第七十六話:敵と自分と
「目指すは北!次は『憤怒』か」
ウチらは聖樹エリュシオンの聖域を後にして、北の凍てついた大地へと向かっていた。
道中ウチは黙り込んでいた。
頭の中は今までの戦いの反芻でいっぱいだった。
「…莉央様?何か考え事ですか?」
リラが心配そうにウチの顔を覗き込む。
「…うん。次の敵のこと」
ウチは吐き捨てるように言った。
「七つの大罪ってのはどいつもこいつも凄まじい強さだけど、その本質は純粋な戦闘力ってより、一つの感情への執着の異常さと厄介な特殊能力だよね」
マモンは「所有」することに執着した。
樹里は「簒奪」することに執着した。
アスモデウスは、歪んだ「美しさ」に執着した。
だとしたら『憤怒』はただ怒り狂ってるだけの脳筋?
…いや、そんな単純なハズないか。
「にしてもさ」
ウチは歩きながら続ける。
「国ごと不幸に陥れる強欲と、人をオモチャにする色欲は問答無用でダメ。ウチの勝手な価値観だけど、正直ぶっ倒して正解だったと思ってる。でも暴食…あのクソガキはどうなの?アイツはただ腹を空かせてただけじゃん。今のところアイツが直接人を喰ったとかそーいう話は聞かないわけだし」
「…」
エリナとリラは黙ってウチの言葉を聞いている。
「ウチらがやってることって、本当に正しいのかな?」
ウチはエリナの顔を見た。
「エリナの故郷と星の民は絶対に復活させてあげたい。その気持ちに嘘はないよ。でもさ、そのためにやってることは結局、魔人殺しじゃん。…ウチらの私利私欲で大罪どもをぶっ殺す…って事実に変わりはないよね」
「お姉ちゃん…」
「分かってる。やらなきゃ世界が終わる。…でもさ、時々思うんだよね」
ウチは空を見上げた。
「それにアイツらだって元はただの人間だったのかもしれない。マモンも樹里もそうだった。…何かからあのイカれた力を貰ったんでしょ?…まぁ本人がそれを望んだのかもしれないけど」
誰かがアイツらをそそのかしたのか。
それともアイツらが自分の弱さに負けただけなのか。
正義も悪も全部ぐちゃぐちゃに混ざり合って、もう境界線が分からなくなってくる。
「…あーもう!よく分かんないんだけど、全部!」
ウチは頭をガシガシと掻きむしった。
考えても答えなんか出ない。ウチは聖人君子でも哲学者でもないんだから。
「…それでも」
エリナがウチの手をそっと握った。
「私は莉央お姉ちゃんを信じます。お姉ちゃんが進む道がきっと正しい道ですから」
「…うるさいな。気休め言わないでよ」
ウチはそう言いながらもその手を振り払いはしなかった。
今はそれでいい。
答えはこの道の先にあるはずだ。
ウチはただ前に進むだけだ。
Scene.278 凍てつく関所の街
北へ北へ。
ウチらの旅は続いていた。
緑豊かだったアルベリアの森は遥か後方へと消え去り、景色は日に日に寂しくそして厳しくなっていく。
そして旅を続けること一月。
ウチらはその旅の中継地点となる宿場町へと辿り着いた。
『霜の関』。
北の凍てついた大地へと向かう最後の砦。その名に相応しい荒々しい街だった。
建物は全て丸太と石で組まれており、家々の煙突からは常に白い煙が立ち上っている。
ぬかるんでいるメインストリートを、屈強な傭兵や毛皮を纏った商人たちが大きな荷物を運んでいた。
空気に混じるのは松の木の匂いと獣の肉を焼く香ばしい匂い。そして肌を刺す冬の匂い。
「…とりあえず、今夜はここで一泊しよっか。情報と防寒具を揃えなきゃ」
ウチらは街で一番大きな、酒場を兼ねた宿屋に入った。
中は暖炉の熱気と、男たちの熱気でむせ返るようだ。
ウチらは隅のテーブル席で熱いシチューを啜りながら、久しぶりの休息を取っていた。
Scene.279 紅蓮の異変
「…ん?」
ウチはふとリラの様子がおかしいことに気づいた。
彼女は黙り込んだまま眉間に深いシワを寄せ、自分のグラスを睨みつけている。
その握りしめた指先から、微かに炎の魔力が漏れ出てテーブルを焦がしていた。
「ねぇリラっち、どうしたの?シチューが口に合わない感じ?」
「…いえ。そういう訳ではありませんが…」
彼女は歯切れ悪く答えた。
「なんだか先ほどから、どうしようもなくイライラすると申しますか…些細なことが気に障って…」
その言葉の途中だった。
隣のテーブルで酔っ払っていた傭兵の男が立ち上がる時にふらつき、その肘がリラの背中に軽く当たった。
グラスから酒が少しだけこぼれ彼女のローブを濡らす。
それだけのこと。
だが。
「…っ!」
次の瞬間リラの瞳がカッと赤く染まった。
彼女の全身から殺気と凄まじい魔力が立ち上る。
「…無礼者!」
彼女は氷のように冷たい声で呟いた。
「その汚れた腕を今すぐ切り落とされたいですか!」
その手の中には既に灼熱の炎の塊が生み出されていた。
傭兵はそのあまりにも過剰な殺気に腰を抜かしその場にへたり込む。
酒場中が静まり返った。
Scene.280 『憤怒』の波動
「おいリラっち!落ち着きなよ!」
ウチはとっさにリラの腕を掴みその炎を無理やり霧散させた。
「ただの事故じゃん!何キレてんの!」
「…はっ!」
リラはウチの声で我に返ったようだった。
彼女の瞳から赤い光が消え、いつもの冷静な表情に戻る。
「…申し訳ありません莉央様…。私としたことが、何故か急に頭に血が…」
彼女は自分の行動が信じられないという顔で震えていた。
ウチは舌打ちするとリラの腕を引き宿の部屋へと戻った。
エリナがすぐに彼女に浄化の魔法をかける。
「…リラさんの魂が…」
エリナは深刻な顔で言った。
「少しだけ赤黒い靄のようなものに影響を受けています。とても攻撃的で破壊的な感情の魔力です…。これは…」
「…『憤怒』の波動か」
ウチは全てを理解した。
聖樹様が言っていた。
北の大地から絶え間ない『憤怒』の波動を感じると。
その大罪のオーラがこの北の玄関口まで届いているんだ。
そして生真面目で感情の起伏を抑えがちなエルフであるリラが、その影響を一番受けやすい。
(…なるほどね)
ウチは窓の外、遥か北の空を睨みつけた。
(次の大罪は近づくだけでこっちの精神を汚染してくるわけ?)
(…マジでちょーめんどいんだけど!)




