンの名の下に必ず生き延びろ!」
先頭を切る駆逐艦数隻が、カルデニア艦隊の砲火をかいくぐりながら穴へと突っ込む。背後で僚艦が次々と被弾し、爆発の火柱が上がるたび、艦隊の隊列は乱れながらも前へ前へと押し進んだ。
穴の向こう側では、ローゼンタール艦隊が援護射撃を続け、カルデニアの追撃を牽制しているのが、かすかな閃光と轟音で伝わってくる。
やがて、先頭の駆逐艦が包囲網を突破した。それに続いて生き残った軍艦も穴を抜け、傷だらけの旗艦も、まるで息絶え絶えの巨獣のようになりながら、しかし確実に外へと滑り出た。
最後の艦が穴を抜けた瞬間、ローゼンタール艦隊の砲撃がぴたりと止んだ。
少し安堵したような表情をしながら、ローゼンタールが静かに呟いた。
「……抜けたな、アイゼン艦隊」
一方、カルデニア艦隊旗艦ルミナスの艦橋では、ルーディ・クラウス准将がメインディスプレイに映る映像を睨みつけていた。
ローゼンタールに開けられた穴は、すでに予備戦力によって塞がれつつあったが、遅かった。数は少ないが、残存するアイゼン艦隊は脱出に成功したのである。
ルーディはゆっくりと息を吐き、腕を組んだまま呟いた。
「……ローゼンタール中将。噂通りの優秀な司令官だな。これほど無駄が無く、統率された動きは見たことがない」
副官のエジード・フォスター中佐が、緊張した声で報告する。
「クラウス司令官、残存するアイゼン艦隊の脱出を確認。我が軍の左翼部隊の被害は少なくありません」
ルーディは目を細め、静かに頷いた。表情に悔しさは浮かんでいたが、動揺はなかった。むしろ、次の手をすでに考え始めているような顔をしていた。
「包囲網が破られてアイゼン艦隊の全滅には至らなかったけど、戦いはまだ終わらない。艦隊再編を急がせてくれ。ローゼンタール中将は、俺達を殲滅するまでは引かないだろうからね」
艦橋に重い沈黙が広がった。この戦いは全滅させるか、全滅させられるか、それしか終わらせる方法は無いと誰もが理解していた。
首都星ハイデルを死守するために、カルデニア軍は最後の1人まで戦い抜かねばならなかったし、ラマーン軍にとっては、ハイデルを占領することも大事なことだか、今はアイゼン司令官の仇を撃とうと意気込んでいるのが、戦いの中で伝わってきていた。
アイゼン艦隊が脱出した穴はすでに塞がれていたが、戦場全体の空気が変わっていた。包囲網の外側から叩き込まれたローゼンタール艦隊の集中砲火は、カルデニア左翼に深い傷を残していた。
「全艦隊、再編成。単横陣で三重の陣形を作れ!旧第一艦隊は2列目に、第2独立任務艦隊は1列目を担当するんだ。損傷艦は最後列に下げて防衛ラインを再構築する。急いでくれ!」
ルーディの声が艦内放送と全艦隊回線に響き渡った。参謀長のシュナイダーが即座に復唱しに命令が飛ぶ。メインディスプレイには、数百隻の艦影がゆっくりと動き始めているのが見える。
しかし、動きが明らかに鈍い。特に、旧第一艦隊の部隊は、まるで命令が理解出来ていないかのように反応が遅れた。エデンⅣでルーディの元で鍛え抜かれた第2独立任務艦隊とは、共に積み重ねた訓練の質が根本的に違う。旧第一艦隊は本国直属の精鋭だったが、ルーディの指揮下に入ってからまだ一度も合同演習を行っていない。隊列の旋回速度、砲撃のタイミング、味方艦同士の間合いの調整、全てが微妙にズレていた。
「旧第一艦隊の動きが遅いぞ! もっと速く寄せろ!」
ロペス中将が叫ぶが、返ってくる通信はぎこちない。
「申し訳ありません……ですが、右の軽巡が……」
ルーディは歯を食いしばった。自分の艦隊なら、命令を出した瞬間にはもう動いているはずだった。なのに今、旧第一艦隊はまるで巨大な獣が眠りから覚めきっていないように、陣形の再構築に手間取っている。単横陣の一列目を担う第2独立任務艦隊が素早く隊列を組んでも、2列目と3列目との連結が遅れ、全体として歪んだ不完全な陣形のまま固まっていた。
その隙を、ローゼンタールは見逃さなかった。
旗艦の艦橋で、ローゼンタール中将は静かに微笑んだ。
「ルーディ・クラウス……お前は用兵家としては天才だが、部隊の統率がまだ甘いようだな。――全艦、突撃。敵の陣形が完成する前に打撃を与えろ!」
帝国艦隊の全主砲が一斉に火を噴いた。漆黒の宇宙に光の矢が降り注ぎ、カルデニア艦隊の未完成な陣形に直撃する。まず最初に悲鳴を上げたのは、所定の位置に到達出来ていなかった旧第一艦隊の部隊だった。中でも動きが最も遅かった重巡航艦や、その周囲で右往左往する部隊は格好の的となった。
「被弾! 右舷装甲貫通!」
「隣の艦が追いついてこない! 孤立します!」
通信が悲鳴に変わる。ローゼンタール艦隊の駆逐艦群が高速で回り込み、孤立しかけた旧第一の艦を次々と包囲し、攻撃を加える。ミサイルの雨が降り注ぎ、爆発の火柱が次々と上がった。動きの速い第2独立任務艦隊は必死に援護射撃を試みるが、陣形が整っていないため、味方同士の射線が交錯して思うように撃てない。
「一定の位置に止まるな!的にされるぞ!」
ルーディが叫ぶが、もう遅かった。旧第一艦隊が崩れ始め、孤立した軍艦が次々と炎を噴きながら漂流し始めた。カルデニア艦隊全体が、まるで一本の鎖が千切れるように、徐々に崩壊の連鎖へと飲み込まれていく。
艦橋のメインディスプレイに映る光景を、ルーディは無言で見つめていた。表情は冷静だったが、拳を握る手は白くなるほど力が入っていた。
孤立した軍艦が次々と炎上し、味方からの悲鳴が通信回線を埋め尽くす。だが、ルーディの表情は変わらない。ため息一つ漏らさず、ただ冷静に状況を観察することに努めていた。
「被害は……予想より大きい。でも、まだ致命的じゃない。旧第一艦隊が完全に崩れる前に、悪い流れを止めなければいけない」
副官エジード・フォスター中佐が即座に反応する。
「司令官、どうしますか? 第2独立任務艦隊で援護を……」
「いや。無理に援護に向かうと、第2独立任務艦隊まで連鎖崩壊する。旧第一艦隊はもう捨てるしかない……いや、正確には捨てるふりだ」
ルーディは指で机を叩きながら、いつものようにぼそっと呟く。
「全艦隊に命令。端末のファイルを開け!『散開退避フェーズ・作戦アルファ』を実行する。旧第一艦隊は単独で後退を続けろ。だが、無闇に隊列を崩すな。味方艦同士の間隔を広げて、敵の集中砲火を分散させるんだ。第2独立任務艦隊は隊列を維持。旧第一艦隊を援護射撃でカバーしつつ、敵の追撃を迎撃する」
エジードが一瞬目を丸くする。
「それは……囮作戦ですか?」
「まぁ、そんなところだ。ローゼンタールは崩れかけた旧第一艦隊を確実に潰しに来る。だったら、そっちに全部の注意を向けさせる。第2独立任務艦隊に第1艦隊の退避をサポートさせながら陣形を死守しながら、徐々に第1艦隊を吸収する。旧第一艦隊は散開して敵の射線を乱しながら各個で合流する。損害は出るけど、全滅は避けられるはずだ」
ルーディはフリーダ・ベッカーを呼び指示を出すと、フリーダの指がディスプレイを滑る。瞬時に最適な退避ルートが描かれ、各艦に割り当てられる。
「旧第一艦隊の艦長達には伝えておけ。『死んでも生き残れ』ってな。……なるべく多くの仲間を死なせたくない」
命令が飛ぶと旧第一艦隊の残存艦は、隊列を崩さず、しかし意図的に間隔を広げながら後退を開始した。味方が被弾してもパニックにならず、周囲の艦が互いに射線を遮らないよう散開。ローゼンタール艦隊の集中砲火は、一点に集まらず分散し、命中率が急激に落ちる。
一方、第2独立任務艦隊はルーディの精密な指揮の下、中央で薄い壁のように陣を張り続けた。シールドを張りながら敵の側面をチクチクと狙い撃つ。援護射撃を続けながら、敵の攻撃を逃れた艦少しずつ吸収していく。
ローゼンタール艦隊の追撃は激しかったが、カルデニア側の散開退避は予想外の効果を発揮した。孤立した旧第一艦隊の軍艦が少なくない数が沈むが、全体の損害速度が急減した。ルーディの計算通り、敵は「確実に潰せる獲物」に気を取られ、カルデニア主力である第2独立任務艦隊の援護射撃に被弾していた。
艦橋で、エジードが息を吐く。
「……被害は旧第一艦隊に集中。ですが、第2独立任務艦隊はほぼ無傷。司令官の読みが当たりましたね」
ルーディは肩をすくめた。
「ローゼンタールは完璧主義者だ。隙を見せたら全部食われる。でも、こっちが『全部は食わせない』選択をすれば敵も迷う。……次は、敵が迷ってる隙に反撃だ」
メインディスプレイに映る戦場は、まだ炎に包まれていた。だが、カルデニア艦隊は完全に崩壊せず、辛うじて体勢を保っていた。ルーディの作戦が、被害を最小限に抑え、戦いの継続を可能にしたのである。
ローゼンタール中将は、静かに戦況を眺めていた。カルデニア艦隊の崩壊が始まり、旧第一艦隊が次々と炎上し、隊列が千切れかけたその刹那、敵の動きが突然変わった。
散開退避。意図的な間隔の拡大。旧第一艦隊の軍艦が、まるで意図的に「各個撃破されやすい餌」のように広がりながら後退し始めたのだ。中央の第2独立任務艦隊は薄く、しかし確実に壁を張り、追撃を食い止めつつ遠くから援護射撃を行う。集中砲火は分散し、命中率が急落。帝国艦隊の勢いが、わずかに鈍った。
ローゼンタールは、ゆっくりと息を吐いた。唇の端に、僅かな笑みが浮かぶ。
「……ここまで追い詰められても、体勢を立て直すとは。敵ながら見事だな」
艦橋の士官たちが一瞬、息を呑んだ。副官の一人が、思わず尋ねる。
「提督……褒めておられるのですか?」
ローゼンタールは頷き、視線をディスプレイから外さずに答えた。
「ああ。ルーディ・クラウス……あいつはただの指揮官ではない。戦場で生き残ることを最優先に考えられる男だ。普通の指揮官なら、味方を助けようと無理に援護し、崩壊の連鎖を招く。だが、あいつは違う。動きの遅い艦をある意味『盾』に使い、俺の注意を散らしつつ、最小限の犠牲で艦隊の体勢を保った。こんな状況でも冷静に計算してるんだろう」
彼は拳を軽く握り、静かに続けた。
「アイゼンを救った代償は大きい。だが、ルーディ・クラウスをここで仕留め損ねることも、今後の我々にとって、同じくらい大きな事かもしれない。……面白い男だ。本当に」
誰もが提督の言葉に込められた敬意を感じ取っていた。敵を褒める。それは、ローゼンタールが本気で相手を認めている証だった。
「全艦、追撃を継続せよ。ただし、無理に深追いするな。敵の散開は作戦だ。反撃を行う為の布石と考えろ」
ローゼンタールはディスプレイに目を戻した。燃える戦場の中で、カルデニア艦隊は完全に崩壊せず、辛うじて息を繋いでいた。
そしてローゼンタールは、心の中で小さく呟いた。
「次は俺の番だ。どう返礼してやろうか……ルーディ・クラウス」




