第9話:結界師の視線と“揺れる魂核”
結界が張られた翌日になっても、村のざわつきは収まらなかった。
広場を歩く大人たちの声は、どれも不安を滲ませている。
「また森のほうで気配があったらしい」
「黒い煙みたいなの、見えたって話も……」
確かに魔獣は結界を越えてこない。
それでも“異常な黒”はまだ村の外周に残り続けていた。
(この黒……絶対に俺の魂核の残りだよな)
胸の奥で、黒い霧が日ごとに濃くなったり薄くなったりする。
誰にも見えないが、俺だけははっきり分かる。
セリアと手を繋いで外を歩いていた時──
白いローブの影が目の前に現れた。
「やあ。君はセリアちゃん……だよね?」
王都の結界師、リオネル。
昨日見た時より、どこか表情が硬い。
「昨日の魔獣の件、助かったよ。結界のおかげで被害が出なかった」
「いえ、私はただ……」
セリアが答えようとした瞬間、リオネルの視線が俺に向く。
「……君だね。ルイ君」
(なんで俺を見るんだよ……)
胸がひゅっと縮む。
もしかして、揺れに気づいたのか。
リオネルはしゃがみ込み、俺へそっと手をかざした。
「失礼。少し魔力の流れを見るだけだ。痛くないよ」
柔らかな魔力が俺の身体を包む。
その瞬間──彼の呼吸が止まった。
「……っ……これは……?」
眼鏡越しの瞳が大きく揺れ、驚愕が走る。
「赤ん坊とは思えない……この濃密さ……魔力の層が……」
(終わった……!?)
だが、リオネルはすぐに表情を整えた。
まるで“見なかったことにする”かのように、一歩後ろへ下がる。
「……すまない。少し疲れているようだ。また後で村長のところへ向かうよ」
淡々と告げ、村の奥へ歩き去っていった。
(見えたわけじゃない……けど“揺れ”には気づいたな)
危なかった。
ただの赤ん坊扱いされない可能性が現実味を帯びてきた。
「ルイ……だいじょうぶ?」
セリアが俺を抱き直し、不安な目で覗き込む。
(お前がそばにいてくれなきゃ、マジでバレてた)
彼女が触れている間だけ、胸の黒は信じられないほど静まる。
けれど、その夜──。
家が寝静まり、灯りが消えた頃。
俺は部屋の隅で小さな呼吸を整えながら、胸の奥に意識を向けていた。
(今日の黒……濃い)
セリアが帰ってしばらくしてから、魂核の黒がゆっくり重く沈んでいく。
このままではまた影が暴れ出しかねない。
(……少しでも制御できるか、試すしかない)
赤ん坊の浅い呼吸で、そっと魔力を撫でるように意識する。
ふ、と小さな身体が吐息を漏らした。
胸の奥で光が微かに揺れる。
(……く……!)
黒が渦巻くように膨れ──
その反対側で、白が脈打つ。
黒と白が押し合い、ひび割れのような光が魂核の中心を走った。
「ッ……!」
声が漏れる。
窓辺の風がザワリと揺れ、外の木々がざわついた。
(あ……まずい……!)
黒い気配が、ほんのわずか外へ“漏れ出た”。
その瞬間──
遠くで犬が吠え、村のあちこちで物音が立つ。
「なに今の……!?」「風が逆流したぞ……!」
(また迷惑かけた……これじゃ練習にもならない)
そんな後悔が胸に沈んだ瞬間。
『……鍵よ……』
(!?)
言葉の形にはなっていない。
声でも音でもない。
それでも、脳の奥を微かに震わせる“深淵の囁き”。
『黒を恐れるな……
ゆっくりでいい……
お前は……その器……』
(はっきり喋るなっての……!)
怖い。
でも、不思議と嫌ではなかった。
黒も白も、どちらも自分の一部であることを体が知っている。
(両方……扱えるようにならなきゃ)
胸の奥でそう決意した時──
「ルイ……?」
部屋の入口。
暗闇の中に、小さな影。
セリアだった。
(なんで来た!?)
「なんかね……胸が苦しくて……
ルイが呼んでる気がしたの」
(いや……テレパシーかよ、お前……)
けれど次の瞬間、セリアが部屋に入ってきて俺を抱き寄せると──
黒は完全に沈黙した。
揺れも
風も
影も
全部、ひと息で消える。
「……よかった。ルイ、無事だ」
(……やっぱり、お前は“光”なんだ)
この夜、俺ははっきり理解した。
これから深淵の力はもっと強くなる。
だけど──
セリアだけは、その暴走を止められる唯一の存在。
この確信こそが、
俺とセリアの運命を決定づけていく。




