第七十五話:再生の聖域
Scene.273 再生の聖域
ウチらは聖樹エリュシオンの根元に広がる巨大な聖域に立っていた。
以前来た時とはまるで違う。
ここはもはやただの森の中の広場じゃない。世界から切り離された神々の庭そのものだった。
まず目の前にそびえ立つ聖樹。
その幹はもはやただの樹皮じゃない。真珠の母貝を何億枚も敷き詰めたように七色に輝いている。流れるような模様がゆっくりと明滅しまるで樹が呼吸をしているかのようだ。
ウチがそっとその幹に触れると指先から温かい生命力が流れ込んでくる。戦いで負った古傷が疼き癒えていくのが分かった。
見上げれば空を覆い尽くす枝葉。
一枚一枚がまるで銀色の水晶細工のようだ。風が吹くたびに葉と葉が触れ合いサラサラと心地よい鈴のような音色を奏でている。
そしてその葉からはキラキラと光る胞子が常に舞い落ちていた。純粋なマナの結晶だ。
空気が美味い。ただ息を吸うだけで体中の魔力が満たされていく。
足元に目をやれば地面は柔らかな苔で覆い尽くされている。その苔は星の形をしており一つ一つが青白い光を放っていた。「星苔」と呼ばれる伝説の植物らしい。
ここを歩くだけで一日の疲れが消え去っていく。
「…すげぇ」
ウチの口から思わず感嘆の声が漏れた。
Scene.274 帰ってきた住人たち
聖域はただ美しいだけじゃない。
生命の喜びに満ち溢れていた。
聖樹の太い根が作り出した天然の洞窟からは泉が湧き出ていた。その水はそれ自体が淡い光を放ちまさに生命の雫そのもの。泉の中では水の精霊たちが楽しそうに水遊びをしている。
木の幹には樹の精霊たちが寄り添いその樹皮を優しく撫でている。
風の精霊がウチらの周りを悪戯っぽく飛び回りウチの髪を揺らした。
森の動物たちも戻ってきていた。
水晶の角を持つ巨大な鹿。銀色の毛並みをした狐たち。その歌声が魔法となる小鳥たち。
彼らはウチらを恐れることなく、ただ好奇心に満ちた瞳でこちらを見ている。
ここは絶対的な安全が約束された聖域なんだ。
「…ああ…」
エリナが空を見上げて息を飲んだ。
ウチもつられて見上げる。
聖樹の遥か高い枝。
そこにいくつもの巨大な果実のような繭のようなものがぶら下がっていた。
その繭はどれも内側から心臓の鼓動のように優しい光を放っている。
「…星の民の同胞たち…」
エリナの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
聖樹の力が戻ったことで眠りについていた彼女の家族たちが、目覚めの時を待っているんだ。
Scene.275 次の戦いへの誓い
ウチらはその夜リラの『女王の閨房』を使わなかった。
ただ聖樹の根元で星苔の絨毯の上に横になった。
それだけでどんな高級なベッドよりも安らかに眠ることができた。
翌朝。ウチは完全に回復していた。
心も体も今までのどの時よりも力に満ち溢れている。
ウチはまだ眠っているエリナとリラの寝顔を見下ろした。
そしてその向こうにそびえ立つ聖樹を見上げた。
(…悪くないじゃん)
守るべきモン。帰るべき場所。
ウチにもようやくそんなガラにもないモンができたらしい。
(だったらやることは一つだよね)
ウチは静かに剣を握りしめた。
Scene.276 残された毒
「おい、聖樹様!聞こえてる?」
ウチは聖樹に語りかけた。
「ウチらが頑張ったおかげで聖樹様もだいぶ元気になったみたいじゃん。だったらさ、そろそろエリナっちの家族、起こしてあげてもいいんじゃない?」
ウチの問いに聖樹は、その銀色の葉を悲しげに揺らめかせた。
『…ありがとう、莉央。あなた達のおかげで私は滅びの淵から還ることができました。…だが、まだです。まだ私の子供たちを目覚めさせることはできません』
「なんでだよ!」
『見ての通り、彼らの繭はまだ完全ではない。その光には僅かな澱みが残っている。…この世界の理に深く食い込んだ大罪の呪いが完全に浄化されぬ限り、彼らをこの世界に呼び戻すことは、彼らを再び危険に晒すことと同じなのだ』
ウチは舌打ちした。
「…強欲、嫉妬、色欲。これで三匹始末した。残る大罪はあと四柱。…うち暴食だけはどんなヤツか知ってる。」
「で?残りの連中はどこにいんの?特にあのクソガキ!『暴食』はどこにいるわけ?」
ウチの問いに聖樹は答えた。
『…『暴食』は気まぐれな災厄。その食欲の赴くままに世界中を放浪しています。その正確な居場所は現在の私にも掴めませぬ』
「使えないなー、もう」
『…ですが』
聖樹は続けた。
『北の凍てついた大地より絶え間ない『憤怒』の波動を感じます。戦乱に明け暮れるかの地は『憤怒』の魔人の格好の苗床となっていることでしょう…』
「憤怒、ねぇ」
次の獲物が見つかった。
しかもいかにもウチ好みの脳筋っぽい響きじゃない?
「聞いた?キミら!」
ウチはエリナとリラを振り返った。
「次は北だ!寒いのは嫌いだけどしょーがない。喧嘩売りに行ってやろうじゃん!」
四匹のゴミ掃除。
まずは一番やかましそうなヤツからだ。
またウチらの新しい旅が始まる。




