第六十九話:偽りの楽園
Scene.247 人形の街
快楽都市ヴァニタス。
その中身は外から見た印象よりもさらに異様だった。
まず街が綺麗すぎる。
道は磨き上げられた真っ白な大理石でゴミ一つ落ちていない。道の両脇には季節も考えずに咲き乱れる色とりどりの花々。建物はどれも芸術品のように美しく調和が取れていた。
だがその完璧さが、逆説的にウチの神経を逆撫でする。
「…なんだろこの街。生きてる匂いがしない」
ウチは吐き捨てるように言った。
そう。活気がない。いや、ある。人々は皆笑顔だ。すれ違う誰もが優雅な服を纏い穏やかな表情を浮かべている。
だがその笑顔は全部同じ。まるで能面みたいに感情がこもっていない。
喧嘩も怒鳴り声も泣き声すらも聞こえない。聞こえるのは心地よい音楽と、礼儀正しい囁き声だけ。
「快楽都市とか色欲って言う割に上品で、マジひびったんだけど」
ウチは隣を歩くエリナとリラに言った。
「快楽ってのはもっとゲスで、汗臭くてドロドロした欲望を貪るもんじゃないの?…なんかこの街、全部が作り物みたい」
Scene.248 魂を蝕む甘い蜜
ウチらは街の中心にある美術館と呼ばれる建物に入ってみた。
壁に飾られている絵画はどれも、息を飲むほど美しかった。
だがどれも同じ。そこには苦悩も葛藤も嫉妬も怒りも何もない。ただ綺麗で美しくて、そして猛烈に退屈だった。
「…ここの『快楽』ってのは全部作り物なんだ」
ウチは確信した。
「毒もトゲも刺激も全部抜かれた安全で無菌室みたいな、おままごと。…だからこんなに気色悪いんだ」
「お姉ちゃん…!あれを見てください…!」
エリナが指差す先には、街のあちこちに設置された美しい噴水があった。
その噴水から湧き出ているのは水じゃない。キラキラと虹色に輝く甘い香りを放つ蜜のような液体。
街の人々はその液体を、当たり前のように手のひらですくって飲んでいる。その度にうっとりとした表情を浮かべていた。
「…リラっち。あれ何だか分かる?」
「…分かりません。ですがあれには強力な魔力が込められています。一種の…魅了と鎮静の魔法ですわ」
エリナが聖なる力でその液体を探り顔を蒼白にさせた。
「…ダメですお姉ちゃん。あれを飲んではいけません…!」
「なんで?」
「あれは飲む人の魂から『渇き』を奪っていきます…!」
「渇き?」
「はい…。何かをもっと欲しがる心。向上心や野心、闘争心…。そういう人間を人間たらしめる全ての『渇き』を癒し奪い去ってしまう。代わりに永遠に続く穏やかな満足感だけを与えるんです…」
なるほどね。
これがアスモデウスの支配のシステムか。
街の住人全員にこの魂を蝕む麻薬を与え、抵抗する気力すら奪い去る。
美しい。美し過ぎるただ上っ面だけが美しいだけの世界で、その魂を家畜のように飼い慣らす。
「…マジでタチ悪いじゃん」
Scene.249 見えない本体
ウチらは街の裏路地に身を隠しながら、このクソみたいに完璧な街を観察していた。
人々は微笑み音楽は流れ花は咲き乱れる。
だがその光景はウチの神経を逆撫でするだけだった。
「…マジで意味分かんない」
ウチは壁にもたれかかりながら吐き捨てた。
「色欲の特殊能力って何?この魂を抜くジュース?だとしたら地味すぎじゃない?なんか今のところ全部色欲に結びつかないんだけど」
ウチは本気でそう思っていた。
「ウチが色欲なら、もっとエロくてグロくて脳みそが蕩けるみたいな、すっごい街にするけどな!」
「そうだよ!この街にはエロがないんだよ!清潔すぎて反吐が出るわ。何が『色欲』だよ!」
ウチは心底イラついていた。
このアスモデウスとかいう女。ウチを相手に「色欲」を名乗るには格が低すぎる。
それにどこが「快楽都市」だ!
「色魔レベルならウチに勝てるヤツ見たことないんですけど!」
ウチがそう息巻いていると、隣で黙って話を聞いていたリラが静かに口を開いた。
「…莉央様。あるいはそれこそが相手の狙いなのかもしれません」
「あ?」
「『色欲』とは必ずしも性的な欲望だけを指すのではないのかもしれません。…この街にあるのは『完璧な美』『完璧な調和』『完璧な幸福』…。それらを求める心もまた一種の強い欲望。そして…『堕落』への入り口なのでは?」
…完璧な幸福?
違う。違うな。
快楽ってのはそんな綺麗なモンじゃない。
もっと生々しくてみっともなくて、腹の底から「欲しい」って思うもんだ。
…だとしたらこの街は何?
この完璧に管理された美しさは何のためにある?
この街は楽園なんかじゃない。
アスモデウスという絶対的な独裁者のための巨大な“箱庭”なんだ。
ここにいる人々は美しさを強制された彫刻。
心を失くし、ただ表面的な美しさを得るためだけの生贄。
「…なるほどね」
ウチは口の端を吊り上げた。
「やっと見えてきたじゃん、キミの正体が」
ウチは街の中心にそびえる美しいガラスの宮殿を睨みつけた。
「最高にゲスで最高にウチ好みじゃない、アスモデウス」
「やっと面白くなってきた。その偽りの箱庭、ウチがひっくり返してあげる」




