【別視点】黒の決壊
《羅煌都》の石畳は夜の吐息で濡れていた。
飾られた街灯が吐く薄紫の光は、繁華街の喧騒を柔らかく包み込むが、その片隅――――細い路地の闇は、まるで別の季節のように深く、冷たく、沈黙を吸い込んでいた。
そこへ一つの影が滑り込む。
周囲を気にするような素振りを見せながら、一人の怪しげなプレイヤーは背を丸めて路地裏へ進んだ。
「こほん。”ドミニオンイーター”様、いらっしゃいますか」
言葉は空気に触れるとほんの少し振動を起こし、やがて暗がりの底から応答が返る。
その応答とともに、足元がまるで地面ごと割れるかのように黒い穴を開いた。
穴は静かに裂け、闇の縁からは冷たい匂い――――古い紙と湿った墨の匂いが立ち上る。
暗黒の階段を降り切ると、そこにあったのは意外な光景だった。小さな扉、一歩一歩が床板に吸い込まれるように進むと、扉の向こうに広がっていたのは静謐な美術館の回廊。
だが展示ケースの間を縫う風は無く、来訪者の気配もない。
その中心に立つ者は、目の前の水墨画を見て満足する。
――――それは墨に塗れた黒い身体をした“司会者”だった。
彼の体はまるで内側から墨を湧き上がらせたかのように黒く、皮膚も髪も輪郭も溶け合っている。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
司会者の見ていたのはのは“人形”の水墨画──白と黒の陰影で切り取られた水墨の人形。
描かれている線は生々しく、まるで紙の上で息をしているかのようだった。
人形の表情はまるで司会者の内面を写した鏡のように、冷たく、退廃的で、そこに宿る性質がゆっくりと滲み出していたのだ。
「はい、手筈通りに進んでいます。この街が黒で染め上げるのも時間の問題かと」
声は絹のように滑らかだが、その底には刃が潜んでいる。
司会者と対話するその者のプレイヤーネームは“裏道”。
【闇市】の一員である彼は、卑屈で滑稽にも思えるほど小心だが、その笑みは計算された毒の微笑だった。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
「なる程、なる程、表舞台へと上がる準備が整ったという事ですな?」
「▇▇▇▇▇▇」
「えぇ、えぇ、分かっていますとも。勿論、貴方様にご満足頂けるよう尽力します」
裏道は口の端で笑いを作りながらも、内心は別の計算をしていた。
司会者が本気になれば、彼の身にも災厄が及ぶ。
だからこそ、ここが身を引く好機なのだ。
「それでは、私はこれにて失礼……貴方様のご武運をお祈りします」
裏道の言葉と仕草の裏に流れるのは、金と生存への欲望。
司会者が望むのは世界の破壊だが、対して裏道が欲するのはただの現金だった。
司会者の手足となって禁薬を売り捌く。
彼はその利益が欲しかっただけだった。
司会者はその瞬間、裏道を一瞥すると、淡い笑いを浮かべて指を鳴らした。
「あれ、ここは……」
裏道の視界が一変した。目の前には硬質な石壁、重厚な鉄扉、そして薄暗い光の中で虚ろに立ち尽くす檻。
檻の中では獣人たちが光を失った瞳で、どこか遠くを見つめていた。
「――――――刑務所?!」
咳のような金属音、鉄の匂い、血の匂いが鼻腔を満たす。
ここは――――――刑務所だ。
ビーステッド大王の命令で、疑いある獣人たちがここに封じられていた場所だった。
「ガッテム! ここに私が居たら怪しまれるに決まってます! 今すぐ退散を――――――待てよ?」
今ここで刑務所の出口に向かった所で、看守にバレて捕まる確率の方が高い。
であれば、今ここで囚人を外に出して暴れさせ、刑務所を混乱させて己の退路を確保する方が良い。
「スキルスロットに入れて――――よし、〈ピッキング〉」
指先が宝石細工のように忙しく踊り、鍵の機構がひそやかに音を立て、古い錠が甘くなっていく。
裏道は檻の鎖を次々と解いていく。
釘の外れる音、錠前の落ちる音が連鎖反応を起こし、空気が震える。
すると突然、解放された獣人たちの体から、黒いオーラが湧き出した。
オーラは暗い潮のように流れ、獣人たちの目に火を灯す。
彼らは導かれるように檻の外へと駆け出していき、廊下は足音と怒号で満たされた。
「……むしろ、この人達に刑務所を突き破らせた方が良いかもしれませんね」
通路の奥からは悲鳴と鉄製の盾が弾ける音、そして爆発の前触れのような遠い振動が伝わってきた。
裏道は薄く笑い、さらに檻を開け続ける。
やがて大きな衝撃が走り、壁が断崖のように崩れた。
鉄と石と叫び声が空間に舞い、刑務所は瞬く間に混沌へと姿を変えたのだ。
裏道はその混乱に紛れて脱出した。
廊下には看守と囚人の倒れた影が無秩序に転がっている。
彼はそれを見下ろすことなく、ただ一心に出口へと走る。
「ふぅ、一時はどうなる事かと……さっさと、この星からおさらばしましょうかね」
《羅煌都》の夜風が彼の髪を掻き、遠くで燃える光が街のシルエットを赤く染める。
裏道は振り返らず、自分の宇宙船へと駆け出した。
だがその足取りは、ただの逃亡者のそれではなかった。
後ろでは、黒が更に勢いを増し、街という名のキャンバスに侵食の筆跡を広げていくのだ。




