第60話:影門暴走――崩れゆく学院と“鍵”の選択
学院へ戻る途中、空の色がゆっくりと濁っていくのが見えた。王都の上空に、黒い雲の柱が一本、突き刺さるように立っている。
「……あれ、学院の方向だよな」アレンが歯を噛みしめる。
近づくほどに胸の奥の黒が熱を帯びてざわめいた。
『……開くぞ……扉が……』
(うるさい。黙ってろ)
白を全力で押し込むが、黒の圧は今までと比べ物にならない。セリアの手が震え、俺の腕をしっかり掴んだ。
「ルイ……心臓、すごく熱くなってる……!」
(分かってる。俺が一番分かってる)
学院にたどり着いた時、正門前はすでに地獄絵図の様相だった。建物の一部が崩れ落ち、空中には黒い裂け目のような影が漂っている。教師たちが結界を張り、生徒を避難させて走り回っていた。
「ルイ君!」
エリナ先生が駆け寄ってくる。顔色は悪いが動きは速い。
「ここは危険よ! 君たちは――」
ラザールがその前に出た。
「学院長からの指示だ。“鍵”は地下封印区画へ同行させる」
「鍵……って……」
一瞬、先生の視線が俺へ向いた。そこには恐怖と心配が入り混じった複雑な感情が浮かんでいた。
「……死なないでよ」
それだけ言い残し、彼女は生徒の避難へ戻っていく。
(なんだあれ……めちゃくちゃ刺さるんだけど)
地下封印区画への階段を駆け降りると、空気がすでに“向こう側”の匂いに満ちていた。黒い霧が壁を這い、床に描かれた封印陣が軋みながら光を失っていく。
そしてその中心にあった。
巨大な“門”。
石でも金属でもない。空間そのものがえぐられ、歪み、その穴が黒く口を開けているような異様な裂け目。
『……見えるか、鍵よ』
声が、はっきりと耳の奥に響いた。
(クリアに聞こえるようになってるの、やめてくれ)
『ここが“本門”だ。お前が触れるべき、深淵への正規の扉』
(触れたくねぇって何回言わせんだよ)
門の縁からどろりと影が伸び、封印術式へ絡みつく。
それに対峙していたのはベルムート学院長と数名の教師陣。汗がしたたり落ち、全員が限界寸前で封印陣を維持している。
「遅かったか……!」
ラザールの舌打ちが混ざる。
「学院長!」
「来てくれたか、ラザール君……ルイ君も……!」
学院長の魔力は明らかに限界に近かった。
「封印は……まだ間に合うんですか!?」
「完全閉鎖は……無理だ。だが――“出口の角度”さえ変えれば、この学院は飲まれずに済む……!」
(出口の角度……?)
『そうだ。この門は今、“学院”へ向けて開こうとしている。向きを変えれば……流れは別の場所を侵す』
(つまり……誰か別の場所が代わりに被害を受けるって話じゃん)
『世界とは、そういうものだ』
(ほんとクソみたいな理屈だな!?)
ベルムートが俺を見る。
「ルイ君。君の魂核は“白と黒の均衡”だと聞いた」
「……まぁ、一応」
「ならば――その均衡を利用させてほしい」
「!」
「君の“白”で門の流れを押し返し、“黒”で向きを固定する。この無茶をできるのは……世界でも君だけだ」
(無茶だと分かってるんだな!?)
セリアが一歩前へ進んだ。
「だったら、わたしも……! ルイの“白”が足りないなら、わたしの光も使って!」
「セリア君、それは危険――」
「わたし、ずっと守ってもらってばかりでした。今度は……わたしがルイを支える番です!」
瞳の奥が強く光っていた。
(……ほんと、こういう時のセリアはずるい)
俺は門の前に立ち、胸の奥から白と黒を呼び出す。
(黒は……深淵そのもの。白は……俺が俺でいる証)
セリアが隣で手をぎゅっと握る。
「一緒だよ、ルイ」
「……ああ」
白が膨れ上がり、黒がそれを飲み込もうとせめぎ合う。門の向こうからも黒い奔流が押し寄せてきた。
『来い、鍵。こちら側に来れば、苦痛は終わる』
(だからその甘言やめろっつってんだろ!)
白と黒を意識の中で強引に噛み合わせた瞬間、魂そのものが軋む音がした。
「ルイ……!」
セリアの光が温かく流れ込み、白が一瞬だけ優勢に転じる。
その刹那――
「今だ、門の“向き”を捻じ曲げる!」
ラザールと学院長が術式を叩き込む。
黒い裂け目が、鈍く軋みながら方向を変えた。学院の上空へ向けられていた流れが、遠く離れた“どこか”へ向きを変えていく。
だが、その代償は大きかった。
地下区画の壁が次々と崩れ、地上にまで衝撃が走る。校舎の半分が、まるで地面ごと抉られたように崩落していった。
それでも――学院そのものは飲み込まれずに済んだ。
気づくと、俺は冷たい床に倒れていた。
視界は揺れ、耳鳴りの向こうで叫び声が飛んでいる。
「脈はある! 生きてるぞ!」
「セリア君もだ! 魔力枯渇がひどいが無事だ!」
『……やはり面白い。お前は深淵に背を向けたか。ならば――もっと試したくなるな』
(試さなくていい。ほんとマジで)
遠のく意識の中で、薄く笑うしかなかった。
こうして――王立学院は“半壊”。長期休校に追い込まれることになる。




