7:窮途末路
惑星ハイデルは、表面上は静かだった。都市の灯りは点灯し、夜の街路には避難民の列が長く続いているが、爆撃や銃撃の音は聞こえない。
しかし、軌道上では違う。ラマーン帝国の艦隊がハイデル宙域に進攻し、カルデニアの連合艦隊と激しい交戦を続けている。軌道上の宇宙軍艦が次々と沈黙し、残骸が大気圏に突入して火球となって落ちていく。宇宙空間は閃光と爆炎で埋め尽くされ、ハイデルの青い大気圏が赤く染まっていた。
ドゥラン首相は、そんな宙域の戦況を、政府ビル最上階の執務室から、立体映像越しに傍観していた。
窓の外では、軌道上の光点が光っては消えていく。通信モニターには、ローゼンタール中将とアイゼン中将の艦隊が、カルデニア連合艦隊を追い詰めている様子が映し出されていた。
ドゥランは震える手で額を押さえ、唇を噛んだ。
(まだ惑星内には来ていない……だが、それも時間の問題だ。皇帝は私を許さないだろう。ハイデルが完全に落ちれば、私は拉致され、拷問され、処刑される。……生き残らなければならない)
彼は深く息を吸い、執務室のドアを開けた。外では、数人の政府高官と秘書官が不安げに待っていた。彼らはドゥランの姿を見るなり、慌てて頭を下げた。
「首相! 状況はどうですか?」
ドゥランは背筋を伸ばし、できる限り毅然とした声で言った。声は少し震えていたが、周囲には勇気ある決意として聞こえるよう、意識して低く響かせた。
「諸君、私は今から前線へ赴く。私自らがラマーン帝国の指揮官と直接交渉し、これ以上の進攻をやめるように説得する。もうそれしか方法は残されていない……政府専用艦をすぐに用意してくれ。」
部屋にいた高官たちは、一瞬息を飲んだ。
国防大臣の男は目を丸くし、大臣政務官の女性は手を口に当てた。首相秘書官たちは互いに顔を見合わせ、驚きと尊敬の念が混じった表情を浮かべた。
「首相……自ら前線へ……?」
「なんと勇ましい……!」
「ドゥラン首相……私たちは首相の勇気に心から敬意を表します!」
ドゥランは内心で冷笑を浮かべながら、静かに頷いた。
(平和ボケした阿呆どもが……本当は逃げたいだけだ。皇帝の怒りから逃れるためなら、こんな国など捨ててやる。……だが、お前たちに「勇敢な首相」として見えているのであれば、それは好都合だ)
彼は声を張り上げ、演技を続けた。
「国民の命を守るために、私は命を賭ける。ラマーン帝国と直接対話し、停戦を勝ち取る。それが私の責任だ。……船の準備を急げ。時間がない」
高官たちは一斉に頭を下げ、慌てて行動を始めた。彼らは口々に「首相の勇気は歴史に残るでしょう!」「我々も全力で支援します!」という声を掛け合い、周囲の空気が一気に熱を帯びていった。誰もがドゥランの決意に感動したかのように、尊敬の眼差しを向けていたのだある。
ドゥランはそんな彼らを横目に、静かに執務室を後にし、廊下を歩きながら小さく唇を歪めていた。
国家が存亡の危機にある中で、パニックに陥り、冷静な判断能力を失っている政府関係者を騙す事は、ドゥランにとって容易なことだったが、今は自らの身の振り方を考える方が、彼にとっては難題だった。
ラマーンの後ろ楯を失くし、逆にラマーンに狙われる立場となった。それにこのまま逃げたとなれば、二度とカルデニアに戻って来ることもできないだろうが、元々ラマーンの駒として動いてきたドゥランにとって、カルデニアという国に対する愛国心など皆無だった。彼にとって大事な物は、自らの命と立場だけだったのだ。
宇宙港に到着したドゥランは、政府専用艦に急いで向かった。
艦はすでにエンジンを暖機しており、赤い警告灯がゆっくりと回転していた。船の周囲には護衛の兵士たちが整列し、高官たちが頭を下げてドゥランの到着を待っていた。
それを見たドゥランは背筋を伸ばし、余裕綽々といった態度で、顔には多少の笑みを浮かべながらゆっくりと船に向かって歩き始めた。
(これでいい……もうこんな国に来ることはない。新しい場所で、新しい人生を……)
次の瞬間、物陰から影が動いた。宇宙港の荷物コンテナの隙間から、5つの人影が静かに現れたのだ。
アレクセイ・ヴォルフを先頭に、ボリス・ゴルスキー、セルゲイ・ノヴァク、エリアス・シルバー、イザベラ・ゴールド。Abyssの5人全員が揃い、音もなくドゥランの背後に近づいていた。
ドゥランは振り返り、目を剥いた。一瞬の沈黙の後、顔を赤らめ、周囲に聞こえないように小さく怒鳴った。
「お前達、今更帰ってきたのか! 任務を失敗し、連絡も取れず、今まで何処で何をしていた!?貴様ら、俺を裏切ったのではないだろうな!?」
ヴォルフは無表情のまま、静かに一歩踏み出した。その瞳がドゥランを冷たく捉える。
「申し訳ありません、ドゥラン首相。任務を失敗したうえ、不甲斐ないことですが、エデンⅣにて今まで囚われの身となっていたのです。ようやく、命からがら脱出してきたしだいです。」
ドゥランは鼻で笑い、背中を向け吐き捨てるように言った。
「…お前らがそこまで無能だとは思わなかったが…まぁいい。俺は今からハイデルを脱出する。ここにいては俺の身が危ない。お前たちも俺の護衛として一緒に来い。次の任務は、俺を命を懸けて守ることだ」
ヴォルフは静かに頷いたのを見ると、ドゥランは満足げに笑い、機内に入ると乗組員に命令した。
「離陸しろ! もたもたするなよ!」
政府専用艦のエンジンが唸りをあげ、カタパルトを勢いよく走り出し、宇宙へ向けて上昇した。ハイデルの都市が遠ざかり、あっという間に宇宙空間の闇が窓の外に広がった。
艦内は静かだった。ドゥランはシートに深く座り、背中をヴォルフたちに向けたまま、独り言のように愚痴をこぼし始めた。
「まったく……皇帝め。今まで俺がどれだけ尽くしてきたと思っているのだ。こうも簡単に切り捨てられるのは納得いかん……まぁ、いい…また新しい場所で成り上がってみせる。俺はまだ終わっていない……」
その時、背後にいたボリス・ゴルスキーの巨体が動いた。
ゴルスキーは音もなくドゥランの背後に立ち、両腕でドゥランの首と胴を羽交い締めにした。ドゥランの体がビクンと跳ね、息が詰まった。 同時に、エリアスがドゥランの口を塞ぎ、小型の麻酔針を首筋に刺した。
ドゥランが麻酔の影響で朦朧とするなか、周囲を見渡すと、艦内の他の乗組員たちは既に全員眠らされていた。乗組員たちはシートに倒れ込み、静かに呼吸を繰り返しているだけだった。
ドゥランは驚愕の表情を浮かべ、必死にもがいた。目を見開き、喉から押し殺したような声が漏れる。
「貴様ら……何の真似だ……裏切るのか!?」
ヴォルフは静かにドゥランの前に立ち、冷たいの瞳で彼を見下ろした。
「裏切る?…違うな。この国を捨てて逃げるということは、もうお前はこの国の首相ではない。その時点で、お前の命令を聞く必要がなくなっただけだ」
ドゥランはボリスの腕の中で喘ぎながら、絞り出すように言った。
「ふざけるな…誰の……命令だ……!」
ヴォルフは淡々と答えた。
「正式に俺たちの指揮権は国王陛下のものになったよ」
ドゥランは目を見開き、恐怖と怒りが混じった表情で叫んだ。
「俺を……どうするつもりだ……!」
ヴォルフは静かに、しかしはっきりと答えた。
「執務室では前線に行くと豪語していただろう?俺達も貴様の勇敢な台詞は全て聞いていたよ。最後の情けとして、お望み通り戦場へ連れていってやる」
ドゥランの視界が急速にぼやけていった。麻酔の効果が体を蝕み、意識が闇に落ちていく。最後に見たのは、ヴォルフの冷たく汚物でも見るような瞳だった。
ヴォルフは、意識を失ったドゥラン見つめながら、静かに息を整えていた。
幼い頃の記憶がよぎる。施設の冷たいベッド、毎日繰り返される工作員としての厳しい訓練、教育という名の拷問。彼は自分たちが「兵器」として生まれたことを、長い間疑わなかった。しかし、今はルーディに言われた言葉が胸に刺さっていた。
『生まれてきた事に、意味なんか持ってる奴はいない。そんなもの自分で決めることだ。それを人から押しつけられることほど不幸なことはないじゃないか』
ヴォルフの唇が、わずかに動いた。
(…なら、俺は自分で決める。自分の意思で王に仕え、カルデニアを守る。それが、今の俺の生きる意味だ)
ボリス・ゴルスキーは、巨体を低く構えながら、ドゥランの背後に立っていた。
彼の胸には、施設で受けた痛みが今も刻まれている。巨大な体を武器として鍛えられ、痛みを感じることすら禁じられた日々。
(俺はもう、誰かの道具じゃない。俺の自由は自分で守る)
セルゲイ・ノヴァクは、髪をポニーテールにまとめ、艦を操縦しながら微笑んでいた。
彼はいつも陽気だったが、心の奥底では自分の存在意義に疑問を抱き続けてきた。だが、今の笑顔は何故か心から笑えているような気がしていた。
エリアス・シルバーは、幼い顔立ちに真剣な表情を浮かべ、航路を確認している。
エリアスは施設で「兵器」として育てられた記憶が、まだ鮮明に残っている。その記憶が悪夢を見せる日々もあったが、最近は悪夢を見ることが少なくなっていた。
イザベラ・ゴールドは、腰まで届くブロンドを優雅に揺らし、眠るドゥランの頭に肘をかけて微笑んでいた。
彼女の美しい瞳の奥には、ふとした瞬間、施設で受けた孤独と絶望が見え隠れする。それでも今は、希望の光も宿していた。
5人のAbyssの心は、静かに、しかし確実に変化していた。それは彼らの心に、初めて『自らの意思』が灯っていたからであった。
ルーディはエデンⅣを出発する前、ヴォルフ達に、ハイデルへ先行して行くように頼んであった。その目的こそが、マーカス・ドゥランの誘拐だったのだ。
もし、この戦争に勝利することが叶い、ジェイクを国王としてハイデルに帰還させ、カルデニア王国を復権したとしても、はたして国民は納得するのであろうか。それがルーディの懸念だった。
ドゥランがどれだけ悪人で、ラマーンの手先だったとしても、それを国民は知る由もない。ドゥランは狡猾な男だった。様々な手段を講じて、マスメディアを自らの影響下におき、自身に都合の良いように偏向報道をさせ、高い支持率を維持し、国民の人気を勝ち取っていた。
ルーディ達がいくら自分達の正当性を主張しようとも、民意を覆すことは難しいかもしれない。だからこそ、ドゥランが逃亡する前に身柄を拘束し、彼が行ってきた悪行の数々を、証拠とともに世間に詳らかにする必要があった。そして、国民自身にドゥランを裁かせ、自分達の判断が間違っていたことを認めさせなくてはいけない。それがカルデニア王国が再建するための第一歩であると、ルーディは考えていたからである。
Abyssは実に的確に任務を遂行した。
ハイデルに着いた彼らは首相執務室に侵入し、ドゥランとラマーン高官の会話記録を盗みだした。それ以外にも、主要マスメディアとの繋がりを確定づける証拠、彼の本当の出自を示す情報、国内の分裂を生んだテロ事件の真実など、自分達が今まで築いてきたあらゆる情報網を使って調べあげたのである。ドゥランがどう足掻いた所で、一言の言い訳も出来ない状況をつくりあげた。
あとは、ドゥランをルーディの元に連れて行くだけである。
ただ、それはカルデニア軍がラマーン軍を退けてこそ効力を示すものでもある。
しかし、ことはそう簡単にはいかないものだ。
ルーディは決して甘くみていたわけではない。敵がそれを上回るの能力を持っていただけだった。
アイゼンの突撃能力は想像よりも、遥かに優れた規律性を持っていたし、ローゼンタールの艦隊は、司令官の意図を的確に汲んで、一糸乱れぬ動きを見せていた。
一方で、カルデニア艦隊は、一度もルーディの指揮下で戦ったことがない部隊が過半数を占め、しかも大半の艦は先の戦闘でダメージを負っていた。
ルーディ率いるカルデニア艦隊は、苦戦を強いられていたのである。




