第九話:夜が明けるまで
Scene.37 新しい現実
ゼニスでの女神との対決の後。
ウチらはこの大都市を拠点として地道なレベル上げを始めることにした。
魔王の呪いでウチのレベルは他の冒険者の何倍も上がりにくい。
近道はもうない。
泥水をすするような努力だけがウチに残された唯一の道だった。
ウチらはゼニスのギルドで一番報酬が低く誰もやりたがらない討伐依頼を選んで受けた。
以前のウチなら鼻で笑うようなクソ雑魚の仕事。
でも今のウチにはそれすら命がけの戦いだった。
Scene.38 泥にまみれた英雄ごっこ
例えば下水道に巣食った巨大ネズミの討伐。
ヘドロの悪臭の中で素早いネズミの群れと斬り結ぶ。返り血ならぬ返り汚水を浴びて髪も顔もぐちゃぐちゃ。昔のウチが見たら失神するレベル。
例えば廃坑のゴブリン退治。
「エリナ! 右から回り込んで!あいつの気を引いて!」
「は、はいっ!お姉ちゃん!《光よ》!」
エリナが放つ小さな光の魔法にゴブリンが一瞬ひるむ。その隙をウチは見逃さない。
なけなしの金で買った安物の剣をゴブリンの喉元に突き立てる。
一体倒すのにこれだ。集団に会えば罠を仕掛け地形を利用し半日かけてようやく全滅させられるかどうか。
毎日がそんな戦いの繰り返し。
全身は常に傷だらけで骨が軋むような疲労感だけがウチらを支配していた。
ギルドに戻って依頼達成を報告しても手に入るのは雀の涙ほどの銅貨だけ。
周りの高ランクの冒険者たちはそんなウチらを嘲笑った。
「おい見ろよあの元・威勢のいい女。すっかり泥まみれじゃん」
「Aランクに勝ったって噂はハッタリだったんだろ。ザマァないな」
うるさい。
ウチは心の中で悪態をつきその金で最低限の食料と傷薬を買う。
その繰り返し。
Scene.39 過ぎゆく季節
季節は巡り夏が過ぎて秋が来た。
そんな地獄のような毎日を半年も続けた。
ウチのレベルは半年かけてようやく15から18になっただけ。たったの3レベル。人より遥かに絶望的に遅い成長。
でも確実に何かが変わってきていた。
剣の振り方は洗練され筋肉がつき魔物の動きが以前より読めるようになった。
何よりあの慢心しきっていた頃にはなかった、泥水の中から自分の力で這い上がってやるっていう黒い闘志が腹の底で燃え続けていた。
Scene.40 ふたりだけの夜
昼間の戦いで負った傷と疲労を洗い流し粗末な食事を終えると、ウチら二人だけの夜が訪れる。ゼニスの安宿の一つのベッド。それが唯一の安息の場所だった。
「…お姉ちゃん…また怪我が…」
その夜もエリナがウチの背中についた新しい傷跡を小さな指でそっと撫でていた。吐息がかかって背中がゾクゾクする。
「…ん。へーきだって。これくらい」
「痛そうです…。私がもっと強ければ…」
「バーカ。エリナがいるだけで十分だっての」
ウチはエリナの方に向き直りその小さな体を抱きしめた。柔らかくて温かい。昼間の殺伐とした世界が嘘みたいに遠ざかっていく。
ウチは魔王につけられた心の傷を上書きするように彼女の肌の温もりを求めた。
―――その切なくてどうしようもない夜の詳細はここには書けない。
二人で汗ばんだ体を重ね合い荒い息を整える。
ウチは腕の中で眠るエリナの髪を撫でながらそっと囁いた。
「…エリナはウチんだからな…。誰にも渡しちゃダメなんだからね…」
「…はい…。私はお姉ちゃんだけのものです…」
寝言のような彼女の返事を聞きながらウチも眠りに落ちた。
互いの温もりを感じながら。
昼間は泥と血にまみれ夜は互いの肌を求め合う。
そんな矛盾した毎日を繰り返しながらウチらはこのクソみたいな世界で二人で生きていくことを誓った。