4:アポロニアスの戦い
カルデニア連合艦隊80隻は、5列単横陣を保ったまま、敵の到着を待ち構えていた。
第2艦隊を率いるイヴァン・ペトロス中将の旗艦「インヴィンシブル」は、陣形の最前線に位置し、重巡航艦と軽巡航艦が固い壁のように並んでいた。ペトロスはブリッジの司令席に座り、両手を膝の上に置き、静かに敵の接近を待っていた。だが、彼の顔は緊張を隠せなかった。額からは汗が滴り落ち、唇は微妙に震えていた。
(敵の迫力は想像以上だ……アイゼンの猛攻を耐えきれるか? 耐えなければ、我々は終わりだ)
「敵艦隊、射程距離内に入ります! 距離9万キロ、急速接近中!」
通信士の叫びが響いた瞬間、ラマーン艦隊の先鋒ルーカス・アイゼン中将率いる艦隊が、猛烈な速度で迫ってきた。
マティアス・ローゼンタール中将は冷静にモニターを見つめていた。彼は敵陣形を冷徹に分析していた。
(敵は5列の単横陣……中央を固め、アイゼン艦隊の勢いを殺し、その上で包囲を狙っているな。だが、アイゼンを舐めすぎだ。敵は対応しきれまい。アイゼンに中央に突破させ、側面を回り込ませれば……)
ローゼンタールは通信を繋ぎ、アイゼンに言った。
「アイゼン、敵の陣形が崩れるまで、容赦するなよ。中央を必ず突破しろ、それと同時に俺の艦隊が前に出る。お前達は、中央突破後は急速反転し、俺の艦隊との挟撃に移ってくれ」
アイゼンは旗艦のブリッジで、豪快に笑った。筋肉質の巨体がシートに沈み、髭の生えた顔に興奮が浮かんでいた。
「了解だ、マティアス! ちょっと待ってろ、今から敵陣営にでかい穴を空けてやる!」
彼は拳を握り、部下に叫んだ。
「全艦、加速! ミサイル全弾発射! 敵中央を粉砕しろ! 」
アイゼン艦隊が锋矢陣に陣形を変え、一斉に突撃し、カルデニア陣形の1列目単横陣に殺到した。
そこで待ち構えていたペトロス中将の第2艦隊の部隊は、その圧倒的火力と勢いの前に、対処が遅れ、最初の攻撃で壊滅的な打撃を受けた。
まともに攻撃に晒された一隻の駆逐艦では、通信士が絶叫していた。
「ミサイル群、左舷から接近! 迎撃不能——! シールド出力急落!」
次の瞬間、艦体が激しく震え、左舷のシールドが粉々に砕け散った。ミサイルが直撃し、爆発が艦内を飲み込んだ。通路は一瞬で炎と煙に包まれ、兵士たちが悲鳴を上げて転げ回った。負傷した兵卒が床に倒れ、焼け焦げた制服から煙を上げながらうめき声を漏らした。艦長は壁に叩きつけられ、額から血を流しながらも、必死に命令を叫んだ。
「! 2列目に退避だ! 退避しろ!」
しかし、2列目も同じ運命を辿った。
アイゼン艦隊の重巡航艦が主砲を一斉に放ち、第2艦隊の2隻が連続して被弾した。1隻はエンジン部に直撃を受け、巨大な火球となって爆発。もう1隻は艦橋が吹き飛び、操舵不能のまま漂い始めた。艦内の格納庫では、整備士たちが炎に巻かれながら逃げ惑い、
「脱出ポッドを開けろ! 早く!」
という絶叫が響いた。負傷者の血が床を赤く染め、煙が視界を奪う中、生き残った兵士たちは必死に消火活動を続けたが、次々と新たな爆発が起こり、第2艦体は早くも崩壊の危機に瀕していた。
ペトロス中将はブリッジで歯を食いしばり、モニターを睨んだ。
「2列目も……崩壊したか。予想以上だ……アイゼンの火力は……通信! 総司令官に報告しろ!」
彼の声は低く、苦々しかった。陣形の前半が瞬く間に崩れ、カルデニア連合艦隊は防戦一方に追い込まれていた。
当初の作戦では、アイゼン艦隊の突進を受け止め、時間を稼ぎ、第1艦隊とともにアイゼン艦隊を包囲する予定だった。しかし、実際は全く違うものとなった。最初の攻撃からアイゼン艦隊の勢いにのまれ、いとも簡単に陣形は崩され、肉食獣が兎の群でも追いかけるように蹂躙されている。
カルデニア軍の中でもベテランの域に達し、実績も立場も十分にあるイヴァンだったが、軍人として自信とプライドは、この数分間の戦いの中で粉々にへし折られた。
一方、ロペス中将の第1艦隊も、強引に包囲を試みようと側面から回り込もうとしたが、アイゼンの猛攻が速すぎて、そんな暇も与えてもらえなかった。
第1艦隊の旗艦「エストレージャ」のブリッジで、カミラ・ロペス中将は立ち上がり、声を張り上げていた。
「早く側面から回り込め! 包囲を完成させるのです! 敵の火力を分散させろ!」
しかし、彼女の声は焦りを帯びていた。敵の速度と火力が予想を超えていた。
総旗艦に座乗するマルコム・グラント大将も、現在の状況に、何とも言えないもどかしさを抱えながら命令を下していた。
「陣形を崩せ! 一度散開しろ! 密集していると全滅する! 全艦隊、個別行動に移れ!」
命令が下ると、カルデニア艦隊は放射状に広がろうと動き出した。
一方でその動きを察知したアイゼン艦隊は、その隙に敵陣中央への圧力をさらに強め、なんなく中央突破を成功させ、敵陣形の反対方向まで到達したのである。反対方向に麾下の全艦隊が抜けたのを確認すると、アイゼン艦隊はスピードを緩め、急速反転を始めた。艦首を今来た道、すなわち敵の後方に向け、間を空けず容赦なく攻撃を打ち込んでいった。
カルデニア連合艦隊前方でも状況は動いていた。アイゼンの中央突破を見るや否や、後方に控えていたローゼンタール艦隊が、一斉に前進し襲いかかっていた。
マルコム・グラント大将の「全艦散開」の命令が下っり、アイゼン艦隊が中央突破に成功したのを確認したローゼンタール中将は、冷静に指示を飛ばしていた。
「敵陣形が崩れ、アイゼン艦隊が中央を突破した。今が好機だ。全艦、集中砲火を浴びせろ。逃がすな」
ローゼンタール艦隊の重巡航艦と軽巡航艦が一斉に主砲を放ち、カルデニア軍の散開しようとする艦艇に容赦ない攻撃を浴びせた。
カルデニア艦隊の駆逐艦1隻は直撃を受け、艦体が真っ二つに裂け、乗組員たちが宇宙空間に投げ出された。もう1隻はエンジンが破壊され、無力に漂いながら、次々とミサイルの餌食となった。艦内の通路は炎と煙に満ち、兵士たちが「助けてくれ!」「脱出できない!」と叫びながら、崩落する壁の下敷きになっていた。血の臭いと焼け焦げた肉の臭いが混じり合い、生存者の絶望的な叫びが通信に飛び交った。
グラント大将は拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「くそっ……ローゼンタールの読みが速い。いや、我々の行動が遅すぎたか……全艦、散開しながら個別に戦え!」
カミラ・ロペス中将も艦橋で叫んでいる。
「全艦、個別回避! 密集するな! 敵の火力を分散させろ! 生き残れ! 生き残るんだ!」
しかし、アイゼンの先制攻撃で陣形が崩れたカルデニア艦隊は、すでに連携が取れず、個々の艦が孤立し始めていた。ラマーン艦隊の紅い攻撃が、カルデニア艦隊の青いシールドを次々と砕いていく様子は、宇宙空間に広がる残酷な光景だった。
後方をアイゼン艦隊に、前方をローゼンタール艦隊に追い込まれ、カルデニア連合艦隊は、いつの間にか四方八方を包囲されようとしていた。
ペトロス中将は、司令席に座りながら、崩れゆく艦隊を黙って見つめていた。
1列目が炎に包まれ、2列目が次々と沈黙していく。ロペス中将率いる第1艦隊も、アイゼン艦隊の包囲に失敗し、散開しようと試みた所をローゼンタール艦隊の砲撃の的となっている。通信回線からは絶え間ない悲鳴と爆発音が流れ込み、ブリッジの空気を重くしていた。画面に映る味方の艦影が、次々と赤い警告灯に変わっていく。ペトロスはゆっくりと息を吐き、静かに立ち上がった。
「総司令官、こちらペトロスです」
通信が繋がると、グラント大将の疲弊した声が返ってきた。
「イヴァン、まだ生きてるか」
「生きてます。……ですが、もう持ちません。アイゼンの火力が予想以上です。このままでは全艦が包囲されます」
グラントは一瞬沈黙した。画面越しに、彼の皺の深い顔が歪むのが見えた。
「散開命令は出した。個別で逃げろ。生き残った艦はハイデルの軌道で再集結だ」
ペトロスは首を振った。声は静かだったが、決意に満ちていた。
「それは無理です。敵はすでに包囲網を完成させようとしています。このまま散開すれば、個別に狩られるだけです。……ですから、私が囮になります」
第2艦隊の旗艦で士官たちが息を飲んだ。副官が慌てて叫んだ。
「中将! それは…」
ペトロスは副官を手を挙げて制した。そして穏やかな声で続けた。
「第2艦隊の残存している艦で、敵を引き付けます。総司令官、ロペス中将……どうか逃げてください。ハイデルに到達し、アルメリアの支援を待つ。それが唯一の選択肢です」
グラントの声が震えた。
「イヴァン……お前は……」
「総司令官。私はもう十分に戦いました。長年ハイデルを守ってきた。それでいいんです。……後は頼みます」
通信にロペス中将の声が割り込んだ。彼女の声は怒りと悲しみに震えていた。
「イヴァン! ふざけるな! 私が囮になる! 第1艦隊はまだ持ちこたえられる!」
ペトロスは小さく笑った。優しい笑みだった。
「カミラ。お前はまだ若い。未来がある。これは私のような老いぼれの役目だ。……お前は優秀な指揮官だ。ただ今回は、敵がそれ以上に上手だっただけだ」
画面越しに、彼女の瞳に涙が浮かぶのが見えた。
「カミラ、生きろ。そしてハイデルを取り戻せ。それが、お前の任務だ」
ペトロスは通信を切った。ブリッジの全員が息を殺した。副官が震える声で言った。
「中将……本当にやるのですか……?」
ペトロスは静かに頷いた。
「第2艦隊全艦に通達。これより第2艦隊は前方のローゼンタール艦隊に最大火力で攻撃を加える。我々は、総司令官と第1艦隊が包囲網を抜けられるよう援護する」
通信士が涙声で繰り返した。
「全艦へ……第2艦隊は最大火力でローゼンタール艦隊を攻撃し、敵を引きつけます。総司令官および第1艦隊の戦場離脱を援護せよ……」
第2艦隊に沈黙が広がった。誰もが理解していた。自ら囮になるということ、そして、もうハイデルには帰れないことを。
ペトロスは最後に、静かに呟いた。
「第2艦隊のみんな……すまんな。もう少しだけ私の我儘につき合ってくれんか」
第2艦隊の残存艦約22隻が、一斉に加速した。炎上する艦体を引きずりながら、前方に広がるローゼンタール艦隊に向かって突進していく。ペトロスは司令席に座り直し、静かに目を閉じた。
(これでいい……これで、カルデニアはまだ戦える)
一方、総旗艦のブリッジでは、グラント大将が拳を叩きつけた。
「クソッ………第1艦隊!イヴァンの意思を無駄にするな!維持でも包囲網を突破し、戦場を離脱しろ!」
第2艦隊の残存艦が敵を引きつけ、第1艦隊と総旗艦は戦場からの退避を開始した。
宇宙空間に、炎と残骸が漂う中、ペトロス中将の旗艦は、最後の突撃を続けた。
戦いはまだ始まったばかりだったが、カルデニア連合艦隊は、予想以上に厳しい状況に追い込まれていた。




