2:無に抗う影
衛星ナポレにある宇宙軍駐屯基地、その整備ドックの一角。ルーディ・クラウス准将は、ルミナスの艦体に寄りかかって、腕を組んでいた。出撃準備の喧騒が遠く聞こえる中、彼の耳には妙に静かに聞こえた。整備士の金属音、エンジンの低いうなり、兵士たちの足音…それらが全部、自らの思考に掻き消されるように遠く感じられていた。
そんな時、連絡が入る。ルーディの腕輪型端末が鳴り、その高い音が彼の意識を現実に戻した。通信の相手は参謀長のシュナイダー大佐だった。大佐は何か嬉しい事でもあったのか、声は弾み気持ちが高揚しているように感じとれる。
「司令官!今どこにいる?!あいつら本当に戻って来やがった。今すぐ基地のC2会議室に来てくれ」
そういうとシュナイダーは一方的に通信を切ったのである。ルーディは何の事か検討もつかず、面倒くさそうに思い足取りで歩きだしたが、ふと急に何かを思い出したかのように指定された場所へ走り出した。
ルーディが勢いよく部屋に入ると、そこには6人の男女が待っていた。
まず目に入ったのはシュナイダー大佐と、その横に立っているボリス・ゴルスキーであった。
ゴルスキーは、あることが理由でアルメリア連邦まで同行していた人物だが、その原因となった男も一番奥の席に腰かけているのが見える。アレクセイ・ヴォルフである。
彼は政府が秘密裏に組織し運用していた、特殊工作部隊Abyssのリーダーであり、アルメリア連邦への道中でシュミット首相の暗殺を企てたが、ルーディによって拘束され、今後ドゥランと手を切り、仲間になることを条件に釈放されていた。そんな彼が約束を守り戻ってきていたのである。
それ以外にも、Abyssのメンバーと見られる男女が3人が、ルーディの顔を吟味するように薄い笑みを浮かべながら見ていた。
セルゲイ・ノヴァク、エリアス・シルバー、イザベラ・ゴールド、である。
会議室にAbyssの5人全員が揃っていた。ヴォルフはいつものように無表情に近い顔で、しかし瞳の奥に何か決意めいた光を宿して座っていた。ルーディは軽く顎を上げて迎えた。
「本当に戻ってきたんだな」
ヴォルフは一瞬だけ目を伏せ、静かに答えた。
「もちろんだ。俺は約束は守る」
その横で、参謀長のシュナイダー大佐が腕を組んだままニヤリと笑った。
「へえ、本当に戻ってくるとはな。俺は司令官と違って、正直そのままとんずらすると思ってたぜ。人質替わりに置いていったゴルスキーも、俺らが殺さない事は分かっていただろうからな。…腹括ったんだな、ヴォルフ」
ヴォルフはシュナイダーを見据え、淡々と返した。
「俺はもうドゥランの下で働く気はない……だが、だからと言ってあんたらの下で働くためにここに来たわけじゃない。これだけははっきり言わせてもらう」
ルーディの眉がわずかに動いた。シュナイダーも笑みを引っ込めた。
ヴォルフはゆっくり言葉を続けた。
「俺達は、時の首相の指揮の元、王族を影から守るために結成された組織だ。幼い頃からそういう風に洗脳され、兵器のように育てられた。それを今になって否定すれば……俺達の生まれた意味も、生きている意味も否定することになる。今さら軍人の下で動くことは出来ない。こうなった以上、もう俺らに行き場はない。だから俺らを捕え、裁いてくれ。これが俺らの答えだ」
エリアスが小さく頷き、イザベラが唇を軽く噛んだ。ボリスは黙って拳を握り、セルゲイは陽気な笑みを消して俯いた。
ルーディは腕を組んだまま、じっとヴォルフを見ていた。そしてしばらくして、静かに口を開いた。
「生まれてきたことに意味なんてあるのか?そんなもの持って生まれてくる奴なんかいないさ。俺だってそうだ」
ヴォルフの瞳がわずかに揺れた。
ルーディは続けた。声は低く、しかしはっきりしていた。
「そんなもの、自分で決めることだ。人から『お前はこういう意味で生まれてきた』『こういう意味で生きろ』って押しつけられることほど、不幸なものはないじゃないか。結局の所、人生なんて自己満足の世界なんだ。自分が生きたいように生き、たまには邪魔する奴らに抗いながら、自由に生きていいんだ。そして死ぬ時に初めて分かるんだよ、きっと。自分がなぜ生きてきたのかなんてね」
シュナイダー大佐が横から小さく笑った。
「全く同感だな。俺もそう思う。そんなもんを探した所で、行き着く先は宗教しかない。そしてあいつらは、偉そうに他人の人生に口出しするのさ。馬鹿な奴らはそれでも喜んでいるがな。俺は他人に自分の価値を決められたくはないね」
ヴォルフは唇を噛み、灰色の瞳をルーディに向けた。
「だが……俺達には、それしか道はない。今さら生き方を変えられない」
ルーディは少しだけ目を細め、ため息をついた。
「……わかった。じゃあ、俺に着いてきてくれ」
そういうとルーディは5人を部屋から連れ出して歩き出した。基地のドッグに向かうと、部下に小型シャトルを用意させ、どこに行くんだと聞くヴォルフを無視し、いいから乗れとシャトルに押し込んだ。シャトルをシュナイダー大佐が運転し、一行はエデンⅣに降下していったのである。
エデンⅣに着くと、一行はそのまま議事堂へ向かった。ルーディは、議事堂の一室ににAbyssの5人とシュナイダー大佐を残し、何も言わず何処かへ行ってしまった。
議事堂の待機室は、簡素だが厳粛な空気に満ちていた。ヴォルフは、ルーディがなぜここに連れてきたのか、何をしようとしているのか、全く理解できずにいた。
ルーディが何処かへ行ってから数分後、ようやく帰ってきた。後ろに2人の大物を連れて。
シュミット首相とジェイク国王だった。彼らはルーディに言われるがまま並んで椅子に座った。シュミットもジェイクも理由を聞かされていないのか、困惑した表情を浮かべていた。シュミットは疲れた顔でルーディに問いかけた。
「クラウス准将。いったいなんなのです?国王陛下まで連れ出して、この方達は一体何者なのです?」
ルーディは5人とともに、ジェイクの前で膝を着くと、静かに話し出した。
「国王陛下、首相。この5人はAbyssです。名前ぐらいは聞いたことがあると思います。」
シュミットは息を飲んだ。
「……本当に存在したのですね」
ジェイク王子は目を丸くした。
「クラウス准将……この人たち、俺が小さい頃会ってるよな?」
ルーディは小さく頷いた。
「そうでございます陛下。覚えていてくださったこと、心より嬉しく存じます」
そういうと、ルーディはこれまでの経緯を話しだした。彼らとどこで出会い、彼らが何をしようとしていたのか。全てを2人に話したのである。そして、こう語った
「彼らはカルデニア王国の犠牲者です。政府は孤児を自らの都合で工作員に育て、その命を利用してきたのですから。その責任を政府は取るべきです」
シュミットは目を伏せ、唇を噛んだ。自らが作った組織でもなく、関与していたわけでもなかったが、政治家をしている以上Abyssの噂は耳に入っていた。しかし、その真偽を調べもせず、見て見ぬふりをしてきた自分自身に対して、強い罪悪感に襲われたのである。また、知らず知らずのうちに他人の人生を犠牲にし、自分の命が守られてきたと知ったジェイクは、拳を固く握りしめ、自分の無力感に苛まれているようだった。
ルーディは続けた。
「今後、彼らには暗い影ではなく、堂々と表の世界で生きていってほしい。彼らには優れた能力があります。きっとカルデニア王国の役にも立てるでしょう。そして、ここからは私の提案ですが、今後、国王陛下の直属の親衛隊を正式な組織として設立し、彼らにその役割を与えて頂けませんか?もちろん、それを彼らが望むのであればですが…。ともかく私としては、彼らの存在を政府と国王に認めてあげてほしいのです。」
シュミットは長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。
「……彼らに責任ある立場の者として、こんなこと言うのは最低だけど、彼らは人殺しも厭わない工作員として育てあげられた人達です。知らなかったとはいえ、命を狙われた私には、まだ彼らを信用することはできません」
一方、ジェイクは小さな声で、しかしはっきりと言った。
「…俺は……クラウス准将が信用したのなら、信用する。ぜひ、親衛隊になってほしい。でも、俺にはそんなことを決める権限はない。それはシュミット首相や政府が決めることだ。だが、それが叶わないのだとしても、俺は国王として出来ることを彼らにしてあげたい。それが俺の心からの望みだ」
シュミットはさらに長い沈黙の後、静かに頷いた。
「……わかりました。国王陛下がそこまでおっしゃるのであれば、私が責任を持って、親衛隊を設立します。それと、カルデニア政府を代表してあなた方に謝罪します。本当にごめんなさい。ハイデルを取り戻し、カルデニア王国が本来の形に戻った時には、改めて何らかの保証をさせて頂きます。」
そういうとシュミット首相は、深々と頭を下げた。
それを見ていたヴォルフ達は、何か心に引っ掛かっていた物が少しほどけたような気がした。
ジェイク国王は立ち上がり、ヴォルフに向かって言った。
「ヴォルフといったか。これから宜しく頼むよ。そして、今までありがとう。君達のお陰で俺は今まで生きてこられたのかもしれない。感謝する。ただ、今の俺に助けはいらない。だから、この戦争が終わるまでは、クラウス准将の指示に従って働いてくれないか?それが今はカルデニア王国にとっても、私自身にとっても最善だと思うんだ」
ジェイクはそう言うと、ヴォルフに右手を差し出した。ヴォルフは膝をつき、震える手で国王の手を取った。
「国王陛下がそうおっしゃるなら、喜んで従います。そして、今後、命をかけて陛下をお守りすることを誓います」
二人は握手を交わした。ヴォルフの手は震えていたが、ジェイクがそれを包むように両手で優しく握った。そして、その手には確かな力が込められていた。
部屋を出て、議事堂の通路を戻る途中、ヴォルフがルーディに並んで歩きながら言った。
「……ありがとう、准将」
ボリスが低く、セルゲイが笑いながら、イザベラが微笑みながら、エリアスは頷きながら続いた。
ルーディは肩をすくめ、照れ笑いしながら返す。
「感謝なんかいらないよ。俺が自分勝手にやったことだからね。君たちが何か生き甲斐を見つけられるように、俺も協力したかっただけさ。でも、もし君達が親衛隊なんかやりたくなくなったら、その時は遠慮なく自由の権利を行使すればいい。この国はそうあるべきなんだから。」
ヴォルフは静かに頷き、言った。
「とりあえず、今はあんたの指示に従う。何でも言ってくれ」
ルーディは少し間を置いて、静かに言った。
「それじゃあ、早速で悪いんだけど、実は頼みたいことがあるんだ。艦を一つ用意するから、俺達より先にハイデルへ行ってくれないか?」
ヴォルフは即座に頷いた。
「了解だ。任せてくれ」
5人は静かに頷き、ルーディは遠い故郷の惑星を見るように空を見上げていた。




