第35話:疑似門の手がかり――“旧校舎”の影
その日の夕方、学院の廊下には湿ったざわつきが漂っていた。
傾いた日の光が床の上に長い影を伸ばし、その影の中へ生徒たちの声が吸い込まれていくように感じられる。
「昨日……影、見たってマジ?」
「旧校舎のほうから黒いのが……」
隠しきれない不安が、壁の向こうからささやくように広がっていた。
(……ついに噂が“あそこ”へ届いたか。疑似門、確実に寄ってきてる)
胸の奥では白と黒の核がわずかに脈打ち、心臓の鼓動と重なる。
『……呼ンデイル……』
(呼ぶな。マジで縁起悪いから)
「ルイ、また胸が光ってるよ?」
セリアが歩幅を合わせ、そっとルイの手を包む。
柔らかな温もりが触れた瞬間、さっきまで走っていたざわつきが自然と静まった。
(ほんと……お前の手、反則級の安定剤なんだよ)
ルイが息をつくころ、廊下の端から長い影が伸びてきた。
その中央からラザールの姿が浮かび上がる。
「ルイ。放課後、来てもらう場所がある」
「……嫌な前振りですね、先生」
ラザールは北側の窓越しに、古い校舎跡を顎で示した。
立入禁止の区域。誰も近寄らない学院の“傷跡”だ。
「影の残滓が、また確認された」
(ついに来た。“旧校舎編”スタートって感じだな)
セリアがそっと袖をつまみ、体を寄せてくる。
「る、ルイ……ここ、怖い……」
「大丈夫。俺がそばにいる」
(というか、お前がいないと黒が暴れ放題だからこっちが困る)
夕日が赤く差し込む頃、三人は旧校舎へ辿り着いた。
壁には黒い染みが蜘蛛の巣のように広がり、窓ガラスが風に震えて細かな音を立てている。
「……ここ、イヤ……」
セリアが呟くと、ラザールが灯りを掲げ、ほの暗い校舎を照らした。
「十年前、“魔力暴走事故”が起きた場所だ。
――表向きは、な」
「じゃあ裏向きは?」
「“門が開きかけた”と記録が残っている」
(やっぱり。ここが疑似門の本命だよな)
校舎の中へ一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
足元から冷気が這い上がり、壁に沿って天井へ抜けていく。
息をするたび、古い埃と湿気が喉の奥へ絡みついた。
空間そのものが生き物のように微かにうねり、
黒核が反応する。
『……こっち……来イ……』
(誘うなって言ってんだろ……!!)
「ルイ、手……離さないでよ?」
「離さないよ」
セリアがそっと近づいただけで、黒のざわつきが落ち着いていく。
ラザールが古い教室の扉に手をかけた。
金属が悲鳴を上げるように軋み、わずかな隙間から冷えた空気が漏れる。
暗闇の奥――黒い霧がゆっくりと立ち上った。
「影だ!」
ラザールが即座に障壁を展開し、霧の侵入を封じる。
しかし霧は逃げるどころか、中心へ凝縮していき、捻じれ、歪み、形を取っていく。
四足。長い胴。
床を擦る爪の音が、教室全体へ不快な振動を刻む。
影獣――疑似門の“番犬”。
「くるぞ」
(昨日より弱い気はする……でも当たれば終わりのやつだ)
影獣が床を抉りながら突進した瞬間、ルイの胸が強く脈打つ。
白い光がほとばしり、影獣の体を弾き返した。
「ルイ!? 今のは……!」
(いや、俺も知らん! 黒と白、空気読んでくれ!!)
ラザールが目を細め、わずかに息を呑む。
「深淵でも光でもない……複合反応か……?」
(それ言うなって……マジで)
影獣が怒りをあげて跳びかかる。
ラザールの防御障壁が間に合わない。
(まずい……次はセリアに行く……!)
「ルイに……触るなぁぁぁ!!」
セリアの叫びが空気を揺らし、白核が炸裂した。
昼のような光が教室いっぱいに広がり、
影獣は断末魔を残して霧散する。
光が弱まり、部屋が元の暗さを取り戻す頃、
セリアは息を荒くし、額をルイに寄せた。
「ル、ルイ……怪我してないよね……?」
「大丈夫。セリアのおかげで助かった」
(ほんと……覚醒寸前。すごすぎる)
ラザールは深く息を吐き、震える声で言った。
「……セリア君。君の核……高位光核だ。
王族級の可能性がある」
セリアは首を横に振った。
「違う……そんなのじゃない……
わたし、ルイを守りたいだけ……」
(……ありがとな。本当にお前がいて良かった)
影獣がいた場所には、黒い渦の跡が焦げたように残っていた。
ラザールが膝をつき、慎重に触れる。
「……“門”が近い。ここに開こうとしている」
(だろうな……旧校舎が突破口って確定か)
『……鍵……近イ……』
(黙れ黒!)
外へ出ると、夜風が妙に温かく感じられた。
しかしラザールの表情は冷えたままだ。
「ルイ君、セリア君。
君たちは学院の“核心”へ踏み込んでいる。
いずれ隠し通すことは難しくなるだろう」
(分かってる……でも簡単にバレるわけにはいかない)
「次は――実戦形式の影討伐だ」
「……はい」
ルイは静かに頷いた。
(逃げられない。でも……絶対にバレずにやり遂げる)
旧校舎の奥では、黒い渦が小さく脈打ち続けていた。
疑似門の影が、“開門準備”を着実に進めている。




