第51話 黒の逆流――“鍵”が影を喰らう瞬間
影門の主が放った咆哮が、学院を丸ごと震わせた。
地面はひび割れ、空は波打ち、空気そのものが黒い砂のように崩れ落ちていく。
ラザールの足場は砕け、教師たちが張っていた結界は悲鳴を上げながらきしみ始めていた。
「くそ……っ!! 持たない!!」
「第二層結界が……崩壊──!!」
怒号も指示も、すべて影の濁流に呑まれていく。
その中心に、ルイがひとり膝をついていた。
細い肩が震え、胸の奥からは黒と白が止まらず噴き上がっている。
黒が世界を侵食し、白が命を繋ぎ止めるように閃光を吐き続けていた。
(もたない……本当に、壊れる……!!)
魂核の白と黒がぶつかり、身体の内側で雷が鳴るような痛みが走る。
影門の主が、深淵を揺らすような声を落とした。
『苦しいだろう……鍵……
その器は“光”に向かぬ……』
「やめろ……!」
セリアが光翼を広げて駆け寄る。
しかし影の圧が壁のように押し返し、足が止まった。
「ルイは……影でも深淵でもない!!
わたしが──引き戻す!!」
『光の器……邪魔だ。
お前は世界に“存在してはならぬ”』
禍々しい触手が、何本もセリアへ襲いかかる。
「セリア!!」
叫んだ瞬間──ルイの魂核が破裂した。
胸の奥で黒と白が激突し、世界そのものが震えるような衝撃が走った。
(……いやだ……!
まだ……全部失いたくない……!!)
黒が溢れ、白が悲鳴を上げる。
セリアの泣き声だけが、遠くでも確かに耳に届いた。
「ルイ……ッ!!
行かないで……っ!!」
(……行かない……
誰が……勝手に……!!)
胸がドクンと脈動し、黒い奔流が天に吹き上がった。
『……ッ!?』
影門の主が、一瞬だけ後退する。
噴き出した黒は暴走していた。
けれど──形が違う。
それは周囲に漂っていた影を引き寄せ、
まるで“食べる”ように吸い込み始めた。
黒が影を喰らっている。
「……ルイ……?
何、その……黒……」
セリアが言葉を失ったまま、震える声で呟く。
「喰って……る……?」
影の主が深淵そのものを震わせるような声を漏らした。
『不自然……!!
なぜ……“深淵核”が……
影を喰らう……!?』
ラザールの瞳が大きく見開かれる。
「……まさか……!
ルイ……お前の黒は……影じゃない……!」
(……影じゃ……ない……?)
ラザールは苦しげに歯を食いしばりながら続けた。
「影は“深淵の落とし子”だ。
だが……深淵そのものは──影の“上位”。
本質が……違う……!」
(上位……?)
彼の声が叫びに近くなる。
「ルイの黒は……影の核じゃない!!
深淵の“根源”だ!!」
『やめろ……!
鍵の覚醒は……今ではない……!!』
影門の主が門を震わせ、世界全体に悲鳴のような音が走った。
ルイの黒は暴れ続け、意識が半分闇に沈んでいく。
(……だめ、だ……
このままじゃ……俺……)
その暗闇に、白い光が触れた。
「ルイ……」
セリアが涙を浮かべたまま、震える両手でルイの頬に触れた。
光翼が激しく明滅しながら、彼を抱きしめる。
「戻ってきて……
わたし……ずっと隣にいるから……」
光が黒に触れ、火花のように爆ぜる。
だが暴走を押さえ込むのではない。
黒が──白を認識した。
白に引かれ、黒の奔流が徐々に沈静化し始める。
(……セリア……
俺……まだ……)
影門の主の怒号が空気を震わせた。
『光の器……!!
鍵に触れるな!!
壊れるぞ!!』
セリアは涙をこぼしながら、震える声で叫んだ。
「壊れるなら──一緒に壊れる!!
ルイをひとりにしない!!」
その瞬間、黒が鼓動のように鳴った。
ドン……!
世界中の影が震えた。
影門の主が、一歩後ろへ引いた。
『――鍵の黒が……
光に……馴染んだ……!?
そんなこと……ありえぬ……!!』
ルイはゆっくりと手を伸ばす。
その先には、影門の主の巨腕。
(……お前らの言う“鍵”がなんだか知らねぇけど……
好き勝手に使われるつもりはねぇ……!!)
黒が手に凝縮し、小さな“牙”のような形を作った。
(これが……俺の……黒……)
ルイは握りしめ、その黒牙を放った。
「食らえよ……!」
黒牙が影門の主の腕を穿ち、黒い外殻を削り取る。
『ぐ……ッ……!!?』
影門の主が、初めて“痛み”を発した。
『鍵……!!
その力は……!!
本来……“深淵の主”の……!!』
(深淵の主……?
俺は……)
問いを口にする前に、学院の防壁が砕けた。
バリィィィィィィン!!
「ルイ!! セリア!! 下がれぇぇぇ!!」
ラザールが叫んだ。
影門の主の“本体”が、ついに門の奥からせり出してくる。
『鍵……
今度こそ……掴む……!!』
光と影が衝突し、
世界の崩壊が、いよいよ秒読みを始めた。




