第五十六話:メロンパンの味
Scene.198 あの日の約束
目の前で樹里が笑っている。
魔王の力を全て奪い取り、七つの大罪『嫉妬』としてウチの前に立ちはだかっている。
その醜悪な化け物の姿が、ウチの脳裏に焼き付いていたはずの、一番綺麗だった記憶を、無理やりこじ開けた。
…どうして、思い出すんだ。今、この地獄のど真ん中で。
一番楽しかった、あの日のことを。
あれはウチらが上京してきて、まだ半年も経ってない頃。
歌舞伎町のボロアパートの屋上。
夜勤明けの朝。
金網の向こうに、東京の朝日が昇るところだった。
「ねぇ、莉央。見て。朝日だよ。綺麗だね」
隣で樹里がまだ眠そうに目をこすりながら笑っていた。
ウチらは二人で、一つのコンビニで買った100円のメロンパンを分け合って食べていた。それが、ウチらのなけなしの朝食だった。
「はぁ?ただ眩しいだけじゃん。眠い…」
「もう、莉央は、色気がないなぁ」
樹里はそう言って、楽しそうにメロンパンを頬張る。
「いつかさ、あの一番高いタワーの、一番上のレストランで朝ごはん食べたいな。こんな安いメロンパンじゃなくて」
朝日を浴びてキラキラ光るビル群を見ながら、樹里は夢見るように言った。
その横顔があまりにも儚くて綺麗で、ウチは思わずその頭をわしゃわしゃと撫でていた。
「バーカ。キミがそんなもん食いたいなら、ウチがいくらでも稼いであげる」
「え?」
「その時はあのタワーごと買い取って、キミ一人のために朝ご飯作らせちゃうから?楽しみにしときなよ」
「…あはは!」
樹里は子供みたいに声を上げて笑った。
その心の底からの、一点の曇りもない笑顔。
「ほんと?約束だよ、莉央!」
「…うん」
ウチは照れ隠しにそっぽを向いて、自分の分のメロンパンを口に突っ込んだ。
安っぽい砂糖の味がした。
でも、ウチの人生でアレ以上に美味いモンを食ったことは一度もなかった。
Scene.199 最後のケジメ
「…あはは!莉央、そんな顔して昔のことでも思い出してるの?」
目の前の樹里の嘲笑がウチを現実へと引き戻した。
そうだ。
あの太陽の下で笑っていた樹里はもうどこにもいない。
今ウチの前にいるのはウチの全てを羨み妬み、ウチから全てを奪おうとしている化け物だ。
(…ああ、そっか。アンタはあの頃からずっと、羨ましかったんだ)
ウチの脳が氷のように冷えていく。
(ウチがキミのためにそう誓った、その強さそのものを。ウチがキミの隣で笑っているその事実、そのものを…!)
込み上げてくるのはもう悲しみじゃない。
怒り。
静かで冷たくて底なしの殺意だけだ。
ウチの一番綺麗だった思い出までこいつは汚しやがった。
絶対に許さない。
ウチはゆっくりと二本の剣を構え直した。もう迷いはない。
「…樹里」
ウチはその懐かしい名前を、地獄の底から響かせるように呼んだ。
「アンタが欲しくてたまらなかった、ウチのその“全て”を今からあげる」
「…キミのその汚い魂ごと叩き潰す、っていう最高の形でね!」
Scene.200 『簒奪』
ウチの体からレベル99の全ての闘気が炎のように立ち上った。
最後の喧嘩の始まりだ。
ウチが突っ込もうとしたその瞬間。
樹里は笑った。
そして、その嫉妬に濡れた緑色の瞳を、ウチじゃなく、ウチの後ろに立つ二人の仲間へと向けた。
「あら、その前に…。素敵なお友達ができたのね、莉央」
「その炎の力と、光の力…。今の私にちょうど足りなかったものだわ」
「え…?」
リラが怪訝な声を上げる。
次の瞬間、彼女の体がガクンと膝から崩れ落ちた。
「なっ…!?私の魔力が…!紅蓮の力が…!」
リラの体から紅色のオーラが、まるで糸のように引き抜かれ、樹里の体へと吸い込まれていく。
「リラっち!?」
「お姉ちゃん、危ない!」
エリナがウチの前に立ちはだかる。
だが、樹里の狙いはエリナも同じだった。
「ああ…!力が…聖なる、光が…!」
エリナの体からも、金色の光が奪われていく。彼女もまた、その場に崩れ落ちた。
樹里は二人の力を完全に吸い上げると、満足そうに息を吐いた。
その体からはもう嫉妬の緑色だけじゃない。リラの紅蓮の炎と、エリナの聖なる光が、おぞましい三重のオーラとなって渦を巻いていた。
「…樹里…!」
「これで準備は整ったわね」
樹里は力を失い気を失ったリラとエリナを見下ろした。
そして、最後に絶望に立ち尽くすウチを見た。
「さあ、始めましょうか、莉央」
「あなたの全てを私が奪い尽くす、最後のショーを」




